>8 プレイヤー経済圏 VALUE OF LIFE
「あ、でも俺Lv1だから、あんまり危険なエリアは......」
「ふふ」
雫はいたずらっぽく笑う。
「ニイナなら、あそこで見れるよ」
彼女が指差したのは——噴水広場の上空に浮かぶ、巨大なホログラムスクリーンだった。
「これは......配信?」
「そ。君がリハビリしてる間に実装されたの。Ver8.30でね」
雫が続ける。
「公式配信プラットフォーム《Wirecast》。プレイヤー視点とか配信カメラの映像を、リアルタイムで外部に垂れ流せる。視聴者数やサブスクに応じて報酬も出るから、荒稼ぎしてる奴も多い」
俺は周囲を見渡す。
確かに、一部のプレイヤーの頭上には見慣れない小さなアイコンが浮かんでいる。
「あれ見てごらん」
雫が指差した先には、ギャラリーが集まっている配信者がいた。頭上の表示を見る。
[Fastest_Kai] Lv47 《視聴者: 3,247》◉ LIVE
「おっけー皆!今日は例のレイドダンジョン【嘆きの王墓】に挑戦するぜ!パーティーメンバー紹介していくぞ!」
彼は明らかに外部の視聴者に向かって話しかけている。周囲のプレイヤーは慣れたものなのか、無視して通り過ぎていく。
「このゲームで配信......」
「そう。死んだら全てが終わる緊張感が、視聴者を惹きつける。特に高レベル帯の配信はこんなもんじゃないよ」
死と隣り合わせの戦闘は、確かに見世物になる。
こいつらにとっては"ゲーム"だけど、その実態は人生そのものだ。
「で、ニイナは?」
「あれ」
雫が指差したのは、広場上空の巨大スクリーンだった。
【HOT配信ピックアップ】
複数の映像が同時に流れている。どれも激しい戦闘シーン。焔龍バルドラ......堅蟲人、結合魔導兵器ε——どれも高難易度コンテンツだ。
いつ誰が不意に死んでもおかしくない。こんな戦いをどこでも観戦できるのは、革命的だ。
その中の一つ。いつの間にか、目が釘付けになっていた。
[NiN△] Lv??? 《視聴者: 417,832》
画面の中で、誰かが——いや、彼女が戦っている。
白い髪。細身の身体。双剣を握り、敵の間を縫うように動く。
速い。あまりにも速すぎる。
配信用のカメラも追いついていない。
何が起きているのか、俺でも理解するのに時間がかかる。
敵は夢の巨人エフェズ。レベルは......おそらく200以上。
彼女は、その巨体の死角に滑り込む。一撃。回避。反転。二撃。ジャンプ。空中で回転しながら三撃。着地と同時に四撃——
「ユニークコンボだ......」
呟く。あれは相当高度な連撃スキルだ。タイミング、角度、距離——全てが完璧に計算されている。
ビルドが全く読めない。武器は重双剣タイプ——本来は低AGIの脳筋ビルド向けだ。でも戦闘スタイルは完全にヒット&ウェイでAGI特化型。矛盾だ、しかもDPSがおかしい。AGI型でこの火力を出すことは不可能だ。
——パッシブスキルでSTRとAGIを両立してる?
——それとも装備の特殊効果?
——いや、ジョブ自体がユニーク?
何もかもが規格外だ。装備もジョブもスキルも、全部ユニーク系で固めてるとしか思えない。
——俺も、ああだったのか?
ふと、そんな疑問が湧く。
Lv409だった頃の俺は、こんな風に戦っていたんだろうか。
周りから見て、圧倒的で、美しくて——
——かっこいい。
でも、思い出せない。
その感覚も、達成感も、靄がかかる。ゲームの知識だけは濁流のように頭の中を駆け巡ってくるのに。
いつの間にかエフェズが倒れる。
彼女は着地し、髪を掻き上げる。
カメラ——彼女の素顔が、一瞬こちらを向いた。
「はい、雑魚!」
爽やかで明るい快活な声。
画面の下部に、コメントが爆速で流れている。
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◯NiN△様!
