二、乖離
登場人物
・延来院 すゑ
除霊率100%の除霊師。
・橋本 逸子
すゑの助手、幽霊。
・双雲 奏
名のある除霊師。手に負えずヘルプを頼む。
・松原家
依頼主。
夫の章浩に霊が取り付く。
妻の美和子が依頼。長女の悠愛、長男の修也がいる。
村の外れに建てられた家屋だけあって、そこそこな時間を歩かされた。途中途中で親切な村人が「送ろうか!」と車から顔を覗かせて声をかけてきた。だが場所を伝えれば窓をすぐさま閉じてさっさと走っていってしまう。
逆にここまで怯え恐れられている場所だというのに、よく住もうと思ったなどとすゑは考える。
すゑのように霊能力を持っている人間でもないのに。科学を信じて現実しか見ない人間は、恐ろしいものだとすゑは思った。
「ひぃ、はぁ……」
「だ、大丈夫? すゑちゃん……」
流石の超熟練霊能力者でも、己の体力の無さには勝てないようで。
駅から歩いて数十分。息は既に上がっていて、怨霊に呪い殺されるよりも先に運動不足で死ぬんじゃないかというほどげっそりしている。
季節は初夏に片足を突っ込み始めた頃だが、幽霊である逸子がそばにいるすゑには暑さは何ら問題ない。だがそれでも顔は真っ赤、汗がダラダラ。
「田舎の人間は車がある前提で生きてるから……」
「し、ってる、よぉ、ひぃ、ふぅ……」
「わ、私が運びましょうか?」
「おねがいぃ……」
すゑが前のめりに倒れると、すぐさま逸子の超能力が動く。ぷかぷかと浮かんだすゑを引っ張りながら、目的地へと向かう。
道中、コンビニも自動販売機もなく、手持ちは財布とスマートフォンと除霊道具だけ。飲み物食べ物なんてありもしない。
既に喉がカラカラで頭もまともに回らないすゑは、「あー」だの「うぅー」だの言いながら逸子にされるがままだ。
「付いたらお水でももらいましょ……」
「ぞうずる……なんがぎもぢわるい……」
「やだ! 熱中症? 脱水症状かしら? もうすぐよ、ほら、あれじゃないかしら?」
逸子の声にのそりと顔を上げれば、家の門のようなものが見える。大きな木々に囲まれた立派な家だ。
村の外れにあるだけあって、その生い茂る木々は防風も兼ねているのだが、霊との相性もあって不気味でしかない。ザワザワと奏でる葉音が死を誘うようで恐ろしかった。
ようやくの思いでたどり着く。入り口には日本家屋には似つかわしくない現代の利器であるインターホンが取り付けられている。ピカピカと新しいことから、この一家が住んでから取り付けたのだろう。
業者がもしこの村の人間なのであれば、さぞ嫌だっただろう。
かちり、と押し込むが中で音が鳴った雰囲気はない。インターホンも押し込んだ感覚がなく、スカスカと不発のような音を立てている。
「霊障かしらねぇ」
「だろーね。すんませーーん! お電話いただいた除霊師っすけどー!」
「広いお家だけど聞こえるかしら?」
そんな逸子の心配を他所に、中からドタバタと足音が聞こえる。引き戸がカラリと音を立てて開き、中から人が飛び出てきた。
きっとこんな現象に見合う前は美人だったのであろうと思われる女性――この一家の奥方らしき女性。
しばらくの出来事でやつれ、髪の艶は失われ、化粧もまともにしていない。生きるのに必死だった証拠だ。
「お、お待ちして――きゃぁああぁああ!?」
「ありゃ」
「ごめんなさい、隠れてるべきだったわね……?」
「もう遅いよー」
そんな心身ともに疲弊しきった人間が、逸子を見たらどう思うか。気を失わなかっただけ良い方である。
女性の悲鳴を聞きつけて、中から子供と除霊師がドタバタと駆けつける。
尻餅をついて震えている女性を、子供が抱きかかえるように守る。除霊師はすゑの後ろに浮かんでいる逸子に向けて札を構えた。
「出たな、悪霊!」
「まぁ確かに一時期はそうだったし、間違ってないわね」
「そこは否定しようよ、逸子さん。……えーと、こんにちは。あたしは延来院すゑです。こっちは橋本逸子さん、助手っす」
すゑはボディバッグから取り出した札を、一家の大黒柱の頭にぺたりと貼り付けた。
昨晩から、彼の発作のような症状が更に悪化していた。今となっては家の中で一番太い柱に縛り付けているほどだ。妻の美和子を襲いそうになったから咄嗟にしたらしい。
すゑとしては懸命な判断だと言いたい。縛られてもなお、執念深く美和子を襲おうと――殺そうとしている。
すゑが札を貼ってしばらくすると、暴れていた男は徐々に静かになり始めた。うつらうつらとし始めて、瞬きすらしなかった瞳はゆっくりと瞼を下ろしていく。
ガクリと項垂れれば全く動かなくなった。
