マリアナ沖海戦
マリアナ沖海戦
米英は、ソ連が降伏寸前まで追い込まれている事に焦っていた。
原因の一つは、アメリカが対独参戦するために挑発していた日本が、思いの外強かったせいであった。
極東からインド洋までの制海権を日本に取られたせいで、ソ連への援助物資を送る経路が阻害され、ソ連はモスクワを失う事になった。
また、日独が交易を再開したことから、不足していた資源をドイツが手に入れられるようになり、ドイツはより手強くなったのであった。
米英は、日本を早期に降伏させられると考えていたが、開戦劈頭に日本機動部隊に多数の戦艦と空母1隻を沈められてしまい、思惑が外される形になってしまった。
さらに、日本の機動部隊は手強い事が分かり、艦上戦闘機の性能も上回っていると判明した。
マーシャル沖で一度は敗北したが、二度目の海戦では勝利する事ができた。
このままマリアナ諸島から硫黄島へと攻略して行き、日本本土へ戦略爆撃を行えば、日本は根を上げるのではないかと思われた。
既に潜水艦による通商破壊も効果が出始めており、日本を徐々に追い詰めている手応えはあった。
ただ、急がねばソ連が先に根を上げてしまいかねず、ノルマンディー上陸と同時期にマリアナ諸島への上陸作戦が実行される事になった。
アメリカの来寇を待ち構える日本はというと、マリアナ諸島への侵攻の可能性が高いと考え、準備を整えていた。
ニューギニアやソロモン諸島へ進出しなかった事から、航空機などが消耗しておらず、その分マリアナ諸島に戦力が集結できでいた。
要塞化こそ出来ていないが、多数の掩体壕と飛行場が建設され、1500機にも上る航空機が配備されていた。
機動部隊も準備を進めていたが、米潜水艦が跳梁しており、時に妨害を受けつつも、なんとか陣容を整える事ができた。
機動部隊は第二次マーシャル沖海戦敗戦後にその考えを改め、制空権を重視した編成へと変更していた。
マリアナ諸島の基地航空隊と連携する事を前提に、艦載機は戦闘機に偏った編成となっていたのだ。
日本の通商路では米潜水艦の跳梁を許してしまっていたが、1944年4月より航空機に搭載する磁気探知機が実戦投入され始め、対潜哨戒の成果が上がってきていた。
マリアナでの決戦に向けて、九九式艦上攻撃機に電探と共に磁気探知機を搭載し、決戦に参加する中小型空母を中心に配備していった。
1944年6月。マリアナ諸島に米機動部隊の航空機が来襲した。
マリアナ諸島の航空隊は米攻撃隊に対し全力で応戦し、大規模な戦闘機同士の航空戦が発生した。
米機動部隊は、まず戦闘機掃討戦を仕掛けてきた。
艦上戦闘機F6Fや高性能化した艦上戦闘機F4Uが来襲してきており、局地戦闘機雷電が主力となって応戦した。
雷電は搭乗員達にとっては賛否が分かれる機体だったが、連合国からの評価は高かった。
一撃離脱に徹した雷電は高性能を発揮し、一撃離脱を得意とする搭乗員が乗れば、最強のレシプロ戦闘機になった。
さらに電探での航空管制や電探搭載の偵察機による誘導が行われ、米戦闘機を撃退していく事に成功していた。
しかし米機動部隊は、護衛空母を中継基地として運用し、後方から続々と艦上戦闘機を補充し続け戦闘機掃討戦を継続していった。
日本軍は物量に押され、徐々に雷電の数を減らしていった。
日本軍も、後方のパラオや硫黄島から航空機の補充は可能なのだが、そもそも雷電や烈風の絶対数が足りず徐々に九九式艦上戦闘機に置き換わっていった。
特に烈風はエンジン選定の混乱から、開発時期が遅れており生産数はそれほど多くなかった。
最初に誉エンジンが指定され、拘ってしまった海軍の落ち度であった。
米機動部隊によるマリアナ諸島への戦闘機掃討戦は、雷電の稼働率が下がり九九艦戦が迎撃の主力になった段階で、飛行場への攻撃に移っていった。
F6Fが爆装し戦闘爆撃機となり、F4Uが護衛する形で飛行場攻撃が行われ、F6Fが臨機応変に爆装を解き応戦するなどし、一部の飛行場に対する爆撃を成功させていった。
