>16 捕捉 CAPTURE
「お、お、お、おまえ……!?」
汚れたゴーグル越しでも、目が見開かれたのが分かる。
「ま、ま、待って!? まさか、まさか、まさかのメ、メ、メメ様!? 本物!? 生ログ!? 近ッ! 近ッ!!」
「黙れ」
バロンの拳が、軽く彼の頭を小突いた。
それでもプレイヤー——ネームタグには [Hideo12] と表示されている——のテンションは下がらない。
「ちょ、待って無理ちょっと死ぬ、ログアウトしちゃう、いやでもこの距離逃したくない、それは困る!」
「落ち着きなさい」
メメが小さく咳払いをした。
フードを少しだけ上げ、その下の顔を、ほんの一瞬だけ見せる。
洞窟の中なのに、Hideo12の頬が真っ赤になるのが分かった。
「ひ、ひめ、さ、ま……」
「……あなた、ガチ恋クランの方ですね?」
「違います! ガチ恋じゃないです! 純愛です!!」
どう違うんだ、それは。
心の中で突っ込みつつ、雫と目を合わせる。
ここでこの男を切り伏せるべきか、それとも。
「……で、なんでこんなところで転がってるんですか」
俺が問いかけると、Hideo12はようやく少し冷静さを取り戻したらしい。
息を整え、途切れ途切れに説明し始めた。
「さっき、山道でさ……メメ様のクエが出たって聞いて、うちのクラン全員で突っ込んだんだよ。そしたら、黒い連中に待ち伏せされてて。そこからはもう一方的さ。あいつら回復封印結晶まで使いやがって、逃げるので精一杯で……気付いたら、俺だけこっち側に転がり落ちてた」
「他のクランメンバーは?」
「たぶん、全員墓標だよ」
一瞬だけ、Hideo12の表情から色が消えた。さっきまでのオタク丸出しのテンションが嘘みたいに、声が低くなる。
メメが、わずかに目を見開いた。
「……あなた、名前は」
「ひ、Hideo12。ヒデオでいいです!」
「では、ヒデオ。私たちは、国境を越えるつもりです」
メメの声は震えていなかった。
その代わり、言葉のひとつひとつに、はっきりとした重さがあった。
「協力してくれますか?」
Hideo12は、しばらく黙っていた。
蝙蝠の鳴き声だけが、洞窟の天井で反響する。
「......当たり前でしょ」
ようやく、彼は顔を上げた。
「僕はガチ恋なんかじゃない。ファンとして、メメ様の選んだルートには付いていく。たとえ、死んでもね」
「ガチ恋だろ」
雫がぼそっと付け加える。
その言い方が、なんだかすごく、W::Wらしい懐かしい感じがした。
「じゃ、決まりですね」
俺は手を差し出した。今は一人でも協力者は多い方がいい。
「ようこそ、パーティーへ」
Hideo12は強くその手を掴んだ。
◆
パーティー編成ログが消える頃、洞窟の奥で金属が擦れるみたいな音がした。
雫が指を唇に当てる。
「……ここ、音域エリアだ。喋っちゃダメ。スキルの詠唱も最小限で」
言い終わる前に、Hideo12が息を呑んだ。
「え、ちょ、ま――」
> [警告]
> 【洞窟蝙蝠群】が“音源”を検知
> 通常個体 → 群体モードへ移行
天井の暗がりが、ざわっと剥がれる。
黒い影の塊が、雨みたいに降ってきた。
「うわっ、やっば、これマジのやつ! ごめんメメ様ぁぁ」
「黙れって言われたろ」
バロンが低く吐き捨て、剣を抜く。
その動きとほぼ同時に、メメが半歩だけ彼の背に寄った。
無意識だ。たぶん本人も気づいてない。
「……バ」
彼女が名前を呼びかけかけ、すぐに飲み込む。
バロンの肩が、わずかに硬直したのが分かった。
> [Baron スキル発動: 【近衛の盾】]
> 対象指定: 王女メメ
> 被ダメージ 40%肩代わり[固定]
「っ……」
HUDに、見慣れない固定バフが走る。
“護衛”という皮をかぶった、執着の数字だ。
蝙蝠が群れで突っ込んでくる。
俺は短剣を構えるより先に、わざと一撃を食らった。
> [パッシブスキル発動]
> [スキルストック成功: 【超音波遮断】Lv20 / 残り20秒]
指が勝手に動く。
耳の奥で、世界がふっと遠のいた。
蝙蝠の鳴き声も羽音も、急に“無音”になる。
【超音波遮断】発動中