「除霊は完了したんですか!?」
「大人しくさせただけです。ちょっと出掛けたいので……。誰か車出してくれます?」
「あ、はい、じゃあ私が……」
「あざます。そいじゃ、奏さんは様子を見ててくれますか。ヤバそうだったら電話ください」
「りょ、了解しました」
美和子が「子供達も連れていきたい」というので、すゑは許可をした。
子供といってももう大きい。下の子・修也は中学生、長女の悠愛は社会人になるという。この何もない田舎で、幸運にも仕事を見つけて働き始めたばかりだ。
除霊師もいるのだから、別に家においてきてもいいのにと伝えれば、狂気的な瞳で「そんなこと出来ますか!」と訴えられた。
(まぁ、彼らは一般家庭だしな)
延来院すゑの幼少期は壮絶だった。
簡単に言えば虐待とも取れる行為を行っていた。それは、心霊現象を信じればの話だが。
そもそもすゑの生まれた寺は、病的とも言えるほど古く厳しく恐ろしいしきたりがあった。それはあまりにも非人道的。
命を延ばして、永遠に心霊を狩っていこうという考えだった。短絡的で能がない。それもそうだ。彼女の生きていた時代は、はるか昔。もう記憶としてはあやふやだったが、おおよそ江戸から明治ごろから彼女はこの世に生を受けていた。
そして延来院の一族は誰としてその儀式に耐えたことはなかった。――すゑを、除いて。
彼女は一族で唯一儀式を生き延びて、永遠の命を手に入れた娘だった。そこから、寺で生まれた除霊の力がある少女から、その命ある限りこの世の悪しき霊を撲滅せんと働くだけの人間へと変わってしまった。
すゑを最後に、その儀式は行われなくなった。
時代が移り変わり、延来院のやりかたがあまりにも非道すぎると摘発されたのだ。
それもあって、一族の黒歴史であるすゑはあまり本家へと近付かないようにしていた――と、言うよりかは現代にまで長々と生ける黒歴史である自分を恥じて、会わないようにしていたのだ。
すゑはそう思っているが本家の人間は違うらしい。定期的に手紙や暑中見舞い、年賀状が届くこともある。もう何代も移り変わり、すゑの生きていた時代のものはとうに死んでしまっている。
本家はもうあの薄汚れた血筋はなくクリーンだ。だから、今まで家を守ってくれたすゑと寄り添いたい。そう思っている。
そして本家の人間は「犠牲となり他の一族を救った英雄」だと考えているようだが、すゑはそうもいかない。
汚れた歴史。迷惑を掛けないようにとできるだけ彼らには関わらないよう生きてきたのだ。
「あの、どこまで行けば?」
「近所にスーパーとかあります?」
「まぁ、はい。十分ほど車を走らせれば……」
「じゃあそこに」
美和子は子供達もつれてきたが、すゑが逸子も一緒に車に乗せたことで更に混乱した。危害は加えないと言われても、章浩が今ああなのだ。怯えるのも無理はないだろう。
そして問題の逸子は、後部座席の一番後ろに座ってはしゃいでいる。
「逸子さんの生きてた頃に似てるでしょ」
「そうね~、ネットのネの字もない時代だったわ。すゑちゃんも懐かしいでしょ。水も澄んでて空気も美味しいし、たまに遊びに来ない?」
「じゃあ、これ終わったら旅行とかどうすか」
「いいわねー! ねっ、ちょっとすまほ貸して頂戴な」
逸子はすゑのスマートフォンを受け取ると、霊障と同じようなやり方で操作していく。
その様子に修也は興味を持ったようで、怯えながら運転する美和子をよそに逸子とすゑへ質問し始めた。
「その人、幽霊なんですか?」
「そだよ。あたしの友達」
「いい霊なんですか?」
「昔は違ったけどね」
彼女の生い立ちはあまりにも残酷だ。今こうして味方に付いてくれているのが不思議に思えるほど。
だが今はそれを話すときではない。彼らに必要な情報かと問われれば要らないからだ。
「美和子さん、今はどこに住まれてます?」
「村長さんが部屋を貸してくれてるわ。……無償でね。毎回そうらしいの」
「そうすか。あ、じゃああの家は私達が寝泊まりしてもいっすか?」
車が突然急ブレーキを踏む。シートベルトをしていたとはいえ、突然の衝撃にみなが驚いた。
血相を変えた美和子は、運転席から振り向いてすゑを睨むように見た。その瞳は「信じられない」と言っているようで、すゑはそれを不自然とも思わなかった。
すゑもやること成すこと、頭のネジが外れたようなことをしでかすが、常識が全く無いわけではない。
こう動けば周りは嫌に思うだろう、気味悪がるだろうという考えは持っている。だからこの美和子がこんな行動に出るのも分かっていた。
まさか急ブレーキを踏むとは思わなかったが。
