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宇宙エレベーター見学ツアー  作者: ぜんしも
31/41

(29) 偶然と必然

ガスパールさんに紹介されて、マエーク君は大学の研究者だというファルシャ先生と会うことにしました。実はこの方、パーリャちゃんのプランにとっても、重大な影響を与えるキーパーソンだったんです。どんな方なんでしょうね。

ファルシャさんはとても穏やかで気さくな人だった。


アリシアさんが教えてくれた通り第1食堂で静かにコーヒーを楽しんでいたらしいファルシャさんは、ガスパールさんと僕の姿を見ると、奥深そうな微笑みを見せて歓迎してくれた。


「こんにちは、ファルシャ先生」


ガスパールさんはそのファルシャさんに近づいていくなり、挨拶をした。


「ああベゼルさん、こんにちは。今日は初めてお会いしますね」


本当に穏やかな人だ。イスラム特有の黒髪に黒いひげをたたえてともすればいかつく見えそうな姿なのに、それを全部帳消しにしてしまう柔らかい物腰と笑顔がむしろ印象的だ。セルゲイさんは、この人を見習うといいのでは?そんなことまで思い起こさせるファルシャさんが僕の方に目線を向ける。ガスパールさんがその疑問に答えた。


「マエーク・カンパーネンさんをご紹介します。なにか先生に訪ねたいことがあるそうで、ちょうど先生がこちらにいらっしゃると伺ったもので、連れてきてしまいました。ご迷惑ではなかったですか?」


ガスパールさんは、妙に丁寧に話しかけている。「先生」と敬称をつけているように、お互いの立場は教える側と教わる側といった形になってしまっているようだ。僕も「先生」と呼ぶようにした方がいいかな。


「いや、ご存知の通りここには旅先でのんびりした時間を楽しむためにいるのだから、お互い時間はいくらでもあります。新しい出会いを楽しめるというのは大歓迎ですよ。どうぞおかけください。よかったらお飲み物も注文してください」


「こんにちは。マエーク・カンパーネンと申します。ベゼルさんには無理を言ってきてしまいました。先生にお尋ねしたいことがありまして。少しお時間をいただいてよろしいでしょうか」


「うーん、私にわかることだといいのですが。まあ、たとえそうでなくても楽しいひと時を共有しましょう。ベゼルさんはお忙しいですか?」


席に着こうとしないガスパールさんを見て、ファルシャ先生は声をかけた。


「いえ、そういうわけではないんですが、また戻ると言ってきてしまったものですから。すいませんが、これで失礼します。マエーク君、すまんね」


「いえ、わざわざ付き合ってもらっちゃってありがとうございました。またご報告しますよ。みなさんによろしく」


そう言って、ガスパールさんとはここで別れた。そう言っているうちに僕のコーヒーも運ばれてきた。


「急にすいません。先生が大学の研究者だと伺ったもので、少し大学での研究事情をお聞きしたかったんです」


「大学の研究事情、ですか?」


「ええ、実はまだ個人的、というレベルでなんですがここのGEOステーション内に研究施設を建設するというアイディアを思いつきまして、研究者の方から見ればどうなのか、ということをぜひ実際の研究者の方々に伺いたかったんです」


「ほお、GEOに研究施設ですか。確かに宇宙関連の分野とか、あるいは真空や無重力を必要とする研究者であれば、ここに研究施設があれば使いたいという人もいるでしょうね。そういう意味では先ほどのベゼルさんやキュウさんあたりにはもう尋ねられた後なのかな?彼らは、たぶん宇宙環境を必要としてもおかしくない分野の研究者だったと思うのですが」


「はい。彼らにはついさきほどの昼食時に聞いてみました。それで企業の研究者の方の意見は聞けましたので、大学の研究者の方はどうなのかと思いまして、先生をご紹介いただいたというわけなんです」


