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第4章ー1

 孤児院での一件から数カ月が経った冬の日の午後。


「フォルンシュタイン嬢、どうか、こちらを受け取ってくださいませんか?」


 ルミナス王国王太子専属護衛であるカイが、恭しく封筒をひとつユイカに差し出した。


 ユイカは差し出された封筒を見ないように顔を背けながらカイに言ってみる。


「お断りできるものであれば、そうさせていただきたい気持ちでいっぱいです……」


 少しずつ後ずさるが、カイも同じように少しずつ迫ってくるものだから両者の距離は近いままである。


「……ここ数日間、毎回同じやり取りをしている記憶があるのですが、飽きないものなのですか?」


 カイがユイカを見下ろしながら呆れた様子で尋ねるものだから、ユイカも呆れた様子でお答えした。


「毎回お断りしたいっていう私の気持ちを聞いておいて、それでもこうして律儀に毎回わざわざ手渡しにいらっしゃるカイ様の忠誠心には毎回新鮮味をもって驚愕しておりますよ?」


 そう。今カイがユイカに差し出している封筒に押されている封蝋はどう見ても王族の物。つまりカイを通して毎週渡されているアルベルト王太子殿下からのお茶会のお誘いであった。


「殿下が貴女を求めているのであれば、私はその希望に応えて準備するのが務めですから」


(上司が言うから部下の自分は何も考えずに手先になりますよってこと?)


 ユイカは少しだけ胸に正体不明のもやもやを覚える。そして目の前の仕事熱心な護衛騎士に対して意地悪な気持ちになってしまった。


「ならば殿下が貴方の命を求めたら差し出すとでも?」


 あの人が言ったらあなたは何でも言うことを聞くのか、という言い合いでよく耳にする質問だ。そう言われてしまえば、大抵の人は黙ってしまうか、それとこれとは話が別、などと言うところだろうが、目の前にいる護衛騎士は違った。


「無論。私の命は殿下のものですから」


「え……」


 そこに空気があるから吸っているだけですが何か? とでも言いたげな物言いが、ユイカに強い衝撃を与えた。あまりのことにユイカは二の句が継げなかった。


「というわけで殿下の願いは絶対です。それは貴女もよくご存じのはず。いい加減諦めて受け取ってください」


 カイは無表情のまま言って、フリーズしているユイカの指先に手紙を挟み、マントを翻してその場を去って行った。


「…………っ! ちょっ……カイ様っ!? 今のっ!!」


 二拍ほど遅れてユイカは我を取り戻した直後に慌てて声を掛けたが、既に彼は声も届かぬ距離にいた。あまりの衝撃にユイカの魂が抜けかけていたようにすら思える。


(……絶っっっ対に納得いかない……してやるもんかっ!!)


 こちとら上司や仲間の言うことを聞きすぎて一度死んだ身である。落とした命を悔やんだ過去がある。


 自分の命は自分のものであるという当たり前のことすら分かっていない人間が目の前にいることを、ユイカはどうしても、どうしても許せなかった。


(絶対改心させてやるんだから……!)


 その日から、ユイカはカイに張り付いた。彼があっさり命を差し出そうと考えるに至ったまでの理由を問わずにはいられなかったのである。


・・・*・・・*・・・*・・・*・・・


「まさかフォルンシュタイン嬢の方から私にお誘いがあるとは想像もしなかった」


 ある日曜日の午後、ユイカはローラン家中庭で行われるエグランティーヌと王太子殿下のお茶会の席に乗り込んでいた。もちろんエグランティーヌに拝み倒して。当の公爵家令嬢は気を遣ってくれたのか、この場には彼女も彼女の護衛も侍女もいない。


「私からのお茶会の誘いの時は嫌々来ましたっていう態度を全く隠すことも無く、無駄口も叩かず、一目散に帰ってしまうくせに、自分の用事がある時だけ、君は王太子である私を呼び出すんだね?」


 テーブルに肩肘で頬杖をついてニヤニヤ笑うアルベルトだが、気を悪くしている様子はなかった。それどころか、楽しそうな様子も見て取れる。


「あはは。申し訳ありません。王宮での殿下のお茶会は何せギャラリーが多いもので……。それよりも、実は私、どーーーーーしてもひとつお伺いしたいことがあるんです」


 アルベルトは片眉を上げた。


「おや、本当に珍しい。私に答えられることであれば何なりと」


「ありがとうございます、王太子殿下。では遠慮なく」


 そう言ってユイカは、優雅に微笑む麗しの王太子殿下の後ろに控えている無表情の黒髪の護衛に質問した。


「カイ様は、どうして殿下に命を預けていらっしゃるのですか?」


「……」


 護衛騎士は表情を変えることもなく、ユイカに視線を向けることも無く、ただ沈黙を守っている。


 アルベルトは小さくため息を吐くと、護衛の方を振り返りもせずに片手を上げて返答することを促した。


「カイ、レディからの質問だ。答えてさしあげるように」


 お茶を飲みながら王太子殿下は面白そうに言う。そしてこうも続けた。


「私も聞きたい。君は何度諫めても自分の命を簡単に投げ出そうとするからね」


 やはりそうなのか。ユイカは唇を噛む。


「ご自分の命が殿下のものだと仰ってから、私はほぼ毎日カイ様に聞きましたよね、何故ですか?と。けれど、貴方は一度も答えてくださらなかった」


「……」


「カイ」


 静かだけどこれ以上の沈黙を許さない、という殿下の声に、カイは諦めたように大きくため息を吐いた。


「平民の出である私の命と、王族であり次期国王となられる殿下のお命が同等のはずがございません。それに……私の命は母の命を奪ってまで繋いだ命です。自分のために使うことなど許されないのです」


