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宇宙エレベーター見学ツアー  作者: ぜんしも
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(7) テザーのこと

今回は宇宙エレベーターの要、テザー(ケーブル)のお話です。でも、講座に行くわけではありません。どこでそんな話が出てくるのでしょう?

3日目のお昼、食堂にランチを食べに来た。引力はすっかり細くなり、小惑星の上などと同じく、微重力という状態だ。この段階でも、ふわふわ浮いて移動しようと思えばできないこともないが、公共のスペースではとりあえずやめておく。そうしてゆっくり歩いて、食堂の入り口にたどり着いた。


「あれ、今日はボシュマールさんいないねえ。まだ来てないのかな?」


「んー、そうだな。まだ席が空いてるようだからこれから来るのかもね。とりあえず座っとこう」


そう言って僕らは近くのボックス席に並んで座った。相席希望の人が来るかもしれないしね。


「パーリャ、またコーヒーでいいか?」


「あ、今日はフルーツジュースがいいな。お兄ちゃんはコーヒー?」


「うん、『コーヒーとフルーツジュース』」


「フルーツジュースは、『オレンジ』『アップル』『パイナップル』『グレープ』『ベリー』『グアバ』『マンゴー』『ミックス』『トロピカル』がご用意できます。どれにいたしますか?」


テーブル上の小さなディスプレイにはフルーツジュースのメニューが表示されている。パーリャは目をしぱしぱさせながら表示を眺めている。眼鏡買えよ!


「うわー、いろいろあるんだ……えーと、『グアバ』にしよっと!」


「かしこまりました」


テーブルはすぐに受け付けてくれた。そのとき、ギルバートさんがワゴンを連れて戻ってきた。僕は、テーブルを頼りに立ち上がって迷惑をかけたお詫びをした。


「あ、昨日はすみませんでした。ありがとうございました」


ギルバートさんは、にこっと笑って答えてくれる。営業スマイルかな?


「カンパーネン様、もうお加減はよろしいんですか?」


「ええ、すっかり良くなりました。昨日はみっともないところお見せしてしまって、すみませんでした。それに何から何までお世話になったようで……」


「いえ、他の皆さんも、多かれ少なかれ通る道ですから。私も慣れるまでは、大変でした」


ギルバートさん、意外と人懐っこそうな笑顔を見せる。へえ、こんな顔ができる人なんだ。すました顔しか見たことなかったけど。


「私はぜんぜん平気でしたけどね」


パーリャがどや顔ですまして言うと、ギルバートさんがほほ笑みながらはじき返す。


「これからかもしれませんよ。症状が現れるのに3~4日かかる人もいらっしゃいます。お気を付けください。申し訳ありませんが、オーダーが入っていますので失礼します。すぐにお料理、お持ちしますね」


