日本は覇権国家になりたいわけじゃない
日本は覇権国家になりたいわけじゃない
1943年12月。アメリカが日本へ宣戦布告した。
米国民の対日感情は、戦争容認へと傾き、とうとう議会で承認されたのであった。
アメリカは11月までに、上海やフィリピンの陸軍を大規模に増強し、ハワイに大艦隊を集結させていた。
この動きは日本も捉えており、警戒していた。
そして、12月に日本に対して宣戦布告が行われたのだった。
事ここに至っては日本も覚悟を決め、アメリカを全力で迎え撃つ事にした。
米大艦隊がハワイから出撃。
この動きは日本のターボプロップエンジン搭載の高高度偵察機景雲により捉えられており、米艦隊を迎え撃つべく漸減邀撃作戦が行われる事になった。
米艦隊の針路は南西であり、マーシャル方面を攻略し前哨基地を造る方針と見られた。
日本艦隊も駆けつけ、迎え撃つ準備を整えた。
米艦隊は大艦隊であり、艦艇の数は日本を上回っていた。
戦艦も空母の数も日本を上回っており、米海軍は絶対の自信を持って進軍していた。
日本艦隊は米艦隊を十分に引き付けた段階で、まず潜水艦隊による雷撃を行った。
音響追尾魚雷による攻撃であり、米艦隊を混乱に陥れた。
次いでジェット戦闘機烈風を始めとする攻撃隊による噴進弾攻撃が行われ、誘導噴進弾が米艦隊を襲い、多数の艦艇を損傷させていった。
米艦隊を襲った攻撃機は全てジェット機であり、米迎撃機は対応する事ができなかった。
米空母は損傷していき、離着艦能力を失っていった。
制空権は日本のものとなり、中小型空母搭載の流星や九七式も噴進弾攻撃に参加し、米艦隊は日本の航空攻撃を一方的に受ける事になるのだった。
やがて防御力の高い戦艦ばかりが残っていき、航空雷撃ではなく、最後の艦隊決戦が行われた。
日本の戦艦は主砲をすべて50口径3連装4基12門に換装しており、電算機による電探連動射撃で長射程と高い命中力を誇っていた。
艦隊決戦は損傷し動きの鈍っている米戦艦部隊に対し、綺麗なT字を描くところから始まった。
理想的なT字戦法が完成し、米戦艦部隊は打ちのめされていくのだった。
日本海海戦以来の大規模な海戦であり、大勝利であった。
この勝利を持って日本は米国政府に講和を打診した。
しかし講和の条件は、清国の領土を中華民国へ返還せよというものだった。
もはや日本の傀儡ではない清の領土を、日本が好きにできるはずもなく、戦争は継続となった。
フィリピンと台湾の間では航空戦が行われ、米航空戦力を一方的に叩く展開になっていた。
B-17やP-38が主に飛来していたのだが、電探により誘導されたジェット戦闘機火龍が、近接信管搭載の噴進弾を打ち込んでいき、P-38との空戦も優位に立ち、一方的に蹴散らしていったのであった。
海上護衛総司令部は米潜水艦が行動を開始したと考え、対潜部隊による通商路防衛に動き出していた。
また、通商路防衛のため、フィリピンへの攻撃が行われる事になった。
フィリピンは占領せず、空爆のみを加え無力化する事になった。
グアムやウェーク島は占領する事が決まり、準備が整い次第占領していった。
米軍の予定では、マーシャル諸島を緒戦で占領し、そこを前哨基地としてマリアナ諸島を占領していくつもりであった。
その後、新型戦略爆撃機B-29をマリアナ諸島へ進出させ、日本本土攻撃を行うはずだった。
同時に国民党支援のため、台湾を攻略し、補給路の確保と日本の通商路を塞ぐ予定でもあった。
そのための大艦隊であり、フィリピンの大規模な陸軍兵力でもあったのだ。
まさか日本艦隊を上回っているはずの米大艦隊が敗れ、フィリピンの陸軍兵力が遊兵化するとは予想だにしていなかったのである。
