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私が右を向くと、先輩も右を向く

作者: カスガイ

 夏祭り翌日の学校は酷く憂鬱だ。

 

 高校生にもなれば色恋沙汰の話が飛び交うのは当然のことで、ほんの数年前まで性別の壁に関係なく遊べていたことが不思議でしかない。


 もちろん私だって好きな人はいる。


 それでもヤったとかまだヤってないとか、そんなアバンギャルドな恋愛には到底ついていけなかった。


 放課後の教室に飛び交うクラスメイトのつまらない恋バナに飽き飽きして、窓の外を眺めているのも至極当然のことだった。


愛生(あき)はどうなの? 愛しの先輩と少しは距離が縮まったりした?」


 名前を呼ばれて現実に引き戻される。


 私の名前を呼んだのはクラスメイトの眞弓(まゆみ)だ。大学生の彼氏とすでにセックスを済ませたらしく、先輩風を吹かせて恋愛のイロハを親切に教えてくれていた。


 昨日は派手なピアスで飾られていたであろう穴に透明なシークレットピアスが装着されている。少し赤らんで膿んでいるようにみえるが、それを髪で隠そうともせず、他人の机に当然のように座っている彼女を少し尊敬するし、軽蔑もする。


「いやー、向こうは単なる幼馴染としか思ってないんじゃないかなぁ。それにほら、あっちはこれから本格的な受験生になるわけだし」


「そんなこと言って誤魔化さないでよ。長い付き合いなんでしょ? さすがにキスくらいは済ませたんだよね」


 キス。口付け。接吻。


 眞弓が簡単に言い放った言葉の意味を頭の中で反復する。その行為自体は知っているし、飼い犬のハッサクにも毎日のようにしている。

 けれど、犬とはその先がないのだから、彼女が言っているキスとはきっと意味合いが違うのだろう。


 私が黙り込んだのをみて、眞弓がニヤニヤと下卑た笑みを浮かべている。こうなることがあらかじめわかっていたようだ。こちらの様子をしっかりとうかがってから、まくし立てるように続ける。


「だからさ、その様子じゃ進展なんてないんでしょ? いくら髪型を変えて色気付いたって、見てもらう人がいなければ意味なくない? あ、そっか。フラれたからイメチェン的なやつ? どおりで昨日見かけなかったわけだ」


 取り巻きも含めて笑い声があがり、私は愛想笑いをすることしかできない。ここで反論でもして眞弓の機嫌を損ねでもしたら、明日からこの教室に私の居場所はなくなる。眞弓もそれがわかっている。


 口では愛生のため、なんて言うけれど、実のところは自分が雌としていかに優れているかを取り巻きに見せつけたいだけだ。その比較対象として私が選ばれただけで、実のところは取り巻きたちも私と同レベルでしかない。私は真弓にとって代えがきく存在なのだろう。


 反論がないことをいいことに、取り巻きも増長して過激さは増していく。放課後の教室で遠慮なく発散される真夏の熱は、いくら恋愛朴念仁の私でも赤面するには十分すぎた。


 すっかりあてられた私は、用事があるから、なんて嘘をついて、その場から逃げるように立ち去るしかなかった。

 背後から「手をつないだことなかったりして」という真弓の声と取り巻きの笑い声が聞こえた。それは遠い昔に済ませていたけれど、反論したところでその経験は私を助けてはくれないだろう。


 学校を飛び出した私は通学用のバッグを抱きかかえ、肺の中の息が空になるまで走り続けた。

 正門を飛び出した勢いのまま商店街も駆け抜ける。涙は流れていなかった……と思う。誰も声をかけてくれなかったから、たぶん大丈夫だ。


 通学のために利用しているローカル線の駅が見えたところで、電柱に体を預けて呼吸を整える。

 吸っても吸っても肺が酸素を求める。工事現場に向かう大型トラックが吐き出す排気ガスさえも肺が貪欲に求めた結果、激しく咳き込み涙がにじんだ。


 気持ちが悪い。眞弓もクラスメイトもあの空気も。


 汗をシャワーで洗い流したい。そう考えられるくらい落ち着いついても、ひっそり灯った胸の奥の小さな火照りが冷めることはなかった。



 無人駅がこんなにもありがたいことはない。駅員もいなければ、電車を待つ人もいない。


 廃線間近と言われ続け、ギリギリで踏ん張るローカル線だけれど、私にとっては代えがきかない通学の足だ。元は炭鉱のために整備されたものだったらしいが、廃坑になってからは人口とともに利用者が激減した。


