第二章. 2人の護り手
後書きに挿絵を追加しました
2022/12/11
2008/04/03 13:45 桜花ホテル 桜の樹「桜花」前のロータリー
「…ちゃんと時間通りに来るんでしょうね?」
「まぁまぁ、ひいちゃんの気持ちもわかるけど、依頼者さんには優しくね?」
桜花ホテルのシンボルとなる樹齢100年超の桜の樹「桜花」。その前で2人の人物が話しながら待ち合わせ時間である14:00を待っていた。
「…別に、真綿で包むようにはしないだけで、外面はよくするわよ。」
ツンケンしているのは凩緋彩。
若干21歳にして、要人警護社の警護員と専属医を兼業する女性だ。
金髪に染めてボブカットにしているのは最近の流行りで、思春期的なあれだと周りからは温かい目で見守られている。
「ん〜、それなら問題なし、かな?」
ふわっとした雰囲気なのは糸瀬和馬。
36歳で古参の要人警護社警護員だ。
オールバックにしているのはパーティー会場の警護だからで、いつもはここまでシャキッとしていない。
「いまって何時かな?待ち合わせまでどのくらい?」
「現在13:47、あと10分と少しですね。」
右腕につけられた腕時計を確認しながら、静かに答えた。
「…ありがとう。はぁ、僕も早く引退したいなぁ。わかる?」
「…わかりません。」
苦笑いしながら糸瀬は言った。
「そうすれば、ひいちゃんに迷惑をかけるのも少なくなるでしょ?」
「なっ!!そんなことないからっ!!迷惑とかじゃないわよ。変なこと言わないで!!…ふぅ、そもそも、代わりの人が見つからないと引退もできませんよ。」
緋彩は目を見開いて焦って否定する。
「…和馬さんと同じことできる人なんていないんですから、もっと偉そうにしたらいいのよ。」
むすっと拗ねたように緋彩は口を膨らませた。
糸瀬は困ったように笑う。
「だけど僕は…」
糸瀬がなにかを言おうとしたとき人影が彼らにちかづいてきた。
(…なおくんの予想通りでしたか。)
糸瀬も緋彩も驚かなかった、
「はじめまして、瀬川悠と申します。本日は依頼を受けてくださりありがとうございます。」
小さな男の子がその見た目らしからぬ丁寧な言葉遣いで頭を下げたとしても。
「ふん、5分前行動はできたみたいですね。」
見下すのを隠しもせずにそんなことを言ってしまうのは緋彩だ。
「…ひいちゃん。申し訳ありません。彼女、苛立ってまして…。あ、僕は糸瀬和馬といいます。こちらが凩緋彩。お好きに読んでください。」
慌てて火消しをしたのが糸瀬である。
「あなたのことは悠さんと呼んでもよろしいですか?瀬川だとおそらく被ってしまうので…。」
「悠で…!…呼び捨てでいいです。」
糸瀬の言葉に被せるように悠は言った。
「それではゆうくん。」
("ゆうくん"!?)
呼び捨てでいいと言ったら何故か"くん"付けで呼ばれて悠はとても焦った。
生涯、といっても高々数年だが、"ゆうくん"だなんて呼ばれたことなかった彼はとても困惑していた。
「…言っても無駄ですよ。この人、私のことも"ひいちゃん"だなんて呼んで聞かないんですから。諦めてください。」
諦念が染み付いている緋彩は最早レジェンドである。
「…あなた、悠。私が女だからって、能力を疑っているでしょう?」
悠はドキッとした。
悠は決して嘘が上手ではない。
まだ4歳だ。人との駆け引きなんて経験がない。
「…それすっごい不快だからやめてもらえると助かります。というか、やめてください。その気持ち、あなたなら分かっていると思っていたけど、買い被りでしたか?」
今度は胸がちくりと傷んだ。
「年齢も性別も見た目も関係ない実力主義、これが私たちの企業理念です。理解していただけましたか。」
そして、喉につっかえていた小骨が取れたような気がした。
最初から、悠は対等に扱われていたのだ。
これまでの人間関係では祖父以外にあり得ない会話。
彼らには自分の年齢は関係ないのだと少し心が浮き上がるような気がした。
「ゆうくん、ひいちゃんも。これくらいにして話を進めようか。時間は有限、だろう?」
糸瀬に促されて、悠は個室に案内した。
2008/04/03 14:05 桜花ホテル第一応接室
「…部屋に誰もいない。本当に、誰一人も。」
糸瀬は驚きながら言った。
2人は慣れない部屋にキョロキョロと視線を巡らせた。
「…お願いがあるんです。」
そんな彼らに悠はそう切り出した。
