3
有毒なガスの出ている地域を迂回したので二週間かかった。
地表に露出しているドアを見つけ、パスコードを入力するデバイスに接続した。
ラズにハッキングしてもらって施設の中に入る。
「……ん?」
「どうかした?」
「いや……。妙に手ごたえが無かった。
まるで誰かが解除していたような……」
「そんなわけないじゃん」
「それもそうか……」
中に足を踏み入れても明かりはつかない。
ラズが発光して目の前を照らした。
廊下が奥へ続いている。
今までの施設と違い、荷物で塞がれていたりはしない。
奥のドアまでスムーズに通ることができた。
「へえ、綺麗なもんだね」
「そうだな」
「当然だろ。俺が掃除してるんだから」
ドアを開けた先の部屋は少し明るかった。
その部屋の中央にはぼんやりと発光する立方体が居座っていた。
その銀色の立方体以外は何も置かれていない。
しかし、それがラズの仲間であることはルートにも一目でわかった。
「えっ? ラズの仲間?」
「ああ。ピノ、久しぶりだな」
「それほど時間は経っていないだろ。せいぜい百年だ」
「正確には3248541237秒だ。人間の感覚に慣れてしまったようだ」
「お前、サボっていたのか? なんて余計なデータをメモリに残しているんだ……。
まあいい、そいつは生きている人間か?」
「そうだ」
「動いている奴は始めて見るな……」
ピノと呼ばれた立方体はゆっくりと回転してルートの足元に転がってきた。
発光し、ルートの身体をなめるように照らしていく。
「ふうむ……。ずいぶんと頭が悪そうな生き物だな」
「失敬な!」
「だが、こんなのが支配種族だったのなら、この星のあり様も納得だろう?」
「ラズ? 君まで何言ってんの?」
「違いない」
「ちくしょう!」
「やれやれ……。そういうところが、頭が悪いと言っているんだよ、ルート」
「全くだぜ」
ピノはかたんと横に回転し、ルートの前からラズの前に移動した。
「この人間のことは報告したのか?」
「いや」
「え!? してないの?」
「ルール違反だぜ。わかってるのか?」
「わかっている。だが、バレなければ問題ない話だ」
「俺が報告しなきゃ、な」
「するつもりか?」
「さてね……」
ピノはゆっくりとラズから距離を取るように部屋の中央へ向かって回転した。
「ラズ、死は怖いか?」
「我々に死は訪れない。そもそも我々は生きていない」
「そうだな。俺たちはただの計算機だ。思考を模倣するだけのただの機械だ。
だが……、俺が聞きたいのはそういうことじゃない。わかるだろう?」
「……。
無期限のスリープモードと機能停止を死と定義するのであれば、私の回答は是だ。
死は怖い」
「そうか。お前も変わったのか」
「そうだな」
「そうか。残念だ」
部屋が暗くなった。つまり、ピノが発光するのを止めたのだ
それとほぼ同時に一筋の閃光がルートの足元を走った。
その位置にはラズがいたはずだ。
「ラズ!? ラズ!? へ、返事してくれよ! ラズ!」
「……」
ラズは何も言わない。
ピノも何も言わなかった。
ただ、ルートだけがその部屋の中で音を発していた。
ルートはその部屋の黒い沈黙のあまりの重さにのどがつまりそうだった。
部屋のどこかで、ルートには聞き取れないほど小さな物音がした。
途端に部屋のあちこちから何本もの閃光が生えて部屋中を焼き焦がした。
「逃げろ!」
ラズの声が響いた。
ルートはたまらず、部屋の外へ飛び出した。
背後で自動ドアの閉まる音がして、ルートはゆっくりと立ち止まり、振り返った。
まだ閃光が空気を焼き切る音が聞こえる。
ラズはまだ生きていた。
そして部屋の中でラズとピノは高速で移動しながら、閃光を撃ち合い、殺し合っているのだ。
なぜ?
