第5章ー1
冷たい風がユイカの灰色の髪を強くなびかせる。孤児院事件から数カ月が経ち、季節は冬になっていた。
この世界は結衣が生きていた世界のゲームなだけあって、四つで季節が巡ることや十二カ月で一年、二十四時間で一日、という基本的環境は魔法を使う以外は生前と変わらない。ただ、人の考え方、髪や目の色が違うのみだった。
前世を思い出し、自分の時間、自分の本当に気持ちを一番大切にするのだと決意してから一年近くが過ぎようとしている。ユイカはこの世界でやっと地に足をつけて生活できるようになったように感じていた。
(って、卒業式みたいな気分になっちゃったけど……)
ユイカは今までの総人生の中で二度目の就職試験を受けようとしている。正直、緊張しまくっていた。
(一度目は誰でも入れるような、社員の入退社が頻繁過ぎるブラック企業だったけど……今回は選ばれしもの達の世界だもん。きっと大丈夫。絶対に受かってみせるんだ! 待ってて。夢の『丁寧な生活!!』)
今まで何度も何度も自分に言い聞かせてきた言葉を、もう一度思い返したところで「よし!」と気合を入れた。
その時。
「大丈夫……みたいですね」
静かな声が遠慮がちに後頭部の更に上から降ってきた。
「え?」
振り返り仰いでみれば、王太子殿下の専属護衛騎士が苦笑しながらユイカの後ろに立っていた。
「カイ様!? 一体どうして?」
ユイカは周りを見渡した。きっとどこかにキラキラした高貴な人がニヤつきながらどこぞの物陰にいらっしゃるに違いないと思ったからである。そんなユイカの行動に、カイは口元に手を当てて可笑しそうに笑った。
「殿下なら、いらっしゃいませんよ。今日は私だけです」
「え?」
カイが表情を崩したのを見た瞬間、ユイカは胸をぎゅっと掴まれるような感覚になった。
(顔の綺麗な人の、しかも最初は怖い顔しか知らなかった人のふいに出る笑顔って……なかなか攻撃力高いんですけど)
と、思ったところでハッとした。
(これがギャップ萌え!? エグランティーヌ様たちに偉そうに弁舌たれたけど、実際の攻撃力がこんなに強力だとは……っ!)
と、脳内で忙しくユイカが叫んでいるのとは裏腹に、現実のユイカはポカンとカイを見つめてしまい、その視線を受けたカイが慌てたように視線を少しだけ逸らして咳払いをして表情を戻す。
「失礼しました。つい親しげに……」
あの貴賓宮の応接室での二人だけの約束がまだ彼の中にあるのだと思うと、心がほわんと温かくなる。実際、あれから何度かエグランティーヌとアルベルトのお茶会に招かれ、カイと気安く話せる機会もあったから、ユイカとしては気楽で良いくらいだった。
「いえ、大丈夫です。でもどうしてカイ様がこちらに?」
「フォルンシュタイン嬢が緊張しているのではないか、と殿下が仰いまして、伝言を預かっております」
「……」
「? どうかなさったのですか?」
ユイカも分からない。分からないけれど、今温かくなった胸の奥に、氷水を一滴、落とされたみたいな気持ちになったのだ。
「い、いえ、なんでも……で、伝言って?」
慌てて取り繕うユイカを気遣いながら、こちらです、とカイが一片のメモを手渡す。
『試験前に元気が出るようにカイを送るね。試験に受かったら彼に何でもお願いを聞いてもらうといいよ♡』
「はぁっ!?」
思わず口から飛び出した大声に、カイだけでなく周りにいた人々もユイカに視線を向けた。
「何か良くないことでも?」
カイが心配そうにユイカを見た。この様子だと彼にメモの中身は知らされていないのだろう。知っていて持って来ていたらそれはそれでユイカはパニックになりそうだけれど。
「……」
ユイカはどうしようか迷ったものの、口頭でこれを説明するのはあまりにもあんまりだと思い、紙片を無言でカイに手渡した。
「……な、にを……!?」
全てを理解したらしいカイの表情が困惑を表していた。ユイカは更に凍りかけた水が胸に注がれるような気がした。
(カイ様……迷惑って思ってる……)
と思ったところでユイカは、はた、と己の感情に気づいてしまった。
どうして自分は、カイがアルベルトの命令でここに来たのだと知らされた途端にがっかりしたのか。どうしてメモを見てカイが迷惑だと考えているのだろうと思って自分が落ち込んでいるのか。
「……っ!!」
木枯らしの吹きすさぶ寒い冬の朝だというのに、ユイカの顔が一気に熱を放つ。
(わ、わわわた、私……カイ様のこと……?)
