第6章ー2
誰もいなくなった室内に、気まずい静寂が満ちている。
こほん、とわざとらしくユイカが咳ばらいをすると、カイが叱られることを悟った子犬のような目でこちらを見た。
(だから……っ! そういうところが……っ!!!)
惚れた弱みというやつである。しかし、今は絆されてはいけない。
「ずっと私に付いていた、とはどういうことでしょうか? カイ様?」
二人きりにはなっているけれど、いつもの軽口に戻れないユイカがカイに詰め寄った。
「……すまなかった。嫌な想いをさせた」
「そんなことを言ってるんじゃない! どうせ殿下の命令でしょ?」
目を伏せ、悲しそうに言われるとユイカは口調が荒くなってしまう。分かっているのだ、カイのせいじゃないことくらい。
「それは……そうだが……」
カイは困ったように頭をガシガシかくと、大きく息を吐く。
「一年前、ユイカ嬢が図書館勤務希望だと言った時点で、図書館の職員に空きは出ていなかった。君が女官になるように最初から殿下に道を整えられていたことを、俺は知っていた」
「……」
カイはユイカの方を見ようとしない。その様子に、彼が自分に対してずっと後ろめたく思い続けていたのだろうことだけは伝わってきた。
「知っていたのに、俺は君に何も言わなかった。その上、君に興味を持った殿下に君の行動を報告までしていた。カフェテリアでエグランティーヌ嬢に、真に強い女性は弱いものを庇護下に置く、という話をしていた時も、リリア嬢に、お人好しと、自分で自分を可哀そうな人間だと周りに知らしめるような真似をするものじゃないと伝えた時も」
「……」
「そうやって君の考えや言葉に触れているうちに、いつしか俺も君を得難い人材だと思うようになった。だから……殿下の命に従った」
裏切られていた、とまでは思わない。カイは仕事の一環で行っていただけなのだから申し訳なく思う必要はないのだ。けれど、何だかとてもユイカは哀しかった。
「……リリア様に八つ当たりした後、大泣きしたことも報告しちゃった?」
これまで報告されていたら、恥ずかしい、と思ってユイカは静かに尋ねた。すると、カイがやっとユイカの灰色の目を捉える。そして首を横に振った。
「それは……それだけは報告できなかった。何故だか分からないが」
ユイカは閉じかけていた心がふわりと解けていくように感じた。
そうだ、この人はそういう人なのだ。だから……惹かれたのだ、と。
(でも、あたしのこと『人材』って言った。やっぱりそれくらいの認識なんだよね……)
ちょっとだけ寂しく思ったけれど、カイの誠実さは伝わってくる。
「ありがとう」
「いや、礼を言われることではないし、俺が悪かったことは変わらない」
尚も謝ろうとするカイに、ユイカは首を振った。
「カイさんは悪くない。貴方の立場で殿下の命令に背けるはずないし。でも、ずっと監視されてたっていうのはちょっとやっぱり……」
居心地悪いよ、と続けようとしたところで、カイがとんでもない台詞をぶつけてきた。
「……それを正当化するつもりはないが、それだけユイカ嬢が魅力的だったんだろう」
「!?」
(カイさんは……あたしを魅力的だって思ってくれてるの?)
突然のデレた台詞にユイカは思わずカイの顔をポカンと見つめてしまう。しかし、ユイカの視線に気づいたカイが、急に慌て始めた。
「あっ、いや、変な意味じゃない! 殿下にとって……という話で」
「……」
ほわほわしていた心が一気に冷める。心なしか、重力が増したようにも感じられた。
(必死で弁解されるのが切ないような、でも可愛いような……ってか本当に本当ーーーに天然無自覚の人たらしって怖い。今一瞬ときめいてしまったあたしの乙女心を一体どうしたら!!)