なんだかついでみたいな感じになってしまったかな?へそを曲げたりされなければいいんだけど。


「そうですか。だが、私の研究分野は情報科学の中でもルールマイニングとかルールリポジトリというような分野でして、あんまり無重力とか宇宙環境とかとは関係がない分野です。コンピューターとネットワークさえあれば、研究の場所はほとんど選ばない領域ですので、申し訳ないですが研究施設について特に意見のようなものは持っていないのです」


ルールマイニングにルールリポジトリ?具体的にその研究分野がどんなものなのかはよくわからないけれど、さまざまな研究分野での文献資料と実験データを有機的に管理するということについては、むしろドンピシャの専門家である気がする。ここでめげずに、むしろ相手を乗せなければならない。僕は言葉を紡いだ。


「いえ、先生ご自身がGEOを研究設備として使うということではなくて、一般的な企業や大学の研究者がGEOの設備を使う場合の、研究手法や研究データの共有について、ご意見を伺いたかったんです。実は、私も最近知ったんですが、いま私たちが乗っているような宇宙エレベーターについての学術研究データは、世界中でほとんど共有されていないようなんです」


「ほお、それは?」


「学術研究データの共有」というキーワードを提供したことで、先生は少し、この話に興味を持ったようだ。僕は以前調べたことをかいつまんで先生に報告した。宇宙エレベーター建設以前、この分野での先陣争いが激化し、協調より競争が優先されてしまった。その結果として各国でほとんど研究データが共有されることなくここまで来ていること。そのため、まだまだそれぞれの国家群の間での知識や情報の共有が不十分で、場合によっては宇宙エレベーターに関する問題点すら共有できていない可能性もあること。すでに各勢力の自力設計による宇宙エレベーターが建設され稼働していることからも、遅まきながら宇宙エレベーターとその他宇宙開発の技術に関する国際的なリポジトリを発足させ、知恵と情報の共有を図ることが、人類全体の利益につながるであろうということまで説明し終えた。


「なるほど、私の知見を求められてきたというご事情が理解できました」


そう言って、ファルシャ先生はゆっくりと目を閉じた。カップから口に含んだコーヒーを味わっているようにも、自身の考えをじっくり咀嚼しているようにも見える。


今日の昼食時、ガスパールさんからファルシャ先生の名前を聞いた時、どこかで聞いた名前だと思っていた。つい最近、どこかの文章でファルシャさんという中東の研究者の名前を見た覚えがあったのだ。その記憶がつながったのはその後の、「情報技術の研究者」という言葉を聞いた時だった。そうだ、ゼニス・ナカイ氏の伝記に出てきた研究者の名前だ。


確か晩年のゼニス氏がMDRの経営陣を退いた後に訪れていた中東、アラブ首長国連邦の大学で人工知能の研究で意気投合し、当時まだ大学院の学生だったファルシャ先生と共同で論文を執筆したという話だった。どんな論文だったかはあまり記憶していない。宇宙エレベーターとは無関係なタイトルだったので、特に記憶する必要はないとその場では考えたのだろう。だが、ここまで話してみて、やはり僕は的確な人に話しかけることができたのだと確信していた。


「しかし、私の疑問は、あなたがどうしてそのような点に興味を持たれたのか、という部分です。聞くところでは、あなたはバリアントグループの方で、いわゆる商社のビジネスパーソンだと伺っています。そのような方が興味を持たれるような、そこにはおそらくビジネスとしてのうまみはあまりないと私は思うのですが」


もっともな疑問だろう。僕はためらわず、解答する。


「まあわけあって、……と言いますか、まずはっきりさせておきたいのは、ビジネスを視野に入れての質問ではありません。私が個人的にこの宇宙エレベーターに興味を持って、いろいろと調べ始めたところから知ったことです。重ねて申しますが、自分の職業は関係ありません。本当に興味本位で持った疑問なんです」


