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>14 贄の行方 SANCTUARY

メメが消えた、という噂は、翌日には王都中を飛び回っていた。

残光王都アルセレイアの道端は、朝から紙切れだらけだ。


「号外!号外だよ!」というNPCの叫び声が、霧のかかった大通りに反響する。


【号外】

王女メメ、婚約式の最中に失踪——

星冠帝国ヴァル=オルビタ 皇太子との婚約式中、王女メメ(17)が式場から忽然と姿を消す。星冠帝国側のコメントは未だ無し——


ビラを拾い上げたプレイヤーが、その場でスクショを撮っている。

すぐそばのカフェテラスでは《Wirecast》の配信ウィンドウが開かれ、メメ失踪事件について語るストリーマーらしき顔が映っていた。視聴者数は右肩上がりだ。


現実でも、きっと今頃はニュースサイトやSNSのトレンド欄がこの話題で埋め尽くされているだろう。


元は中堅国家にすぎなかったその帝国は【星間管理機構】と呼ばれる過去の遺物の運用権を手に入れてから、一気に大陸列強のトップへとのし上がった。

惑星規模の障壁、軌道上兵器群、転移路の制圧。どこまでが虚構でどこまでがゲームの脚本なのか、もはやプレイヤーですら判別がつかない。


そして、その星冠帝国の皇太子の婚約者として差し出されたのが、アルセレイアの王女メメだった。



「何?メメが消えただと?」


暗闇の中で、低い声が響く。


場所はどこかの一室。窓は完全に封じられ、代わりに壁一面に並んだモニターが、王都のあちこちの映像を映し出している。

灰色のスーツを着た男が、片肘をついたままレポートに目を通した。


「ええ。どうやら、例の連中が婚約式を荒らしたようです」


報告しているのは無表情な男だ。黒の簡素な軍服に身を包み、胸元には見慣れないエンブレムが輝いている。


「馬鹿が……!」


男はレポートを握りつぶす勢いで机に叩きつける。


「第五班を呼べ。今日中に必ずメメを捕らえろ」


「……わかりました。連中と交戦した場合は」


「交戦したら必ず消せ。痕跡は残すな。NPCだろうがプレイヤーだろうが、関係ない」


「了解」


軍服の男が一礼し、静かに部屋を出ていく。

残されたのは、モニターに映る王女の笑顔と、皺だらけになったレポートだけだった。


「王女メメ……星冠帝国の“鍵”。失ったと知れたら、向こうがどう出るか」


男は天井のどこか、見えない何者かに向かって呟いた。



ひとまず俺たちは、王女メメとその護衛の青年をニイナのハウスに匿っていた。


ニイナの個人ハウスは、アルセレイアの外れにある高級住宅街の一画にあった。

白を基調としたシンプルな内装に、ところどころ賞状やトロフィーが飾られている。

ここまでの彼女の人生の軌跡が、一目で分かる部屋だ。


客間のベッドには、煤で汚れた白いドレスの少女――メメが眠っている。

隣の簡易ベッドには、護衛のバロンが仰向けに倒れ込んでいた。鎧は外され、包帯がいくつか巻かれているが、致命傷はなさそうだ。


「とりあえず、一晩はここで隠す。追っ手はまだ混乱してるだろうし」


雫がそう言って、ハウスのセキュリティ設定を細かくチェックしていく。訪問可能者リストを全NGしたようだ。


「……どうする?一旦ログアウトする?」


雫が小声で横から囁く。


「はい。あっちでも色々状況を確認したいですし」


「じゃあ私らも一旦家帰るから」


「同棲してるの?」


ニイナの鋭い眼が俺と雫を検分する。


「も、もちろん!じゃあまた後でね」


王女と護衛の寝息を背に、俺と雫は逃げるようにログアウトのコマンドを開いた。



ログアウトした世界は、妙に味気ない。


白海学園の食堂。朝の時間帯には少し早いせいか、席はまばらだ。

スチールテーブルの上には、湯気の立つ銀色のトレー。今日の朝食はカレーライスらしい。


「……いただきます」


スプーンを上手く持てない。

さっきまで、HPバーの減り具合を気にしていたあの指と同じ指だとは思えなかった。


「で、どうするつもりなの?あれ」


雫が向かいの席でカレーをつつきながら言った。

彼女の目の下にはいつもより濃い隈ができている。昨夜、ログアウトした後も調べ物をしていたらしい。


「……あれ、って王女と護衛のことですよね」


「他に何があるの」


雫は溜息をひとつ吐き、タブレット端末を取り出した。

画面には、王女メメ失踪事件に関するフォーラムスレッドやまとめ記事がびっしりと並んでいる。


「夜中に調べてみたけどさ。あれ、相当面倒なものを抱え込んじゃってるんだよ」


「面倒……っていうと?」


「婚約の構造がね」


彼女は画面を指でなぞる。


「アルセレイアは実質、星冠帝国ヴァル=オルビタの属国になる予定だった。軍事、宗教、外交権の大部分を委譲する契約ね。その代わりに、星冠帝国の庇護を受けて、周辺諸国からの侵略を防ぐ。経済的にも恩恵は大きい。土地の価格は上がるし、アイテムの関税や交易ルートも優先される」