 最初の言葉は予想していた。しかし後半は……ユイカにとって、あまりにも衝撃的であった。


「どういう……ことですか?」


 カイは表情を変えることなく、淡々と語った。


「母は、私を育てるために昼も夜もなく働いていました。父は私が生まれる直前に事故で死んだそうです。だから母は必死でした。けれど私はそんな母の状況も想いも理解しないで、ただひとりで寂しいという甘えた気持ちだけで……ある夜、母が働く酒場に行きました」


 そこで幼いカイ少年はガラの悪い傭兵くずれにちょっかいをかけられ、無視したことで生意気だと一方的に暴行を受けた。そこに騒ぎを聞きつけた母親が少年を必死で庇い、母親は殴られ蹴られ血を流して死んでしまった。


 傭兵たちは兵士によって捕まったがあまりに暴れたせいでその場で殺された。一方的な理不尽な言い分、怒声に罵声、叫び声に泣き声……。そして母の血、その場で見ているだけで助けてくれなかった大人たち。


 彼が全てに絶望し、全てを拒絶するようになるまでに大して時間はかからなかったそうだ。


「そんな私を拾ってくれたのが、騎士団で十人長をしていた義父でした。義父は生きる気力を失くした私に、実父と母の分までしっかり生きろと言いました」


 どこまでもカイの瞳は揺らがない。暗記した数列を読むような一本調子な声には、何の感情も宿っていない。空恐ろしく感じるほどに。


「実際に母も私によく言っていたのです。『人の役に立つ人になりなさい』と。だから私は人の役に立てるのであれば喜んで命を捨てなければならない。人のために命を使わなければならないのです」


 ユイカは何も言えなかった。


 そんなユイカにカイは言う。


「つまり、人の役に立つことでしか、私の命は価値を持てないのです」


 悲壮感も怒りも何もない、ただの真冬の凍る直前の水のような冷ややかな瞳でカイは話し続けた。だから、この命は私を護衛として召し上げてくださった殿下のものなのです、と。


「いつ聞いても同じように話すのだな」


 アルベルトが疲れた声を出す。そして尋ねた。


「人の役に立つならいつ死んでもいいと……そんなふうに考えているからなのか? 君が敵に対して甘いのは」


 アルベルトの固い声に、カイは困ったように笑って首を横に振った。そんなんじゃありません、と。


「人を切ったことはあります。でも、人の血を見たその瞬間、母が死んだ瞬間が、今、目の前で起こっているような気持ちになるのです。何年も前の、とうに終わったことのはずなのに今の私は動けなくなる。息ができなくなる……役に立てなくなるから、私はなるべく攻撃はしません」


 トラウマによるフラッシュバックだ……と26歳の結衣は思った。彼はその人生で一番辛かった瞬間を、記憶も感情も瞬間冷凍したまま、胸のとても浅いところにしまいながら生きるしかなかったのだと。


「……」


 アルベルトは額に手を当てたまま、うなだれている。どうにもしてやれない、という無力感にさいなまれているのだろう。ユイカだって同じだ。だけど……だけどどうしても仕方ない何もできない、と諦めたくなかった。


「私は……博愛主義者ではありませんので」


 ユイカは腹立たしくて、悔しくて、悲しくて寂しくて感情がぐちゃぐちゃだったけれど、どうしてもこれだけは、カイに今、伝えておかなくてはならない、と、そう思った。


「名前も知らない敵の命よりも、名前も顔も知ってる……私が泣きたいときに場所をくださったカイ様の命の方が何倍も大事ですから!」


「!?」


 カイが弾かれたように顔を上げ、ユイカを見た。


「こんな言葉でカイ様の心を変えられるわけないって分かってますけど、どうしても今言いたいので申し上げます。貴方が貴方の命を惜しまなくても私は貴方の命を全力で惜しみます。何かあったら本気で泣きます。自分を責めます。自分が代われば良かったのにって、一生責め続けますからね。だから、ご自身の命を何よりも大切になさってください」


 話しているうちに何故か涙が込み上げてきて、目元がカーっと熱くなる。けれど、涙なんかでカイの気持ちを変えることは出来ないことだけは分かっているから、ユイカは必死で堪えた。


「私も……フォルンシュタイン嬢と同じことを再度君に伝えたいと思う。君の命は尊い」


「……」


 それでもカイは何も言わなかった。ユイカも、アルベルトも、それ以上は何も、言えなかった。




次回(2/4) 19時、ユイカ修羅場で再度語る!


 

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