マリアナ沖で航空戦が展開される中、日本艦隊も駆けつけ機動部隊は攻撃隊を送り出した。
米艦隊の全容はマリアナ諸島の偵察機により把握されており、米機動部隊の位置も特定されていた。
第一次攻撃隊は護衛機以外は爆装の艦上攻撃機流星で、第二次攻撃隊は爆装と雷装の流星が参加した。
米機動部隊は大量の迎撃機を上げてくる事が予想されたため、護衛機もそれを想定した数を用意していた。
米機動部隊の偵察機も日本機動部隊を発見し、米機動部隊は第一次攻撃隊を送り出した。
第二次攻撃隊を送り出す段階で、一部の米機動部隊に日本の攻撃隊が来襲した。
日本の攻撃隊は目標を絞り、確実に空母を潰していく作戦に出た。
一つの米機動部隊に戦力を集中し、制空権を確実に確保し、米機動部隊の輪形陣を崩すため、輪形陣外縁の駆逐艦から丁寧に攻撃していった。
烈風が米迎撃機を押さえ込み、爆装した流星が輪形陣外縁から順に攻撃していった。流星は、急降下爆撃でロケット推進の50番4号爆弾を用いて攻撃していき、最後に米空母へと急降下爆撃を行い離着艦能力を奪っていった。
ロケット推進の50番4号爆弾は500kgの爆弾であり、命中すれば駆逐艦はおろか巡洋艦でさえもただでは済まなかった。
第二次攻撃隊も同様に烈風が制空権を確保し、爆装した流星が輪形陣を構成する残存艦艇や空母を急降下爆撃で攻撃し、雷装の流星が米空母に止めを刺していった。
輪形陣を丁寧に崩していった事で、対空砲火による援護射撃の脅威を減じ、効果的に炸裂する高角砲弾つまりVT信管による被害も許容範囲に抑えられた。
マリアナ諸島の基地航空隊も、米機動部隊に向け反撃の攻撃隊を送り出した。
護衛の戦闘機は大半が九九艦戦で、烈風の割合は多くはなかったが、1つの米機動部隊の迎撃機を押さえるには十分な数の護衛機を用意できた。
マリアナ基地航空隊の護衛機が米迎撃機を引き付けている間に、九九式艦上爆撃機が米機動部隊の輪形陣外縁の艦艇から攻撃を開始し、50番4号爆弾を投下していった。
輪形陣が崩れたところに、雷装の陸上攻撃機銀河が雷撃を行い米空母を仕留めていった。
日本機動部隊にも米攻撃隊が来襲し、迎撃戦闘が開始された。
迎撃の烈風が電探の誘導に従い米攻撃隊に襲い掛かり、効果的な迎撃に成功していった。
烈風は米護衛戦闘機を数で上回っており、米艦爆艦攻へ攻撃を加えるが、米艦爆艦攻は数が多く機動部隊への攻撃を許してしまう。
日本の機動部隊は駆逐艦の数が足らず満足な輪形陣は形成できていないため、多数の米艦上爆撃機SB2Cの急降下爆撃を受けてしまった。
大鳳や翔鶴を含む複数の空母が被弾し、大鳳は応急修理で対応できたが他の被弾した空母は離着艦能力を失ってしまった。
日本機動部隊は第一次攻撃隊収容後、第二次攻撃隊はマリアナ諸島の飛行場へ向かわせた。
日本機動部隊には米第二次攻撃隊が来襲し、迎撃戦が始まった。
烈風と米護衛戦闘機との戦いは、数に勝る烈風に軍配が上がっており、米艦爆艦攻へ烈風が襲い掛かるが、迎撃をすり抜けた機体が機動部隊を攻撃した。
離着艦能力を失った空母も防空戦闘に参加し、米艦爆艦攻の阻止を図るも、大鳳含め複数の空母が損傷してしまう。
大鳳と翔鶴は被雷してしまったが、同じく艦容の大きな瑞鶴は無傷で事なきを得た。
翔鶴は魚雷とさらなる爆撃を受けたため中破状態となっており、次の攻撃には耐えられないとみなされ退避する事となった。
日本機動部隊は第三次攻撃隊を発艦し、マリアナ諸島に向かわせていた二次攻撃隊だった部隊を出撃させ、同一の米機動部隊を目標とし攻撃を行った。
マリアナ諸島の基地航空隊も攻撃隊を再編成し、機動部隊とは別の米機動部隊を目標とし攻撃隊を出撃させた。
米機動部隊も第三次攻撃隊を編成し、日本機動部隊へ向け送り出した。
米機動部隊はさらに戦闘機の割合を増やしており、送り出した米攻撃隊もまた戦闘機の割合が多くなっていた。
日本の第三次攻撃隊は、マリアナ組と旨く連携が成功し、烈風は数に勝る迎撃戦闘機をどうにか引き付け、米機動部隊の1つを撃破し米空母を撃沈または離着艦不能にした。