アメリカは日本を格下に見ていたため、必要以上に過小評価してしまっていたのだった。
上海の米軍は、米艦隊の壊滅により予定が狂ってしまっていた。
マーシャル・マリアナ・フィリピン・台湾と補給線を繋ぎ、中国へ本格的に派兵するはずが、まさかの米艦隊壊滅でそれが頓挫したのである。
国民党への補給も滞る事から、攻勢は控えさせ、防衛に徹する事になった。
日本はウェーク島占領後、ミッドウェー島・ジョンストン島の占領も行い、ハワイ諸島に対し攻撃を行うと通告。
民間人の退避を呼びかけ、1944年3月に攻撃を開始すると宣言した。
1944年3月。ハワイ諸島攻略が行われ、まずオワフ島以外の島が占領され、オワフ島攻撃が着実に行われていった。
砲台が破壊され、艦砲射撃が行われた。
ハワイ占領後、米政府に講和を打診するが、やはり米大統領は要求を下げなかった。
日本は、アリューシャン列島及びアラスカ占領にも乗り出すのだった。
日本がハワイを占領した後、清国は上海に攻勢を掛け始めた。
国民党軍と米軍が抵抗し、激しい戦闘が続けられる事になるのだった。
5月。日本はアリューシャン列島からアラスカに掛けて攻略作戦を実施していった。
しかし、米大統領は頑なであった。
日本はハワイに進出していた航空隊による、米本土空襲を開始させた。
日本としては米本土で陸上戦など行いたくなく、米本土空襲でアメリカが根を上げて欲しかった。
米本土空襲はドイツと同様に、まずは生活基盤から破壊していく事になった。
爆撃には完成していた中島の戦略爆撃機富嶽を用い、アメリカ国内の火力発電所へ向け、赤外線誘導弾を高高度から投下していった。
米本土が空襲された事で米国民は騒然となり、米大統領の支持率は一挙に低下したのだった。
高高度を飛行する戦略爆撃機富嶽はターボプロップエンジンでもあったため、まともに迎撃可能な米戦闘機はなく、米本土の火力発電所を次々と破壊していった。
火力発電所の破壊が順調な事から、水力発電所の攻撃も開始していった。これは無線誘導弾を用いて破壊していった。
清はついに上海を占領し、国民党政府を崩壊させた。
清による再統一がなされたのであった。
米軍捕虜は、香港を通じてフィリピンへ返還された。
6月には富嶽の数も揃ってきた事から、鉄道・橋梁・道路も破壊対象になり、徐々にアメリカの生産力を落としていった。
米本土空襲では、人的被害は少なく抑えられていた。しかし、当然ながら米国民の生活は不便になる一方であった。
9月。富嶽はさらに数を増やしており、化学工場や軍需工場、飛行場への攻撃も開始した。
なかでも西海岸の飛行場破壊は、同時に機動部隊の攻撃も行われ、西海岸の米軍基地が破壊されていった。
西海岸に日本軍が上陸するとの噂が流れ、西海岸の住民は混乱を来たした。
米国内では厭戦気運が高まっており、米大統領は窮地に立たされていた。
その頃、米陸軍がメキシコ国境の防備を固めだしていた。
メキシコ含め南米には、清国より不要になった兵器が売却されており、その戦力はアメリカを十分警戒させるだけのものになっていたのだった。
もし日本軍が西海岸に上陸すれば、メキシコも参戦する可能性が出てきたのである。
メキシコはその後も九七式などの兵器を購入し、戦力を増強していった。
10月。米軍のジェット戦闘機に富嶽が撃墜される事態が起きた。
数は多くないが、遂に富嶽を撃墜できるジェット戦闘機が登場したのであった。
しかし、既にアメリカの生産力は低下しており、大規模な量産は困難とみられた。
相手がジェット戦闘機であったため、爆弾搭載量を減らし空対空赤外線誘導噴進弾が富嶽に搭載された。
特に東海岸方面を担当した富嶽は、これを多めに搭載し対応していった。