ファルシャ先生は、やさしいほほ笑みの中から、こちらを射抜くような視線を向けている。


「ひょっとして、あなたはある程度私のこともすでにご存じなのではないですか?トルークバル・ファルシャというのが私のフルネームです。それでこの宇宙エレベーターの最初のツアーに乗り組んでいるということで、あなたの求める人物であることはほぼ確実になったと思うのですが」


ばれていた。そうだよな。ちょっととんとん拍子に語りすぎたようだ。だがこれでよかった。むしろ話が早いと喜ぶべきだ。僕は種明かしをすることにした。


「先生はお見通しですね。いえ、実はここに来るまでは僕も正直半信半疑でした。先ほどのベゼルさんとの話の中で先生を紹介されまして、その時はどこかで聞いたお名前としか思い出せなかったのですが、さっきからお話をしているうちに、完全に思い出しました。先生はゼニス・ナカイ氏と共著の論文をお書きになっておられますね」


「それはもうかなり前のことです。一応私がファーストオーサーとなってはいますが、それはどちらかというと当時大学院生だった私の研究業績にしてくださるため、ナカイ氏が譲ってくださったもの。そんな論文よりも何よりも、彼がその当時から危惧していたことを、今になってあなたの口から聞こうとは思いませんでした。もちろん決して忘れていたわけではないのですが、私にとってはあまりにも重要すぎたため、なかなか手を付けられずにいた古い宿題なのです」


つまり、僕がゼニス・ナカイ氏の伝記や記事からなんとか読み取った、彼の一番の目的とは、宇宙エレベーターにおける研究情報の共有だったのだ。そしてそれをきっかけとする宇宙開発データの共有、つまり過去の、そしてこれから各勢力がそれぞれに取得する経験の内容をすべて集めて、人類が共有すべき資産とすることだったのだ。宇宙エレベーターは、宇宙への距離を大きく縮め、宇宙への進出を飛躍的に簡単なものにした。そうして宇宙に出ていく以上、人類はもう国家や人種などの垣根を捨てて、一つの人類として事に当たるべき、そのための環境を整えたいというのが彼の望みだったと考えたのだ。


「先生はそのための準備を長い間してこられていたんですね。そしてそれとは別に、ナカイ氏の曾孫にあたるアリシア・ナカイ社長がこのターサを復活させ、ここで初めての観光宇宙旅行を実現した。それに僕も、妹も……僕の妹はアリシアさんに認められてこの会社で研究施設建設の提案をする予定になっています。その妹も、明確なものではないにせよ、40年も前にゼニス氏がこのターサに与えた特別な意味を感じ取っています。すべての部品は揃いつつあるという状況です」


彼の描いた夢は、人類を本当の意味で宇宙に進出させること。たぶんゼニス・ナカイ氏が遠い昔に描いた夢が、アリシアさんたち姉弟たちに引き継がれ、そしていつの間にかパーリャや僕の目指すゴールともなり、そのために必要な様々なパーツが、このターサには集まってきているということなのだ。


本当の意味での宇宙への進出、それは資源を求めたり探索対象として宇宙に行くのではなく、宇宙を住みかとするということだ。人類が、生涯を地球以外の場所で過ごすために必要な技術や資源を手に入れるということ。これを実現して、初めて人類は地球というゆりかごを出て自立することができるようになる。


「偶然、という言葉で片づけるものではないのでしょうね。私がこのツアーに応募したのも、そして当選したのも、あなたが今ここにいて私に話しかけたのも、強い力が導いた必然の結果だったというのでしょうか。……私はこれでも学者の端くれですので、非科学的なことを言うべきではないと自覚はしているのですが、それでもなんというか、超自然的ななにかを想起せずにはいられません」


先生はそう言い終えた後、じっと耳を澄ますように僕の反応を待っている。


「いえ、僕もただの偶然だったとは片付けたくありません。だけど同時に、僕の解釈はちっとも非科学的ではありませんよ。僕たちはゼニス氏とアリシアさんにすっかりハメられてしまったんですよ。いいように踊らされたわけですね。僕も、妹も、そして先生も」


