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マーシャル沖海戦

マーシャル沖海戦


セイロン沖海戦を行った機動部隊は本土に帰還し、入れ替わるように雲龍型空母3隻を中核とする機動部隊がマダガスカル島へ向かった。

目的はヴィシーフランスのマダガスカル島への拠点設営であり、インド洋の制海権を確固たるものにするためだった。


インド洋の制海権を押さえた事で、インドからイギリスへの輸送を阻害する事に成功した。

伊号潜水艦が通商破壊を行い、さらにマダガスカルを利用できるようになってからは、空母を中心とした小規模の機動部隊で通商破壊を行い、イギリスの輸送船等を拿捕・鹵獲していった。


イギリスの補給に影響が出たおかげもあり、ドイツはエル・アラメインの戦いを有利に進めイギリス軍に勝利した。

ドイツアフリカ軍団は、さらに東へと進軍していく事になる。



日本の通商破壊はアラビア海にも及び、ソ連への支援を妨げた。

これによって、ソ連は米英からの支援が滞るようになり、ドイツとの戦闘に影響が出るようになった。

具体的にはスターリングラードの戦いである。


ソ連は、例年より早かった冬の到来によりモスクワの防衛には成功した。

しかしスターリングラードの戦いでは、ソ連軍は持ち堪えられずドイツ軍に占領されてしまうのだった。


米英からの援助物資が潤沢にあれば結果は変わっていたかもしれないが、支援経路は阻害されており援助物資の輸送は滞っていた。

そのためスターリングラード奪還作戦の準備も不十分となり、送り込んだ兵力はドイツ軍に撃破されてしまうのだった。



その頃日本では、南方資源地帯を押さえ、インド洋・アラビア海の制海権を得た事で、後はソ連を早期に屈服させ米英と講和するばかりと考えられていた。

しかし大鳳がもたらした情報によると、1942年8月頃にソロモン諸島からアメリカの反撃が開始されるとなっており、大鳳のもたらした情報を知る海軍は迎え撃つ態勢を整えていた。


