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>13 真価 APPRECIATOR

羽根ペンが描いた軌跡から、インクの弾丸が連なって飛び出す。

俺は横へ転がり、ニイナは軽いステップで跳ねるように避ける。

その一連の動きすら、どこかでルクシオンの“学習素材”にされているのだと思うと、まるで油断できない。


でもルクシオンは、もうすでに俺の癖を読み取り始めていた。

次の弾丸は、俺がさっき避けた先――その、さらに少し先に向かって放たれる。


避けきれない。

直感がそう告げた瞬間、インクの弾丸が俺の腕を抉った。


HP: 320/580


歯を食いしばっても、痛みの波は容赦なく神経を焼く。

だが、その痛みの向こうで――視界の端に、あの見慣れない通知が浮かび上がった。


[パッシブスキル発動]

[スキルストック成功: 書写の連鎖 Lv62] 残り10秒


……ちょっと待て。


エリアボス級モンスターのスキルまで、ストックできるのか?

10秒という制限付きとはいえ、正気とは思えない性能だ。


けど、正気とは思えないデメリットもある。


このジョブスキル【粘土遊び】は、攻撃をもらうことがトリガーになっている。

こういう「攻撃を食らってからが本番」というカウンタータイプは、W::Wじゃだいたい"外れスキル"扱いだ。


なぜなら、パーマデスにおいて攻撃を受けることそのものがリスクでしかないから。

もらい方次第では、ボスの一撃を真正面から受けて即死――なんて状況も、いくらでも想像がつく。


あまりにも両刃の剣だ。

このゲームで使い方を間違えたら、その“次”はない。


時間制限のカウントダウンが、視界の片隅で静かに減っていく。


……そういえば。ニイナと戦ったときも、俺は彼女のスキル名だけじゃなくレベルまで見えた。

通常、スキル自体を看破する方法はいくつかあっても相手のスキルレベルを見る手段は――おそらく、ない。

でも【粘土遊び】にはそれが“視えて”しまう。


【粘土遊び】の真価は、スキルをコピーすることじゃない。

相手の情報を、強制的に引きずり出すことだ。


パーマデスの世界で、相手の手の内を知る――それがどれだけ狂ったアドバンテージか。


「油断しちゃダメ」


雫の回復魔法が、身体に刻まれた無数の傷を一気に撫でていく。

HPバーがみるみるうちに回復していき、赤色が緑へと塗り替えられる。


「……ああ。分かってる」


俺は再び短剣を握り直す。柄に染みついた血とインクの感触が、掌にじわりと馴染む。

ルクシオンの動きを観察する。攻撃パターン、回避のタイミング、弱点――全部、刻むように見る。


背後へ回り込む。

ルクシオンがこちらに気づいて振り向く、その瞬間に合わせて地面を蹴る。


ニイナの投げた短剣と、俺の斬撃がほぼ同時にルクシオンの側面へ突き刺さる。

弱点部位に重なった一撃で、ルクシオンのHPバーが大きく削れた。


「へえ。あんたやるじゃない」


彼女が横目で吐き捨てるように呟く。

でもルクシオンは、依然として学習し続けている。

今さっき通用した連携パターンは、もう“答え合わせ”済み。二度目はない。


ルクシオンの羽根ペンの突きが、不規則な軌道を伴って俺に迫る。

ちょうど、今の位置なら――ニイナと雫からは、俺の姿は完全に死角になっている。


悪くない。

——今だ


[書写の連鎖]


スキル名を口にするより早く、指がひとりでに軌跡を描く。

さっきまでルクシオンが空中に走らせていた文字列を、なぞるように。


その動きの先から、濃いインクの弾丸が数珠つなぎになって発射された。

真正面から突っ込んでくる羽根ペンを撃ち抜き、そのまま弾丸はルクシオンの胸部を貫通する。


インクと紙片が爆ぜ、ルクシオンが喉の奥から掠れた悲鳴を絞り出す。


「Giooooooooooooooo!」


「……は?」


ルクシオンが机ごと地面に崩れ落ちる。

ページが吹雪のように舞い散り、浮遊していた書類机が鈍い音を立てて砕けた。


ニイナも、雫もぽかんとしている。

さっきまでの位置関係からすれば、あの瞬間、俺が何をしたのかは見えていないはずだ。


[経験値獲得: 35,000]

[Level 34に到達しました]


[ボス初回討伐報酬]

[入手: 月蝕の羽根ペン]

[技量値 +520]