「……得するプレイヤーも、いっぱい出るってことか」


「そう。ギルド拠点をこの街に構えてる連中なんかは特に。でも、損をする側もいる。たとえば宗教勢力」


「終暮教会、でしたっけ」


「うん。アルセレイア古来の信仰集団。星冠帝国の国教と教義が食い違ってるから、このまま完全属国化すると、終暮教会は確実に圧力を受ける。最悪、異端認定で潰される」


「その対立が今、プレイヤー同士の争いにも影響してる、と」


「そう。婚約を歓迎する層と、反対する層。国益を優先する人と、宗教的ロールプレイを重視する人。あと——」


雫は少し顔をしかめた。


「メメのガチ恋勢ね」


「ああ……」


嫌な言葉が飛び出してきた。


「王女メメって、実はめちゃくちゃ人気あるんだよ。ゲーム内のクエストラインの出来も良いし、まだ小さかった頃から知ってるって人もいるしね。婚約発表のときも、祝福してるファンと、『俺のメメが……』って発狂してる奴らが半々くらいだったよ」


「……婚約式を荒らしたのも、その辺のガチ恋クランだって噂ですよ」


「一応、状況証拠はある。式場周辺で目撃されてたPKクランのメンバーリストと、過去にメメ系イベントで問題起こしてた連中がほぼ一致してる」


カレーのスパイスの香りが、急に遠くなってくる。


「婚約して属国になれば、アルセレイアは外交と防衛の抑止力を得る。

ならなければ、周辺諸国にじわじわと削られ、最終的には戦争で潰される。

国王は、その最悪の未来を回避するために、断腸の思いで娘を差し出した——っていうのが、公式設定」


「……でも、メメ本人はそれに反対した」


「うん。婚約式が襲撃されたどさくさに紛れて、姿を消した。それが昨日、私達が遭遇した少女の正体」


雫はスプーンを置き、まっすぐこちらを見る。


「ここからが問題。王女を匿っているってことがバレたら、最悪PK戦になるよ。国策ギルドとか、宗教ギルドとか、ガチ恋クランとか、色んな勢力が一挙に押し寄せる。だから——国に引き渡すのが、一番無難」


「……合理的ですね」


「うん。合理的」


彼女は少し、視線を落とした。


「でも、それじゃ面白くない、って顔してる」


「してます?」


「してる」


スプーンの影が、ステンレスのトレーに揺れる。


「……僕は、王女に味方します」


自分でも驚くくらい、すんなりと、その言葉は口から出た。


「彼女だって、一度きりの人生です。プレイヤーと同じで死んだら蘇らない」


雫は黙って僕を見ていた。否定も肯定もせず、ただじっと。


「だったら——逃げたいって言うなら、逃がしてやりたい」


自分でも、どこまでが“善意”でどこからが“利用”なのか分からない。

それでも、あの煤だらけのドレスで息を切らせていた少女の姿が、頭から離れなかった。


「……はあ」


ようやく、雫は大きく息を吐いた。


「すみません」


「でも——プレイヤーとしては、嫌いじゃない」


彼女はカレーをかき込みながら続ける。


「分かったよ。正式には、王女メメ保護任務、ってことにする。ただし、私の立場もあるから、あんまり派手なことは慎んでね」


「ありがとうございます」


「その代わり、死なないでよ」


「努力します」



午後、散歩から戻り、再ログイン。


「——っきゃあああああ!?何やってんのよあんた!」


ログインした瞬間、耳をつんざく絶叫が真横から飛んできた。


視界が切り替わると、そこはニイナのハウスの寝室だった。

そして目の前には、ローブを半分脱ぎかけたニイナがいた。


白い肩。結わえられていない白い髪。

こっちを睨みつける赤く輝く瞳。思わず一瞬、見惚れてしまう。


「ご、ごめん!」


条件反射で視線を逸らした瞬間、後頭部に強烈な衝撃が走った。

ゲームに復帰してから、最も強烈な一撃だった。


「外で待機!」


次の瞬間、俺の視界は玄関先に切り替わっていた。

どうやら、ハウスのキック機能を食らったらしい。


「……酷いだろこんなの」


床に座り込んで頭をさすっていると、扉が破壊される勢いで開く。

完全装備に着替えたNiN△――ニイナが、重双剣を腰に下げた状態で出てきた。


「ここ最近配信サボってたから、今日は配信してくる!」


「はい」


「メメとバロンのこと、頼んだわよ。留守番しとけ!」


それだけ言うと、ニイナは転送門へと駆けていった。

数秒後、《Wirecast》の配信開始通知がHUDの端に表示される。


[NiN△が配信を開始しました]


「……忙しいやつだな」


思わず苦笑しながら、俺はハウスの中に戻った。

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