豆腐、ハーレムを尻目に海を駆ける
拝啓 ねえや
季節があべこべの国でカンガエルーが泳いでいたのをねえやも見たよな?
聞いてくれ。離島の海もやばいんだ。
魚どころかサメやエイどころか、イノシシが泳いでるんだ。あいつら、海の上でさえ獰猛に襲ってくるんだ。陸でも海でも気を抜けないだなんて――俺の修行はまだまだ長いぜ!
それはそうと、ねえやも元気にしてるか?
旦那さんはねえやに優しくしてくれているか? 気苦労はないのか?
誰かに絡まれたら、ちゃんと助けてもらえているんだろうな。今回の菓子折りもちょっとは役に立つといいんだけどな。
ねえやの坊ちゃまより
◇
ちなみにこの手紙を出すとき、ねえやに手紙を出すなんて赤ん坊かよって言われたんだ。
いやな、でもこの学校にいたら心底俺は乙女ゲームもギャルゲームも必要ないって思ったんだ。
いいんだ、俺は決めたんだ。
俺はファンタジーの道を往く。
――――俺は魔法使いを目指すんだ。
知ってるか、ここだけの話。
男の魔法使いに三十歳以下はいないんだ。
俺は三十歳で鉄壁のガーディアンから魔法使いに転職する。果ては魔法剣士無双だ。
気づけば俺はサムライギャルソンと呼ばれていた。
なんだ注文でも取れというのか。快楽主義者どもめ。
そんなことを言いながら、俺だって年齢だけはそこそこなもんだから。
リアルが僅かながら充実しだした。
在学中にせっかくの浪人と留年を利用して、二級小型舶舟操縦士免許を取ってやった。
知ってるか、十五歳九ヶ月から受験できるんだ。十六歳にならないと交付されないけどな。
若年者限定で家のモーターヨットは運転できなかったから、じいやに釣り船みたいな軽いやつを買ってくれって頼んだら、じいやの知り合いに貸してもらえることになったんだ。お礼は島外の病院への通院の送迎でいいんだと。そんなのお安い御用ってやつだ。
なにが型落ちだ、現行機種じゃないか。
ラウンジどころか畳があるのはなんでだ。日本に来るからにはタタミゼだと? そうか、そういうもんか。
バウンドするけど馬力も十分だな。スポーツタイプもやるじゃないか。
それにしてもこればかりは多島海が役に立ったな。五海里以内でもだいたいこのあたりの海なら航行できるんだ。多島海のおかげでそれこそ四国どころか本州九州にまで渡れるんだ。ヘイ福岡、ヘイヘイ神戸。俺が来てやったぜ。
だがしかし、残念ながら流暢なフランス語からはじまり、諸々の言語を話すじじばばどもを本土の病院に送ることに終始することとなった。……ここはバビロンか。
小山の上に建つ学校から見渡してみたけど、どの丘にも神殿も建っていなければ、学者もいなかった。
おしゃれな白壁の建物が並ぶ、やたらと生き物が生息している多島海のままだった。
ちょっと待て。
どうしてそんなに怪我をするんだ?
鰆の大群にでも出くわしたのか。鯵か。鰈か。
必要があれば金髪茶髪のじじばばの翻訳係にもなった。
これぞまさしくサムライギャルソンの誕生であった。
さあさあ今日のじじばばの注文はどこの病院だ。
どんなお国柄でどうやって接したらいいんだ。
そのミッションにこたえてやんぜ。
じじばばの数割は、こだわりびとだった。
日本語でカルテを書くのではなく昔ながらのドイツ語カルテがいい。あれだと多少は読めるのだと古い医者を所望した。
俺は平日は学校に通っているんだが、休めというのか?
しょうがない、じじのスイス史語りで手を打ってやんよ。
週末限定送迎クルーザーの評判は広まり、通院クルーズを所望する人間の言語も多様化した。
授業、おめえ役に立つやつだな!
なんだ、今日は青大将に巻きつかれたのか。猪か。
最後は諦めて各国の医療用語を覚えた。
そして俺はじじとばばをムッシュとマダムと呼ぶことを覚えた。
まあな。
年齢に関係なく、マダムはマダムに違いないもんな。よしとしよう。
それに、彼女らは実に一途だ。
なによりも旦那と長く連れ添っている。
ウンウン、その光景はもはや崇拝の対象である。
かくして俺は美しく気高いマダムたちを守る騎士になった。
大好きだったガーディアンの近似値だ。いい響きだ。
リアルが充実しまくりだ。
俺はレダムダボーのいろはをムッシュたちによって、マダムたちを相手に実地で教え込まれた。レダムダボーなんざ、要は余裕のある男の演出だ。
船の乗り降りに手を貸すのはもちろんのこと。
今では女性を見ると反射的にドアを開けてしまうほど、自然とイスをひくほどに身についている。
そのおかげでよいこともあった。引きこもりのきっかけとも言える義理の母とのぎくしゃくが解消された。そうだよな、義母だってマダムだもんな。
俺のなかで、世のマダムこそが一途な女性だという図式が成立した瞬間である。
義母よ、俺の男の余裕を見たか。
それに家の都合で顔を出すパーティーには、いつものマダムかムッシュが一組二組はいるもんだから、話し相手にもダンス相手にも困らなかった。
研鑽した俺のエスコート能力値に感極まったマダムのボリュームに富んだ双丘には窒息させられかねんこともしばしばだった。
伊達に中学のダンスクラスで、快楽主義者どもを躱しているわけじゃない。
華麗にかわしてやんぜ。
エスコート必須だからと請われて未亡人に付き添って出かけることもあった。
やがてパーティーの格に合わせての振る舞いも身についてきた。
服飾関係の外国語もジョークもそれぞれ覚えた。
そして満を持して、十七歳九ヶ月で一級小型舶舟操縦士となる資格を得た。俺は三角定規の遣い手になったのだ。海図を読める男は十八歳が待ち遠しいばかりだ。
ついにモーターヨットをこっちに回してもらった。
社交仕様だけど、どうせ年に数回しか乗らないもんな。宝の持ち腐れだぜ。
革張りの座り心地の良いソファーはふわりと弱った身体も包み込む。ミニキッチンは、当然冷凍冷蔵からワインセラーまでをも備えている。
軽量に抑えたものとはやっぱり違うな。
なにせ制御が働いてスピードを出してもバウンドが抑えられるんだ。このプログラミングはスゲーな。あとで丸裸にしてやんぜ。
航海範囲が沿海だからこそ、ダブルベッドルームも完備されているクルーザー仕様なんだ。
これを島暮らし、寮暮らしの俺が使わないでどうする。そうだろ?
