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>15 包囲網 CORDON

客間では、メメが起き上がっていた。

昨夜とは違い、煤だらけだったドレスは簡易なリネンのワンピースに変わっている。薄い金髪はまだ寝癖で乱れ、半分だけ開いた瞼で、ぼんやりと天井を見つめていた。


「......ここは?」


掠れていてか弱い声量。

彼女がNPCだと理解していても、喉の奥から発せられるのは“生の声”だと、なぜか感じられる。


「アルセレイア郊外の、友人の家です」


「友人?」


メメは首をかしげる。その背後では、バロンが剣を抱えたまま壁にもたれていた。

ステータスウィンドウを見る限り彼のHPはまだ赤いままだ。


[NPC: Baron Lv117]

HP: 312 / 2430(重症, 骨折)

状態異常: 出血(Lv1)


目は完全に醒めていて、その視線には、はっきりとした殺気が混じっている。


「昨日は助けてくれてありがとう。あなた方がいなければ、逃げ切れなかったでしょう。名はなんというのです」


「ryokucha09です。リョクチャでいいですよ」


「リョクチャ......奇妙な名ね」


メメはふふっと、小さく笑った。でもそれは一瞬だけで、すぐに真顔へと戻る。


「私は、アルセレイアに戻る気はありません」


「......理由を、お伺いしても?」


「アルセレイアは、このままでは地図から消えることになる」


あまりにもストレートな言葉に、言葉を失う。


「父は、国を守るためだと言う。星冠帝国の庇護がなければ、アルセレイアはいずれ他国に侵略されると。私もそれは......理解しているつもりです」


細い指が、布団の端をぎゅっと掴む。

指先がうっすら震えているのが、布の皺で分かる。


「私の婚姻で平和が買えるなら、いくらでも差し上げるつもりでした。ですが――」


そこで言葉が途切れる。

王族としての責務も、自分でも分かっている罪悪感も、全部まとめて飲み込んでしまったような、重い沈黙。


「私は、皇太子のある秘密を知ってしまったんです」


皇太子、という単語を出した途端、メメの肩の震えがあからさまに強まる。

バロンがこちらに視線だけ動かし、介抱は私がと低い声で続ける。

メメが立ち上がろうとするとき、バロンの手が自然に差し出される。

あまりにも滑らかな動作で、それが何百回と繰り返された動作なんだと分かるくらいに。


「姫様は、国境を越えたいとおっしゃっている。帝国の管轄外へ」


「......国境越え、ですか」


口に出した瞬間、HUDのミニマップの端に薄い国境線が勝手にオーバーレイ表示される。


[システム情報]

北境山脈・交易路跡(推奨Lv80~)

危険度: A++ / 死亡報: 今週47件


危険すぎる、だが不可能ではない。問題は――その途中で、何が起きるのか全く予測が付かないこと。


ガチ恋クランもそうだ。

それに婚姻が上手く運ばなければ、大損を被るプレイヤー層も多い。

どの陣営が、どのタイミングで“正義”を名乗り出るか分かったものじゃない。いくつ命があっても足りない可能性だって。でも――


「......分かりました」


胸の奥で、何かがストンと落ちる感覚がした。


「国境越え、手伝います」


メメの瞳が大きく見開かれる。

バロンも驚いたように、わずかに眉を上げた。


「どうして?」


自分の胸元を軽く叩く。

心拍数モニターが一瞬だけ跳ね上がったのが、HUD端で見える。


「なんとなく、です」


メメはしばらく黙って俺を見つめていた。

やがて、小さく笑う。


「変な人ですね」


「よく言われます」


バロンはまだ疑わしげな目をしていたが、それでも否定はしなかった。

彼なりに誰が敵で、誰が味方なのかを“精査”しているのだろう。


国境越えについて議論を続けていると、HUDの右上が点滅した。


[NiN△からメッセージが届いています]


なんだか嫌なタイミングだ。

メッセージウィンドウを開くと、いつもの軽いノリの文面が飛び込んできた。


『ちょっと。あんた今どこいんの?』

『Wirecast見た? メメ、懸賞首になってるけど?』


「......え?」


思わず口に出していた。

同時に、画面下部に新たなクエストウィンドウがポップアップする。


【Wirecast 特別イベントクエスト】

『逃亡王女メメを捕獲せよ』

────────────────────

対象: 王女メメ

報酬: 星冠帝国公式銀貨 × 5,000

   名声値 + 800

   限定称号 [星冠の猟犬]

成功条件:

・メメの位置情報を通報し、王都警備隊が確保に成功する

 または

・メメを捕獲し、王都警備隊のNPCに引き渡す

ペナルティ:

・失敗時、帝国友好度 - 100


「......最悪だな」


呟いた瞬間、NiN△から追撃メッセージが飛んでくる。


『今配信中してるけど。コメント欄、やばいよ』

『もう見つかるのは時間の問題』

『急いで動きなさい。以上』


「以上、って......」


ウィンドウを閉じると、隣でログインしてきた雫が、ほぼ同じタイミングで顔をしかめていた。


「見た?」


「ちょうど今」


「うん。予想してた中でも最悪だ」


雫は深く息を吐き、ミニマップを指先で拡大する。

指の動きに追従して、ルート候補と危険度ヒートマップが立ち上がる。


「海路は......ダメ。星冠帝国の艦隊が港を封鎖してる。それにワープゲートも《通行証》が無効になってる。正規ルートは、ほぼ全滅だ」


「じゃあ、どうやって国境を?」


「北。山脈沿いにある旧時代の交易路。今は高レベル帯のダンジョン《北境交易路跡》として扱われてる」


マップ上に、ミミズのような灰色の曲線が浮き上がる。

その先、国境線の向こう側には別の国家の名前がうっすらと表示されている。


【霧封公国セレンヴァル】


つまり、姫たちはここに亡命することが目的なのか?


[エリア情報: 北境交易路跡]

推奨Lv: 75〜90

トラップ: 落盤 / 崩落 / 状態異常: 凍傷

PVP: 許可


「徒歩......ですか」


「うん。落ちれば即死だし、死亡報でも危険度グラフが“右肩上がり”の地帯だけど」


雫は肩をすくめる。


「でも、国境を越えるならそこしかない。Wirecastクエが発令された以上、街に長居したら、プレイヤーとNPC警備隊に包囲されるだけだ」


「急ぎましょう」


急ぎ王女メメとバロンをニイナのハウスから連れ出し、簡易的な変装を施す。

NPCには変装系スキルも変装魔法もプロテクトがかかっている。


《無効属性》


だから、やれることはアナログに限られる。

フード付きのローブ、視界を隠すゴーグル。

古典的な変装でどうにかするしかない。


それでも、歩き方や仕草に、どうしても隠しきれない品の良さが滲み出ていた。


「......結構目立ってますよ」


バロンにこっそり耳打ちすると、彼は小さく眉をひそめた。


「姫様にこんな格好にさせる人間に言われたくはない」


口ではそう言いつつも、彼は一切警戒を解いていない、その緊張感だけは頼もしい。


北門を抜け、残光王都アルセレイアの街並みが背中に遠ざかる。

石造りの城壁の向こうには、霧に覆われた山脈が連なっていた。


「......あれ!」


雫が前方を指さす。


山道の中腹で、火花のようなスキルエフェクトが瞬いていた。

HUDをズームすると、プレイヤー同士が交戦している。いや、あれは一方的な虐殺だ。


「メメちゃーん!!」

「メメちゃんを狙ってんだろ!? お前ら全員キモいんだよ!」


派手なピンク色のローブに、自己主張の強いギルドエンブレム。

全身から“痛い”雰囲気を垂れ流している連中――ガチ恋クラン《メメティーズ》らしきクランが、山道のど真ん中で暴れている。


その彼らを、黒づくめの一団が淡々と叩き潰していた。


「......なんだ、あいつら」


「たぶん、星冠帝国側のプレイヤーです。使ってる武器とスキルが全部“機構系”だ」


記憶にはないのに、どうしてか理解わかる。

黒ずくめの連中は、ギルドエンブレムすら晒さず、唯一の共通点は同じ黒いマントを翻していることだけ。

動きに一切の無駄がない。メメティーズの派手な範囲スキルが放たれるたびに、最小限のステップで回避し、喉元や背中を正確に切り裂いていく。


「......あれに突っ込むのは、無謀すぎる」


メメが小さく息を呑んだのが分かる。

フードの陰からのぞく横顔には、はっきりとした恐怖が浮かんでいた。


「迂回しましょう」


雫が短く決断を下す。


「山道から外れたところに、旧時代の採掘場の跡がある。そこからトンネルを抜ければ、国境付近までショートカットできるはず」


「採掘場......ダンジョンですか」


「うん。死亡報で“蝙蝠まみれのクソ洞窟”って書かれてるとこ」


「......最悪ですね」


そう言いながらも、選択肢は他にない。

俺たちは山道を大きく外れて、岩肌に口を開けた暗い洞窟へと足を踏み入れる。


中は、想像していた以上に酷かった。


湿った空気に、膝まで泥濘に嵌る足元。

あちこちから反響する、甲高い鳴き声。


[ダンジョン: 北境採掘場跡]

エネミー情報: 洞窟蝙蝠 / 泥濘スライム /トンネルワーム

特記事項: 足場崩落 / 視界制限


「蝙蝠、だらけだ」


足元に転がる骨の山――プレイヤーの残骸――を踏まないよう気を遣いながら、バロンが低く言う。

視界がままならないというのに、彼は蝙蝠たちを次々に切り伏せていく。


「蝙蝠はまだマシ。問題は――」


雫が言いかけた瞬間、洞窟の奥から、何かがこちらに向かって転がってきた。


人だ。

よく見ると、血まみれのプレイヤーだった。

ギルドタグには、見覚えのある文字列。


「メメ......ティーズ?」


思わず漏らすと、そのプレイヤーがびくりと肩を震わせ、こちらを見上げた。

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