効果: 半径8mの音源遮断 / 群体AIの索敵失敗率+90%
影の雨が、俺たちの頭上で一瞬だけ迷う。
その隙に雫が短く呪文を切った。
> [SizuchanX スキル発動: 【星詠み・微光陣】]
> 状態異常: 暗黒 無効(15秒)
白い円が足元に灯り、洞窟が剥き出しになる。
その向こう、崩落した坑道の壁に、黒い結晶の粉がべったりと付着していた。
「これ……回復封印結晶の跡だ」
雫の声が冷える。
「黒服、もうここ通ってる。しかも最近」
つまり、追跡は背中のすぐ後ろにある。
蝙蝠を払い、坑道を抜けた先。
風が、刺すみたいに冷たかった。
> [エリア移行]
> 北境交易路跡・南側入口
> 推奨Lv帯: 75〜
出口の向こう、薄い雪が舞う山道が続いている。
そして、その道の上に―
遠く、黒いマントの列が、点みたいに揺れていた。
交易路の入り口に立った瞬間、空気が変わった。
雪の粒が、風に押しつぶされるみたいに横へ流れている。
山肌を舐める冷気が、皮膚じゃなく肺の奥を直接撫でてきた。ここはもう王都の延長じゃない。地図の端に記された「北境」の匂いだ。
> [エリア移行]
> 北境交易路跡・南側入口
> 推奨Lv: 75〜90
> PVP: 許可
足元の石畳は半分崩れ、凍った泥がそこに貼りついている。
一歩踏み出すたびに、靴底が薄い氷を噛む音がした。
「……追いつかれる前に進むよ」
雫が短く言う。
バロンは無言で頷き、メメの肩に自分の影を重ねるみたいに半歩前へ出た。
ヒデオは――さっきまでの勢いがどこへ行ったのか、珍しく黙っている。歯を鳴らして寒さを堪えているように見えた。
その時だった。
空が、裂けるような音がした。
いや、空じゃない。
上空から落ちてきた何かが、空気を叩き切った音。
次の瞬間、黒い影が俺たちの前方――交易路の中央へと、まっすぐ落下した。
雪煙が跳ね、地面がわずかに沈む。
その中心に、全身を黒い装備で覆った騎士が、膝をつくでもなく立っていた。
色がない。
鎧は光を吸い込み、マントは風に揺れない。
顔は面頬に隠れ、覗くのは暗いバイザーの奥の、冷たい光だけ。
[xceon Lv???]
所属: 星冠帝国
役職: 特務騎士
状態: ???
「……は?」
ヒデオの声が喉で潰れた。
あの黒服たちの列とは違う。
“部隊”の匂いがしない。
それなのに、ここに一人で立っている。
あり得ない。
帝国側が本気で王女を確保しに来るなら、普通は包囲と索敵から入る。
にもかかわらず、単身で、しかもこの人数のパーティー前に降りてくるというのは、
“一人で問題なく勝てる前提の出方”だ。
直感じゃない。
姿勢と呼吸を見た瞬間、身体の方が結論を出していた。
――こいつ、やばい。
無音のまま、黒騎士が一歩踏み出す。
その靴が石畳を踏む音だけが、大きく響く。
俺は反射的に短剣を抜き、わざと半歩前へ出ようとする。
でも、雫が袖を掴んで止めた。
「ダメだ。今の距離で仕掛けても、死ぬだけ」
「……」
確かに、スキルストックでどうにかなる相手じゃない。
それどころか、一撃を“もらってから”を前提にした動きが成立しない。
一撃で殺される。
その圧が、相手の武器を視認する前からこちらの喉に指を突っ込んでくる。
黒騎士の腰には長い剣が一振り。
刃は抜かれていないのに、抜身みたいな殺気だけが先に届く。
「王女メメ」
バイザーの奥から、低い声が滑り落ちた。
NPCの合成ボイス特有のノイズが一切ない。
こいつ、プレイヤーだ。
「星冠帝国の名において、身柄を預かる」
ほんの一瞬。
バロンの呼吸が乱れた。
剣を握る指の付け根が、強く白くなる。
「渡しはしない」
言い切った声に、軍人の冷たさとは別の温度が混じっている。
黒騎士はそれに反応しない。
ただ、首を少しだけ傾ける。
「近衛。お前、まだ生きていたのか」
なんだ、この感じ――
聞き覚えの、ある口調。
いや、それ自体はただの低音だ。
胸の奥が、騒めき始める。
黒騎士が歩き出す。
その歩幅、足の運び。重心の置き方。
呼吸の間隔。
剣の鞘に触れる指のリズム。
――俺は、こいつを知っている。