 単線ゆえにプラットホームはひとつしかない。細いプラットホームに置かれた色褪せたベンチに座る。テント幕の屋根の影に入るだけで、今の今まで猛威を振るっていた熱射がどこかに消えてしまった。ところどころ穴が空いていても、しっかりその役目を果たしている。


 目の前には水田が広がり、遠くでトンビが鳴いている。落ちかけ始めた夏の日差しが水面で反射し、キラキラと揺らめく。見慣れた田舎の風景だけれど、私はその素朴さが好きだった。


 慣れない運動をした後のぼーっとした頭で、万華鏡みたいだな、と考えてセンチな気分になるものの自分らしくないと自嘲気味に笑ってしまう。


 次の電車まで1時間。帰るタイミングが狂ったせいで時間を持て余してしまった。読みかけの小説や宿題はバッグの中に入っている。でも、お腹の奥がずんと重い。

 当然、こんな気分ではやる気なんて起こるはずもない。足を投げ出して時間が過ぎるを待つ。


 汗、乾くかな。


 未だほかの乗客は現れない。限界集落に向かうローカル線だけあって、利用者の多くは車の運転ができない高齢者と学生だ。そのなかには私のことを一方的に知っている世話焼きおばさんが含まれることもある。

 地域の結びつきが強いことがプラスに働くこともあるのだろうが、今は汗臭い私を放っておいてほしい。

 

「お、いたいた」


 不意に聞き覚えがある声がして、出どころを探して右を向く。


 一輝(いつき)先輩だ。


 夏の大会まで白球を追いかけていた肌は黒く、坊主を脱しようとしている髪型は不自然に膨らんでいる。部活を引退してからはコンタクトレンズからメガネに替わっていた。


「お久しぶりです」


 頭の中で繰り返される眞弓の言葉を振り払って、逃れるように出た言葉がそれだった。冷たい物言いになってしまったが、汗が臭っていないか心配で、それどころではない。


 一輝先輩と最後に会ったのは、地区大会の準々決勝の前夜だった。凝りすぎて完成が遅れた手作りのお守りを渡しに自宅に押しかけたのが最後で、そこだけ切り取れば可愛らしい後輩なのだが、その翌日に先輩が率いるチームは負けた。

 それ以来、一輝先輩に合わせる顔がなくて、帰りの電車が一緒にならないように避けていた。夏休みを挟んで1ヶ月以上になる。


 救いとすれば、先輩もまた右を向き、慣れ親しんだ田園風景を眺めていることか。もしかすると、私の顔を見たくないだけかもしれない。それはそれで避けていた自分が悪いのだけれど。


 次の言葉が見つからずにうつむいていると、右隣に先輩が座った。こうして顔を合わせてしまった以上、どこかに行くことなんてできない。次の電車を逃すわけにもいかず、ぎゅっとバッグを抱きしめた。


「……部活は忙しいのか? 最近、遅いみたいだけど」


 父親みたいな質問が飛んできた。なんちゃって英語部の私に忙しい時期なんてない。ほとんど幽霊部員みたいなもので部員の数すらあやふやだ。


「忙しいですよ。ほら、学祭も近くなってきてますし」


 塗装が禿げかけたバッグのファスナーを見つめながら私はそう言った。


「そうか。今年も英語の劇やるらしいな。和也のやつ張り切ってたぞ。集まりが悪くて苦労してるらしいが」


 和也先輩は、一輝先輩のクラスメイトで英語部の部長だ。開催まで1ヶ月を切った学祭に向けた準備を受験勉強そっちのけでやっているらしい。

 ちなみに今年の出し物が劇だということは初めて知ったし、先輩の口振りには「お見通しだぞ」というニュアンスが含まれていた。


「先輩は順調なんですよね。模試の結果がよかったって聞きましたよ」

「どうせ母さん経由だろ。合格するって決まったわけじゃないのに騒ぎすぎなんだよなぁ」


 ボロが出ないように慌てて話題を変えると、一輝先輩はため息混じりに応えてくれた。


 一輝先輩が目指している大学は、田舎でも知らない人はいない都会の有名大学だ。昔から要領がいいおかげか、人知れず努力を重ねてきた成果か、このままいけば合格は間違いないらしい。