マリアナ諸島の基地航空隊も、目標の米機動部隊を撃破し、米空母を撃沈または大破していた。
米機動部隊の第三次攻撃隊は、迎撃の烈風を上回る数の護衛戦闘機を随伴しており、烈風は押さえ込まれてしまい米艦爆艦攻が日本機動部隊に襲い掛かった。
被雷し速度の低下していた大鳳は、艦容の大きさもあり真っ先に標的となった。
大鳳は多数の急降下爆撃を受けたが、複数被弾するもその装甲で弾き返していた。
しかし、雷撃は被雷すれば防ぎようがなく、多数の米艦上攻撃機TBFの雷撃を受けた大鳳は、短時間に5本もの魚雷を受け、浸水が止められず徐々に沈んでいく事になった。
3代目大鳳は、2代目大鳳が雷撃により沈没していた事から、重要防御区画を重点的に防御する、沈みにくい構造となっていた。
しかしそれにも限界があり、二次攻撃時の被雷と三次攻撃の被雷で限界を超えてしまい、沈没は免れぬ状態になってしまった。
同じく艦容の大きな瑞鶴も攻撃を受けていたが、回避に成功していた。
大鳳が米艦爆艦攻の攻撃を主にに引き付けたおかげで、その他の空母の被害は軽微で済んだ。
大鳳は総員退艦となり、生存者は全て艦を降り、沈みゆく大鳳を見送った。
日本の第三次攻撃隊は、一部をマリアナ諸島へ向かわせ、主に烈風を機動部隊に帰艦させた。
日本機動部隊は第四次攻撃隊を編成。米迎撃機の数がさらに増していることから、こちらもさらに護衛機を増やす事にした。
機動部隊はマリアナ諸島の基地航空隊と合撃する事にし、同一目標へ向け攻撃隊を送り出した。
米機動部隊も、第四次攻撃隊を日本機動部隊へ向かわせた。
米機動部隊の空母は、当初の半数以下にまで減少していたが、それは日本側も同様であり、お互いに消耗し合う互角の戦いとなっていた。
日本の第四次攻撃隊とマリアナ諸島の基地航空隊の攻撃で、米機動部隊の1つを潰す事ができた。
第四次攻撃隊とマリアナ諸島の基地航空隊が合撃した事で、迎撃戦闘機を上回る護衛機を投入でき、輪形陣を崩し米空母を撃沈することに成功した。
米第四次攻撃隊は、多数の烈風の迎撃に迎えられたが、迎撃をかいくぐった艦爆艦攻は空母に攻撃を加えた。
艦容の大きな瑞鶴を中心に攻撃し、瑞鶴含め複数の空母に損害を与える事ができた。
この攻撃で瑞鶴や一部の空母は離着艦不能になり、離着艦不能ながらも対空戦闘に参加していた空母で中破した艦も出てしまった。
中破した空母は翔鶴の後を追う形で、退避していった。
日米双方の機動部隊は態勢を立て直すため後退し、戦艦部隊が前面に出てくる事になった。
戦艦の数は日本が有利であったが、新型戦艦の数は日本が3隻でアメリカが6隻だった。
アメリカは真珠湾攻撃で多数の戦艦を喪ってしまい、戦艦戦力で日本に対し劣勢になってしまう事から、アイオワ級戦艦の建造予定を早めていたのだった。
艦隊決戦は日本が有利に思われたが、アメリカは最新鋭戦艦6隻であり、日本は新型戦艦3隻と6隻の旧式戦艦で対抗するため、やや不安もあった。
金剛型戦艦は高速艦隊として、米戦艦部隊を護衛する多数の巡洋艦を始めとする水雷戦隊を相手とし、露払いを行う予定であった。
戦艦大和・武蔵・信濃はそれぞれアイオワ級戦艦1番艦から3番艦を相手とし、長門型戦艦は2隻で4番艦を狙い、伊勢型戦艦2隻は5番艦、扶桑型戦艦2隻は6番艦を攻撃する事になった。
対するアメリカ戦艦部隊は、それぞれが大和・武蔵・信濃・長門・陸奥・伊勢と単従陣の先頭から攻撃していく事になった。
艦隊決戦が始まり、金剛型戦艦率いる高速艦隊が米重巡洋艦を始めとする多数の護衛艦隊と戦闘を開始した。
砲雷撃戦が行われ、数に勝る米巡洋艦や駆逐艦との戦闘が続いていった。
戦艦同士の戦いは同航戦となり、まず射程の長い大和型戦艦3隻とアイオワ級戦艦6隻が砲撃を開始した。
距離が近付き長門型戦艦も砲撃を開始し、やがて大和型戦艦とアイオワ級戦艦は夾叉が出始め、その頃にようやく伊勢型戦艦や扶桑型戦艦が砲撃を開始した。
