>7 始まりの街 SPAWN
【始まりの街 アバーントーン】
中央には白亜の大噴水。三層になった水盤から溢れた水が、透明な音を立てて流れ落ちる。その周りを囲む石畳は、無数のプレイヤーの足跡で滑らかに磨かれている。
変わってないな——
街全体が淡いクリーム色の石材で統一されていて、建物は二階建てから三階建てが中心の、古風な景観。おんぼろな看板が風に揺れる。《アヌス武具店 セール中!》《道具屋メイベン》《カナ爺の宿》——新規プレイヤー向けの基本的な施設が一通りそろっている。
空は透き通った快晴だが、現実の空とはどこか違う。
人々が行き交う。ある者は走り回り、ある者は立ち止まってウィンドウを操作している。頭上にはプレイヤーネームが浮かんでいる。
見れば分かる。ここで右往左往しているのは、大半が初心者——それも一周目だ。
遠くに見える城壁。その向こうには森が広がっていて、超初心者向けの狩場だ。レベル1から5のモンスターが出現する。スライム、ゴブリン、オオカミ——いわゆる定番中の定番といったモンスター達。
街の中心には巨大な掲示板。クエスト情報や求人、パーティ募集の張り紙で埋め尽くされている。
そして、街の北側——ひときわ高い塔が聳え立つ。
《ギルドホール》
あそこが、この街の心臓だ。情報が集まり、プレイヤーが集い、物語が動き出す。
アバーントーンは、初心者向けギルドや講座、パーティ募集で飯を食ってる街だ。
俺もここから始まった。レベル1で、何も知らなくて、ただ無我夢中で走り回った。
今、また同じ場所に立っている。
レベル1。始まりの地。
「......帰ってきた」
声が、出た。
本当に——帰ってきたんだ。二年振りに。
でも——手を見る。
この手は、俺のものか?鼓動が聞こえる。これは、俺の心臓か?
「......」
マゼンダに消されたあの感覚が、まだ背中のどこかにぬめっと張り付いている。
俺に付与された謎のスキルと称号。
疑問は尽きない。でも今は——
「まずは雫さんと合流しないと」
俺は歩き出した。
二年の間に、この世界は何か変わっただろうか。
そして——
俺は、ここで何者になるのだろうか。
◆
俺はメニューを開き、フレンドリストを確認する。当然ながら空欄だ。前キャラのフレンドは全て消失している。
雫さんのキャラクター名は......事前に聞いていたはずだ。えっと。
視界の端に通知。
[ShizuchanX]からフレンド申請が届きました
承認しますか? [はい/いいえ]
「ん?」
もう送られてきてる。
「はい」を選択する。
フレンド登録完了
[ShizuchanX] Lv78
Lv78。このゲームじゃ、かなりの長寿プレイヤーだ。やり込んでいなければそこまでレベルを上げられない。
でも——どこにいる?
「後ろ」
突然、背後から声がした。
振り向くと、そこには見知らぬ——いや、見知った人物が立っていた。
長い黒髪。白を基調としたローブ。腰には魔導書がベルトで固定されている。杖を持ち、その先端には青白い宝珠が輝いている。
典型的な魔術師ビルド。遠距離、高火力型。特に脅威はなし。
<弱点は接近戦だ、接近し背後から█████で一撃>
<こんな奴一瞬で屠れるぞ>
<ほら、はやく>
誰の、思考だ?