「私は、確かに踊らされました。昔私がまだ情報科学科の大学院生だった頃、引退したMDR創始者として大学が招いたゼニス・ナカイ氏の特別講義を聞きました。そして私は人工知能研究の持つ大きな可能性に気づかされたんです。そしてその後には毎日のように研究室に来てくださって、さまざまな議論を通じて、始まったばかりの私の研究の方向性を見事にコントロールしていかれました。当時から、世界中に散らばってしまった人類の宇宙への挑戦の足跡を、巨大なナレッジベースとしてまとめ上げてくれと、耳にタコができるくらいに吹き込まれたものです。今でもあの声が、脳裏から離れてくれません」


そう言いながらも、先生は嬉しそうに目を細めた。


「ところが、私にとっての最後の部品がなんなのか、このところの10年ほどはむしろ迷いが深まりました。私自身が研究所を統括するようになり、いくつかの分野での研究リポジトリを構築して広げていった過程で、しかし宇宙開発に関する情報やデータはなかなか集められませんでした。産業として巨大な利益を作り、地球人類の生活を一変させていったこの技術は、むしろ高い壁の奥に秘匿されてどの組織からも外に出されることはありませんでした。ほとんど枯れた技術ですら、何重もの壁の向こうで朽ち果てていくしかなかった状態です。この20年、すっかり器を作り上げたと思っていましたのに、器が出来上がると今度はそこに入れるものがどこにも存在していないという現状に気づいたのです」


「ですが、今思えば私の眼はずいぶんと曇っていたようです。カンパーネンさんに、私が長年テーマにしていたものを言い当てられ、しかも答えまで一緒に教えられようとは、今の今まで想像だにしませんでした。ゼニス・ナカイ氏は初めから親切にも、私の前に答えまで用意してくださっていたんですのにね。まず自分から、相手の欲しいものを用意してやると、相手もこっちの求めるものを出さざるを得なくなるのだと」


つまり、器を用意したのなら、次はそこに中身を入れて、相手に提供してやるのだ。そうすれば、それを手に入れたがる者は、自分の持つものをもそこに入れざるを得なくなるのだ。隠された技術や知識を提供させるためには、こちらが持つ知識を相手に開放することからはじめればいい。ゼニス氏が最初の宇宙エレベーターで重機としての機能を自ら進んで提供したように……。


「僕と妹も、結果としてはアリシアさんに踊らされました。実は妹は、この下の博物館に就職しようとしてアリシアさんに直接アタックしに行ったんです。それで入社試験の代わりに、博物館を盛り立てるための企画を提案することになってしまいまして……」


「その過程で、最初はアリシア社長に踊らされていたあなたが、次はゼニス氏に踊らされるようになってしまった、ということですね。あなたも私のお仲間だったわけだ」


ファルシャ先生は、本当におかしそうに笑った。20年ぶりの本当の笑顔だったのかもしれない。そしてその笑みが収まった後、食堂の小さなテーブルの上で、僕たちは具体的な計画を動かし始めたのだった。


                * * *


その日の夕食時、僕はファルシャ先生と食事の約束をしていた。パーリャももちろん連れていく。どちらかというとパーリャと先生の顔合わせのための約束なのだ。ということで今日は第2食堂で待ち合わせている。


本当はアリシアさんにはまだ内緒にした方がいいだろうかなどと一瞬悩んだのだ。ゼニス氏のことを知る人と僕たちがなにやら悪だくみをしているなんてことは、まだ今の時点では彼女に知られたくはない。


そもそもアリシアさんは、ファルシャ先生がゼニス氏と知り合いだったってことを知っているのだろうか。応募書類とかは見ているだろうから、名前も身分も知ってはいるのだろうけれど、応募書類じゃあ大学院時代に共同研究をやってたなんてことはわかるはずはない。その先生と僕たちが話しているからって、アリシアさんが疑問に思うことはないんじゃないだろうか。


