>14 贄の行方 SANCTUARY
メメが消えた、という噂は、翌日には王都中を飛び回っていた。
残光王都アルセレイアの道端は、朝から紙切れだらけだ。
「号外!号外だよ!」というNPCの叫び声が、霧のかかった大通りに反響する。
【号外】
王女メメ、婚約式の最中に失踪——
星冠帝国ヴァル=オルビタ 皇太子との婚約式中、王女メメ(17)が式場から忽然と姿を消す。星冠帝国側のコメントは未だ無し——
ビラを拾い上げたプレイヤーが、その場でスクショを撮っている。
すぐそばのカフェテラスでは《Wirecast》の配信ウィンドウが開かれ、メメ失踪事件について語るストリーマーらしき顔が映っていた。視聴者数は右肩上がりだ。
現実でも、きっと今頃はニュースサイトやSNSのトレンド欄がこの話題で埋め尽くされているだろう。
元は中堅国家にすぎなかったその帝国は【星間管理機構】と呼ばれる過去の遺物の運用権を手に入れてから、一気に大陸列強のトップへとのし上がった。
惑星規模の障壁、軌道上兵器群、転移路の制圧。どこまでが虚構でどこまでがゲームの脚本なのか、もはやプレイヤーですら判別がつかない。
そして、その星冠帝国の皇太子の婚約者として差し出されたのが、アルセレイアの王女メメだった。
◆
「何?メメが消えただと?」
暗闇の中で、低い声が響く。
場所はどこかの一室。窓は完全に封じられ、代わりに壁一面に並んだモニターが、王都のあちこちの映像を映し出している。
灰色のスーツを着た男が、片肘をついたままレポートに目を通した。
「ええ。どうやら、例の連中が婚約式を荒らしたようです」
報告しているのは無表情な男だ。黒の簡素な軍服に身を包み、胸元には見慣れないエンブレムが輝いている。
「馬鹿が……!」
男はレポートを握りつぶす勢いで机に叩きつける。
「第五班を呼べ。今日中に必ずメメを捕らえろ」
「……わかりました。連中と交戦した場合は」
「交戦したら必ず消せ。痕跡は残すな。NPCだろうがプレイヤーだろうが、関係ない」
「了解」
軍服の男が一礼し、静かに部屋を出ていく。
残されたのは、モニターに映る王女の笑顔と、皺だらけになったレポートだけだった。
「王女メメ……星冠帝国の“鍵”。失ったと知れたら、向こうがどう出るか」
男は天井のどこか、見えない何者かに向かって呟いた。
◆
ひとまず俺たちは、王女メメとその護衛の青年をニイナのハウスに匿っていた。
ニイナの個人ハウスは、アルセレイアの外れにある高級住宅街の一画にあった。
白を基調としたシンプルな内装に、ところどころ賞状やトロフィーが飾られている。
ここまでの彼女の人生の軌跡が、一目で分かる部屋だ。
客間のベッドには、煤で汚れた白いドレスの少女――メメが眠っている。
隣の簡易ベッドには、護衛のバロンが仰向けに倒れ込んでいた。鎧は外され、包帯がいくつか巻かれているが、致命傷はなさそうだ。
「とりあえず、一晩はここで隠す。追っ手はまだ混乱してるだろうし」
雫がそう言って、ハウスのセキュリティ設定を細かくチェックしていく。訪問可能者リストを全NGしたようだ。
「……どうする?一旦ログアウトする?」
雫が小声で横から囁く。
「はい。あっちでも色々状況を確認したいですし」
「じゃあ私らも一旦家帰るから」
「同棲してるの?」
ニイナの鋭い眼が俺と雫を検分する。
「も、もちろん!じゃあまた後でね」
王女と護衛の寝息を背に、俺と雫は逃げるようにログアウトのコマンドを開いた。
◆
ログアウトした世界は、妙に味気ない。
白海学園の食堂。朝の時間帯には少し早いせいか、席はまばらだ。
スチールテーブルの上には、湯気の立つ銀色のトレー。今日の朝食はカレーライスらしい。
「……いただきます」
スプーンを上手く持てない。
さっきまで、HPバーの減り具合を気にしていたあの指と同じ指だとは思えなかった。
「で、どうするつもりなの?あれ」
雫が向かいの席でカレーをつつきながら言った。
彼女の目の下にはいつもより濃い隈ができている。昨夜、ログアウトした後も調べ物をしていたらしい。
「……あれ、って王女と護衛のことですよね」
「他に何があるの」
雫は溜息をひとつ吐き、タブレット端末を取り出した。
画面には、王女メメ失踪事件に関するフォーラムスレッドやまとめ記事がびっしりと並んでいる。
「夜中に調べてみたけどさ。あれ、相当面倒なものを抱え込んじゃってるんだよ」
「面倒……っていうと?」
「婚約の構造がね」
彼女は画面を指でなぞる。