各島嶼に二式飛行艇などの長距離偵察が可能な航空機を配備し、米艦隊の動向を探らせていた。


1942年8月。ハワイ近海を偵察していたマーシャル諸島の二式飛行艇が、米艦隊の出撃を捉えたのである。

針路は南西と見られ、日本艦隊は迎え撃つべくトラック方面へ急行するのだった。


米艦隊の目標が、マーシャル方面である事が確実になってからは、海戦を有利に運ぶために日本艦隊は行動した。

機動部隊は、米艦隊に気取られぬようマーシャル近海へと向かっていった。


米機動部隊によるマーシャル諸島近海の島嶼や環礁に対する攻撃が始まり、航空戦が行われた。

電探に誘導された九九式艦上戦闘機が、有利な位置から米攻撃隊に攻撃を仕掛けるところから戦闘は始まり、数に勝る米艦上戦闘機F4Fとの格闘戦になった。

防弾以外の性能に勝る九九艦戦が奮戦するも、数の差には抗えず制空権は米軍の手に落ちたのだった。


米機動部隊の位置は、マーシャル諸島の偵察機により把握され、さらに九九式艦上偵察機によって詳細が判明した。

日本の機動部隊は攻撃隊を発艦。米機動部隊へ差し向けた。


米偵察機も日本の機動部隊を発見。攻撃隊を送り出した。

米機動部隊はマーシャル周辺を攻撃した後であるため、攻撃隊の数は劣勢であった。


米機動部隊に対し、第一次攻撃隊が攻撃を開始した。

米機動部隊の直掩機の数が多く、護衛の九九艦戦だけでは押さえ込む事ができず、攻撃機に損害が出てしまった。

しかしそれでも攻撃隊の数が多く、米空母に離着艦不能になる損害を与えた。


続く第二次攻撃隊の攻撃で、複数の空母に止めを刺す事に成功した。

これで、この海域の制空権は日本のものになった。


米攻撃隊の攻撃を受けた日本の機動部隊は、直掩機の九九艦戦で応戦するも、米護衛戦闘機F4Fの数が多く九九艦戦は押さえ込まれてしまう。

艦上戦闘機としての性能は九九艦戦が上であったが、F4Fは数で勝っており、米攻撃隊に空母を攻撃する隙を与えてしまったのである。


米機動部隊の艦載機は、日本の機動部隊よりも戦闘機の割合が多かった。

米海軍は、九九艦戦の性能がF4Fを上回ると認識してから、その対策として艦載戦闘機の割合を増やし数で対応する事にしたのだった。


直掩機の妨害を受けなかった米攻撃隊は、対空砲火を浴びながらも接近をつづけ、空母に対し攻撃を行った。

雷撃機はどうにかなったものの、空母は急降下爆撃機の攻撃を複数受けてしまう事になった。


空母赤城・加賀・翔鶴が離着艦能力を失ってしまったのである。

米攻撃隊が去った後、直掩機は残った空母で給油後トラック島に向かわせる事にし、攻撃隊の帰艦に備えた。


攻撃隊帰艦後、燃料に余裕のない機体から収容し、九九艦戦の大部分は給油後トラック島に向かわせた。

損傷が酷く再稼動に時間が掛かると判断された機体は迷わず海洋投棄された。


どうにかやりくりし、機動部隊は第三次攻撃隊を送り出した。

これにより、米機動部隊の空母を完全に仕留める事ができ、米戦艦部隊の速度を落とす事に成功したのであった。


米空母は沈み、日本の可動可能な艦載機が僅かになった事で、機動部隊同士の戦いは終わった。

しかし、まだ戦艦が残っており、日本の戦艦部隊は艦隊決戦を求めて突き進んでいた。


米艦隊はマーシャル方面の攻略を延期する事にし、撤退に移っていた。

米戦艦部隊は殿となり、日本の追撃に備えていた。


金剛型戦艦を中心とする高速艦隊が米戦艦部隊に追い付き、金剛型戦艦4隻が砲撃で牽制する中、巡洋艦・駆逐艦が雷撃を行い、米戦艦を護衛している水雷戦隊を排除していった。

魚雷の再装填が可能な艦は米戦艦に雷撃し、損傷を与える事に成功した。


米戦艦は新型戦艦が6隻おり、金剛型戦艦率いる高速艦隊では米戦艦と打ち合うには力不足だった。

よって金剛型戦艦率いる高速艦隊は、艦隊決戦を後続の戦艦部隊に任せ、自らは米機動部隊の残存艦隊追撃に移った。


日本の戦艦部隊は、大和型戦艦2隻を先頭に米戦艦部隊に向かっていた。

相手は新型戦艦が6隻もいるとはいえ、既に魚雷により損傷しており、なにより大和型戦艦に絶対の自信があった事から、勝利を確信していた。


艦隊決戦は同航戦となり、双方全力で打ち合う事になった。

大和型戦艦2隻は有利に砲戦を行えたが、長門型戦艦2隻はやや不利だった。

伊勢型戦艦と扶桑型戦艦は、2隻がかりで1隻の米戦艦の相手をしていたが、いくら手数が多くとも旧式戦艦であるため攻撃力も防御力も劣っていた。


対する米戦艦はすでに損傷しており、就役して日の浅い艦もある事から練度不足も足を引っ張っていた。

真珠湾攻撃により米海軍は戦艦不足に陥り、新造戦艦の就役を急いだがそれにも限界があり、今海戦に間に合わせるので精一杯だった。

本来ならもう少し戦力を整えたいところだったが、インド洋を日本海軍に押さえられたイギリスからの要請を断る事ができなかったのである。


大和型戦艦2隻は攻撃力も防御力も相対する米戦艦を上回っており、目標の米戦艦撃破後は長門型戦艦の加勢に加わり、これも撃破していった。

伊勢型戦艦と扶桑型戦艦は、砲撃による撃破よりも水中弾を狙い、米戦艦1隻に対し24門からなる手数で勝負した。伊勢型戦艦は大破したものの、米戦艦に水中弾は命中し多大なる損害を与えた。


日本の戦艦部隊は、相応に損害は出たものの艦隊決戦に勝利した。

マーシャル沖海戦に勝利した事で、アメリカを過小評価する空気が生まれてしまい、今海戦で得られた戦訓は軽視される事になってしまった。慢心であった。


米艦隊が壊滅した事で、当分の間は米海軍の攻勢はないと見られた。

この稼いだ時間でソ連を屈服させなければならず、そのためにもドイツとの海路での接続を目指しアラビア海への機動部隊派遣が計画されたのだった。

お読みいただきありがとうございます。

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