六、光
すゑ、奏、逸子は柱に縛られた章浩の前に立っていた。
これから除霊が始まろうとしている。目の前に縛られている章浩は、札を取る前から既に蓄積された霊力が漏れ出しているのがわかる。相当我慢しているのだろう。
ボディバッグをゴソゴソと漁るすゑ。何かのあたりを付けて取り出すと、それは札だった。すゑはそれを奏に渡す。
「これ、念の為」
「なんです?」
「護身用の札。だいぶストレスを蓄積させちゃったからね。あたしと逸子さんはともかく、あんたは吹っ飛ぶかもしれないっすよ」
「……いただきます」
この霊の実力はよく知ってる。自分がお手上げだったからすゑを呼んだのだ。だったらこの札を断るなんて馬鹿なことは出来ない。
奏は素直に受け取ると、内ポケットへとしまった。
章浩を運ぶのは男の奏の役割だったが、札で縛り付けてあるとはいえ多少の抵抗をしてきた。結局は逸子の超能力でさっさと運んでもらうこととなった。
普段二人で動いている時はそれが通例なのだ。
今の今までこれといった手伝いも活躍もなされていない奏にとって、いいところなしということである。
「さ、取るよ」
「私は準備いいわよ」
「逸子さんは何もないでしょうに……。俺も問題ありません」
「んじゃ、行くよ」
こういう時は勢いが大事だと言わんばかりに札を引きちぎった。まるでダムのように、せき止めていた悪しき霊力が一気に溢れ出す。
そのあまりの強さに奏は吹き飛ばされそうになる。逸子は変わらず浮遊をし、すゑは強風の中髪を乱しているが難なく立っているではないか。
札を貰っていなければひとたまりもなかっただろう。
(化け物だ……)
それと同時に彼女の《力》が漏れ出していたのも分かった。悪霊に対抗するために今まで培ってきた霊力だ。
ついさっきまで隠していたのが分からなかったほど強大な力だ。
目の前でそれを浴びた奏は圧倒される。これはあの祖父が彼女を慕うのがわかる。到底、普通に生きている人間では経験し得ない、習得出来ない力だった。
「――――!!!!!」
だがそれに反抗するように相手側も十分に強い。長い間とある女に対する執着を常に切らさずここまで呪ってきた。
家にやってきた家族の夫を依代に、家族の女をあの悪い少女に見立てて殺し続けた。
どこからかいつからか、狂ってしまった。正気を保てず誰彼構わず殺し始めた。それはどのきっかけだったかはもう誰も知らない。
この家は誰も寄り付かないし、歴史なんてしっかりと残されておらずあやふやだった。
「昼間だって言うのに元気ねぇ」
「霊に昼も夜もないでしょう! あなたが一番分かってるのに、ってかこんな時にボケないでください!」
呑気に逸子が笑えば、その力強い霊力に気圧されている奏は必死に突っ込みを入れた。真っ昼間から霊力皆無の人間にすら見えている逸子。そんな彼女が昼間だの夜中だの言ってるだなんて滑稽でしかない。
「女、おン、汚イ、みにクい」
「まずい、章浩さんの体が持ちそうにない……!」
章浩の鼻から血がタラリと流れ落ちた。体は既に限界に来ていたようだ。
本来ならば家族を惨殺して自身も死んで楽になるのだが、今回は調査に調査が重なり、更にはすゑが札で無理矢理封じ込めた事もあって肉体への負荷が激しかったのだ。
このまま霊が彼の体に居座り続ければ、内側から壊れていってしまう。霊を祓うのも仕事の一つだが、依頼者とその家族の安全確保も仕事の内だ。
だから彼にここで死なれては困るのだ。
「そんなの分かってる――よッ!」
そう言ってすゑは掌を章浩に叩きつけた。どん、という見た目よりも重々しい音がしたと思えば、その反動で中からズルリと霊体が吹き飛ぶ。
すゑの手には微かに霊力が纏ってあった。彼女の霊力で強く叩きつければ、こういう芸当も可能になるのだ。
ただし無理矢理に体から引っ張り出すため、それなりに負荷が掛かってしまう。だから最終手段、緊急時の手段としていつもは残しておく。
今回は緊急時のため躊躇う必要などない。急いで中身を出さねば肉体が蝕まれる。後々に肉体へ支障が出るかも知れないが、大したものではない。
