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独ソ戦の波紋

独ソ戦の波紋


1940年、ノモンハンでの紛争は継続しており、戦域は徐々に拡大していた。

ソ連がフィンランドに侵攻した時や、バルト三国に侵攻した時はノモンハンの戦いも小康状態になったが、小競り合いは続いていた。


陸海軍はソ連との戦いを続ける上で、戦闘機の火力不足を認識した。

陸軍は12.7mm機関砲ホ103の採用を前倒しにして量産を開始し、海軍は13.2mm機銃の搭載機を増やした。


陸軍の九七式戦闘機は改良が続けられ、エンジンも栄エンジンを搭載している事から、初代大鳳の世界の一式戦闘機二型に近付いていた。

海軍は、九九式艦上戦闘機として金星エンジンを搭載した新型機がノモンハンに投入されていた。13.2mm機銃2挺と20mm機銃2挺の、重武装の機体であった。


艦上爆撃機や艦上攻撃機も新型機が登場してきた。

九九式艦上爆撃機や九九式艦上攻撃機であるのだが、九九艦攻は火星エンジンで問題はなかった。しかし、九九艦爆は液冷エンジンのアツタが生産性と整備性が悪いという問題があった。

アツタエンジンの改良は続けているのだが、現状では生産性が悪く、液冷エンジンに不慣れな整備士では稼働率が低かった。


これは陸軍の液冷戦闘機にも当てはまり、両機ともアツタエンジンの生産性が上がるまでは、暫定で金星エンジンに換装する事を検討した。

ところが、金星エンジンに換装したところ高い性能を発揮し、非常に扱いやすい機体になったのだ。


海軍は稼働率を重視し、九九艦爆のエンジンは金星エンジンに変更となった。

陸軍としては中低空高度の戦闘機は九七式戦闘機で現状事足りており、高高度で性能の落ち難い液冷エンジンの戦闘機は必要だった。


九九艦爆が金星エンジンに変更した事から、愛知で余剰になったアツタエンジンを川崎に融通する事ができ、陸軍の液冷戦闘機はエンジンを確保し生産する事ができた。

整備性の悪さに関しては、取扱説明書を詳細でかつ解り易い物を作らせた。後は整備士の気合である。


また海軍は、航空機等兵器の開発生産の現場から、人員が徴兵される件について陸軍に交渉し、長10cm砲や電探技術を陸軍に提供する事で話をつけた。

陸軍で長10cm砲が高射砲として採用され、電探は地上配備されていき防空能力を高めた。



1941年4月。ソ連が本格的に満州への攻勢を開始した。

日本はソ連の物量に対し、もっぱら航空機で対抗する事になった。

日本の戦車はソ連に比して数が少なく、撃破不能な戦車も現れた事から航空戦力に頼るしかなかった。


日本の陸海軍は、ソ連の航空機の物量にも対応するため、操縦者や搭乗員の育成増員を行ってきた。

少数精鋭では対応できないと早期に認識できたため、そこそこの練度の操縦者・搭乗員を前線に送り出した。


練度で互角であれば機体性能の勝る日本が有利なはずであるのだが、敵機の数が多すぎればその限りではない。

故に日本は、電探を用い迎撃戦闘機を効率的に誘導し、ソ連機の各個撃破に努めた。


戦域がノモンハンから満州全域に及んだ事から、日本は北樺太の占領を行った。

事実上の、ソ連との全面戦争の開始であった。


ソ連太平洋艦隊は海軍により真っ先に撃滅され、北樺太には機動部隊による空爆が徹底して行われた。

日本は戦闘車両や物量では劣るものの、航空機の性能や海軍力では上回っていた。


機動部隊は、北樺太占領の目処が立ったらソ連沿岸部の攻撃に移った。

ウラジオストックを始め、軍事施設を砲爆撃していった。


ソ連沿岸部の軍事施設は日本の機動部隊により攻撃され、ソ連軍にも被害が出ていた。

とはいえ、満州外に逆侵攻するほどの余裕はなく、満州防衛で手一杯であった。



1941年6月。突如としてドイツがソ連に侵攻した。

満州方面に多くの戦力を送っていたソ連は、ドイツ軍に対し敗北を続ける事になる。


日本でも混乱が起きていた。

満州戦線のソ連軍からの圧力が低下し、ウラジオストック方面に侵攻するまでになっていたが、米英からソ連から手を引くよう圧力が掛けられたのである。


支那事変を解決し、米英と和解していたはずが、独ソ戦が始まってしまい一転する。再び米英と険悪になりつつあったのだ。

米英との戦争が遠退いたと思っていたら、また近付いてしまったのである。


さらに悪い事に、日本の現内閣は親独政権であった。

米英との関係悪化を懸念する海軍の意見を押しのけ、ドイツとの同盟が締結されてしまう。


米英からはドイツとの同盟を破棄するよう求められたが、現内閣は日独でソ連を挟撃する事にしか目が行っていなかった。


米英の圧力が増した事で、日本は米英との有事に備え仏印進駐を検討する。海軍は当然反対した。

日本はドイツとヴィシーフランスに許可を貰い、仏印進駐を行ったのであった。


アメリカの反応は劇的だった。

即座に経済制裁が発動され、石油は全面禁輸となってしまったのである。

アメリカの態度に国民の対米感情は悪化。また新聞もそれを煽っており、対米英戦争の機運が高まっていた。


米英の要求は、ドイツとの同盟破棄、仏印撤退、北樺太のソ連への返還、ソ連領内からの撤退、満州の国境線をソ連の主張する国境線として日本軍は撤退するといったものであった。

ドイツとの同盟破棄や仏印撤退ならば受け入れ易かったが、それ以外は受け入れ難かった。


日米交渉が続く中、ゾルゲ事件が起きる。

ソ連の諜報員が検挙されていき、日本の国政にソ連が大きく影響を与えていた事が発覚した。

ドイツと同盟を結び米英との不仲をもたらしたのも、彼らの諜報活動の結果と見られた。

米英との戦争が近付いたのはソ連の思惑だと判ったが、かといって米英との関係改善は一筋縄ではいかなかった。


石油を止められた事で、日本が干上がるのは時間の問題だった。

米英の要求を呑み軍門に下るか、米英と対決し自主独立を目指すか日本は選択を迫られた。


日本は結果として、ソ連をドイツと共に挟撃し打倒する道を選んだ。つまり米英との対決を選んだ事になる。

経済制裁を受けているので資源は入らず、資源を得るためには東南アジアに進出するしかなく、米英との開戦は避けられなかった。


日本の戦略としては、最速で東南アジアを押さえ、ドイツと共にソ連を打倒し、米英と講和するというものだった。

そのためには時間を稼ぐ必要があり、大鳳がもたらした情報にあった真珠湾奇襲が非常に有効に思えた。

海軍は覚悟を決めるのであった。

お読みいただきありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
歴史改変に成功したかと想いきや・・・ もう、次に期待だな。これは
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