>6 イレギュラー EXTERMINATION
ただのスライムだ。初心者が一番最初に倒すような、雑魚モンスター。
でも、何かがおかしい。
そのスライムは、ゆっくりと近づいてくる。普通のスライムと同じ挙動。
だが——視線。
スライムに視線なんてあるはずがない。でも、それは明らかに"こちらを見ている"。
[異形のスライム]
HP: ????
Level: ????
HPもレベルも見えない。
——圧倒的なステータス差。
俺は咄嗟に後退し、短剣を構える。幾重にも連なる前世の記憶が身体に染み込んでいる。構え方、足の運び方、呼吸——
視界の端でスライムの身体がわずかに沈む
直感で横に飛ぶ。スライムが通り過ぎた地面が一瞬にして抉れ、溶解する。
「......腐食属性か」
一度距離を取る。観察すべきだ。だが、さっきの突進速度を思い出すと、予備動作を見てからじゃ遅すぎる。
スライムは方向を変え、再び突進してくる。
今度は転がって回避。起き上がりざまに短剣を振るう。
ぬるり、という感触。刃が、入る。
が——
HP: ????/????
ダメージ表示がない。
スライムの身体が膨張している。
——まずい。
俺は全力で駆け出した。次の瞬間、スライムが爆発する。
周囲に腐食液が飛び散り、いくつかが身体に付着している。
HP: 73/100
[状態異常: 腐食 Lv3]
ダメージ 2.0/s
短剣:腐食状態
耐久値ダメージ 2.0/s
痛い。
現実の痛みじゃない。でも、どういうわけか、それより質が悪い痛み。
スライムは再生している。爆発したはずなのに、黒い塊が再び形を成していく。
そして今度は、二体になった。
「......増えるのかよ」
二年振りの痛みが、戦闘の悦びを増幅させていく。
俺は走った。短剣なんて役に立たない。距離を取るしかない。
途端、二体のスライムが同時に突進してくる。
一体目を回避。二体目が——
避けきれない。
激突。
「......ダメか」
HP: 31/100
[状態異常: 腐食 Lv5]
ダメージ 5.0/s
身体が溶ける感覚。視界が歪む。
立ち上がろうとするが、足が言うことを聞かない。
体のどこもまだ残っているのに、もう一度溶かされる未来だけは、はっきり想像できてしまう。
妄想じゃない、"本物のゲーム"の"本物"の痛み。
スライムたちがゆっくりと近づいてくる。
もう、終わりなのか。
レベル1で、装備もスキルもなくて、回復手段もない。
こんなの——
「——詰んでるな」
その時だった。
闘技場の空気が変わった。
スライムたちの動きがまるで時が止まったかのように停止する。
そして、彼女が現れた。
マゼンダ。
でも、庭園で見たマゼンダとは違う。
彼女の周りには、紫色の魔力が渦巻いている。その瞳は、先ほどまでの穏やかさを失い、何か別のものに変わっている。
「......試練は、ここまでです」
彼女はスライムたちに手をかざす。
瞬間、スライムたちが消滅する。
文字通り、跡形もなく消えた。
「次は、私が相手をします」
「......え?」
こいつは何を言っている?
状況が理解できない。
マゼンダがこちらにゆったりと歩いてくる。その一歩ごとに、魔力の波が襲う。
彼女の左手——
禍々しいオーラを纏った機械仕掛けの杖。
[NPC: マゼンダ]
HP: ????
Level: ????
彼女と、戦う?153回キャラクターを産み落とした俺ですら経験がない。
都市伝説クランが狂気乱舞するような"事件"が起きている。
俺が寝ている間に新しく実装された要素?
それとも——
「これは、極めてイレギュラーな措置です。でも——」
彼女は微笑む。その笑みには、無機質が張り付いている。
「......あなたは、いずれ知ることになる」
「何を——」
言葉を発する前に。マゼンダの姿が消えた。
次の瞬間。巨大な閃光。
世界が、白くなった。
痛みはなかった。
痛みが——追いついていない。
ただ、存在ごと抹消されるという感覚。......あれだ、キャラクターが死ぬときの。
HP: 0/100
[YOU ARE DEAD]
俺は——殺されたんだ。
一瞬にして。
抵抗する間もなく。
レベル1とNPCの差、とかそういう次元じゃない。
"見る"ことすら叶わなかった。
気づけば、暗闇に戻っていた。
身体の感覚はない。ただ、意識だけが浮遊している。
『キャラクター作成が完了しました』
無機質な音声。
『ステータスを確認してください』
視界に、情報が展開される。
プレイヤーネーム: [未設定]
種族: 人族/████/██████
Level: 1
HP: 130/130
MP: 150/150
初期ジョブ: [粘土遊び]
初期スキル: [魔力追跡 Lv3] [腐食の渦 Lv4] [██████ Lv???]
特殊称号: [マゼンダの恩赦]
粘土遊び?
そんなジョブ、選んだ覚えはない。そもそも、聞いたことすらない。ユニーク?いやキャラクリ時点でそんなジョブが付与されるのはあり得ない。
だが——外れ感が凄まじい......。
それに——スキルの一つが表示されない。種族も一部伏せられている。
初期鑑定スキルで看破できないってことは、そういう仕様だ。
技量値やレベルを一定以上まで上げるか、何か特定の条件を満たすか。どちらかを踏むまで正体不明、ってわけだ。
そして、見覚えのない称号。恩赦?
——俺は何を、赦された?
「......どういうことだ」
『プレイヤーネーム を設定してください』
質問は無視される。
俺は少し考えてから、答えた。
「......ryokucha」
大抵こういうのは好物の名前にすることにしている。長い病床生活でささやかな楽しみだったもの。
『すでに存在しています』
ダメか。
『ryokucha09、こちらならご案内可能ですが』
「じゃあそれで」
『プレイヤーネーム [ryokucha09] で登録します。よろしいですか?』
「ああ」
『登録完了。それでは、Wired Witchの世界へようこそ』
暗闇が晴れていく。
光が——溢れる。
そして——
まず匂いがする。草と土の、匂い。
パンを焼く、匂い。
次に足の裏に感触、重力。
風が吹き、頬を、撫でる。
誰かの笑い声。
——ああ。
俺は——帰ってきたんだ。




