第3章ー4
リリアが清めの儀式を行うのは教会の総本山である、とアルベルトから得た情報を頼りにユイカとエグランティーヌを乗せた馬車は目的地を目指してひた走っている。揺れる馬車の中で、エグランティーヌが震える声でユイカの名を呼んだ。
「ユイカ様……リリア様は私のお願いを聞き届けてくださるかしら」
「……エグランティーヌ様は、リリア様に対してもご自分の我儘として命令なさるおつもりですか?」
嫌な聞き方だと思う。思うけれど共にリリアに会いに行くと言ったのだ。ユイカはそれを知っておかなければならないと思った。
「リリア様には……誠心誠意私の気持ちをお願いするつもりよ。けれど、今まで私がリリア様にしたことを考えたら、そんなこと許されるはずが……」
エグランティーヌとユイカたち取り巻き令嬢は、今までさんざんリリアに理不尽な言いがかりをつけ続けていた。これは今更行動を正したからと言って過去の過ちが帳消しになるわけではない。それは、きっとエグランティーヌもよく分かっているのだ。いや、分かるようになったのだ。
だから、エグランティーヌは一度言葉を途切れさせた後、首を横に振り、膝の上に乗せている両手をぐっと固く握った。
「でも、謝らないでいる、という選択肢は、今の私にはないの。自分のお願いをしたいから、その為に謝る、という順番には違いないし、失礼なことだと分かっているけれど、それでも謝罪したい。そしてソフィアを救って欲しいの」
ユイカは頷いた。
「エグランティーヌ様のそのお気持ちを、そのままお伝えください。もしダメだったら、またその時考えましょう。ね?」
ユイカはエグランティーヌの手を自分の手で包みこみ、彼女に告げた。
こればかりはもう、成り行きを天に任せるしかない、というような気がした。
しかし、リリアに相対するためには、天に任せるだけでは心もとない。ユイカもエグランティーヌも全力で全ての持ち得る権力をぶん回していく所存であった。
・・・*・・・*・・・*・・・*・・・
「これはこれはユイカ様! やっと来てくださいましたな。お待ち申し上げておりました!」
ユイカとエグランティーヌを、もみ手せんばかりの勢いで笑顔で出迎えてくれたのは教会の大司教だった。
まずはいきなり先触れもなく、聖女に会いたいから、と女神であるユイカが教会の門番にダメ元で言ってみると、すんなり門は解放された。戸惑いながら中に入ってみたは良いものの、これからどうやって責任者を引っ張り出そうかと悩んでいたユイカだったが、ほぼ待つことなく、いきなりトップが出てきたことに苦笑いするしかなかった。しかし、今は正直なところありがたかった。
とにかく今は時間がないのだ。こうしている間にもソフィアは高熱で苦しんでいるのだから。
「聖女リリアと共に女神として教会のシンボルになって頂きたいと申し上げた、あのお話の続きでしょうか?」
大司教の言葉にユイカは笑顔で首を横に振った。
「嫌ですわ、そのお話はお断りしたはずです。それとは別件で大司教様にお願いがございますの」
「お願い……でございますか?」
ひとつ頷いてから、ユイカは病気の子どもを助けてほしいと聖女に頼みに来たのだと伝えた。
大司教はポカンと口を開けた後、苦笑しながら首を横に振った。
「何を仰るのかと思えば……。申し訳ありませんが、ただいま聖女は大事な儀式の途中。いくら女神さまの仰ることでも聞けませんな」
と、にべもなく断られてしまった。それはそうだろう。彼らが言っている女神とは、教会がリリアと一緒に担ごうとしているだけの何の特別な力も権力もないただの小娘なのだから。だから、ここまでも想定通りである。
(……後はよろしくお願いいたします、エグランティーヌ様……!)