確信は持てなかったが、考えてもわかることではないので結局第2食堂を選んだ。アリシアさんが寄ってきたらそれはその時に考えよう。そんなわけで、今日もアリシアさんのいる第2食堂に向かった。


「ねえ、そのファルシャ先生って情報学の先生なんでしょ?なんでお話を聞きに行ったの?今回の話と関係あるわけ?」


パーリャの疑問ももっともだ。だが、それを一言で説明するのも難しい。行けばわかる、なんていうのも納得させられそうにないし、なんと答えるべきだろう。


「うん、僕も最初は気づかなかったんだけど、ファルシャ先生は、パーリャの計画には実は欠かすことのできない重要人物だったんだ。ファルシャ先生の持ってる技術や知識があれば、パーリャの構想が確実にSEMにとって重大な計画に位置づけされるようになるはず。そのくらいの重要人物だ」


「え、ええ~っ?なにそれ?ひょっとしてパパたちが考えてるような計画なんて、鼻息で吹き飛ばせるようなそんな重大さ?」


女の子が鼻息で吹き飛ばすとか言うなよ、と心の中ではツッコみつつ、僕は確信を持ってうなづいた。


「そうだな。その通りだ。ただし、後戻りはできなくなるぞ。自然、お前はこの計画の発案者として逃げも隠れもできない立場になる。パパたちがそれからどう関わろうとしてくるかはさっぱりわからないけどな」


「ええ~。なんか恐ろしいところに出向いていくような気分になってきた。今日のデザートがせめて好きなものであることを祈るよ」


そんなことを言っているうちに、第2食堂についた。ちょうどアリシアさんと目が合って、にこやかな笑顔で迎えてもらえた。パーリャはたちまち上機嫌になる。


「こんばんわ、パーリャさん、マエークさん。こちらでよろしいですか?」


「今日はファルシャさんと約束してるんで、彼が表れたらこちらにご案内お願いします」


「そうですか。ああ、ちょうどいらっしゃいましたね。さっきお会いになってお話弾んだようですね。どうぞ、ファルシャ先生、カンパーネンさんたちとお約束ですよね?」


「ファルシャ先生、こんばんわ。妹のパーリャです。大学3年生です」


「パーリャです。ご一緒させていただけてありがとうごさいます。よろしくお願いいたします」


パーリャは、例の完璧なお嬢様を演じている。パーリャはなんだかんだ言って結構基本能力は高いんだ。この優秀な妹なら、この計画が本格化していったとしても、十分対応できるに違いない。


「こんばんわ、パーリャさん。ファルシャです。可愛い妹さんがいると聞いたんで、ぜひお会いしたいと思っていました。こちらこそよろしくお願いします」


そんな挨拶を交わして、僕たちは席に着いた。


「今日のディナーは子牛のカツレツです。コンソメスープとファッシネーションサラダにオードブルが付きます。デザートはミルクのムースですよ。すぐにお持ちしますね」


「よかった。ムースは好きだから、今日はうまくいくよ、きっと」


「パーリャは緊張しすぎ。もっとリラックスしろ」


見るからに緊張していたパーリャだったが、デザートのメニューを聞いて少しは気持ちが上向きになったようだ。


「そんなに緊張されるほど、怖くはないですよ。マエークさんに聞いて、あなたのプランにちょっと興味を持っただけなんです。ここのGEOステーションに研究施設を建設するんだそうですね」


「はい、これが私の入社試験なんです」


そう言って、パーリャはアリシアさんたちとのいきさつから話し始めた。そこまでさかのぼるのか、とも思ったが、話し始めるとパーリャもだんだん乗ってきたようで、ファルシャ先生もニコニコしながら聞いてくれている。ときどき笑いも誘って、パーリャの話術も捨てたもんじゃない。