俺の——いや。
違う。
心臓が、握られる。
違う、やめろ。俺はもう——
顔をよく見る。それは雫そのものだった。
「......雫、さん?」
身体を駆け巡った情動と衝動が、急速に冷えていく。
「そ。キャラクターの外見は現実準拠にしてるんだ。その方が分かりやすいでしょ?」
彼女はくるりと回って見せる。ローブの裾が優雅に舞う。そういえば——俺も、か。
「あ、どうやって見つけたか気になった?」
「......はい」
「ログイン通知システム。事前にあなたの脳紋IDを登録しておいたから、ログインした瞬間に通知と位置情報が飛んでくるの。便利でしょ?」
なるほど。そういう仕組みだったのか。
「ま、これって保護者が子供を監視したり、老人介護用に作られたシステムなんだけどね。一応経過観察のためってことで許してね」
さてと、雫は続けて
「じゃ、まず確認ね。体調はどう?思考に変化は?現実との区別はついてる?」
彼女は真剣な表情で訊いてくる。いつの間にか研究者の顔だ。
「......大丈夫です。今のところは」
「頭痛とか、吐き気は?あと幻覚症状とか」
「ないです」
「ステータス画面、正常に見える?」
「見えます」
彼女は、胸を撫で下ろすみたいに小さく息を吐いた。
「よかった。じゃあ——ステータスって見せてもらってもいい?」
「......ステータスですか」
「うん。できれば記録しておきたいんだ。重度のEID患者がゲームに復帰したサンプルは極めて少ないからね。でも——」
雫は少し申し訳なさそうに付け加える。
「ステータスは個人資産だし、個人情報でもある。だから無理とは言わない。見せてもいい範囲だけでいいよ」
俺は少し考えた。
ステータス全部を見せるのは……正直、抵抗がある。
このゲームで情報が漏れるってことは、将来の首を自分で絞めるのと同じだ。
「じゃあ、名前、レベル、ジョブだけなら」
「ありがと。それで十分」
俺はステータス画面の閲覧権限を部分的に変更する。
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プレイヤーネーム: ryokucha09
Level: 1
ジョブ: [粘土遊び]
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雫は画面を凝視したまま、瞬きすら忘れている。
「......ってかさ、このりょくちゃぜろきゅうって何?」
「緑茶です」
「ああ、緑茶ね。......09?」
「ryokuchaはもう使われてたんですよ」
「そっか」
彼女は少し笑って、でもすぐに真面目な顔に戻る。
「で、粘土遊び......?」
彼女の目が輝いた。明らかに興味津々だ。
「知りませんか。アップデートとかで実装されたとかだと思ったんですけど」
「いや聞いたことない!」
雫は露骨にテンションが上がっている。
「ユニーク?でもキャラクリでユニークが貰えるなんて破格すぎる......」
彼女は何やらウィンドウをおもむろに操作する。データベース検索しているようだ。
「最新版のジョブ白書にもデータがない。こりゃすごいよ......完全に未登録ジョブだ!」
彼女は興奮気味に呟いている。この人、研究者なのかオタクなのか。
「あ、それと——マゼンダと戦闘になったんです」
「......え?」
雫の動きがピタッと止まった。
「マゼンダって......あのキャラクリに出てくる可愛いNPCだよね?」
「はい。キャラクリ中に試練パートがあったんです。よく分からないスライムと戦わされて、その後マゼンダが現れて。一瞬で殺されちゃいましたけど」
「......」
彼女は完全に固まった。
そして、ゆっくりと、震える声で言った。
「マゼンダが......プレイヤーと戦闘?そんな報告、世界中探しても一件もないよ」
「俺も初めてでした。154回キャラクター作ってますけど」
「ちょ、ちょっと待って」
雫は慌ててウィンドウパネルを操作する。記録を取っているようだ。
彼女は俺を見据える。
その目には、はっきりとした怯えが混じっていた。
「君さ、前のキャラって——」
言葉が詰まる。
「——あ、いや。ごめん、なんでもない」
彼女は一度深呼吸して、落ち着きを取り戻した。
「興奮しすぎた。でもね、戦闘のこともそうだし、スキルの情報とか——それも超個人資産だから。答えたくなければ答えなくていいからね」
「......大丈夫ですよ。研究に協力するって約束ですし」
「ありがと。じゃあ、後でゆっくり聞かせて」
彼女は少し笑って、それから広場を見渡した。
「とりあえず、今日は——ニイナに会いに行こうか」




