>9 不意打ち NO GUARD
「はい、次!」
雫の掛け声と共に、スライムが爆散する。俺は初心者用の武具店で奢ってもらった短剣を振る。一体、二体、三体——
[Level 2に到達しました]
スライムが粒子となり、俺の身体に経験値として吸収されていく。でも何も感じない、なんとも言えない虚無感だけが蓄積されていく。
W::Wでは、キャラクターのレベルは経験値と技量値の合算で決定する。
モンスターを倒せば、その分の経験値が手に入る——ここまでは普通のMMORPGと同じだ。
でも「技量値」は、倒し方そのものに紐づく。今回みたいに短剣で倒せば、短剣の熟練度や筋力、器用さがじわっと伸びていく。
雫みたいな魔法職なら、使った魔法の熟練度や魔力、マナが上がる。
だから同じレベルでも、中身は全く違う。その人だけのビルド、その人だけの型——このシステムが、俺を中毒にした。
「ゴブリンだよ」
雫が指差す先に、三体のゴブリンが突進してくる。俺は反射的に動いた。右へステップし、一体目の攻撃を回避。短剣を——首筋に一撃。ゴブリンが倒れる。二体目が横から。しゃがんで攻撃をかわし、立ち上がりざまに腹部へ一撃。三体目は背後から、振り向かずに後ろ蹴り。怯んだところで反転し、喉笛へ一撃。
妄想の中のW::Wで随分と遊んだせいで、こういった複数戦は人よりも慣れている。
沈黙。雫が——固まっている。
「どうかしました?」
「......いや、なんでも」
彼女は視線を逸らすが、杖を持つ手が震えている。
[Level 5に到達しました]
「あ、Lv5になりました」
「......そう」
雫は微かに呟く。その目には、何か恐れのようなものが浮かんでいるような。
「君の動き、すごく——」
言葉を切る。
「......いやなんでもない。とりあえずもう時間だ、ニイナと合流しよう」
何か怒らせてしまったのか?分からない。
「待ち合わせ場所は黒妖精の街。テレポーターで一っ飛びだ」
けどその前に、と雫は続けて
「実は二つ、約束してほしいことがあるんだ」
「約束?」
「一つ目。ニイナと話す時、現実の話題は極力出さないでほしい」
「......分かりました」
彼女はレイヤー5のEID患者だ。現実では寝たきりで、ゲーム内のすべてを"現実"として生きている。間違いなく、触れない方がいい。なにかの拍子で人格が崩壊するきっかけになってもおかしくない。
「二つ目——君を、私の彼氏として紹介したい」
「......は?」
さらっと何を言っているんだ、この人は。
「ごめん、でも——これが一番自然なの」
「自然、ですか......」
雫は視線を逸らす。
「彼女、私以外と全く交流しないんだ。分かりやすく言うと——依存してる」
「......」
「もそれは私のせいでもある。彼女を守るために私も最初は必死だったんだ。もし死ねば、彼女に次はないからね」
レイヤー5患者がもしもゲーム内で死亡して、キャラクターロストした場合、現実で助かる確率は極めて低いだろう。
「あなたを『パーティーメンバー』とか『友達』として紹介したら、彼女はあなたに強い興味を持つ。そして——」
「やがて依存してしまう、と」
「そういうこと。一度興味を持ったら、とことん追いかけちゃう。君のこと全てを調べ始める。前のキャラのこと、死因のこと、全部——」
「でも私の彼氏ってことなら『私の所有物』として認識される。だから——たぶんそれ以上関わろうとしない」
「......所有物ですか」
だから彼氏という体が必要なのか。
「言い方悪いけど、そう」
雫は少し苦笑しながら
「だから——協力してほしい。勝手すぎるお願いなのは重々承知だ」
確かに、理屈は分かる。雫のアクセサリになれ、というわけだ。
「......姉弟とかじゃダメなんですか」
「速攻でボロが出る。その点彼氏の方がまだマシさ。最近付き合ったってことにしておけば、私たちの不慣れな会話もそれっぽい。知り合いたてってところは真実な訳だし」
「......分かりました」
「ごめん、ほんと」
雫は少し安堵した表情を向けた。
「じゃあ、行こっか」
◆
テレポーターを抜けた先にはどこか見覚えのある香りが広がっていた。
黒妖精の街。どんよりと暗い。黒い石畳に紫の街灯、太陽は昇らず、空には無数の黒の妖精たちが踊る。
——懐かしい、という感慨だけが俺の中に燻る。でもダメだ、思い出せない。
ここは高レベル帯だ。歩いているプレイヤーの頭上を見る限り、平均Lv80以上はあるだろうか。
黒妖精たちは、そうした高レベルプレイヤーを囲い込んで、近くに巣くう妖精喰いから身を守っている。狡猾な連中だ。
「こっち」
雫に付いていく形で路地裏のレストランに入店する。個室に入ると、フードを被った先客が座っていた。白い髪が垂れていて、細いが洗練された美しい肉体......配信で見たあの姿。だが、彼女は無表情で、映像から感じた覇気のようなものもない。
「雫」
ニイナの声。低い、配信と全然違う。
「ニイナ!久しぶり」
雫が抱き着く。ニイナはじっと俺を見たまま微動だにしない。その瞳は、冷たい刃物のように向けられている。
「......誰?」
「あ、紹介するね。ryokucha09くん。私の——彼氏」
沈黙。時が止まる。
「......彼氏?」
「うん」
「......嘘」
「本当だよ」
「いつから」
「最近。ほら彼、戦線に復帰したから——」
「レベルは?」
突然俺に視線が移る。背筋に嫌な汗が噴き出すのを感じる。
「えと......5です」
「......」
ニイナは苦笑して
「Lv5。雫の彼氏が、Lv5」
「まあほら、復帰したばっかりだから——」
「嘘つき」
より一層ニイナの声が低くなる。
「雫は弱い奴が嫌いでしょ。昔から。私と組んでた時、いつも言ってた。『弱い奴は足手まとい』って」
雫の表情が曇る。
「それは——」
ニイナは一歩近づく。
「それとも——本当に好きなの?こんな弱っちい奴が」
俺を凝視する。その目は明らかな敵意だ。その視線だけでHPバーが削られる気がしてならない。
「......ニイナ、落ち着いて」
「落ち着いてる。じゃあ、確かめさせて」
「確かめる?」
「アリーナで、戦う。私とこいつで」
何が、どうなっているのか。
「ちょ、ちょっと待って、それは——」
「嫌なの?彼氏なんでしょ?だったら——強いはずだよね」
「ニイナ——」
「それとも——嘘だった?」
沈黙。雫は何も言えない。項垂れた雫を横目にニイナは俺を睨む。
「アリーナ。今から。来れる?」
「......」
「来れないなら——彼氏じゃない、ってことだね」
くそ。なんたってこんなことに。
「......行けばいいんだろ」
ニイナは初めて、本当に笑った。こんな表情も出来るのか。
「そう。じゃあ——殺してあげる」
店内にいた妖精たちが一斉に飛び上がった。