はじめて島に来たときから、このクルーザーを狙っていたのだ。
借りたスポーツボートはな、やっぱり揺れるんだ。
出血なんてしていようものならひやひやすんだろ。なにせほぼ病人輸送船だからな。
これでついに体調の悪いムッシュとマダムを揺らさずに運べるようになったぜ。
しかも一級になったからには播磨灘の空白地帯なんてなんのそのってやつだ。
まもなくムッシュとマダムが付き添いと称して、ワイン片手にクルーズを楽しみはじめたのは、まあヨットも本望ってやつだろ?
しかしである。
そもそもビンディをつけた女性教諭に、二十の段までの九九を教えられ。
さらには幾何を習う段階で、俺はなにかおかしいと思うべきだったのだ。
ついでに言えば、クラス補助と言う名のフレンチメイドが何人もいるのもおかしいと感じなければならなかったのだ。
いやだって、ねえやみたいなもんかと思っていたんだ。
どうやら長い引きこもり歴に、島外に年の近い友達もいないというぼっち属性のせいで、俺もその辺のことが分かっていなかった。
かくして落ちこぼれな俺はムッシュにマダムに助けられながら、五年もかかって中学を卒業した。
うん、言い訳をするならこの中学四年制だったんだ。もしかすると噂の定時制中学とやらだったのかもしれない。
卒業の前祝いにといろんなマダムとムッシュから株券をもらった。渋いな株券。結構前に電子化されたはずなのに様式美が威力を発揮した。
ぽぷりよ、おいどこ行った。
それにしても送迎がそんなに嬉しかったのか。
みんな大盤振る舞いだな。
もらうばかりはよくないので、もらった数には足りないが、じいやに頼んで俺の家の株券で返しておいた。
正解だったらしい。
どうやら晴れて俺たちは盟友であり親友になったらしい。
うん。いや、かなり嬉しい。
だって豆腐な俺が、はじめて誰かに自分自身を認められた気がしたんだ。
さあ来年にはどこの高校を受験しようか。秋入学可能な高校があればいいんだけどな。
しかしそんな多民族の子息子女の入り混じる中学を卒業する段になって、ようやくひとつの事実が判明したのである。
なんということだ。
ここはしがない町立中学ではなかったのだ。
俺が通っていたのはインターナショナルで、年齢不問のスクールだった。
たしかに、よくよく考えてみれば、町立中学にフランス語を話すメイドがわらわらといるわけがない。
それどころか、カリキュラムが複雑すぎて分かっていなかったんだが、俺は七年の過程のうち二年を飛び級をしていたらしい。
いや出足が遅れているから、もうすぐ二十歳だ。
相も変わらず、落ちこぼれ豆腐には違いない。
それでも日本の中高に六年間通うよりも一年早く過程を終えていた。
そう、気がつけば高校卒業同等程度の国際カバロレアロ認定とかいうものを手にしていたのだ。
確かに積分とか中学校ではやらないよな。
だけど、討論やプレゼンの教科も、複数の外国語も日本の学校では一般的ではないらしい。
俺の日本が引きこもっているうちに、国際化しただけだと思ってた。全然気づいてなかった。
なにはともあれ、高校卒業資格と同等価値のスクールは無事に卒業したようだ。
朝から晩までの授業の成果で、せっかく外国の大学の入学資格もいくつか手に入れていたことだしと、進学先には外国の大学も視野に入れることにした。
言語も日英仏独西露中亜にヒンディー語やペルシア語トルコ語にスワヒリ語あたりはそこそこ読み書きできるわけで。
両親とじいやと兄たちの薦めもあって、思いきってアメリカの大学に進学してみることにした。
善は急げとアメリカに飛び立ち、意外にも学力に遅れを取ることもなく、語学にも困ることなく学生生活は意外と充実していた。
正直なところ、ほっとした。
それからはさらなる飛び級を視野におさめつつ、俺はついに落ちこぼれ豆腐人生を巻き返しつつあった。
さて、ここまでが前置きなんだが――。
そうだな、前置きだったんだ。
なにが起こったんだ。俺が一番知りたい。
いつの間に夢と現実の区別がつかなくなったのか、全く自覚がないんだが。
もう一回言っておく。
なにが起こったんだ……。
目の前にいるものが、あり得ない状態なんだが。
なにがどうなって、こうなったんだ――。
ちょっと時間を巻き戻して見てみるか。それしかないよな。_