元豆腐、海の向こうで悪役令嬢に遭う
さて、改めて言うけどここまでが前置きだったんだ。
そうだよな。
なにが起こったのか俺が一番知りたいよ。
いつの間に夢と現実の区別がつかなくなったのか、全く自覚がないんだが……_
話を戻そう。
兎にも角にも、それは渡米して九ヶ月後のことだった。
留学することになった重要取引先の娘さんをよろしくと、和解した両親に頼まれてしぶしぶを装って迎えにいった空港で見つけたのは、マジでゲームのなかのあの顔であの頭だった。
もっと言えば、血反吐の元婚約者である、あの悪役ご令嬢だった。
なんでだ。
驚きすぎて思わず空港で刃物を持ち出したやつを素手で止めちまったぜ。
子供っぽい赤いリボンこそ消えていたが、見事なまでの巨大おだんごから伸びる縦巻きロールは健在だったし、目は腫れていたが、アヒル口も巨乳も健在だった。
まさしくヒロインの前に立ちはだかる、一見ビッチのあの努力家の彼女だ。偶然の一致に違いない。
結末はどんなだったか。
涙を禁じ得なかったあのラストシーンである。
たしか攻略成功した際には、叔父が学園理事に名を連ねるという血反吐が冷たく退学を宣告し、悪役ご令嬢は学園を追いだされるんだ。あのリボンを失いしょんぼりと肩を落とした後ろ姿が、俺の瞼裏にはまだ焼きついている。
繰り広げられるキスシーンの後ろで振り返ってしまったご令嬢の頬を流れ落ちた涙が、俺のトラウマと重なってもう前が見えないんだ。
猫目が持つ目力こそ失われていたが。
名前も覚えていないが。
この特徴的な髪型が乙女ゲーと同じだった。
俺のパソコンに代々引き継がれているマドモアゼルとマダムのファイリングに納められているあの悪役ご令嬢の、白いシャツから透けて見える黒い紐さえそっくりだった。
よくよく考えてみれば、俺が退学になったらしい小等部はなんという名の学園だったか。
これまで出たパーティに、このような頭はいなかっただろうか。
いや、それはないだろ。
思わずキョロキョロと、血反吐を捜してしまった。
豆腐メンタル健在だった。
もちろんいなかった。
知ってた。
だってここ現実だもんな。
似てるだけだ。そうに違いない。
俺はいつのまにか真新しいビロードのリボンを手にして、あわててご令嬢のもとに舞い戻った。出迎えにあるまじき失態だが、動揺してたんだ。
ご令嬢はしょんぼりと俺を待っていた。礼を尽くして詫びのリボンを差し出し、荷物を持って歩きながらそれとなく聞いたところ、こちらのご令嬢のハイスクールの手続きは、高等部を退学ではなく交換留学の形を取っていた。
そうだよな、他人の空似だよな。当然だな。
マジか。
本気で勘違いするなんて、俺なんてゲーム脳。
恥ずかしいだろ。
こちらでの保護者としての諸々の手続きを済ませて、連絡先を交換して、週末にベイエリアを案内する約束をして、ご令嬢を寮に送り届けた。
ご令嬢は普通に生きてた。
普通にいい匂いのするご令嬢だった。
アヒル口の下くちびるには惑わされた。
借りた家に帰ってから、こっそりパソコンのフォルダを見た。
あるはずのご令嬢の写真がなくなっていた。
スチルがひとつもない。
ヒロインの写真も。
悪役ご令嬢たちの写真も、全て残っていなかった。
なんでだ?
そんなことあるのか。
ついでに言えばギャルゲーのそれは残っていたが、桃に水に紫と、いやな既視感があって即座にゴミ箱から追放してやった。
快楽主義者かよ。
こいつらマジでない。
どうやらパソコンを乗り換える際に、ファイルを移すのを忘れてしまったようだった。
もういちど悪役ご令嬢見たかったな。あの猫目が好きだった。
しかし、これでは確信が持てない。
嘘だろうって分かってるのに。
あり得ないって分かってるのに。
いやな予感がしなくもないんだ。
なぜなら、俺のガーディアンの勘がそう言っている。
いよいよ判断がつかない。
じりじりとプロジェクトで担当しているプログラムを組む合間に時計を見ては、日本の朝が来るのを待った。
よし七時半だもういいだろう。
学園小等部に在籍する元家庭教師の三番目の母の血を引く弟は、年齢相応に訳の分からないことを言った。とりあえずいっちょまえに女の子たちにちやほやされていることだけは伝わった。そしてなにやら誤解が生じて、サムライギャルソンたる俺が尊敬されていることも分かった。絵画展での受賞を褒めておいて電話を切った。収穫はなかったが、元気であることはよく伝わった。
次に、由緒正しき一番目の義母の血を引く下の兄に掛け直すが、なにやらこちらの説明も要を得ない。大事なとこにかすってる感じはあるんだけど、二日酔いかなにかだろうか。
念のためにかけた上の兄への電話は繋がらなかった、いつものことだ。
埒があかない。
俺はじいやに連絡を取った。
まさか嫁に行ったねえやに訊くわけにはいくまい。
俺自身はとうに忘れてしまった小等部時代の交友関係を聞きだすためである。
なんとなく聞き覚えのある名前に、必死にどいつがモブかを考える。いや、男子より女子だな。
