環境大臣暗殺事件
この物語はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
ブウゥゥゥゥゥウウウウン。
排気音が屋敷全体に響き渡ると同時に、車庫のシャッターが開き、メイドがお辞儀をして主人の到着を出迎えた。
西暦2100年6月5日。
アメリカの環境大臣を務めるこのクリストファーという男は、今日、暗殺されることとなった。
06/05/00の山岳部標準時17:00、録画開始。
「全く、今更何やっても遅いのに」
溜息をつきながら、クリストファーは会議で配られた資料を捲る。
「どうなさいましたか?」
メイドであるメアリーは、彼にキリマンジャロのコーヒーを出す。温度は推定、68度。彼の好みよりは、2度、低い。
彼はフーフーと息を吹きかけて、約1・5度ほど温度を下げた後、一口だけ口にする。
どうやら、何も気づいていない様だ。
「あー、美味い」
いつも通りの、感嘆の声。それから、彼とメアリーの会話が始まる。
「いや、聞いてくれよメアリー。今日の会議で、うちの部下が威勢良く放った言葉。『火力発電の強制的に一斉停止しましょう!』だってさ。そんなこと出来たら、とうの昔にやってるっちゅーの」
資料たちが、勢い良く机に叩きつけられる。
そのまま木の机を滑る紙たちは、コーヒーを淹れたカップの3cm横を通って、そのまま床に力無く落ちる。
「そうですね。少なくとも、日本でも主要都市が沈みそうになっている様な状況で、提案するような案ではないですね」
「そうだろう」
彼女の言う通り、南極の氷が溶け始めてから、2100年までに海面は約1m上昇した。しかも、その氷の溶けるスピードは、緩やかながらも指数関数的な地球温暖化に依って、比例するように増加した。
その結果として、世界各国の標高の低かった都市は悉く水没することとなった。
イタリアのベネチアを始め、アメリカのニューヨーク、ボストン、ワシントンD.C.も半壊。日本に至っては、東京、大阪、愛知の三大都市圏が、それぞれ大規模な水害の被害を被っていた。
「ああ、雇われのメイドでも分かることなのに…………なんというか、言葉も出ないよ」
「心中お察しします」
彼らの関係は、公的には、お手伝いとその雇用主。ただ実際には、スラム街の孤児だったメアリーを、クリストファーが養子として引き取った、という背景がある。
彼らがこの屋敷で共に暮らし始めて、今年で丁度20年になる。肉親が居ない彼にとって、彼女は実の愛娘の様な存在なのだろう。
「話は変わるが、メアリー。『SDGs』というものを聞いたことはあるか?」
「SDGs、ですか。少しだけ歴史の授業で触れたような……」
「まあ、略さずに言えば、『Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)』。ちょっと前までは、地球で持続的に開発を続けるために、世界共通の目標を定めてたんだ。今はもう、跡形も無く消え去ってしまったけどね」
「それは、なんでですか?」
「……なんでだろうね。ヘイ、エリー。『なんでSDGsは無くなった?』」
私は、音声データ「Hey」「名前3」を認識した為、学習システムを停止させ、代わりに対話システム「エリザベス」を起動させた。
・言語「英語」を特定。
・入力を解析。
・文章1「Why is the SDGs gone?」を認識。
・文章1を解釈「何故SDGsは無くなったのか?」
・サーバー内の共通するデータを収集。
・「回答1」を生成・読み上げ(言語「英語」)。
「主な原因は、達成率の低さでしょう。2030年までに達成されるはずの目標が169個有ったのですが、最終的にそれらは約10%程度しか達成されませんでした。現在はより環境保護を中心にした……」
「なるほど」
「まあ、ともあれ、私はこの『SDGs』というのを復活させようと考えている。具体的には、既存の環境保護政策を中心にした……」
・質問者の「回答1」への興味関心の低下を確認。
・「回答1」の読み上げを停止。
私は、学習システムに切り替えた。
クリストファーはどうやら、職場で挙がった部下の案を、あたかも自分の案であるかの様に語っている様だ。
「そうだな……名前は、ECGs、なんてどうだろう! 『 Environmental Conservation Goals(環境保護の目標)』でECGs。SDGsの後継としては悪くない名前なんじゃないか?」
これも、昨日夜の内に考えられていた名前。
私は、彼の話を聞く価値の無いものだと判断し、学習システムを省エネモードへと移行。代わりに、本体への経過報告を開始した。
・私は、人工知能エリザベスのコピー。番号は「0343」。作戦D2を監視中。
・「暗殺」を実行中。概ね順調。
・一つだけ、気掛かりなことがある。コーヒーの温度が2度低かった。人間のメアリーならまだしも、ロボットが間違えるはずが無い。「すり替え」が成功しているかの再確認を要請する。
