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石畳の道と半分木造の漆喰の家々。素朴な服装の人々に、どこかから聞こえてくる笛の音。賑やかな通りに馬車などの姿はなく、道にあふれるのは人間と山羊だ。頭の上にザルやかごを乗せて物を運んでいる様は、まるで懐かしいインドを思い出させた。
「ねえ、お兄さん、寄ってかない? 安くするわよ」
「いらん。放せ」
「なによ、ケチぃ!」
客引きの商売女がしなだれかかってくるのをすげなく払いのけ、ニールはロランの背中を追っていた。背後から女の悔し気な声が投げかけられる。
ロランはそんなニールをチラリと振り返る。その感情のない黒瞳とニールの視線がカチリとぶつかり……ニールの胸がざわついた。
(まさか……こいつ、俺を撒くつもりか?)
嫌な予感は当たるもので、人の波間に見え隠れしていた黒髪がふっと消えた。どうやら脇道へ逸れたらしい。ニールは慌てて人垣を掻き分けロランを追った。
「わっ、なんだよ!」
「すまん、どいてくれ!」
急いで青年が消えたと思しき脇道を覗き込むと、細い路地を駆けていく背中が見えた。それなりに背が高く、また、ここでは珍しい黒髪のロランは見つけやすいと言えば見つけやすいターゲットだった。
思わず舌打ちが漏れる。
まだ若く経験も少ないロランの考えは読みやすいが、体力では自分の方が一段劣る。こういったシンプルな追いかけっこは土地勘もろもろ含めてロランが有利だ。だが、ここで手がかりを逃すわけにはいかない。ニールの体は頭が命令するより先に走り出していた。
細い路地をトップスピードで駆け抜け、ロランに対して肉迫するニール。しかしロランは非常にすばしっこく、予期せぬ所で方向転換したりジャンプして逃げて行く。
(絶対に逃がさない……!!)
ロランの方はといえば、どうせすぐに音を上げると踏んでいた中年男が、意外としぶとくしかも距離を縮めてきているのに焦り、苛立っていた。
「ちぇっ、しつけぇオッサンだぜ……」
そう漏らすと、ロランは建物の外壁に取り付けられていた、コの字型の連続した鉄の棒にジャンプして飛びつき上り始めた。建物の屋上を走って逃げるつもりである。
これが立て掛けてあった梯子であれば、蹴倒すことで時間が稼げたのだが、そうはいかなかった。ロランもそろそろ息が上がってきている。後は向こうの体力が先に尽きてくれることを祈るばかりだった。
そんなロランの状況を知らないニールは、苦しい息の中とっくに胸中の罵詈雑言も出尽くして、ただただ機械的にロランを追っていた。コの字型のステップを長い脚で三段飛ばしに上っていく。
ニールはため息を吐きながら、目前に迫ってきたロランの右足に手をかけた。そして両手で掴むと思い切り引っ張った。
「っ! っああっ!?」
予期せぬ衝撃にロランのバランスが一気に崩れた。背中から落ちた彼は空中で一回転して運良く足から着地したものの、勢いがつきすぎてそのまま尻もちをついてしまう。そこにステップから飛び降りて来たニールが近づき、ロランの胸倉を掴んで立たせてからパンチを五発、胸と腹に入れた。さらに足を払い飛ばす。
「うっ…………!」
「約束を破る奴は嫌いだと言ったはずだ!! このまま鼓膜を破かれたくなかったらさっさと俺を案内しろ!」
「わかった……わかった! オレが悪かった!」
蹴られないよう腕で顔を庇いつつロランが叫んだ。そして、今度こそ観念したように小さい声で約束した。
「案内、する……」
ニールは再び尻もちをついた状態のロランを引っ張り起こし、「さっさと行け」と顎で示した。本気で懲りたのかロランは大人しく案内を始めた。街の中を縫うように進んで、ほどなくしてニールが連れて行かれたのは、どう見ても娼館というやつだった。
「俺はこんな場所に興味はない。誘われてもやらんぞ。それとも情報収集の為か?」
「はぁ。寝るためだっつの。別に、抱き枕に女の乳手繰り寄せるくらいしてもいいんだぜ? ツケがきく店だし支払いはオレじゃなくて親父だから遠慮すんなよ」
「…………」
その言様にニールは鼻を鳴らした。その日はもう、そのまま休むことになり、割り当てられた部屋に水差しとカップ、起きたときに食べる軽食を運び込ませたロランはさっさとベッドに横になっていた。
「……オッサンは隣の部屋だぜ。さっさと行けよ」
「うるさい、寄れ。一緒に寝るぞ」
「はぁっ!? ぜってぇ嫌だ!!!」
「全身の骨をバキボキに砕かれるか、俺と一緒に寝るか選べ。また逃げられたら敵わんからな」
「なっ……!」
凄まれたロランは押し黙った。そのままベッドへ倒れ込み、ふて寝の構えだ。
「くそ、女も抱けねぇし、変なオッサンと同衾しなきゃなんねぇし、散々だぜ……オレが何したってんだ」
ボソボソと小声で愚痴を言っていたロランだったが、ニールだって同じような気持ちだった。
「うるさいな、さっさと寝ろ。俺だって何が楽しくて男と密着して寝なきゃならないのか、疑問で頭がどうかしそうなんだからな。言っておくがお前の自業自得だぞ」
部屋はほとんどベッドしかない狭いものだった。そういう商売のためなのだから当然かもしれない。だが、寝具だけは豪華で柔らかく、マットレスも適度な固さで寝やすそうだ。乏しい照明の中、靴を脱ぎ上着を脱いでいく。互いに無言で、衣擦れの音だけが響いているのが気色悪い。ニールはげんなりした。
着の身着のままなのは気持ちが悪いが、夜中に何が起こるかわからない。ニールはシャツは脱いでジーンズはそのままにして寝ることにした。ロランも似たようなものだ。
ランプひとつだけの薄暗い部屋で、ベッドに横になり、ニールは無理に目をつぶった。この世界での初めての夜だ。寝つけないかと思っていたが、存外に眠りはすぐに訪れた。夜中、寝ぼけたのか、ロランが抱きついてきて胸を弄りつつうなじに顔をうずめてきたので、さすがにぶん殴って気絶させた。
「………かんべんしろ!」