男モブだとヒロインの一途さに横恋慕しているかもしれないからな。そうだな女子モブに聞いてみるとするか。
だめだ家の力関係以外はさっぱり分からん。
こう見ると俺の家ってかなり力関係の上位に立っている。それでもなお室内履きを隠されてとことんポジション落ちするとか、俺ってばなんてぼっちプレーヤー。
えい、ままよ。この際覚えている名前なら誰でもいい。
やあ悪いけど君だけが頼りなんだ。君に仲の良い後輩はいるか。ちょっと学園の現状を教えてくれる人間を捜しているんだが云々……。
なんか釣れた。
後輩も釣れた。ホイホイ釣れた。入れ食い状態だった。
なんか間違ってないか。
俺のこともパーティーで何度も見かけているって、マジか。
どうやら金髪マダムキラー、サムライギャルソンの名は社交界の間にも浸透しているらしい。
今度わたくしとも踊りましょうって、なんだ。ワルツって結構密着するんだが。ここはギャルゲの世界か。ラッキースケベか。やめてくれ。ダンスの授業でじゅうぶん踊ったからな。同じ組むなら空手道場に通ったほうがいい、護身術でも習っとけ。回避スキルは磨けたけど、尻軽のアヘ顔などいらん。
それでも話を総合するに、三次元のご令嬢にはやっぱり婚約者がいて、だけど婚約者に心変わりをされたどころか理不尽な目に遭い、学園にいられなくなったとのこと。女に首ったけの浮気男の婚約者に、学園を追われたと考えて良さそうだった。
それなんて乙女ゲームだ。ゲームと変わりないじゃないか。出て来いや血反吐。
取っ組み合いでもテニスでもこてんぱにしてやんよ。
追い出す必要なんてないだろ。むしろ寝取ったおまえたちこそ学園を出るべきだろ。
お礼にはマダムコネクションで知己を得た南仏の限定焼き菓子を送り、ダンスは丁重にお断りする旨を書き添えておいた。
しかし、もう一つ重要な事実が判明した。
どうやら我が家の下の兄が教育実習先でヒロインもどきの女に骨抜きにされて、取り巻きと化しているらしい。逆ハーレムか。なんてことだ。ヒロインよ純情たれ。
しかも教育実習は不適格とされ、教職免許状の申請に至らなかったというのだ。
実に恐ろしい情報だった。連絡してみてよかった。じいやもどうして教えてくれなかったんだ。
ところで兄はどうして教育学をやってるんだ。俺でさえ経営学を勉強させられているというのに。
もちろん不登校だった俺のせいだった。俺の豆腐が兄の人生を変えていたのだ。
そうであればなおさら、どうして兄はヒロインもどきに惚れてしまったんだ。それほどまでに、ヒロインは清楚なのか。俺が育てたあのヒロインなら仕方がないのか。そんなわけないだろ。
どうせ現実とクロスオーバーするならMMOがよかった。学園の七不思議のクリアなんてどうでもいい上に、俺はその七不思議も知らないまま学園をドロップアウトした落ちこぼれなのだ。崩れた豆腐なのだ。
なにはともあれ、両親の思惑には気づいた。おそらくご令嬢の両親の考えも然りだろう。
ひとつは下の兄が取り巻きをしていることへの謝罪を込めて、俺を付けた。
そしてもう一つの理由のほうが、もっと人間として大事だ。きっとじいやの差配に違いない。
つまりはご令嬢に、見せようとしたんだ。
人生を一度ドロップアウトして立ち直った先人の背中を、ご令嬢に見せようとしたのだ。
いつかは立ち直れるのだからおまえも頑張れというエールとして、若い俺が異国での保護者ガーディアンとして選ばれたのだ。
声を大にして、もう一度言おう。
どうやら俺は選ばれたガーディアンらしい。
構えた盾は、いつしか豆腐ではなくなっていた。
サムライギャルソンと名をかえた俺は、いつしか落ちこぼれ豆腐ではなくなっていたのだ。
大切なことだから、もう一度言っておく。
俺はすでにガーディアンなのだ。
そうなのだ。
なにせ俺は一時的にご令嬢を守る壁役である。それも自薦じゃなく他薦なのだ。
じいやが認めてくれたのだ。
ねえや、聞いてくれ。
MMOでいうところのガーディアン再びだ。
選ばれしガーディアン、俺カッコイイ。
◇
拝啓 ねえや
暦はもう立春も過ぎたけど、そっちもまだ寒いよな。ねえやは調子崩してないか。
春一番とか吹くころだろ? 島ではあの時期大海蛇が暴れて大変だったんだよな。
旦那さんはねえやを大事にしてくれているか? 外国からだけど心配してる。
ねえやは身重なんだからくれぐれも身体を大切にな。
今回はちょっとありがちだけど伝手が利いたチョコを送るから、旦那さんにどうかな。
航空便だからどうにか間に合うと思うんだけど。
そうだ聞いてくれ、ねえや。
じいやが俺のことちょっとだけ認めてくれた気がするんだ。
例のプロジェクトのほうじゃなくてさ。
今度、留学生の保護者役になりそうなんだ。
昔の俺みたいな娘みたいに居場所がなくなった御令嬢らしいんだ。
ねえやが俺にやさしくしてくれたみたいに、助けになれたらって思うよ。
ねえやの坊ちゃまより