「がっ、は……」
「え、う、嘘、出た!?」
「逸子さん!」
「はい!」
奏が驚愕している暇もなく、今度は逸子が動いた。
彼女はお得意の超能力で吐き出された霊の動きを止めた。このまま野放しにしておけば、再び章浩の体に入り込むか――今度は奏が襲われる可能性もある。
札を持たせているものの、奏自身はすゑほど強い霊能力を持っていない。
ここまで長い間誰かを呪って過ごしてきた霊だ。取り込まれてしまえばひとたまりもない。
特に霊能力者としてある程度力がある人間に取り憑かれたら、それこそ厄介だ。
「ちょーっと、大人しくしてて頂戴ね」
「ガッ、おんナ、触る、な……」
「……長くは持たないわ」
「はいよ」
すゑは首から下げた長い数珠を持って念じ始める。目を閉じて詠唱を開始した。
奏には聞いたことのないものだったが、すゑの生きている年数を考えればどこかで仕入れた強力なものには違いないのだ。
だが霊の方も劣勢になっているわけではなく、必死に抵抗を続けている。動きを封じている逸子が苦しそうにしているのを見れば一目瞭然だ。
「チッ、硬いな」
「加勢を――」
「邪魔しないで! 章浩さんを外にでも出しててよ!」
「あっ、は、はい!」
今までのすゑとは違って、叫んでいる。あの抜けたような喋り方はない。余裕を失って汗が滲んでいる顔。流石に同業者なのでこの霊の異質さは理解出来る。
だがあの有名なすゑですら顔を歪ませるほどだなんて、自分ではどうにもならないのは分かっている。
だがそばで突っ立っているだけだなんて、あまりにも。
そう思って加勢をしようと思ったのだが、すゑにとっては邪魔なことだったらしい。落ち込む暇もないまま、奏は言われたとおり悪霊が抜けて気絶している章浩を抱えて蔵を出た。
「……仕方ない」
章浩の体からは抜け出た。多少荒療治だが、無理矢理にでもこの世から消し去らねばいけない。
この霊は大きくなりすぎたのだ。
すゑがいつものように加減をして行う除霊では足りなかった。赤子の手をひねるように打ち消されてしまうだろう。であればこちら側も本気を出さざるを得ない。
すゑはボディバッグに手を突っ込んだ。取り出したのはいつものごとく札、札、札。
しかしそれとて、数が尋常ではないのだ。章浩の動きを封じた札も、護身用として奏に渡した札も数は一枚だ。だが、今すゑの目の前にあるのは数枚から十数枚の大量の札だった。
それを空中に乱雑に投げれば、重力に従ってひらひらと落ちる――のではなかった。
浮遊して、彼女の前を飛んでいるのだ。
母屋に章浩を避難させた奏が戻ってきていたタイミングだった。彼はこの光景を初めて見る。まるで小学生のように顔は興奮しきっていた。
「すごい……」
「――奏さんは、素直にッ、付き従ってくれてますけど……!」
「はい?」
悪霊を必死に拘束しながら、逸子が喋る。その様子は酷く苦しそうであったが、喋っている感じは楽しそうだ。昔の話をしているのが楽しいのだろう。
「音忠さんは大変、だったのよ。若い女が除霊なんて、って。でもね、あの技を見ちゃったら、もう、犬みたいにはしゃいでたの、よッ」
「……あのじいちゃんが……。って、大事な時にそんな話しなくていいですから! 霊を足止めするのに集中してください!」
途切れ途切れで喋る逸子を制止して、奏は集中するよう促す。また邪魔していることになってしまう、と奏は気付いて急いで止めた。
始まる前はあれだけ逸子は不要だろうと思っていた除霊。だがあの強力な悪霊の足止めを出来ているし、奏自身は無力だ。本来どちらが不要な存在かがよく分かる。
だが逸子は奏を邪険にしなかったし、悪くも言ってこなかった。そして奏もそれが当たり前だとも思わなかった。たまに不審に思うことはあったが、大きく口に出して言うことはなかったのだ。
こればかりは、彼女の言う「音忠さんは大変」を受け継がなくて良かったと思った。
奏は逸子から視線をそらし、浮遊する札の中心にいる少女を見た。禍々しい悪霊と対峙して、平然と立っている少女を。威風堂々たるその立ち姿は、どの除霊師が見てもこうでありたいと思う形だろう。