 私の貧弱な頭では、逆立ちしても入ることは叶わない。そんな大学に一輝先輩は行ってしまう。


「電車の時間まで勉強していてくださいよ。あと1時間くらいありますけど」


 口を尖らせて言ってみるのは先輩に甘えている証拠だ。ここにいて欲しいけど、かまってほしくない。共有する時間が長くなりすぎると後が辛くなる。


「学校で少しやってきた。残りは夕飯食べた後にやれば問題ないし。それにさ」

「それに?」

「全力ダッシュのかわいい後輩が見えたら気になるじゃん」

「どこから見てたんですか!?」


 右を向いて一輝先輩の表情を確認しようとした。悪い笑みを浮かべていたら、とっちめてやろうと思った。しかし、一輝先輩もまた右を向いて、うかがうことができない。近くの自動販売機を見ているようだ。この暑さだ。喉が渇いても不思議じゃない。


「愛生は行ったこともないだろうけど、図書館の隣の学習室から正門が見えるんだよ」


 不覚。そんなところから覗かれるなんて想定外だ。あんな姿、一輝先輩にだけは見られたくなかったのに。


 気持ちの落ち込みに比例して再び視線が下がっていく。


「……そんなに目立ってました?」

「目立ってた。なにかから逃げてるみたいだった」


 ズカンと頭を叩かれたように目がチカチカしてきた。顔に熱が集まるのがわかる。


 どうしよう。どうしよう。なんて言い訳をしよう。クライメイトに一輝先輩への気持ちを茶化されたなんて絶対に言えない。


 思考を巡らせるほど頭の痛みは増していく。


「嫌なことでもあったんだろ。昔から愛生の全力ダッシュは見てきたからわかるよ」

「テキトーなこと言わないでください。なんですか、わかるって」

「俺にはわかるんだよ」


 私の髪型が変わったことも、私の気持ちも知らないくせに。その自信がどこからやってくるのか理解できない。


「私の何がわかるって言うんですか。そんなに言うなら当ててみてくださいよ」


 右隣に座る一輝先輩に向かって言葉をぶつける。


 これは私の悪癖だ。優しさに甘えた八つ当たりでしかない。

 自分から一輝先輩を避けておいて、視線が交わらないことに不安を覚えていらだっている。子どもっぽい言動だという自覚はある。それでも、そのことが私たちの関係性を表しているようで、どうにも我慢ができなかった。


 一輝先輩は私の心内を知ってか知らずか、わざとらしく悩んでいる。その横顔をじっと眺めて、自分の気持ちを確かめた。


 私はこんなにも真剣なのに、この問いかけも一輝先輩にとっては、遊びの延長なのだろう。それはそれで安心するのだけれど。


 しばし待って、ようやく一輝先輩の口が開いた。


「好きな男でもできたんだろ? 最近、俺と帰るのを避けているのもズバリ勘違いされたくないから。友達にそのことをイジられたか、誤解されたってところだろ。どうだ?」


 ふつふつと怒りが湧いてくる。半分は合っているのに、どうして残りの半分を当てられないのか。勘が鋭いのに核心に触れられない。最後の打席もそうだっではないか。


 私が黙ったことを肯定と捉えたらしく、一輝先輩は1人で色めき立つ。


「うっそ!? まじかよ。あの小さかった愛生がなぁ。そうかそうか。……で、相手はどこの誰なんだ?」


 最後の問いかけは弱々しく尻すぼみに消えていった。そんなに興味がないなら訊かなくてもいいのに。

 視線を向けられていることは感じるけれど、それに応える気はさらさらなかった。


 そんな私の様子がわからないようで、一輝先輩は遠回しな質問を繰り返す。


 人の気持ちも知らないで。


 じっと座っていられないほどのエネルギーが生み出され、それを推進力に勢いよく立ち上がり叫んだ。


「またそうやってーー」


 その瞬間、足元が崩れた。後に錯覚だったことがわかるのだけれど、この時は本気でそう思った。


 世界から引きずり落とされるように、深く深く落ちていく。行き先はわからず私の意識はここではない、一輝先輩のいない世界へ誘われる。それだけがはっきりしていた。



 額に冷たいものがあたっている。ゆっくり眼をあけるとオレンジ色の空の端にペットボトルが見えた。一輝先輩がいつも飲んでいたスポーツドリンクだった。


 頭がぼんやりしている。何が起こったのか記憶が曖昧だ。……ああ、そうか。怒りにまかせて立ち上がったんだ。


 放課後とはいえ、昼間に熱せられたアスファルトの上を全力で駆け抜けたのだ。日頃の運動不足がたたって、体が熱の発散方法を忘れてしまったのかもしれない。


 状況が整理できると冷静になってくる。そこではじめて、自分の頭が何か硬いものの上に乗せられていることに気がついた。


「わぁ!」


 声をひっくり返しながら飛び上がる。どうしてどうして。どうして一輝先輩が私に膝枕をしているの!?