大和型戦艦と、相対していたアイオワ級戦艦は、双方砲弾が命中するようになるが問題なく砲撃戦を続行していた。
長門型戦艦は劣勢であった。2隻でアイオワ級戦艦4番艦を攻撃していたが未だ夾叉はでず、長門型戦艦2隻は命中弾を受け始めていた。
戦艦伊勢は砲撃を始める頃にはアイオワ級戦艦6番艦から夾叉されており、5番艦に夾叉が出る前に6番艦の砲弾が命中してしまった。
旧式戦艦ゆえに1発の命中弾でも致命的損害になるところだったが、マーシャル沖海戦で大破した事で、修理の際に重要防御区画を強化しており、数発の命中弾に耐えた。しかしそこまでであり、戦艦伊勢は脱落していった。
戦艦日向はアイオワ級戦艦5番艦へ砲撃を続け、戦艦伊勢を撃破した6番艦からの砲撃が来る頃にようやく夾叉が出た。
扶桑型戦艦はアイオワ級6番艦を砲撃し続け、戦艦伊勢が脱落する頃に夾叉が出始めた。
戦艦日向・扶桑・山城が狙うのは、やはり水中弾であった。
長門型戦艦はアイオワ級戦艦4番艦に命中弾を与えていたが、4・5番艦からの砲弾が既に多数命中しており、危うい状態だった。
戦艦日向はアイオワ級戦艦5番艦に命中弾が出始めていたが、そうそう水中弾は出なかった。逆に6番艦の砲弾が夾叉し、脱落するのも時間の問題だった。
扶桑型戦艦はその手数でアイオワ級6番艦を打ち続け、命中弾や水中弾が出始めた。
これにより戦艦日向を援護する形になっていたが、日向に命中弾が出始め、とうとう耐え切れず日向は脱落していってしまった。
アイオワ級戦艦5番艦は戦艦日向から水中弾を受けたものの、戦闘行動に支障はなく戦艦陸奥へ砲撃を続けた。
アイオワ級戦艦6番艦は、扶桑型戦艦に好きなように砲弾を打ち込まれていたが、ようやく反撃の時が来て扶桑に砲撃を開始するのだった。
大和型戦艦とアイオワ級戦艦1・2・3番艦は、ほぼ互角に打ち合い、砲弾重量と防御力で大和型戦艦がやや有利に戦っていた。
長門型戦艦は満身創痍といった体でアイオワ級戦艦4番艦を砲撃し続け、4番艦を長門型と同程度に損傷させていた。
戦艦扶桑は、アイオワ級戦艦6番艦の砲弾が命中すると1発で機能不全を起こし、2発目で沈み始めてしまった。
戦艦山城が6番艦への砲撃を続け、ついにアイオワ級戦艦6番艦は多数の水中弾の影響で沈んでいった。
戦艦山城はアイオワ級戦艦5番艦へと目標を変え、砲撃を開始した。
長門型戦艦はアイオワ級戦艦4番艦を撃破したが、同様に戦艦長門・陸奥共に大破しており脱落していった。
アイオワ級戦艦5番艦は目標を戦艦山城へ変え、お互いに打ち合う事になった。
山城が先に夾叉を得て砲撃を行ったが、数発の命中弾と水中弾が出た後、山城もまた数発の命中弾で沈んでいった。
アイオワ級戦艦5番艦が大和型戦艦信濃へ砲撃を始め、戦艦同士の砲撃戦は気が付けは日本側が劣勢になっていた。
大和型戦艦3隻とアイオワ級戦艦1・2・3番艦は酷い損害ながらも砲撃を続けており、そこへ5番艦が加わり形勢が決まりかけた。
しかしそこへ、金剛型戦艦率いる高速艦隊が米護衛艦隊を撃破し駆けつけたのだった。
金剛型戦艦率いる高速艦隊は、アイオワ級戦艦4隻を大和型戦艦3隻と挟撃する形で肉薄していき砲撃を加えた。
これが最後の一押しとなり、アイオワ級戦艦1・2・3番艦は沈没していった。
残ったアイオワ級戦艦5番艦は、日本艦隊の集中砲火を浴び敢え無く沈んでいくのだった。
艦隊決戦は日本艦隊の勝利に終わったが、辛勝であった。
戦艦部隊は満身創痍であり、当分の間は修理に費やされる事になり活動不能になった。
しかし、辛勝とはいえ勝利である。
米艦隊は戦艦部隊の敗北を受け、撤退を開始した。
空母大鳳と戦艦扶桑・山城が沈んでしまったが、戦略的に大きな勝利となった。
ソ連は追い詰められ講和交渉に応じ、米英がノルマンディーに上陸した事で日独はソ連に対し譲歩が必要になったが、戦争の終わりが見えてきたのであった。
お読みいただきありがとうございます。
評価・リアクションありがとうございます。励みになります。