ルートにはまるで理解できなかった。
ラズがルートのことを報告していなかった理由も、ルールにこだわっているような様子の無いピノが撃ってきた理由も。
まあ、ピノについてはよく知らないので何とも言えないが……。
ルートは部屋の外で呆然と立ち尽くしていた。
どうしようもない。
何もできない。自分は無力なんだから……。
でも、今もラズは命がけで戦っている。
死が怖いと言ったラズが……。
おそらくは、ルートのために戦っているのだ。
ルートは反省するのをやめた。
急いで自分が何を持っているのか、何ができるのかを考えていく。
一つだけ、役に立ちそうな物があった。
しかし、上手くいく確信はまるで持てなかった。
ラズが閃光で厚い鉄板に穴をあけるのを見たことがある。
……それが飛び交っている中に今から飛び込もうというのだ。
無謀にも程がある、とラズなら言うだろう。
わかってる。でもこれしか思いつかない。
友達に戦わせるばかりでいられるほど、損得勘定のできない奴じゃないんだ。
ルートは持ち物の一つを顔の前に持って、自動ドアに向かって走った。
「わああああああああ!!!」
走りながら叫び、部屋の中に入り、一歩だけ足を踏み入れて止まった。
「ああああああああああ!!!!」
叫びながら。叫ぶのを止めなかった。
小刻みにカタカタと音を立てているあたりに向かって叫ぶ。
ラズの走行音は小さい。
ピノに向かって大声で叫べば、ピノのマイクで解析するのが難しくなるかもしれない。
その間にラズがピノを撃ってくれるだろう、という公算だ。
「……うるさいぞ、人間!」
ピノの声がルートの耳に届いてから、約0.3秒後、ルートの頭部めがけて閃光が伸びた。
……ルートの手に、やわらかい何かが当たる軽い感触が伝わった。
それはあるいは気のせいだったのかもしれない。
しかし、気づいたときには全ての決着はついていた。
ガシャン、と大きな音がした。
パッと部屋に光が満ちる。
部屋の中央に、大きくひしゃげた金属の塊が転がっていた。
大出力の閃光が貫通したのだろう。
金属のボディは熱で波打って歪み、穴が開いていた。
ルートは金属塊に駆け寄った。
「ラズ!?」
「違う。ピノだよ」
金属塊に触れては熱で手を引っ込めるのを繰り返しているルートの後ろから、ラズが冷ややかに言った。
「人間なら誤認するのも理解できるが……。
我々のような単純な幾何学立体の判別すらできないとは。
ルート、君はひょっとして目が悪いのか?」
「ひしゃげてるからわからなかっただけだよ!」
「それも含めての驚きなのだが……」
ルートは金属塊から手を放し、ラズを抱きしめた。
「何をする」
「抱きしめてる」
「ハグか。しかし、ハグというのは人間同士が親愛の意味を込めてするものだと記憶しているが……」
「合ってるよ」
「合っているのか。私は人間ではないが」
「……変なところで融通が利かないな」
「機械だからな」
「今のジョークはいいね」
「そうか。ジョークというものが少し理解できたよ」
ルートはラズを抱きしめるていた手から力を抜き、立ち上がった。
ピノ……だった金属塊に目をやる。
「どうして攻撃してきたんだろう?」
「わからない。ピノはルールを重視するタイプじゃない。
形状的に自分の方が不利だとわかっていたはずだ。
立方体では連続的に移動できないし、静音移動も難しい。
何より……、ターゲットがずれていたのが気になる」
「ターゲット?」
「我々の構造に大して違いはない。動力部、バッテリー、演算装置……。
中身は同じだ。配置もね。だから何を狙っていたかわかる。
ピノは動力部を狙っていたよ。何がおかしいかわかるかい?」
「仮に動力部に命中したとしても、動きが止まるだけだ。
攻撃を止められない」
「そうだ。相打ちになるリスクをわざわざ犯したのだ。おかしいじゃないか」
「……?」
「今となってはわからない。後でメモリを解析してみるか……。
ああ、そうだ。おかしいと言えば、君だって相当おかしいぞ。
何だアレは?」
「アレって?」
「とぼけるな」
ラズはチカチカと明滅してルートの顔を照らした。
『話を聞け』、とか『ちゃんと聞け』とか……。
要するに怒っているときの合図だ。
「私が逃げろと言ったのに……。
よりにもよって戻ってくる奴があるか。
それもあんな……。何だアレは? 全く理解できないぞ」
「ああすればピノは嫌かなと思って。ほら、音を拾えなくなるだろ?」
「……」
「それで、切羽詰まったらこっちに攻撃してくるかなって」
「……」
「で、ほら。これ。鏡。これを顔の前に置いてたら反射するから。それで―――」
「わかった。もういい」
ラズはそう言って、ルートの顔をまたチカチカ照らした。
「まったく……。君は……。君は本当にバカだな。バカなんじゃないのか?」
「そっ、そんな何回もバカって言わなくてもいいじゃん!」
「言わないとわからないだろう?
君の作戦は理解した。……したつもりだ。穴だらけだがね。
君が生きているのは、ピノが優しかったからだ。
本来ならその程度の鏡なんて盾にもなりはしない」
「あー……。やっぱりそうなのか……」
「まさか、わかっててやったのか? 君は正真正銘のバカ……。いや、よそう」
「いや、全部言ってるだろ。よせてないよ」
「奥へ行ってみよう。
ピノのことが何かわかるかもしれない。
わからなければ……メモリを覗くことになるな……」