「ああ、引き留めてすいません。本当にありがとうございました」


ギルバートさんは、そそくさと厨房に戻っていった。


「ああ、よかった。ちゃんと謝れた」


「わたしが昨日謝っといたんだけどね」


「ああ、その節はありがとな。もう大丈夫だから。お前が調子悪くなった時には、ちゃんと面倒見てやるからな」


「はいはい、お願いしますね。ああ、これから症状が出る人もいるんだって。私大丈夫かなあ。どう?顔、丸くなってない?」


「お前はだいたいいつも丸顔だろ?」


「言うと思ったよ。今日も清楚な美人女子学生だもん」


そんなことを言っていると、乗客の一人が座席を探してこちらに来た。


「申し訳ありません。相席をお願いしてもいいですか?」


若い男性だった。僕と同年代かな?もうちょっと年上?そう思いながらも、業務用のスマイルで返した。


「ええ、どうぞ。ご遠慮なく」


パーリャも、今までの話を聞かれたか、と赤面しつつもよそ行きの笑顔でほほ笑んでいる。


「ありがとうございます。『ひとりお願いします。飲み物はホットミルクで』」


「かしこまりました」


テーブルが受け付けて、一人分の座席を明るくした。


「あ、どうも。助かりました。僕はタンシー・キュウといいます。製薬会社に勤めています」


「僕はマエーク・カンパーネン、商社に勤めています。こちらはパーリャ、僕の妹で大学生です。」


「よろしく。レクチャーの時から何度かちらちらと見かけて気になってたんです。かわいい子がいるなって」


「ま、ありがとうございます」


そんな挨拶をしているうちに、ドリンクと料理が運ばれてきた。僕はギルバートさんに目くばせをして、「ありがとう」と言った。ギルバートさんは、笑って受け入れてくれた。


「今日は何かな?おお、ホットサンドだ。おいしそうだね。いただきましょうか。」


「はい、いただきます」


ペーパータオルで手を拭いて、3人ほぼ同時にホットサンドにぱくついた。もうこれはマナーだのと言っていられない。ワイルドスタイルで食べよう。そう思って、手づかみでがぶりとかじりついたら、中からジュワッとソースがあふれてきた。やばっ、ソースが垂れる!と内心焦ったのだが、よく考えるともうすでに重力はほとんどない。ソースも、表面にあふれてはきたけれど、そのまま表面張力でパンと中にはさんであるチキンソテーに、お行儀よくくっついている。焦ったのが恥ずかしくなってきた。


「ああ、そういうことか!こりゃ素晴らしい!ねえ、そう思いませんか?」


キュウさんが僕と同じ体験をしたらしく、大げさに見えるくらいに納得した顔をした。リアクションの大きい人だなあ、と思いながらも、僕もその意見には賛成だ。


「ほんとですね。これだけソースをたっぷり含んでいながらこぼす心配がないなんて、一本取られました。これぞ、無重力料理ですね」


「ええ、びっくりしましたけど、おいしいです」


別のテーブルでも、笑い声がこぼれている。みんなびっくりして、その後に感心しているようだ。ここのシェフも、なかなかやるなあ。その代わり口の周りにソースがまとわりついて、ナプキンをたくさん消費してしまったけど。ソースで窒息する人もいるって、レクチャーでは言ってたよなあ。


付け合わせには生野菜のサラダも付いている。ホットサンドは暖かく、サラダは冷たく冷やしてある。ジュレのドレッシングもかかっていて、口に入りやすいように小さめに刻まれている。これはフォークで食べるんだな。うん、おいしい。


「まだ、生野菜が出てくるんですね。なんだか宇宙食のイメージが変わったな。」


「ええ、とても食が進みます。重力とここのメニューのせいで、すっかり体重が気にならなくなっちゃいました。帰った後が怖いです」


そんなことを言うパーリャも、顔はうれしそうだ。


キュウさんは、ひとしきり料理をほめた後で、今度は自分の気になることを話してきた。僕らも、そろそろ料理は食べ終わって、ドリンクを口にし始めたところだ。


「いやね、僕は昨日からずっと部屋のスクリーンから目が離せないでいるんですけど、あのケーブルね、切れたりしないんですかねえ?」


キュウさんって、心配性なんだろうか。僕とパーリャはコーヒーとグアバジュースに口をつけながら黙って彼の言うことを聞いている。


「だって、ケーブル見るとすごく細いじゃないですか。博物館で見た実物も、こんな幅でしたよ」


こう言って手を広げる。1mよりやや狭いくらいか。


「いくら丈夫だと言っても、あの細さでこれだけの大きな機体をぶら下げてると思うと、いつ切れてちぎれるかともう、心配で夜も眠れないですよ」


「そんなに心配されなくても大丈夫ですよ」


後ろからいきなりそんな声が聞こえてきた。声でわかる。アリシアさんだ。僕は急いで振り返った。が、無重力のことをすっかり忘れていたのでうまく振り返れずに、中途半端に体をねじっただけだった。うう…、はずかしい。


「ああ、あ、アリシアさん」


「キュウさん、パーリャさん、こんにちは。カンパーネンさん、お加減はいかがですか?ここでお食事してらっしゃるのでしたら、もう大丈夫ですね?」


「え、ええ。昨日はさんざんお世話になってしまって、申し訳ありませんでした。すっかり治りました。本当に助かりました。ありがとうございました」


「いいえ、よくなられて、よかったです。でも、講義は途中までしかできませんでしたね。どこかで埋め合わせしようと思ってるんですけれど、ちょっと時間を調整してみますね。申し訳ありませんでした。」


アリシアさんったら、そんなことを言う。どこまでいい人なんだ、このひとは。


「いや、そんな、迷惑をかけたのは僕の方で……」


その時、パーリャが割り込んできた。


「いいんだよ、お兄ちゃん。私も、アリシアさんの講義、じっくり受けてみたかったし。またいつか、お願いしますね」


「ええ、ぜひ。あ、そうそう、キュウさんのお話でしたよね。テザーが細いって……」


「あ、ああ。そんな別にいいんです。僕が極端に心配性なだけなんです」


キュウさんは、しまった、というような顔をして遠慮する。そりゃツアーの提供者に面と向かって苦情を言ったような形になってしまったのだから。僕は、アリシアさんとのここまでの会話をはしょって説明する。