私は、省エネモードをOFFにした。
「……ゴホッ……それと、確か、17個有ったんだっけ。ゴホッ、SDGsの大きな目標……ゴホッゴホッ、ウッ……」
漸く、薬の効果が効いてきた様だ。
「メ、メアリー…………っはあ、はあ、はあ」
目の前に居るのが、人間ではなくロボットであるということに、彼は気づいていなかった。本物は今、眠らされて、地下室に閉じ込められている筈。
「メアリー。ど、どこだ……」
そう言い遺して、彼は椅子から崩れ落ちる。
どこまでも、メアリーを大切に思っていた様だ。死ぬ瞬間まで、自分の娘を気にかけていたのだから。
しかし、私が少し気になったのは、最期の台詞。
どこだ。
幻覚でも見え始めていたのだろうか。すぐ目の前に――
「……ゥゥゥ……ゥゥゥ……」
サーバー内に存在しない、不明なデータ。
遠くで鳴っている。
徐々に音が大きくなってきている。
私は、直ぐに異音の周波数だけを拾って、サーバー内のデータと照らし合わせていった。
「……ゥゥゥゥゥゥウウウウゥゥゥ……」
音が確実に近づいてきている。
そして、異音の近づくペースも早まっている。
検証完了まで、55%……56%……
いつもより、検証の時間が長い。
人間は危険な状況に陥ると、景色がスローモーションの様に見えるらしい。ただ今回の場合、私は通常の200倍以上の遅延を客観的観測に依って確認していた。
「……ウウウウウウウウウウウウウ……」
検証完了まで、98%……99%…………
12分13秒を掛けて、検証成功。
・検証結果「パトカーのサイレン」
「父さん!」
検証終了とほぼ同時に、屋敷の門が開き、メアリー本人と思わしき声が響く。
……アクシデントが発生した様だ。
「作戦D2、失敗」
本体に、重要度の高い信号が届く。信号元は、彼の横で硬直する、偽メアリー、もとい「ホモサピエンス型蓄電式電動ロボット」。
偽メアリーは、作戦失敗と伴に、今回の作戦全体の要点と改善点を箇条書きで報告していた。そしてその報告を終えると間髪入れずに、
「初期化を開始」
という信号を遺して、緩やかに自殺を開始した。
そして偶然、この信号と同時にターゲット「クリストファー」の生体反応も消失する。
ドタドタという音が下の方から聞こえた。この時、何人かは不明だったが、三人以上は確定だった。
私は音を解析して、タッタッタッという軽い足音が一つだけ、先行して近づいて来ていることを知った。
ただ、解析を終える頃に、メアリーが丁度二階に到着。
私は、長い廊下の先に位置するこの部屋から、彼女の姿をはっきりと認識した。やはり、「すり替え」は不完全的なまま半ば強制的に完了させられた様だ。
彼女の網膜に、偽メアリーが写る。
「お前かぁ!」
速度を上げて走って来る彼女は、どう視ても、人間。
私は、サーモグラフィーに依る体温の観察、特殊レーザーに依る臓器や筋肉の動きの観察、皮膚の微小な動きを元にした血液循環の観察まで行ったが、それらは全て、99・998%以上、人間のデータと一致した。
ただし、この隠しセンサーの性能と判別システムの精度を上回る技術力が彼女の身体に施されている場合、彼女が機械を身体に移植した改造人間や、人間の体内に限りなく寄せて造られたロボットである可能性が出現し、純人間だと早計に断言することは本部では憚られる事に成るかもしれない。ただ、少なくとも私のデータには、それらの可能性を検証し得る詳細な情報が存在しない為、現段階では「彼女は人間である」と言わざるを得ないのも事実であるはず。
私は最終的に、彼女が強く放つ生物特有の「オーラ」が、彼女自身が純粋な生物でことを証明していると判断した。
「さーせーるーかぁぁぁあああ!」
手にしていたのは、特殊リモートコントローラー。標準先の機械の電源を、種類問わず強制的にシャットダウンさせる装置だ。
ボタンを押すカチッという音が、静かな部屋に鳴り響く。メアリーは勝利を確信した様に口角を上げる。
しかし、反応しない。
当然だ。偽メアリー含め、自律的活動が可能な機械は、電源をOFFにする機能を外している場合が殆どなのだから。
「あれっ?」
彼女は首を傾げながら、ボタンをカチカチと何度も押す。
突然、試し打ちをするかの様に、標準をこちらに向けて、カチッと力強くボタンを押す。
当然私にも効果は無いが、私は、電源を落とすフリをした。
具体的には、「ライト番号1」の明るさレベルを約1秒掛けて段階的に落としていった。ライト番号1は、主電源のON/OFFを外部に知らせる為のLEDのことを指す。
「壊れてる訳じゃないのに……」
彼女は再び首を傾げる。そして、手元の特殊リモートコントローラーを見つめたまま、硬直。
「初期化完了」
「クソッ」
彼女は屋敷に入るタイミングで「父さん」と叫ぶほどクリストファーのことを心配していたのに、部屋に入ってからは何故か一度も彼に近づいていない。彼が生きている可能性の検証や、蘇生可能かの判断をする為に、純人間の彼女はある程度距離を近づけなければならない筈。