それに対し霊はというと、少しばかり様子がおかしい。おどろおどろしい気配を放っていたはずなのに、今はなんだか怯えているように見えた。
それもそうだろう。あの札、そしてすゑ自身から溢れ出る霊力が普通じゃないのだ。それこそ百数年ものの、蓄積された崇高で高貴で、上質で異質な霊力だ。見ただけじゃない、感じただけでわかる。
きっと悪霊ではなくとも、あんな膨大な力を浴びせられたら恐ろしくなるのも分かってしまうほどに。
だがその霊力はまっすぐ、この場の誰よりも素直に「清次郎」へと向けられていた。
「そんじゃ、清次郎さん。もう、休みましょう」
刀印を結んだすゑの手が、彼女の眼前へと持ち上がる。
するとより一層大きな霊力が膨れ上がった。
――終わりだ。
その場の誰もが理解した。もちろん、悪霊である清次郎ですらも。
「おやすみなさい」
辺り一帯が、光に包まれた。
『これ……は……』
清次郎があたりを見渡す。まばゆい光に包まれて、今まで縛り付けていた呪いのような感情から解き放たれたのをよく覚えている。
心地が良かった。
あの夜に、三人を巻き添えにしてこの世を去ったが、一向に心は晴れなかった。
しかし今は違う。穏やかで、落ち着いている。いつぶりだろうか、ここまでに心が平穏なのは。
「やあ、清次郎さん」
『君は……?』
「あたしはすゑ、除霊師っす」
光の中から突如現れた少女は、何事もなかったかのように自己紹介をする。清次郎も違和感を覚えずその少女を受け入れた。
そして彼女の「除霊師」という言葉で、今まで行ってきたことをじわじわと思い出していく。
『除霊……そうか……僕は、チヨちゃんを殺して……』
「あ、やっぱり殺してたんですね。通りで恨みが強いわけだ。その後この家に取り憑いて、関係ない一家を殺し続けてきた。何の罪のない人をね」
そう淡々と伝えると、清次郎の顔が驚きに染まった。そして徐々に罪悪感へと色を変えていく。
きっとはっきりとした記憶はないのだろうが、彼がやってきたことはなんとなく理解しているのだろう。
彼の口からは抗議も出てこず、申し訳無さそうにしていた。
『……たくさん、殺したのかい』
「そりゃあもう。でももう終わりだ。あんたはもう縛られるべきじゃない。楽になって、来世を――」
『どうかな。地獄で長い罰が待ってる』
「まぁ、そうかもしれないっすね。でも永遠じゃない。あんたも極悪人だったわけじゃない。いつか解放される日が来る」
『そう、だね。とりあえず奪った命の分だけは償ってくるよ』
あまりにも早い決断に、すゑは驚いた。
あれだけ他者に取り憑いて人を殺して来るほどの怨念。執念。それがあったのだから、この対話の時間は長々となるのだと覚悟をしていた。
だがこれも男の人柄なのかもしれない。あのチヨの行動を容認していた寛容な彼は、こういったことでも納得するのが早いのだろう。
「もういいんすか?」
『あぁ。早く行かないと』
「そっすね」
『君も早く降りてくると良い』
清次郎は意味ありげに笑った。いつからバレていたのか、とすゑは驚きつつも、最後にしてやられたことを悔しく思った。
死んだ人間相手はそっちのことを知っているから毎度対話するたび面倒だ、とすゑは思う。
「…………いつか、行きますよ」
『……ふふ』
光が収束し、ポツンとすゑだけが残された。
蔵の中にはもう陰湿な気配はない。清次郎の霊力も感じられない。あれだけまとわりついていた瘴気すらも消え去っていて、ここは完全にクリーンな環境になっていた。
「すゑさん! 大丈夫でしたか? 一体何が……」
「終わったよー」
「え!? 光っただけじゃないですか!」
その言葉にすゑはクスリと笑った。やはりあの瞬間を見れるのはまだすゑだけなのだ。
訳がわからないといった様子で疑問をぶつけてくる奏を適当にあしらって、すゑは蔵から出ていく。
嫌な気を纏っていない家はとても居心地が良かった。初夏の風が頬を撫でれば、山に近い場所だけあって少し涼しい。これは霊とかそういう涼しさではなく、純粋に森と山との自然的な涼しさなのだろう。
「そだねえ」