ユイカからの無言の視線を受け、エグランティーヌはひとつ頷くと、バサッと扇を大げさに広げて口元隠してから大司教に向けて一言を放った。
「聖女リリアに用があるのは、この私でしてよ、大司教様」
「は?」
大司教が慌ててユイカからエグランティーヌに視線を向けた。
「私のお友達が体調を崩しているので、聖女の力を借りに来たんですの。さぁ、リリアを呼んできてくださらない?」
「申し訳ございません。先ほども申し上げた通り、聖女は今清めの儀式に……」
明らかにユイカの時と比べて声の勢いが衰えた大司教に皆まで言わせず、エグランティーヌは不快感を露わにして眉根を寄せた。
「何度も言わせないでちょうだい。この私が頼んでいるのよ? リリアをここに連れてきなさい」
「ユイカ様……」
声の様子から、恐らく大司教がすがるように女神に助けを求めているのだろうが、女神は何も聞こえないし何も見えない。つまり、女神はただいま自発的に静かに目を閉じて瞑想中にあった。
「聞こえないの? ルミナス王家に連なるローラン公爵家が娘、エグランティーヌ・ド・ローランが命じているの。リリアを今すぐここに連れてきなさい!」
「……ローラン嬢、聖女は今、国のために力を蓄える大切な儀式の最中でございます。それをこう申しては何ですが……たった一人のために教会を挙げて準備した全てを無駄になさるおつもりでしょうか?」
(うわぁ……嫌な言い方……って……。なんか聞いたことあるかもこのセリフ)
目を閉じながら思い出してみれば確かにゲームの中でもこのイベントが起きたことを思い出した。ヒロインが儀式に向かうのを邪魔するのが悪役令嬢エグランティーヌである。
(確か、王太子殿下の婚約者としてヒロインの格を上げるための儀式でもあったはず。それを妬んだ悪役令嬢に呼び出されるのだけれど、『呼ばれても応じない』が正解の選択肢だった……)
現実である今、ヒロインのリリアはどう反応するのだろうか。
(もし、この作戦がうまくいかなかったら……)
ユイカはソフィアのことを想って胸がぎゅっと痛むのを感じた。きっとエグランティーヌの心はそれ以上に不安と焦りで揺れているはずだった。
けれど、隣に座る彼女は余裕を保ち、目の前にいる男よりも自分が上位であるという態度を決して崩さない。
少しでも気弱に見せてしまえば、エグランティーヌとは言え大司教に良いようにあしらわれてしまうだろう。更に分が悪くなれば罰せられることもあるかもしれない。彼女は大司教に決してその隙を与えてはならないのだ。
「……これは言いたくなかったのだけど……来季からの我が家の教会への寄付金に響いても知らなくってよ? 私がお父様にこう言えば良いのですもの。『大司教様に心からのお願いをしたのにお聞き届けいただけなかったわ。今までの心ばかりの贈り物も意味がなかったということかしら』って」
扇で顔を隠して横を向いて嘆息を吐く美しき令嬢に、大司教は押し黙ったままである。
(ダメ……なの?)
ユイカが肩を落とし、エグランティーヌが再度口を開こうとした時。
「お姉さま!」
大きな声と共にバンっと応接室の扉が大きく開く音がした。見ると真っ白でシンプルなワンピースに身を包んだリリアがユイカに向かって飛びついてくるところであった。
「ぐぇっ……!」
そう大して体格の変わらない人間に勢いよく抱き着かれれば淑女らしくない声も出ようというものである。
「リリア殿……! 何故入っていらっしゃったのですかっ!」
大司教が慌てて聖女を諫めるが、聖女はどこ吹く風である。
「えー。女神様がいらしてるから、儀式に入るのはしばらく待つようにって伝達なさったのは大司教様でしょ? それにユイカお姉さまがいらっしゃると聞いて、この私が大人しく待ってられるわけないじゃないですか~」
美少女だけに許される仕草の代表格、ぷくっと頬を膨らませるという行為をごく自然にやってのける。
(こりゃ、相当聖女として甘やかされてるわ……)
そんな彼女に説教をし、改心させたのであれば、確かに女神扱いも分からないでもない、とユイカは苦笑する。
「それで? お姉さまは一体何の御用でいらしたのですか?」
リリアは無邪気にユイカに抱き着いたまま尋ねたものの、女神の隣で呆気に取られた様子の公爵家令嬢を見て一気に笑顔が萎れていった。
(この子、もう少し表情を取り繕うことを学ばないと貴族社会であっという間に淘汰されてしまいそうなんですけど大丈夫なの?)