ぶつけようのない気持ちを、空気と共に吸い込んでから、ユイカはカイに向き直る。
「分かってるから。そんなに焦らなくて大丈夫だって」
とまで言って、カイの困り果てた顔を見て、思わず吹き出してしまった。そして『殿下にとって魅力的』の意味を取り違えていることをカイに誤解なきようきちんと伝えることにした。
「殿下は私のことを珍獣か何かだと思ってるんだよ。実際に私と殿下と二人でいても、特に問題ないって関係者には思われているらしいし」
「はっ!? 二人で?」
カイの声が急に真剣みを帯びた。ユイカは笑う。
「正式に二人っきりになれるわけないじゃない。相手は王太子殿下様だよ? そんなに殿下の心配しなくても……え? 私が何か危害を加えるとでも?」
「いや、……そういうわけじゃ……」
仕事熱心なカイの態度に苦笑しながらユイカは続けた。
「以前ね、殿下と話したんだ。王太子という肩書がある以上、特定の女性と仲良くするわけにはいかないけど、私に関しては誰も心配してないって。まぁ、そうなんだろうけど、女として生まれた以上、何か腑に落ちないというか落としてはいけないような気がしないでもないような……」
「……そういうことか」
ぼそぼそと続ける言葉を最後まで聞かずに、何故かカイがホッとしたように肩から力を抜くから、ユイカは首を傾げた。
「カイさん?」
「いや、なんでもない。とにかく、ユイカ嬢は殿下の期待を背負わされている。それはとても重いものではあると思うが、貴女ならばその期待に応えられるだけの資質がある、と俺も思っているよ」
「……!」
エグランティーヌやアルベルトから言葉をもらった時とはまた別の頬の熱さを感じながら、ユイカはもう一度、ありがとう、と呟くのだった。
・・・*・・・*・・・*・・・*・・・
その数日後。とうとう、ユイカは入宮日を迎えた。緊張しすぎて朝から吐きそうで、せっかくの食事も喉を通らなかった。ローラン家での最後となるであろう豪華な朝食だったというのに。
公爵家の家紋が入った豪華過ぎる馬車に揺られ、ユイカは王城を目指していた。
『女官っていうのは、基本中流貴族以上の家の娘がなるものですから、全員初日は馬車出勤よ。あなた、王宮の門からとことこ歩いて内宮まで行くおつもり? 何時間かかると思ってらっしゃるの?』
と呆れ顔のエラ様が内宮の入り口まで送ってくださることになったのだ。男爵家の娘が公爵家の馬車で職場に乗りつけるというのは、正直職場の先輩たちに睨まれるような気がしないでもないけれど、そんなことよりもエグランティーヌの気持ちが嬉しくて、ユイカはその提案を心からありがたく受け入れた。
しかしである。
「そんな状態で大丈夫ですの?」
緊張で吐き気と胃痛でぐったりしているユイカに話しかけるているのはエグランティーヌともう一人。
「聖魔法かけましょうか?」
何故このタイミングでこの場所にリリアがいるのか、ユイカには分からないが聖魔法は断った。
「気持ちだけ頂いておくよ、ありがとう」
「どうしてですか? すっきりしますよ?」
尚も食い下がるリリアに、エグランティーヌが呆れ顔で代弁してくれた。
「新人女官として入宮する初日に聖魔法がかかった証の全身がキラキラした状態を晒して入れるほど、貴方以外の人間の面の皮は厚く出来てはおりませんのよ?」
そう。聖魔法をかけられると、しばらく身体がキラキラ輝くそうである。聖女様のありがたいパワーの残滓らしい。
「エグランティーヌ様、調子が戻ってきましたね、でもそういうのも嫌いじゃないですよ」
リリアとエグランティーヌが狭い車内で笑顔で言葉を刺し合っている。
(本当に……どうしてこうなったんだろう)
エグランティーヌと馬車に乗ったまでは良かった。そこに突然リリアが訪ねてきたのである。もちろん先触れもなく、突然に直接。
『ユイカお姉さまの女官生活初日ですよ! 聖女として女神様を応援しなくてどうするんですか!?」
というのがリリアの言い分だった。そしてリリアはエグランティーヌに対して大きな貸しがある。結果、一緒にユイカを見送るためにこうして馬車に同乗していた。
(聖女様と王太子妃候補筆頭公爵家令嬢に見送られる男爵家の小娘って……)
更に腹痛まで追加されてきた。
「ユイカ、本当に大丈夫なの? 何なら欠勤した方が……」
「いえ、感染症とかとんでもない高熱でもない限り初日から欠勤とか有り得ないので……」
ローラン家の侍女がユイカを気遣って持たせてくれた温石が少しずつ効いてきた気もする。この調子なら、何とか耐えられるだろう。
そう思っていたのに。
「やぁ、フォルンシュタイン嬢。待っていたよ」
内宮の馬車止めでキラキラ王太子が満面の笑みを浮かべ、新人女官ユイカ・フォン・フォルンシュタイン男爵令嬢を待ち構えていたのだった。
次回(2/11)19時、 キラキラ殿下、真面目モード発動!