僕たちはディナーを食べながら、インターンシップの話。アリシアさんの採用宣言の話。アリシアさんたちに謝罪されてプレゼンをすることになった話まで一気にまくし立てた。ファルシャ先生は熱心にうなずいて、きちんと聞いてくださった。


そしてその話が終わると、次は切れ目なくパーリャのプランの話になる。アリシアさんは、宇宙をもっと身近な存在にしたい。まずはここの博物館と宇宙エレベーターを、子供たちが研修などに訪れる施設にして、宇宙や物理、工学などに親しむきっかけにしたいという要望があった。しかし、まだ宇宙は誰でもが気軽に訪れられる場所ではなく、そのための技術や経験も不足している状態である。そこで、GEOステーションに研究施設を誘致して、宇宙での生活を推進する最新の研究を行う環境を提供し、その成果をここで使うとともに、下の博物館で紹介して展示にも生かしていくという計画を立てた。博物館に付随する研究施設とそこで行われた研究が最初に実現される環境としてGEOを利用し、ここに最初の宇宙都市を実現するという構想までをファルシャ先生に紹介した。


パーリャの話が終わるころには、僕たちの食事も大半終わっていた。それに対し、パーリャは話すことに夢中でろくに食事をとれていない。そんな様子にファルシャ先生は優しいほほえみでこう告げた。


「パーリャさんのアイディアは素晴らしいものですね。特にここを研究施設にするだけでなく、宇宙都市の建設までを行う実験施設とまで位置付けている点が、壮大でまた実りの多いものです。博物館との連携も考えられている点は、私から見ても非の打ちどころのないプランです。さあ、ここからは私のプランを説明しますので、どうぞお食事を進めてください。カツレツはまだ十分暖かいですよ」


「はい、ありがとうございます。あ、お兄ちゃんもう食べちゃってる。待っててくれてもよかったのに」


「デザートは待っててやるから、早く食べろ」


「はあい」


そう言うと、今度はファルシャ先生の話がはじまった。宇宙エレベーターの開発競争から始まって、それ以降の宇宙開発に関する知識共有が、他の分野に比べてほとんど進んでいない現状が説明され、その状態を取り戻すための計画案が披露された。博物館の中に、データサーバーを用意しGEOの研究施設における研究成果と実験データを宇宙開発リポジトリとして構築、頃合いを見て公開する。研究成果の利用規約を、現状の他のリポジトリなどと同様にすることによって、他の分野と同等以上の宇宙開発や宇宙利用に関する技術とデータの蓄積を目指す、という構想が語られていった。それによって宇宙開発に関する技術の向上はもとより、技術や手法の共有によって、共同の研究や開発も促進され、真の意味での宇宙進出を支える大きな足掛かりになることが期待できるという。


パーリャははじめ、食べながら聞いていたが、そのうち手の動きが止まるようになった。時々思い出してはまた口をもぐもぐと動かしてはいたが、たぶんどんな味のものを食べたのかはほとんど覚えていないだろう。ファルシャ先生は、話の最後をこう締めくくった。


「さあ、最後のムースだけはせめてゆっくり味わって、その後でお互いのプランについて感想を言い合いましょうか。もちろんムースの感想もね。」


それは魅力的な提案だった。


「後の話は4日後、パーリャさんのプレゼンが終わった後で、アリシアさんたちとすることになりそうですね。現時点でパーリャさんのアイディアは、まだインターンシップの学生に出された課題の解答でしかありませんし、予算や建設計画はおろか、効果予測や与件の確認さえ取れていませんからね。今のところは、単なる可能性の問題でしかありません。SEMには彼らの事情やスケジュールもあるでしょうから」


お互いの感想も終えて、ムースの感想も言い合った後、ファルシャ先生はこれからの話を始めた。


「とにかく、私はこのプレゼンでアリシアさんたちの感触を聞いてみます。そうおかしなプランではないとは思うんですが、私たち、アリシアさんたちの事情も希望もまだ驚くくらい知らない状態でいますから。そうしたら、あとは皆さんにお任せしちゃいます。そもそも就職もまだ2年後の話ですから」