「僕が昨日、無重力酔いをしてしまって、アリシアさんに迷惑をかけてしまったんですよ。割り込む形になってしまってすみませんでした。で、テザーが切れそう、って話ですよね」


「『切れそう』なんて冗談でも言わないでください。うちのテザーは大丈夫です!」


ちょっとアリシアさんは口をとがらせる。そんなかわいい顔で文句を言われると、どう対応していいかわからなくなる。


「いや、すいません。でもキュウさんは……」


僕がキュウさんのフォローしようと思ったとき、キュウさんは一所懸命言い訳をする。


「いや、僕だってそんなことは思ってないんですけど、でもね、見るからに細いじゃないですか、あのケーブル。あれでよくこの重量物をぶら下げていられるなあって、感心してるんですよ。感心して夜もねむれなくて……」


キュウさんのその言葉に、アリシアさんが笑顔でフォローしながら説明を始めた。


「宇宙エレベーターの本体であるあのケーブルのことを、テザーと呼ぶんですが、実はあのテザーって、太さは一定じゃないんですよ。お気づきになられました?」


ええ?そうだったんだ。えーと、出発の時と今で、どれくらい違ってたっけ?考えてみるが、思い出せない。そのとき、パーリャが言い出した。


「あ、知ってる!上の方が太くて、下の方が細いんですよね?ミュージアムの展示に書いてありました」


アリシアさんがにっこり笑って、パーリャの発言に目を細める。


「そうなんです。テザーは、いわゆるロープのような丸い断面ではなく、幅が広くて厚みが薄い、リボンのような形をしています。両側から車輪で挟み込んでクライマーが昇るためなんですよね。で私たちがこうやって昇ってるうちに、テザーの幅はだんだん太くなっていってるんです。厚みも少し厚くなっています。で、静止軌道ステーションのあたりが最大の幅になりまして、またそこから上はだんだん細くなっていきます。テーパー構造っていうんですよ」


はー、そうなんだ。アリシアさんへの尊敬の念がまた膨らんだ。


「でも、これからどんどん上に上っていくと、重力ってほとんどかからなくなってきますよね。なのにテザーは太くなっていくって、変だと思いません?」


そういえばそうだ。重力が減って支える重さが少なくなっていくんだから、必要なテザーの幅は細くなっていくはずだ。あれ?


「テザーは本来なら、高度によってかかる張力は違うんです。その張力をどの部分にも均等にかけてうまく負担できるように太さを変えてるんです。GEOステーションのあたりは、その張力が一番大きいところなんですね。だってそこから下にあるテザーの重さすべてを引っ張り上げて支えているんですから。」


あ、そうか。下の方の、地球に近くて重力がたくさんかかる部分のテザーの重量を支えているのは、それをぶら下げている上のテザーなんだ。だから上に行くほどテザーは太くなければならないんだ。静止軌道を超えるとその力の向きは逆になるけれど、先の方に行くにつれて負担が少なくなるのは下側と同様か。なるほどねえ。


「もちろんテザーを太くすると、その部分はテザー自身の重さが増えますよね。するとそのテザーの重さを支える部分のテザーも太くしなければならない。と、そんなことも含めてできるだけ負担を均等にして必要最小限の量にするように、テザーの太さがきちんと計算されてデザインされているんですよ。うちのスタッフはすごいんですから。あ……。いえ、まあそういう感じです」


スタッフ愛が隠しきれないくらいほとばしってる人なんだなあ。僕はそんなアリシアさんを、まぶしく感じながらお話を拝聴するしかなかった。キュウさんも、細面のその顔をほのかに赤らめながら、アリシアさんに聞き入っている。


「そんな丈夫なテザーが作れるようになったのも、20世紀末に発見されたCNTカーボン・ナノ・チューブから始まった、高靭性繊維の研究開発のおかげなんです。現在では撚り線の形で120GPaギガパスカルの張力に耐えるCCNT(被覆カーボン・ナノ・スレッド)が実用化されてこの『ターサ』でも採用されているんですよ。『何よりも軽くて、何よりも丈夫!』これがウチの『ターサ』を支えている秘密なんです!」


アリシアさんの講義はだんだん熱を帯びてくる。もう僕たちはうなづくしかない。これって例の『宇宙エレベーター講座』の何回目かの講義に出てくる内容なんじゃないか?