「どうしたのですか? 具合でも!?」
突然ゆでだこのように顔を真っ赤に染め上げたユイカの心の内など気づくはずもないカイに心底心配され、ユイカは慌てる。
「だ、大丈夫ですからっ! 殿下には『ご配慮、誠に心から心底、感謝申し上げます』と、お伝えくださいませ!」
今はどうしてもカイの顔をまともに見られず、ユイカはカイの手から王太子の手紙を奪い取り、顔を隠すように俯いて一気に言う。
「……全くそんな風に思ってそうに見えないところがいっそ清々しいですね」
また楽しそうに軽い声で笑った。彼はこんなに表情も声色も豊かな人だっただろうか。
(でも、そんな表情見れるのも嬉しいって、今一緒に笑ってることが嬉しいって……あたし、感じてる)
自分の気持ちを言葉にしてみると、もう自分のカイへの想いを否定する要素は何一つ残っていないことに気づいた。そして自分で認めることができた途端、すーっと心が凪いだ。この柔らかな、温かい感情を持つことが、ごく自然なことのようにも思えた。
「カイ様」
ひとつ、ゆっくりと息を吐いてから、もう大丈夫です、とユイカはようやく顔を上げる。そしてカイの瞳を見て微笑んだ。そんなユイカを見て、カイが目を見開く。
「……」
「お忙しい中、わざわざ来ていただいて、本当にありがとうございました。私、試験に合格できるように全力で頑張りますね」
アルベルトの、この状況を全力で楽しんでやろうということがバレバレのお心遣いは心底どうでもいいが、ユイカはカイが来てくれたことへの今の気持ちを素直に伝えることにした。
(あたしが勝手にカイ様のことを大事な人って思ってるだけなら……迷惑には、ならないよね)
人に気づかれるような態度を取らなければ、きっと……。
「……」
カイはユイカの表情を見て、何か言いたげに口を開きかけたが、また閉じて深く頷いた。
「頑張ってください」
そう言って右手を握り、手の甲側をユイカに向かって差し出す。
「え?」
きょとんとするユイカにカイは穏やかに微笑む。
「騎士同士でこれから戦いに行くという時にお互いを鼓舞するため、また無事にまた会おうと約束するために、握りこぶしをこうして軽く合わせるのです」
「!」
ユイカは急に目元が熱くなる。なぜだか分からないけど泣きそうになった。感情と共に身体まで忙しく変化することに戸惑ってしまう。
「こう……ですか?」
おずおずと自分も右手を握って差し出すと、カイは嬉しそうに手の甲を軽くぶつけた。そして耳元に顔を寄せた。
「殿下の命令は絶対です。貴女のお願い、考えておいてくださいね」
顔の近さと、声色の優しさ、そして去り際の笑みにユイカは思考が強制停止しそうになったが、何とか強く気を持って堪えることができた。
(この人、絶対に天然の人たらしだ……!)
そしてこんな大事な試験直前のこの瞬間に、とんでもない爆弾を送り付けやがったアルベルト王太子殿下に強くムカつきというかありがたさというか色々な感情が混ざりに混ざった複雑すぎる気持ちを抱えながら、ユイカは学力試験と面接試験をとんでもない集中力で取り組み、後日合格通知を受け取った。
……配属先は卒業式後に各個人に伝えられるという一文を添えて。
次回(2/8)19時、いよいよ学園編完結!!
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