>5 マゼンダの庭苑 MAGENDA'S GARDEN
紫色の髪——いや、髪と呼ぶべきか迷う。光のファイバーのように発光し、微かに脈動している。透き通るような肌は人間のそれに酷似しているが、よく見れば極薄の回路パターンが浮かび上がっている。生体組織と機械が、そのまま溶け合ってしまったみたいだ。
彼女の瞳は深い紫。でもその奥に、無数の情報が高速で流れているのが見える。データストリームの滝。処理と演算の奔流。
首元から肩にかけて、金属製の装飾が有機的な身体と継ぎ目なく接続されている。それは装飾ではなく、彼女の身体の一部だ。機械的なフレームが優雅な曲線を描きながら、生命と融合している。
人形めた美しさ、なんて言葉じゃ足りない。
彼女は、美しい。完璧に。
その完璧さが、計算の産物だと分かるくらいには。黄金比、対称性、色彩理論——あらゆる“美”のパラメータをチューニングした結果だろう。
彼女は暗闇の中に立っている。いや、立っているというより"存在している"。
重力も空間も関係ない、純粋な強い「存在」として。
何度見ても、その引力に魅せられてしまう。
「ようこそW::Wへ」
彼女の声は、相変わらず直接脳へ伝播する。
キャラクター作成専用ガイドNPC——マゼンダ。
「久しぶりですね」
「......覚えているのか?」
「ええ。あなたとは何度もお会いしました。今回で154回目になります」
そうか、今まで153回も"俺"というキャラクターは死んでいるのか。
そして禁断症状とリハビリの二年間——
その生活の中で生み出した妄想ではちょうど300回目の死を迎えた。
つまり残りの147回は脳が勝手に作り出したゲームの"妄想"だ。
夢の中のW::W。偽物の、ログイン。
でも——痛みだけは、本物だった。
不意に、身体の芯が熱くなる。懐かしさと、嫌な予感がいっぺんに湧いたみたいに。
「あなたの前回キャラクターは死亡しました。前回の記録を参照。レベル409、総技量値1232.3、主要ジョブ『█████』『█████』『█████』。世界影響値4892。ロード認定まであと一歩でしたね」
「......そうか」
違う。ロードになれなかったのではない。ならなかったのだ。
「では、再び新たな旅へご案内します。ですがその前に、ちょっとだけ私とお話をしましょう」
「......」
これは、プレイヤーたちの間で"対話パート"と呼ばれている部分だ。
マゼンダの何気ない質問に答えていくことで、裏では初期パラメータや種族が変動する——らしい。長年の検証で、そう結論付けられている。
マゼンダが手を伸ばす。暗闇の中に、光の粒子が集まり、椅子が形成される。そして俺たちの周りに、世界が生まれた。
庭園。
息を呑む。空は薄紫に染まり、無数の星々が瞬く。足元には白い石畳。周囲には見たこともない植物が咲き乱れ、淡い燐光を放っている。遠くには白亜の塔が聳え立ち、噴水から流れる水は重力を無視して空中で踊っている。
【マゼンダの庭苑】と呼ばれるこの場所は、キャラクター作成時にしか訪れることができない特別な空間だ。
マゼンダを考察するだけのファンクランが大量に存在する理由も、今ではよく分かる。
「さあ、座って」
マゼンダが静かに促す。俺は椅子に腰を下ろす。
今"座っている"。現実の身体とは違う、でも確かに"俺の身体"がここにある。
現実の身体で感じていた乖離感が今ははっきりと消えている。
「いくつか質問をさせていただきます。リラックスして、思うままに答えてください」
彼女の声は相変わらず心地よい。NPCだと分かっていても、その存在感は圧倒的だ。こうして話をしている裏で、何千、何万というプレイヤーを同時に導いているのだろう。
「あなたは旅の途中、倒れている旅人を見つけました。どうしますか?」
ああ、この手の質問か。
「......様子を見る。罠かもしれない」
「なるほど。では、あなたは大切な人を救うために、見知らぬ百人を犠牲にしなければならないとしたら?」
「......」
言葉が出ない。マゼンダは微笑んだまま待っている。
「犠牲にする」
自分の声が遠くから聞こえた。
俺は——本当にそういう人間なのか?
「迷わず?」
「......迷うけど、結局そうする」
記憶がないのに、どうしてそんな言葉を紡ぐのか。
「正直ですね」
彼女はくすりと笑った。その笑みには、裁きの色は一切ない。
質問は続いた。
力と知識、どちらを選ぶか。
孤独と束縛、どちらを選ぶか。
真実と幸福、どちらを選ぶか。
淡々と答える。こんなものに正解なんてない。ただ、思うままに。
やがてマゼンダは立ち上がった。
「ありがとうございます。あなたのことが少し分かった気がします」
庭園の景色が揺らぎ始める。
「それでは最後に——」
彼女の表情が変わった。いや、変わったというより、何かが剥がれ落ちたような。
「試練を受けていただきます」
「......試練?」
キャラクリの99%は対話パートで終わる。けれど、何度もキャラを作り直している周回プレイヤーには、ごく稀に"試練"が発生する——そんな噂がある。
俺も、何度か経験がある。ランダムなモンスターとの戦闘だったり、罠だらけのダンジョン探索に放り込まれたり。内容は毎回違う。
「ええ。これはキャラクター作成の最終段階です。あなたの現在の技量を確認させて頂きます」
マゼンダが手を振ると、庭園の一部が崩れ、闘技場のような空間が裂け目から現れる。
「ここで敵と戦っていただきます。武器は自由に選択できます。制限時間はありません。ただし——」
彼女は俺を見下ろす。その瞳には何か、異質なものが宿っている。
「死んでも、痛みは消えませんよ」
背筋が凍る。
クスクス、と不気味な笑いがこだましたかと思うと、彼女の姿は霧のようにほどけて消えた。
闘技場の中央に強制転送されると同時に、視界の端にステータス表示が展開される。
HP: 100/100
MP: 50/50
Level: 1
装備: なし
レベル1。当然だ、まだキャラクター作成の途中なんだから。
「武器を選択してください」
マゼンダの声と共に、無数の武器が囲むように空中に出現する。剣、斧、槍、弓、杖——あらゆる武器が浮かんでいる。
俺は迷わず、一振りの短剣を選ぶ。軽くて扱いやすい。そして——
——逃げやすい。
「では、開始します」
闘技場の対面に、何かが現れた。
最初は霧のようなもの。それがやがて形を成していく。
黒い塊。強敵か?
それが——動き出す。
うねるように、形を成していく。
いや、違う。
こいつは——
——スライムだ。