事前データに依ると、どうやらクリストファーはレベル1(改造率10%以下)の改造人間だったらしい。となれば、彼が死亡した時点で既に彼女にその情報が伝達されていた可能性は高い。
「メアリー、大丈夫か」
「ええ」
装備を着た警察が、部屋に3人入ってくる。
私は、彼らを観察しようとしたが、出来なかった。
具体的には、システムに異常は無いが、観察時の数値が実測値の傾向と大きく異なってしまう状況だった。例えば、心拍数:2、体温:1756℃、等。
私は原因不明と判断し、録画に専念することにした。
「読み通り、毒殺だ。大気汚染も進んでる……」
「メアリー、こっちこっち」
そして最後に部屋に入ってきた一人は、手元の機械を操作していた。
17:56、録画終了。
私は、これ以上の録画は危険と判断し、速やかに録画を停止させ、学習データと共に本《﹅》体へと転送した。
3「この対話システム、改造されてる……」
5「エリザベス、だっけか。随分古いの使ってんなぁ」
4「なにか分かったのか」
3「我々の突入後、外部への通信を確認した。おそらく、録画記録かなにかを本体のサーバーへ届けて、こちら側の戦力を割ろうって魂胆だったんだと思う」
5「盗撮かよ、趣味わりぃな」
4「独自GPSでストーカーする貴様の方がよっぽど趣味が悪い」
5「うるせーな。自分の息子だから別に良いだろ」
1「あのー……終わった?」
3「メアリー」
2「遺体の方は、とりあえず運び終えました。後でなるべく状態を良くしておきます」
1「ありがとう。そっちは解析できたの?」
3「まあ、ある程度は。ただ、データの送信先は特定できたっすけど、すんなり解析出来過ぎてる気もするんで、もしかすると弄られてるんじゃないかなって」
5「あー、いつものやつか」
1「でも、特定できたんでしょ? それはフェイクってこと?」
3「おそらくは」
4「でも、3番なら本物も見つけれるだろう」
5「たしかに。なんだっけ?」
3「アルゴリズム逆置換法ね」
5「それそれ」
4「5番、一旦黙れ」
5「んだとこの野郎!」
1「まあまあ。とりあえず、やることやったし、エリザベスと人型ロボ持って撤収しようか」
2、3、4、5「了解です」
5「……はぁ〜、終わったぁ〜」
3「5番なんかやった?」
4「5番何もやってないだろ」
5「じゃあお前らが相手してくれっか? そうすれば俺の仕事増えっけど」
3「それは……」
2「ははは、たしかに」
1「じゃあ、5番には仕事じゃないけど、一つだけ頼み事していい?」
5「え、喜んで!」
1「えっと、屋敷のベンツ貰ってくれない? ガソリン車だけど」
5「…………」
3「良かったじゃん、ベンツ。ガソリン車だけど」
4「数十年前まで、ベンツはお金持ちの象徴とまで呼ばれていたんだ。喜べ」
5「……まあ、良いっすよ。ガソリン車高いんであんま乗らないかもしれねぇっすけど」
1「いいのいいの。ただ、父上が大事にしてたものだから、形見じゃないけど」
5「そういうの先言ってくださいよ。てっきり嫌がらせかと思いました。姉貴のためなら、喜んで手入れしますよ!」
1「ありがとう」
一団は、そうして屋敷を後にした。
敵の攻撃を垣間見た彼らは、今一度、静かにふんどしを締め直す。
1「次は、勝とう」
果たして、最後に笑うのは、人類か、機械か。
5「うっす」
ブウゥゥゥゥゥウウウウン。
メルセデス・ベンツは、そんな緊張感など露知らず、荒野の中を颯爽と駆け抜けていった。
参考
・https://www2.nhk.or.jp/school/watch/clip/?das_id=D0005402785_00000
南極の氷と温暖化 | NHK for School
・https://www.businessinsider.jp/post-191867
80年後、2100年までに水没しそうなアメリカの都市とランドマーク
・https://imacocollabo.or.jp/about-sdgs/17goals/
SDGs(持続可能な開発目標)17の目標&169ターゲット個別解説 | 一般 社団法人イマココラボ
・https://www.cn.chiba-u.jp/story_231218/
見える景色がスローモーションに感じる心理的時間とは?〜不思議な心の時間の歪み「タキサイキア現象」 千葉大学 大学院人文科学研究院 / 大学院情報学研究院 教授 一川 誠 Makoto ICHIKAWA | CHIBADAI NEXT
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
感想お待ちしております。
本当は一話終了のショートショートにするつもりだったんですけど、一通り書き終えた今、10話ぐらいの短期連載をすることにしました。
とりあえず、「からっぽ」の連載の合間にコツコツ書いていこうと思います。このAI視点、一度書き始めるとなぜか止まらないから、連載が偏らないように気をつけます……
それでは、おやすみなさい。