「依頼のことなら聞いていますが。」
悠は首を横に振った。
「僕、個人的な依頼です。お金は…まだありませんが、必ず返します。」
覚悟を決めた表情をしていた。
「聞くだけは聞くよ?でも、受けるかどうかの判断はその後だ。」
糸瀬の声がワントーン低くなった。
「うちは、できる依頼しか受けないんだ。それが僕たちのプライドでもあるしね。」
「…依頼では、パーティーが問題なく行われるように、とのことでした。でも、僕は祖父を守って欲しいと思っています。」
うまく声が出ないようだった。
「…悠の祖父、瀬川俊蔵を護衛する依頼ということですか?」
緋彩の問に首肯した。
「…残念だけど、それは無理だ。」
落胆が表情にありありと現れている。
「さっきも言った通り、うちは不可能な依頼は受けない。この依頼が不可能である理由はいくつかあるけど、まずひとつはゆうくんの祖父が護れない人だってことだ。」
悠が疑問でいっぱいの様子を読み取って緋彩が説明した。
「守護者がどれだけ敏腕でも、"護れない人"というのが存在します。ひとつ、本人が強すぎる場合。ふたつ、本人に守られる意思がない場合。みっつ、本人がすでに死んでいる場合。」
「ゆうくんも言った通り、その人は護られる意思がない。ゆうくんが彼のどこからそう判断したのかはわからないけど、僕らも同じ見解なんだ。彼は死ぬ覚悟をしている、もしくは自分の死を悟り、受け入れている。まるで死期を悟った老人が身辺整理するようだ。」
糸瀬は口にしなかったが、それについては警護社で確認済みだった。
警護社は前払いの依頼料と後払いの報酬の2回払いのシステムを取っているにもかかわらず、瀬川俊蔵は一括で払ってしまった。それに合わせて、急に次期当主を発表するに至った経緯などに疑問をもった彼らは、何かによって俊蔵が死ぬことを受け入れている可能性が高いと結論づけたのだ。
「…今回の案件は、ただでさえ簡単なものじゃない、そう予想している。そして、高確率でそれは当たると思う。」
どこか、ここではない何かをみて、糸瀬はぽつりとこぼした。
「…和馬さん、何か…?」
「いや、問題ない。」
糸瀬は視線を悠に戻した。
「ほかに、何かある?」
「…いいえ、2人が誠実なのはわかりました。ありがとうございます。」
悔しさと寂しさと、色々を押し殺して悠は言った。
「依頼としては受けられないけど、僕らも注意してみておくことにはするよ。そのくらいなら、できないこともないから。でも、過度な期待はしないでね。」
糸瀬は苦笑いで言った。
「…そういうことを言うと変に希望を持たせちゃうじゃない、ばか。」
「いやいや、まーそうなんだけどね。」
気の置けないもの同士の穏やかなけんかはその場をほっこりとさせた。
「…あの、それと資料なんですけど、」
悠は終わらない言い争いに勇気を出して封筒を差し出した。
「…ありがとう、拝見しますね。」
その封筒を緋彩が受け取って、中を見ると一冊のノートだった。
「…建物の構造、これまでの経緯、…ん?」
「ひいちゃん?」
「…いえ、何か問題があったわけでは。」
(やけに筆圧が薄く、かといって老人とかの字ではない。どちらかというと、まだ握力のない幼児の不安定な字。でも、書かれている内容は…)
緋彩はじっくり見た後に、悠に質問した。
「…ねぇ、悠。あなたがこの資料用意したの?全部?」
悠はビクッとしてから、目を逸らしておずおずと頷いた。
「…そう、道理で。」
建物の構造と現在配置されている警備員から抜けがある場所を図示している上、一つ一つの証拠が何を意味するか、どこから危険性を見出したか、などまでまとめられている。
資料は基本的にプリントが貼り付けられていて、具体的な内容は手書きされている。
(ノート一冊、びっしり。思った以上に有能。)
「和馬さん。」
鼻息荒くして緋彩は言った。
「なーに、ひいちゃん。」
「この子、和馬さんの次の人でどうですか?」
鳩が豆鉄砲喰らったような顔をした。
「いやいやいや、だめでしょ!!よその子だよ?」
「引退したいって言ってたの、和馬さんでしょ?悠が育つまで、しばらくかかるけど、めちゃくちゃ有能だから、今から育てればいくらでも可能性あるわ。」
いつの間に移動したのか、緋彩は硬直する悠の両肩に手を置いて、力説した。
「ひいちゃんが言うことを否定するつもりはないけど、よその子だから、それに依頼終わらせてからね?」