「アルセレイアは実質、星冠帝国ヴァル=オルビタの属国になる予定だった。軍事、宗教、外交権の大部分を委譲する契約ね。その代わりに、星冠帝国の庇護を受けて、周辺諸国からの侵略を防ぐ。経済的にも恩恵は大きい。土地の価格は上がるし、アイテムの関税や交易ルートも優先される」
「……得するプレイヤーも、いっぱい出るってことか」
「そう。ギルド拠点をこの街に構えてる連中なんかは特に。でも、損をする側もいる。たとえば宗教勢力」
「終暮教会、でしたっけ」
「うん。アルセレイア古来の信仰集団。星冠帝国の国教と教義が食い違ってるから、このまま完全属国化すると、終暮教会は確実に圧力を受ける。最悪、異端認定で潰される」
「その対立が今、プレイヤー同士の争いにも影響してる、と」
「そう。婚約を歓迎する層と、反対する層。国益を優先する人と、宗教的ロールプレイを重視する人。あと——」
雫は少し顔をしかめた。
「メメのガチ恋勢ね」
「ああ……」
嫌な言葉が飛び出してきた。
「王女メメって、実はめちゃくちゃ人気あるんだよ。ゲーム内のクエストラインの出来も良いし、まだ小さかった頃から知ってるって人もいるしね。婚約発表のときも、祝福してるファンと、『俺のメメが……』って発狂してる奴らが半々くらいだったよ」
「……婚約式を荒らしたのも、その辺のガチ恋クランだって噂ですよ」
「一応、状況証拠はある。式場周辺で目撃されてたPKクランのメンバーリストと、過去にメメ系イベントで問題起こしてた連中がほぼ一致してる」
カレーのスパイスの香りが、急に遠くなってくる。
「婚約して属国になれば、アルセレイアは外交と防衛の抑止力を得る。
ならなければ、周辺諸国にじわじわと削られ、最終的には戦争で潰される。
国王は、その最悪の未来を回避するために、断腸の思いで娘を差し出した——っていうのが、公式設定」
「……でも、メメ本人はそれに反対した」
「うん。婚約式が襲撃されたどさくさに紛れて、姿を消した。それが昨日、私達が遭遇した少女の正体」
雫はスプーンを置き、まっすぐこちらを見る。
「ここからが問題。王女を匿っているってことがバレたら、最悪PK戦になるよ。国策ギルドとか、宗教ギルドとか、ガチ恋クランとか、色んな勢力が一挙に押し寄せる。だから——国に引き渡すのが、一番無難」
「……合理的ですね」
「うん。合理的」
彼女は少し、視線を落とした。
「でも、それじゃ面白くない、って顔してる」
「してます?」
「してる」
スプーンの影が、ステンレスのトレーに揺れる。
「……僕は、王女に味方します」
自分でも驚くくらい、すんなりと、その言葉は口から出た。
「彼女だって、一度きりの人生です。プレイヤーと同じで死んだら蘇らない」
雫は黙って僕を見ていた。否定も肯定もせず、ただじっと。
「だったら——逃げたいって言うなら、逃がしてやりたい」
自分でも、どこまでが“善意”でどこからが“利用”なのか分からない。
それでも、あの煤だらけのドレスで息を切らせていた少女の姿が、頭から離れなかった。
「……はあ」
ようやく、雫は大きく息を吐いた。
「すみません」
「でも——プレイヤーとしては、嫌いじゃない」
彼女はカレーをかき込みながら続ける。
「分かったよ。正式には、王女メメ保護任務、ってことにする。ただし、私の立場もあるから、あんまり派手なことは慎んでね」
「ありがとうございます」
「その代わり、死なないでよ」
「努力します」
◆
午後、散歩から戻り、再ログイン。
「——っきゃあああああ!?何やってんのよあんた!」
ログインした瞬間、耳をつんざく絶叫が真横から飛んできた。
視界が切り替わると、そこはニイナのハウスの寝室だった。
そして目の前には、ローブを半分脱ぎかけたニイナがいた。
白い肩。結わえられていない白い髪。
こっちを睨みつける赤く輝く瞳。思わず一瞬、見惚れてしまう。
「ご、ごめん!」
条件反射で視線を逸らした瞬間、後頭部に強烈な衝撃が走った。
ゲームに復帰してから、最も強烈な一撃だった。
「外で待機!」
次の瞬間、俺の視界は玄関先に切り替わっていた。
どうやら、ハウスのキック機能を食らったらしい。
「……酷いだろこんなの」
床に座り込んで頭をさすっていると、扉が破壊される勢いで開く。
完全装備に着替えたNiN△――ニイナが、重双剣を腰に下げた状態で出てきた。
「ここ最近配信サボってたから、今日は配信してくる!」
「はい」
「メメとバロンのこと、頼んだわよ。留守番しとけ!」
それだけ言うと、ニイナは転送門へと駆けていった。
数秒後、《Wirecast》の配信開始通知がHUDの端に表示される。
[NiN△が配信を開始しました]
「……忙しいやつだな」
思わず苦笑しながら、俺はハウスの中に戻った。