「具合はどう?」

 

 一輝先輩は優しくそう言って立ち上がると、落ちたペットボトルを拾った。表面に浮いた水滴についた砂を落として、私に差し出す。飲め、ということらしい。ぺこりと頭を下げて一口含むと水分が体に染み渡っていく。


「すみません。迷惑でしたね」


 そう口にしてから、先にお礼を言わなかったことに自己嫌悪する。優しくされても素直になれない。自分でも可愛げのない後輩だと思う。


 今すぐ消え去りたい。そんな気持ちに頭の中が支配されていく。


「心配だから送っていくよ」

「いえ、大丈夫です。ご心配なく」

「いいって。どうせ帰り道なんだし」

「本当に大丈夫なんで! 私、1人で帰れますから!」


 私はそう言って、歩き出した。そして、再び訪れる浮遊感。立ち去りたい一心で、自分がどこにいたのかすら忘れていた。


 胃が浮くような感覚に襲われたのはほんの一瞬。すぐに痛みを覚えるくらいの強い力で引っ張られ、プラットホームに倒れ込んだ。古くささくれ立ったアスファルトで膝を擦り血がにじむ。


「何考えてんだよ! 電車が来てたらどうする気だったんだ!」


 一輝先輩がタコの多い手で私の両肩を揺さぶる。その勢いで私の視界が上下に揺れる。それが止んだのは、一輝先輩が自分が原因で私が応えられないことに気がついたからだった。


 一輝先輩の腕の長さの分だけ、私たちの間に距離が開く。


 ようやく交わる視線。一輝先輩が私の言葉を待って、眉を下げた眼でじっと見つめている。

 奥二重で真っ黒な瞳。そうだ。この人はこんな眼をしていた。


「……一輝先輩の顔、久しぶりにちゃんと見た気がする」


 口から発せられたのは、またしても謝罪の言葉ではなく、心の奥から沁み出した言葉だった。


「なにバカなこと言ってんだよ。まぁ、その分なら大丈夫ーー」

「好きです」


 無意識だった。夏の暑さにほだされて心の奥にしまっていた感情が白日の下に晒されてしまった。


 ヒグラシが鳴いている。見つめ合ったまま動けないでいる私たちに遠慮することなく鳴いている。そのまま心臓の音をかき消してほしいと思った。


 一輝先輩は何も言わずに立ち上がり、そのまま右を向くと、私のそばを通ってベンチへ向かおうとしていた。


 行かないでほしい。気がついた時には一輝先輩の指をつかんでいた。

 沈黙は続く。私も立ち上がる。一輝先輩はベンチの方を向いたままだ。


「……聞こえてましたか?」


 消え去りそうなか細い声しか出せない。答えは怖いけど訊かずにはいられない。


 これまで会うのを避けていたのに髪型を変えたりしていたのは、偶然でもいいから会えることを期待していたからだ。そんなところが真弓に快く思われない原因なのはわかっている。

 自分から歩み寄ることはしないで、時の運に任せようとするところも可愛げがない。自分でもちょっとずるいとさえ思う。だけど、そうすることしかできなかった。


 変わりたければ1歩踏み出さなくてはならない。


 眞弓に好かれるためではなく、自分のために。


「こっち。私を見てください」


 両手で一輝先輩の顔を挟み込む。日焼けで小麦色になった肌が赤らんだ気がした。


 先輩の目が大きく見開かれ、その双眸が私を捉える。瞳が揺れ、視線は右へ流れていく。それでも遠慮はしない。いまそう決めた。


 手には汗がにじみ、足が震える。でも、ここでやめたらきっと同じことの繰り返しだ。


 普段の私なら、こんなことは絶対にしない。頭がぼんやりして夢と現実の狭間にいるような感覚になっているのは、きっと熱中症のせいだ。

 

 でも、こんな熱なら悪くない。


 全てを夏のせいにして、私は精一杯背を伸ばした。

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