「さ。章浩さんの様子を見てから、美和子さんに報告へ行きましょうね」
「そーしよー」
「え!? ちょ、待ってください!」
奏の制止など聞かず、二人は母屋へと歩き始めた。
「――で」
「何をしに来てるのかしら」
松原家の依頼を終えて数日。
すゑと逸子の住んでいるボロアパートに訪問してきたのは、あの時ヘルプ要請を出してきた奏だった。
奏は二人が出てくるなり、これまた美しい90度のお辞儀を繰り出して叫ぶ。
「弟子にしてください!」
「却下」
もちろん、すゑは即答である。長年一匹狼として誰とも群れず、ときたま来るヘルプに出ているだけで基本は一人だ。逸子という存在はあるものの、今生きているものとは組んでいなかった。
元々不死になっていることもあって、弟子を取ったり仲間を得たとしても、自分より先にいなくなるのは目に見えている。
もう疎遠になっているとはいえ、最初の頃はそれなりに実家にも顔を出していた。顔を出すたびに誰かが死んで、葬式のたびに見る人間が変わっていく。
そんな思いはもう懲り懲りなのだ。
「なんでですか! あれから帰って祖父に話をしたら、化け物みたいな顔で「弟子入りしてこい!」って怒鳴られて追い出されたんです!」
「音忠が? なんで……」
はて、とすゑは疑問に思う。やつは弟子とかそういう熱血タイプだったか、と。少なくともすゑとよく一緒に仕事をしていたあの頃はそういったタイプではなかった。
むしろ今のすゑのように一人で何でもこなそうとするやつだったのだ。
それともすゑと会わなくなった四十年ほどの年数は、それほどまでに人を変えてしまうのか。
「それがですね。祖父はあなた方から会わなくなってから、師事を頼まなかったことを今の今まで後悔してたみたいで」
「うっわー、会わなくて正解だな」
「すゑちゃん一匹狼タイプだものねぇ」
うんうん、とすゑと逸子は相槌を打つ。
はっきり言ってしまえば、すゑの場合は除霊方法が特殊すぎて弟子を取るに取れないということもあるのだ。
「一匹狼って……逸子さんもいるじゃないですか!」
「逸子さんは例外だよ。親友っての?」
「あら、まぁ。嬉しいわ。今日のお夕飯張り切ろうかしら」
「やったぁ」
二人で仲良し女子トークが始まる直前。ついに頭にきた奏は大声を張り上げた。
「和まないでください! 俺だって無償でとは言わないんですよ! 今俺が使ってる事務所兼マンションを貸しますし、財務管理だってこちらでしま――」
「いやぁ、よろしく頼むよ、奏くん」
「現金!」
がっくりと項垂れる奏。
そんな彼をすゑは孫でも見るような慈愛に満ちた瞳で見下ろしていた。――弟子か、そういえば初めて取るかもしれないな。そう思いながら。
長い人生だが、今の今までこうして誰かと仕事をしたり教えたりすることはなかった。逸子はカウントしないとして、命に限りがある若い人間に師事することなんてもっとなかった。
音忠が変わったように、村人が村に救済を求めたように、清次郎がチヨが変わってしまったように。
時代の移りで時間の流れで人は変わりゆく。
永遠という時間を生きることになってしまったすゑにとって、それは勘付きにくいことだった。であれば気付いた時点で変わろうとすればいい。
きっとこの男も自分よりも先に死ぬだろう。その間にどれだけ、あの長く辛い人生を語れるだろうか。
すゑは小さく首を振った。そんなことを考えていたらまたいつもと同じだからだ。せっかく音忠も弟子をよこしてくれたのだから、彼の期待に応えられるようこちらも奮闘するべきなのだ。
「うふふ、じゃあこれからは一人多めにお料理を作らないとね」
「あたしは厳しいぞー。その短い人生で頑張って強くなってくれよう、お弟子くん」
「はい!」
すゑの事件録は、まだまだ賑やかになりそうである。
お付き合い頂きありがとうございました。
出し切れていない話がちょこちょこありますので、またお会いできたらと思います。
というか、色々とネタが出るたびに書いてはネタが出てを繰り返しているせいで、今連載用のストックが化け物みたいになっています。
何かしら終わらせたい……。