「……ふう」


俺は息を吐いて、その場にへたり込む。石畳の冷たさが、遅れて足の裏から這い上がってきた。

正直、紙一重だった。


「ちょ、ちょっと、今何をしたの!?」


真っ先に飛んできたのは雫の声だ。

彼女は杖を握ったまま駆け寄ってきて、俺とルクシオンの残骸を交互に見比べる。


「見ての通りだよ。運よく、穴を抜いただけ」


「運で済ませるには、ちょっと派手すぎじゃない?」


ニイナもやってきて、腕を組みながら俺を覗き込む。

マスク越しでも分かるくらい、露骨に疑っている顔だ。


喉の奥で、小さく呼吸を整える。


――【粘土遊び】と【スキルストック】のことは、できれば誰にも知られたくない。


エリアボス級のスキルをコピーできる、なんて噂が広まったらどうなるか。

このゲームのプレイヤーたちの性格を思い返すまでもなく、ろくでもない未来しか見えない。


「ルクシオンの癖が、たまたま見えただけだ。同じパターンの弾ばっか撃ってきてたし」


「ふうん」


ニイナは短く相槌を打つだけで、それ以上追及してこない。だが彼女はなんだか勘付いている風だった。


雫も、それ以上は聞かなかった。

代わりに、浮かび上がるいくつもの通知ウィンドウを眺めて、口元だけを楽しそうに歪める。


「でも、これでこの階層は安定して回せるね。ボスの動きもひと通り見えたし」


「……周回する気ですか」


思わず突っ込みを入れる俺をよそに、雫は既に次のプランを立てていた。


それから数日、俺たちは【蝕書の大書記ルクシオン】をひたすら狩り続けた。


ルクシオンのAIは確かに学習型だが、一度“完成したパターン”は、それ以上はあまり変化しないらしい。

初見殺しさえ乗り越えてしまえば、あとは決まった順番で繰り出される弾幕を、決まった手順で捌くだけだ。

もちろん、決まった手順を一つでも間違えれば即死だが。


俺はその間、【書写の連鎖】を意図的に使わないようにしていた。

ボスのHPを削り切る直前まで温存して、最後の一撃だけに紛れ込ませる。

そうでもしないと、このスキルの“異常さ”が、嫌でも目につく。


[Level 60に到達しました]


経験値ゲージがまた一つの節目を越え、UIが淡い光を放って消える。ルクシオンの紙片だらけの書斎も、見飽きた。


「そろそろ、一度街に戻ろうか」


雫の提案に、俺もニイナも異論はなかった。

ドロップ品と報酬を抱えたまま、この階層に長居したくはない。



残光王都アルセレイア。

霧がかった石造りの城壁と、青い残光を灯す街灯が並ぶ、W::W最大級の中枢都市の一つだ。

ルクシオンの書庫から転送門を抜けてここへ戻ってくるたびに、生きて帰ってきたんだなという実感が、ようやく一拍遅れて胸に落ちてくる。


今回の目的はひとつ。【月蝕の羽根ペン】の加工だ。


「鍛冶屋のロダンって知ってる?」


雫がそう聞いてきたのは、転送広場から大通りへ出たところだった。


「名前だけは。変人だって噂の」


「腕は確かだよ。だから変人でも我慢して」


石畳を抜け、煤で黒く染まった路地裏へと入る。

そこだけ時間が止まったみたいに薄暗く、昼間なのに焚き火の匂いが漂っている。


路地の突き当たり、小さな鍛冶場の奥で、ひとりの老人が巨大なハンマーを振り下ろしていた。


背中一面が焼け爛れた跡で盛り上がっている。

両腕は肘から先が黒焦げの義肢に置き換わっていて、金属と皮革の継ぎ目からときどき火花が散った。


「ロダンさん、また無茶してる」


雫が苦笑混じりに声をかける。


老人――ロダンは、ようやくハンマーを止めてこちらを振り向いた。

片目だけ残った濁った虹彩が、俺たちを順番に品定めする。


「……雫か。そっちの二人は、新しい死に急ぎか?」


「怖がらせないの。今日は依頼だよ」


雫は、インベントリから【月蝕の羽根ペン】を取り出した。

黒い羽根に銀色のインク痕が残る、ルクシオンの遺物だ。


ロダンはそれを無言で受け取り、焼け爛れた義手で慎重に触れる。


「短剣にしたいんです。できるだけ軽くて、でも折れないやつ」


俺がそう付け加えると、ロダンの片目がほんの僅かに細くなった。


「……月蝕の材か。扱いを間違えれば、持ち主ごと呑み込むぞ」


「このゲーム、大体なんでもそうだよ」


雫が軽口で返すと、ロダンは鼻で笑った。


「三日後に取りに来い。死んでなければな」


そう言って、俺たちのことはもう興味を失ったように炉の方へ向き直る。

話は終わりらしい。


鍛冶場を出て、煤けた路地を抜ける。

さっきまでうるさいくらいだったハンマーの音が、背後で遠ざかっていく。


「ねえ」


大通りへ出る直前、雫がふと足を止めた。


「さっきのスキルのこと、深くは聞かないけど……気をつけて」


「……何に?」


「“強すぎるもの”って、それだけで狙われるから」


雫はそう言って、いつもの調子で笑ってみせる。

それ以上は何も言わない。その優しさの方が、かえって居心地が悪い。


返事をし損ねたまま、大通りへ踏み出した――その瞬間だ。


「そこのあなた! 走って!」


甲高い声が、がらんどうの空から降ってきた。


振り向くと、白いドレスを煤で汚した少女が、必死な顔で手を振っている。

髪は乱れ、呼吸は荒い。その一歩後ろには、筋肉質な青年が無言で立ち、周囲を警戒するように目を走らせていた。


背後の路地の奥から、甲冑のきしむ音と、NPC兵士たちの怒号が聞こえてくる。


「巻き込まれたくなかったら、今すぐこっち!」


少女がもう一度叫ぶ。


「……どうするの?」


ニイナが小さく俺に問う。

選択肢なんて、最初からひとつしかない。


「とりあえず、走ろう」


俺たちは顔を見合わせる間もなく、少女たちの方へと駆け出した。


それが、このゲーム全体を揺るがすことになるNPC王女[メメ]争奪事件の、最初の一歩とは知らずに。

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