◯神回
◯この動き人間じゃない
◯さすがトップofトップ
◯はぁ~もっと前にトークン買っとけばなぁ
◯これLvいくつなん?
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俺は呆然と画面を見つめていた。
「......まさか」
「そう。あれがニイナだよ」
雫がぽつりと呟く。
「彼女はW::Wでも屈指の人気配信者。そして、最前線で未踏破エリア攻略にも参加するトップランカーの一人」
「レベルは?」
「非公開。でも——300は超えてるって噂だよ」
300超え。俺の前キャラは409。
つまり——すでに俺を超えているのかもしれない。
「......すごいな」
そう呟くと、雫は複雑そうな表情をした。
「彼女のトークン、今いくらか知ってる?」
「......見当もつかないです」
「時価総額で、約8,700億円」
息が、止まる。
「......は?」
「8,700億円」
雫は繰り返す。
「......こんなの狂ってる」
「うん。狂ってるね」
雫は画面を見上げた。
「レイヤー5のEID患者。現実では寝たきり。でも——ここでは、彼女は大スターなんだ」
画面の中で、ニイナはまた別の敵と戦い始めている。
同接は増え続ける。480,000、490,000——
「彼女は、強い。あまりにも」
雫の声が、どこか遠い。
現実のニイナ——あの、機械に囲まれた少女。
ゲームのニイナ——この、華麗に強敵を蹴散らす双剣使い。
どちらが本物?
いや——
どちらも、本物か。
沈黙が降りる。
噴水の音。プレイヤーたちの喧騒。
そして、画面の中から響くニイナの笑い声。
「脩くん」
やがて、雫が口を開いた。
「あなたは、これからどうしたい?」
「......」
「ここで、何になりたい?」
その質問に、言葉が詰まる。
何になりたい?分からない。
記憶のない空っぽの器に注がれた知識の総体。それが俺だ。
でも——
「......とりあえず、楽しもうかと」
「楽しむ?」
「最初は、ここに戻れればなんでもいいと思ってたんです。だけど今思えば、俺はこのゲームで生きてしまっていた」
画面の中のニイナを見る。
「だから今度は——楽しみたいんです。純粋に。ゲームをゲームとして」
「......」
「最近、そういう気持ちが芽生えてきたというか。リハビリしてる時、ずっと考えてたんです。もし戻れたら、何をしようかって」
雫は黙って聞いている。
「前は......多分、ただ強くなることだけを考えてた。死ねば終わり。命と一緒だと。でもそれじゃダメだった」
俺は彼女を見る。
「今度は、ちゃんと覚えていられるように。楽しかったって思えるように。そういう風にやりたいんです」
雫はしばらく俺を見つめていた。
そして——微笑んだ。
「それ、いいじゃん」
彼女は頷いた。
「うん、それすっごくいいと思う」
でもまずは——生き延びないとね!彼女はそう言って俺に手を差し出した。
「ちょっとずつやってこ」
俺はその手を取った。
「......よろしくお願いします」
「うん。よろしく、ryokucha09くん」
彼女は笑った。
画面の中で、ニイナはまた勝利を収めている。
コメント欄が爆発的に流れていく。
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〇NiN△最強
〇また勝った
〇トークン爆上げ不可避
〇死なないでくれ
〇死なないでくれ
〇死なないでくれ
〇死なないでくれ
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ちらっと見えたスパムコメントの言葉が、妙に重く圧し掛かる。
『死なないでくれ』
彼らは、ニイナの命を心配してるんじゃない。
ニイナは——資産なんだ。
生きている限り、価値がある。
でも、死んだら——
「じゃあその辺の狩場で時間でも潰す?とりあえずニイナとは20時に落ち合うことになってるから」
「はい!」
「......っていうかさ、そろそろ敬語やめない?」
俺は画面から目を離し、歩き出した。
でも——視界の端で、ニイナの姿が揺れている。
彼女は今、どこにいるんだろう。