「あなた、気が狂ってるの!? あんな家にいるだなんて!」
「仕事っすから。だいじょぶっすよ、あたしがやられるならもう日本は終わるんで」
美和子は「信用ならない」といったような瞳を向けて、それでも目的地のスーパーへとアクセルを踏んだ。
数分して到着したのは少し小さなスーパー。とは言えこの一軒で村のほとんどを賄っているので、品揃えは様々だ。入口入ってすぐそばには、簡単な衣類が並んでいる。文具、本、生活雑貨。流石に家具までは置いていないが、家具となれば別の老舗が村にあるだろう。
木々ならば周りを囲う山々でなんとかなるのだ。
「お金は全部出してくれるんすよね」
「……まぁ、そうね。そういう契約だもの。ねえ、なんでスーパーに?」
「なんでって……今晩のご飯です」
またもや親子が驚愕することとなった。
あの屋敷に泊まる挙げ句、夕食まで呑気に食べようと言うのだ。目の前にいるのは有名な熟練した除霊師ではなく、頭のおかしな少女なのではないかと疑うくらいだ。
てっきり除霊に必要な道具を揃えるのかと思っていたが、そうではないらしい。まぁ、彼女自身に必要な食べ物ということだし、ある意味では除霊に必要な道具とも取れなくはないが。
親子――特に美和子は絶望しきっていた。入口で立ち尽くしたまま動こうとしない。その横をすぅっと逸子が通り過ぎれば、ようやっと我に返る。
「すぐに祓ってくれるんじゃないの!?」
その言葉はすゑには届かない。すでに野菜コーナーをじっと見つめていて、代わりに声を聞いたのは逸子の方だった。
店内は冷房が効いていて涼しいはずなのに、彼女の周りだけ更に寒気がする。
逸子は美和子の方へ振り返る。その顔は真っ黒に塗りつぶされているが、なんだか申し訳無さそうにも見えた。
「すゑちゃんは優しいから言いませんでしたが、あなたのお家の悪霊さんって相当よ。頑張って三日、もっと掛かるかもしれないわ」
「なんで……どういう……」
「あなたのお家に憑いてるモノは、言わせてもらうと化け物です」
化け物が化け物だというのだから相当だ。美和子の肝が冷える。
村人や精神科医が確認しているだけでも、ふた家族がやられている。だが実際はもっと昔からもっと多くの家族が呪い殺されてきた。彼女はそう言いたいのだ。
あの家に住む人間を拒むように、拒んでもなお去ろうとしない者共を懲らしめるように。
「恐らくあの家の最初の事件から数十人は死んでます。村外れにある大きなお家だから、気付くのも遅れたんでしょうね」
「数十……人……」
「もっと早く連絡が来れば良かったのに……。でも良かったですね。一人目の巻き添えで死ななくって。奏さんに連絡出来たのは奇跡ですよ」
美和子は絶句した。
下手すれば最初の方の除霊師だけではなく、美和子達諸共死んでいた可能性だってあるのだ。最初から奏を呼んでいれば、誰も死なずに済んだのかもしれないが――今となってはもう遅いことだ。
それに低級霊ばかり狩ってきた除霊師程度、飲み込むのは容易かっただろう。
そこそこ力のある集合霊の犬猫達ですら恐れ怯えるほどだ。そんじょそこらの除霊でだなんて祓えるはずがない。
実際祓えなかったから、今もああして酷いことになっているのだ。
すゑは札を貼ったから安心して家をあとにしたが、逸子からしてみればそれすらも不安に思えた。力のある除霊師とはいえ、奏をあの場所に残してきて良かったのか心配でしょうがない。
すゑは時たま慢心しがちなのだ。まるで美和子のように小言を連ねなければ考えを変更することは、めったに無い。だから逸子は彼女に手助けをしているという節がある。
彼女に救ってもらい、この世の未練が晴れたということで恩を感じているという意味合いもある。
「そんな……」
「あなた方がお金を惜しまず、彼を頼ってよかったわ。中途半端な除霊師じゃ、取り込まれて終わりでしたよ。もちろん美和子さんも、お子さん達諸共、ね」
ぞわりと背筋が冷えた。
心霊だの怨霊だの信じていない松原家だったが、この家に関わってからはそんなこと言っている暇などなかった。
だがそんな中でも家族の絆が壊れなかったのは幸いだろう。誰がこの田舎に引っ越そうと言い出したのか知らないが、その人間をせめて関係が崩れるのも想像に容易い。
だが美和子は章浩を守ろうと、子供達を守ろうと必死に動いた。
信じもしないのに除霊師を呼んで、そして得体も知れぬド派手なジャージの若い娘に多額の報酬金を払おうとしている。
「逸子さーん!」
「あら。ごめんなさい。呼ばれているから行くわね」
「あ……私達も行きます」