依頼、という言葉を聞いてビクッとした緋彩は一旦は勧誘をやめにして、元の席に戻った。
「失礼。とりあえず、大事そうなところだけ読み上げますね。」
「お願いします。」
パラパラと一通りノートを読んだ緋彩は抜粋して読み上げた。
「まず警備員の配置ですね。これは、かなり完全に近いですが、和馬さんのには劣ります。配置については概ね予習通りと考えて良いでしょう。プログラムと危険度については、これも予習通りですね。強いて言うなら、瀬川家の細かい人間関係と脅迫状、その時期ですね。あとは、うちの調べと同じとみて良さそうです。」
「ありがとう。」
「あ、あの…、予習って?」
「うちには優秀な調査員がいるのよ。とっても優秀な、ね。うちは色々と敵というか、生き残るのが大変だから独自の情報網敷いているのよ。情報戦、というくらいなのよ。」
戸惑う悠に何気なく答えたが、違法スレスレ、いや、確実に違法なハッキング他さまざまな調査を行っていることを緋彩は笑顔の仮面の裏にそっと隠した。
「…で、質問だけど、2007年7月13日に瀬川俊蔵が毒殺されかけたことが書かれていないのは、家で統制が敷かれているの?」
「えっ…」
悠は絶句した。
「その様子だと知らないのね。まあ、詳しいことは私も知らないわ。ただ、猛毒、要は毒薬の流通を調べてる時に引っかかったから記録しただけだったからね。だから、それが着実に実行されたのかどうか、は確認できてない。ただ、標的と標的の生死、その毒薬が今も残っているかどうか、については把握しておきたかったし。」
「普通、あんだけの量飲まされたら死ぬしかないはずだし、それなら事前に阻止して捨てたのかな?持ち主の元になかったのは確か。他に使った形跡も取引の跡もなかったはず。正直、飲んだ時点でどう助かるのか私でも想像つかないよ。正直、もし手立てがあるなら聞きたいよ、全く。」
首を横に振ってお手上げ、とばかりにペラペラと話す緋彩を糸瀬は急いで止めた。
「ダメでしょ、おしゃべりは破滅のもと、って教わったんじゃない?」
緋彩はてへ☆とウィンクした。
「…毒を飲ませたのは僕の父ですか。」
「悠、あなた本当にそう思ってる?」
「いいえ。そんなことができる人間ではない、と思っています。でも…」
知らない事実が山ほど出てきた今ではその自らの目すら信じられない、そんな顔をした。
「あなたの目は正しいわ。あなたの父、智博ではなく叔母夫婦の豊川えみ子と義信ね。正確にはもっと裏に色々とあるけど。彼らは踊らされているのではなく自ら積極的に絡んでいるわ。」
悠はそれを聞いてほっとするのではなく、さらに青ざめた。
「…踊らされる可能性はあるということですね。」
(あの一言でこの裏まで読むとは思わなかったわ。もしくは常日頃から…)
「あなたが止めればいいじゃない。あなたの両親でしょう?」
「…それは、無理。無理です。」
顔を顰めて、歪めた。
「どうしてよ?あなたが騙されない保証なんてないけど、彼らよりはマシだとみてるわ。」
「両親は、僕のいうことになんか耳も貸さない。また、気味悪がれる。」
悠は無意識に手を頬に当てた。
よく見れば、うっすらと赤かった。
「…お祖父様だけなんだ。僕の話を聞いてくれるのは。」
だから、自分を肯定してくれる存在を失いたくないのだ、とありありと感じられた。
「そう、一般的な感覚というのを失念していたわ。まだ、4歳だものね?それが助言なんてした日にはプライドが許せないのか、なんなのか。人は理解できないものを恐れる、師匠もそう言ってた。」
(調査によれば悠の両親は常識が凝り固まっている上、プライドも高い。)
「拒絶されるのは、辛いよね。どんな人であろうと、自分の両親であることには変わりないんだ。たとえ、自分に対していい感情を微塵も持っていないと分かっていても、どうしても彼らが両親であることに変わりはないんだ。両親はいつまでも子供を縛り続けるんだ。どんなに離れても、彼らが自分を捨てても、両親という限りなく大きな存在が自分の中から消えることはないんだ。それでも親に認められたいんだよ。」
緋彩は横目で糸瀬を見た。
(確かこの人も…。)
「とにかく、どうしようもない状況に変わりはないんだ。何事もなく終わることなんてもうできないけど、できることをしよう。」
糸瀬はふんわりと笑った。