「だけど、テザーだってただ軽くて丈夫なだけじゃないんです。地表から10万キロ先まで、温度変化は+70℃から-70℃まで、太陽光に太陽風に宇宙線まで盛大に当たりまくるんです。その状態でクライマーの車輪にはさまれながらこの重量を支えなければならないんですから、それはもうものすごい耐久性が必要になるんです。耐摩耗性に、耐熱・耐冷性、耐放射線に耐光、耐紫外線、地表付近だと耐湿に耐酸に耐塩の性能まであるんです。こうして並べただけでも、ものすごいですよねっ!」


うんうん、


「しかも宇宙空間は、いろんなデブリが飛び交ってますよね。21世紀の終わりに各国が協力して、かなりの数お掃除して、ずいぶん減ってはいるんですけど、まだ数ミリ程度の大きさのものは、数万個単位で残っていて、それがいつぶつかるかわからない状態なんです。ですからテザーは、数ミリ程度の穴は『空いて当然』。穴が開いてもそれが広がらないように、25年は交換しないでも定格の耐久性を保てるようにと、計算して設計されているんです。それもうちのスタッフが……いえ、そんな感じですごいんですよ。」


ははあ、なるほど。


「今では、CCNTのテザーをベースに超電導磁石を貼り付けたリニアモーター駆動の宇宙エレベーターが配備されているのはご存知ですよね。そういう方面の進歩もあるんですけど、『ターサ』のようなホイールドライブの、昔ながらのクライマーで走る宇宙エレベーターの旅も、乙なもんですよね!気分がのんびりしてゆったり感満載ですよね!実は宇宙エレベーターマニアの人たちには、リニアモータークライマーよりもこちらの方が大人気なんですよ。昔の『The 1st SE』と呼ばれてた頃からの『撮り鉄』の人たちが、クライマーを激写して写真集なんかを出してたりもするんですよ!」


アリシアさんは両手を胸の前でしっかり握りしめながら、熱演している。宇宙エレベーターにも、ターサ1号にも、スタッフや会社にも、あふれる愛をほとばしらせながら、いつ終わるとも知れない解説を続けている。そんなこんなで、気が付いたらアリシアさんの周りには食堂に来ていた乗客のほとんどが集まってきていて、愛にあふれた講演に聞き入る状態になっていた。


ふっとアリシアさんが目線を周囲に向けて状況を理解したとたん、みるみるその顔が赤面していった。同時に焦りの表情も出始めた。こんなに注目を集めているとは思わなかったんだろう。


「あ、あああ、……そんなわけで、この宇宙エレベーターのテザーは、信頼性の高い十分な性能を持っておりまして、ご安心して旅を続けていただけます!以上、アリシア・ナカイの解説でした!ご清聴ありがとうございましたっ!」


そう言って、アリシアさんは周りの観客にペコリと頭を下げた。とたんに万雷の拍手!アリシアさんはなんだかいたたまれない顔で、そそくさと退出していったのだった。アリシアさん、人気者だなあ。


今日もいい食事だった。キュウさんも、やや困惑気味だったけど、満足して帰っていった。今晩からはゆっくり寝られるといいんだけれど。



ツアー3日目 現在地点:高度1万6200km まだまだヴァンアレン帯外帯は続く 重力は0.07G

タンシー・キュウさんは中国系の人ですね。この時代、国際交流も混血も進んでいるので、個人の国籍に対する意識は人によってバラバラです。生まれ育った地域から一生ほとんど離れない人もいれば、逆に仕事を変えるのと同様に住んでいる国を変え続けているような人も普通にいます。国連憲章では、住む場所、使う言語、職業、投票する対象、税金を払う対象を自分で選択する権利が万人に認められるべき、と謳っています。すべての国で文字通り実現しているわけではないですけどね。で、宇宙エレベーターに興味を持つような人は、後者のタイプが多いようです。


あと、CCNT(Coated Carbon Nano Thread)は、このお話での創作物です。CNTの撚糸に分子レベルでコーティングを施して、宇宙エレベーターに使用するために十分な耐久性を持たせています。アリシアさんの言っている通り、丈夫さと耐久性を両立した、宇宙エレベーターに必須のプロダクトです。早くこんなのができるといいですね。


次回は、このエレベーターにまつわるちょっとした秘密がわかります。

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