違う意味での庇護欲を掻き立てられつつも、ユイカはエグランティーヌに言った。
「エグランティーヌ様、さぁ、リリア様に」
エグランティーヌはユイカの言葉にひとつ頷くと、覚悟を決めたように扇を畳み、静かに立ち上がった。
「リリア様」
そう言って背筋を正してリリアを見つめ、そしてゆっくりと頭を下げた。
「は?」
リリアが固まっている。
「私が今まで貴女に向けて放った悪意と暴言を、心よりお詫びいたします」
「え……」
リリアはあわあわと困惑したようにユイカを見るが、ユイカは大丈夫だと伝わるように、にっこりと微笑んで頷いて見せた。
「許していただけるとは思っていないのだけれど……図々しいお願いだとも理解していますわ。でも……どうか……どうか孤児院にいる、私のお友達を貴女の御業で救っていただきたいの」
エグランティーヌは胸に手を当てて頭を下げたまま続ける。
「まだ……たった五歳で、まだ……空の高さも、海の果てしなさも……文字と絵でしか知らない女の子ですの。ずっと高熱が続いていて、体力を底上げすることでしか薬の効果が得られない」
震える声で、でもリリアに届くように、エグランティーヌは小さな友のために懇願した。
しん……と応接室が静寂で満ちた。
ユイカに巻き付いていたするりと手が離れる。
「分かりました。すぐに参りましょう。案内、お願いできますか?」
そう言って立ち上がったリリアは、既に聖女の顔をしていた。
・・・*・・・*・・・*・・・*・・・
もう大丈夫だと、リリアがユイカたちに伝えに来てくれた瞬間、エグランティーヌは用意された室内で崩れ落ちた。安堵のあまり力が抜けたのだろう。
「よかった……。本当に……良かった……」
呟くように小さな声で何度も何度も繰り返す。
そしてリリアに向かって祈るように両手を胸の前で組んだ。
「リリア様……ありがとう……ございます」
はらはらと涙を零す美しき公爵令嬢に向けて、リリアは小さく舌を出して笑った。
「本当はエグランティーヌ様たちのこと、ムカついてたので、お願いを聞くのはどうかと思いましたけど……実際、今のエグランティーヌ様に頼まれたんじゃぁ、断れる人なんていないですよ」
リリアの言葉に、エグランティーヌは顔をくしゃっとゆがめた。そんな公爵令嬢の姿を見ながら、ユイカはリリアに尋ねた。
「本当にありがとう、リリア様。邪魔しておいて今更なんだけど……儀式は大丈夫なの?」
リリアは笑顔で首を横に振った。
「全然問題ないですよ。言ったでしょ? まだ待機中だったって。もし聖地の中に入ってしまった後だったら、かなり大問題になってたみたいですけどね」
本当にぎりぎりだったのかもしれない。あの時、すぐに行動していたから今があるのだ。
「じゃ、私、このまま聖地に戻りますね」
リリアが軽く言って風のように去って行った。
「彼女のああいうところ、貴族らしくなくて私許せませんでしたの……」
エグランティーヌがぽつりと呟いた。
「でも……彼女がああいう人柄だからこそ、今回の件が成功したのだと分かりました。様々な立ち位置からでしか見えないこと、分からないこともあるのだと、気づきましたわ」
・・・*・・・*・・・*・・・*・・・
「ソフィアに会えるそうだ。窓越しだけど。一緒に行かない?」
アルベルトがユイカたちを誘いに来たのはそれから数日後。
行ってみると、まだベッドの上にはいるものの、ソフィアはしっかりした目元でユイカたちを見て微笑みながら手を振ってくれた。そして、彼女は綺麗な便箋に綺麗な文字で書いた紙片を窓に押し付けた。
『ありがとう。エラお姉ちゃんが聖女様を呼んでくれたって聞きました』
エグランティーヌは目元を緩め、すぐに便箋に返答を書く。
『またソフィアとこうしてお喋りができて嬉しい』
エグランティーヌが書いて見せると、少女はくすぐったそうに笑った。
そんな様子を少し離れた場所から見つめていると、ふいに横から声を掛けられた。
「フォルンシュタイン嬢……泣いているのかい?」
王太子殿下に言われて、ユイカは頬が濡れていることに気づいた。
「あれ……なんで……」
意識すると更にどんどん涙が流れて止まらない。
「ユイカ様?」
泣いているユイカに気づいたエグランティーヌが不思議そうに振り向いた。
「あはは、すみません。なんて言ったらいいんだろ……安心……したのかな……」
「安心?」
「あの時……ソフィアが危ないって知った時、私は色々やるべきことを皆さんに言いました。偉そうに。でも、間に合わなかったら……間違ってたらどうしようって不安で……怖くって……」
口元が震えてしまう。こんな理由でこんなに号泣するなんて恥ずかしい、とどこかで冷静な自分が言っているのに、言葉も涙も震えも止まらなかった。
「本当に……良かった……です……」
もう後は言葉にならなかった。泣いて泣いて泣きじゃくった。
「貴女が冷静で、いつも通りのユイカ様でいてくださったから、全てが良い方向に動いたのですわ。心から感謝いたします」
いつの間にか近くに来ていたエグランティーヌは静かにユイカに頭を下げた。そして、おずおずと近づき、そっと泣いているユイカを抱きしめてくれた。
王太子殿下は何も言わず、何もせず、その場にただ一緒にいてくれた。
そしてカイは黙ってハンカチを差し出してくれた。
それぞれの存在が、ユイカを温かく包み込んでくれているような気がして、また涙があふれ出てしまうのだった。
次回(2/3)19時、モブC、護衛騎士カイが気になって仕方ない!?




