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モスクワ陥落

モスクワ陥落


マーシャル沖海戦が日本の勝利で終わり、米海軍が当面の間は攻勢に出られなくなった事から、日本は新たな作戦を行う事にした。

アフリカ沿岸やアラビア海・紅海沿岸のイギリス軍を攻撃し、ドイツアフリカ軍団のスエズ運河確保を援護するというものだった。


作戦に参加する機動部隊には、日本海軍が保有する全ての正規空母が投入される予定だった。

そのために、マーシャル沖海戦で損傷した空母の修理が急がれた。

インド洋で通商破壊を行っていた雲龍型空母3隻は、隼鷹型空母2隻と小型空母が替わりに入り、本土に一旦戻る事になった。


新たに雲龍型空母4番艦から6番艦が竣工間近であり、作戦参加空母は12隻に及んだ。

大鳳は予定通り12月の竣工となるので、今回の作戦には不参加となった。


大鳳は新装備である射出器の運用試験と、新型機の訓練を行う予定だった。

射出器はようやく米英が運用するカタパルトに近い性能の物が出来てきた。

支那事変解決後から独ソ戦が起きるまでの間、米英との関係が良好だった時期があった事で、様々な技術が導入できたおかげである。


新型機は、艦上攻撃機流星と艦上偵察機彩雲であった。

どちらも中島製誉エンジンを搭載しており、高い性能を発揮した。


しかし、艦上戦闘機は誉エンジン搭載では目標性能を発揮する事はできなかった。そこで、三菱が開発していたハ43エンジンを用いる事でようやく目標性能に達する見込みが立ったのだった。

よって、次期主力艦上戦闘機烈風は未だ開発中であった。



1942年11月、アフリカ沿岸やアラビア海・紅海沿岸のイギリス軍を攻撃する作戦が開始された。


日本機動部隊によるイギリス軍への攻撃は成功し、ドイツアフリカ軍団はスエズ運河を確保するにいたった。

ドイツとの海上交通路が繋がり、技術交換や資源の融通が可能になった。


ドイツとしては、イギリスをここまで追い詰めたのは日本海軍の功績である事から、技術提供に乗り気だった。

様々な技術交流が行われ、意外に高かった日本の電探技術や水中探信儀に驚かれながらも、ドイツ側はジェットエンジンの技術までも日本に公開した。


これら技術交流により、日本はより高性能な兵器を開発できるようになった。

また、工作機械も入手可能になったことから、生産性も上がる事になった。


作戦を終えた機動部隊は本土へ帰還し、同時にマダガスカル島から引き上げる事になった。

インド洋の通商破壊は、主にドイツとイタリアに任せる事になった。

日本はアメリカに備えつつ、ソ連に注力する事になったのだった。


日本陸軍は主にソ連と戦っているのだが、補給線をパルチザンに襲撃される事から思うように進軍できていなかった。

しかし、ソ連の兵力を引き付ける事には成功しており、ドイツのソ連侵攻の助攻にはなっていた。



1943年3月。ドイツ軍はモスクワを目指し進軍した。


6月。米英がモロッコとアルジェリアに上陸。

しかし、東部戦線のドイツ軍は止まらなかった。


8月。モスクワ陥落。

ソ連政府はウラル方面に撤退し、徹底抗戦を続けていく事になる。


モスクワを落とせばソ連は屈服し、米英と講和が出来るという目論みは外れたのであった。

ドイツはパルチザンに煩わされながらも東へと進軍し続け、補給線を延ばしていくのだった。


日本では、モスクワ陥落の報がもたらされ戦争に勝ったと浮かれていたが、ソ連が徹底抗戦を続けると伝わると、またかという空気が流れた。

支那事変でもノモンハンでも、敵はこちらの希望通りには屈服してくれないものである。

スターリンが失脚するなり暗殺されるなりしてくれればソ連も講和に応じるのかもしれないが、今のところ指導者は代わっていない様だった。


ソ連を屈服させるのはドイツ頼りであり、日本はソ連軍を引き付けつつアメリカの再来寇に備えるしかなかった。

とはいえ、兵器類は充実し最新の物へと更新されており、日本は対米戦にそれなりの自信があった。


しかし、水面下では米海軍の反撃が始まっていた。

潜水艦である。


輸送船の被害が増えていき、海軍は海上護衛総司令部を設置し対応に追われた。

水中探信儀の性能は良いはずなのだが、対潜戦闘の経験が浅く研究もされていなかったせいで輸送船の被害を止められなかった。


現状もっとも有効なのは、航空機による輸送船の護衛だった。

そこで、小型空母を護衛につける護送船団方式が採用された。



海軍は、雲龍型空母7番艦から9番艦を戦力化し、正規空母が16隻の態勢となり、搭載機も新型機に更新されていた。

艦上戦闘機烈風、艦上攻撃機流星、艦上偵察機彩雲であり、米艦隊の再来寇に備え訓練に余念がなかった。


日本の方針はソ連をドイツと挟撃し、早期にソ連を屈服させてから米英との講和を行うというものだったため、アメリカとの戦いは緒戦を除き防衛に徹していた。

それが奏功し、現在の大戦力を維持できていた。


そして、1943年12月。米機動部隊がマーシャル方面に来襲した。

お読みいただきありがとうございます。

評価・リアクション嬉しいです。ありがとうございます。

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