日本機動部隊の攻撃により、西海岸の制空権は度々日本のものとなっており、その都度米航空機は撃退されて数を減らしていった。
抵抗がほぼ無くなってからは、機動部隊による生活基盤破壊や軍事目標の破壊が行われた。
米大統領はそれでも4選目を目指し、徹底抗戦を訴えていた。
11月。戦争継続を訴えていた現職の米大統領は落選した。
厭戦気運が高まっており、現職大統領の圧倒的な完敗であった。
大統領選挙の結果を受け、ようやく停戦交渉が始まるのだった。
ここまで来たら日本も強気に要求を突きつけ、交渉は難航した。
しかしその間にもアメリカ国内の生活基盤や工場は破壊されていき、生産能力は落ち、国民生活に支障をきたしていた。
さらに日本は国内に動員をかけ、米本土上陸作戦を宣言した。
当然ながらアメリカに対する脅しであった。
アメリカは譲歩する事になるのだった。
1945年1月。アメリカとの講和が成立し、戦争が終結した。
ハワイ諸島は独立し、アラスカ・アリューシャン列島・ウェーク島・グアム島などは日本へ割譲された。
アメリカの勢威は失墜し、南米への影響力も低下していった。
アメリカ国内では生活基盤が破壊し尽くされており、復興に尽力する事になった。
アメリカ経済は当面の間低迷し、1929年の経済状態へ戻るのは、まだまだ先になるのだった。
日本はようやく戦争が終わり、飛躍の時を向かえた。
しかし、当初の予定とは大きく異なる状況になってしまっていた。
ポーランドが大きくなり、ソ連が崩壊しロシア共和国になり、満州国が中華を統一し立憲君主国清となり、アメリカが衰退してしまったのだ。
大鳳がもたらした情報にない世界情勢となっており、今後の予想が難しくなっていた。
だが、やる事は同じである。
他の追随を許さぬ、日本の発展であり飛躍である。
2011年までの技術情報があり、そこに至ったとしても新技術への投資を怠らなければ、今後の日本は磐石といえた。
最大の敵は自然災害であり、大鳳がもたらした災害情報を基に防災対策も進めていった。
中でも一番大きな物は、太平洋沿岸に建設される防潮堤を兼ねた巨大な沿岸道路であった。
原子力発電所も、大規模災害や物理的攻撃を考慮した物を建設する事になった。
原発は地震の少ない地域に複数建設され、その数から日本の核兵器の保有数が欧米に推測された。
やがて軍事力も経済力も日本一強状態となり、日本が主導し国際連盟を四代目大鳳の世界を参考に強化していった。
国連軍が創設された時は、日本が主体となり兵器や人員を提供し、戦争は起き難い世界情勢になっていった。
アメリカやイギリスも核兵器を保有しているようではあったが、実戦で使われる機会は訪れなかった。
日本が人工衛星を打ち上げるようになり、連盟において核兵器の取り扱いについて議論される事になった。
ABC兵器、つまり原子兵器・生物兵器・化学兵器の使用が禁止される条約が結ばれ、日本も含め各国がこれを批准した。しかし抑止力として保有はされた。
いつしか日本は覇権国家となっていた。
そして満を持して人種差別撤廃を国際連盟に提案し、受け入れさせたのであった。
この世界をここまで変えた大鳳はというと、五代目大鳳の近代化改修が行われ続け、資料室には最新の電算機が最新の情報と共に収められていた。
改修案には、ゆくゆくは量子電算機を資料室に入れる話や、機関を核融合炉にする案など様々出ており、廃艦にするなどという話は全く出ないのであった。
大鳳は2011年3月も乗り越え、まだまだ現役であった。
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誤字報告ありがとうございました。令和7年11月5日修正しました。