「私の方は、パーリャさんのプランとはまったく独立した話としても成り立つ計画なので、こちらで独自に進めます。まずは予算獲得に動きださなければなりません。私も今は長期休暇中なので、休暇から復帰したら早速始めることにします。これでようやく古い宿題が片付けられそうだ」


ファルシャ先生は、パーリャのアイディアとは無関係に、とにかく動き始めることを宣言した。ネットワークがあれば、サーバー自体は世界中のどこにあってもかまわない。もしも本当に、GEOステーションに研究施設が開設されるのなら、その時に契約しさえすれば今回のプランが成立することになるからだ。まあ可能なら、地表の博物館の施設内に置くのが、一番ふさわしいとは思うけれど。


「パーリャも、とりあえずプレゼンの仕様がこれで確定できたよな。あとは資料を充実させてプレゼンを実行するだけだ。あと3日、がんばれ!」


「ああー、なんだかもう今日で終わった気になってました。まだ本番のプレゼンがあるんですよね。まだしばらくカンヅメは続くんですねー?」


パーリャの嘆きが聞こえたのか、アリシアさんがワゴンを連れて近づいてきた。


「ずいぶん真剣にお話合いしてらっしゃいましたね。お飲み物のお代わりはいかがですか?」


「ああっ、アリシアさんー!会いたかったです!」


パーリャは、アリシアさんにコーヒーをサービスしてもらうなり、アリシアさんに抱き着いた。


「パーリャさん!?あ、あのっ!ああ……、よしよしよし……」


アリシアさんが手のやり場に困って、パーリャの頭をなで始めた。パーリャもそのまま気持ちよさそうになでられている。まあ、いろいろ考えて頭も気持ちも疲れがたまっていたんだろう。ファルシャ先生も、まるで小さい子を眺めるかのようにほほ笑んでその様子を見ている。


「さっきまで、プレゼンの内容でファルシャ先生にいろいろとご意見を頂いていたんですよ。それで疲れたんでしょうね。今だけはちょっとの間、許してやってください」


「そうですか。パーリャさんもがんばってるんですね。私たちもパーリャさんのプラン、真剣に検討させていただきますね」


アリシアさんはそういいながらも、よしよしとパーリャの頭をなで続けている。パーリャ、役得だなあ。その時、ファルシャ先生がアリシアさんに問いかけた。


「アリシア社長、パーリャさんのプレゼンですが、私も同席して聞かせていただくことは可能でしょうか。もちろん、御社の採用試験の一環というのはうかがっていますし、普通は社外に公開するような性質のものではないと承知してはおります。ですが、先ほどまでパーリャさんとマエークさんにいろいろとうかがっているうちに、どうやら私も無関係ではいられないと感じておりまして。パーリャさんのプランと、必ずしも連動したものではないのですが、私のプランも併せて聞いていただきたいと感じております。この場でお願いしていいものなのかわかりませんが、ぜひご検討願えませんでしょうか」


ファルシャ先生は、自分のプランをかいつまんでアリシアさんに報告する。詳しくは、これから資料を作るので、4日後にパーリャのプレゼンと併せて聞いてほしいと訴えた。アリシアさんはファルシャ先生の問いかけに驚いて言葉も出ないようだ。パーリャをなでていた手が、いつの間にか止まっている。パーリャもようやく顔を挙げて、アリシアさんから離れた。


「え、あ、あの。え、えーと……。マエークさん……」


アリシアさんは両手を胸の前で組み合わせて、明らかに狼狽して僕の方を見た。助けを求める目だった。ファルシャ先生は言い出した本人だし、パーリャに相談するのもためらわれたのだろう。消去法とはわかっていても、僕が頼られているのだから何とかしてあげたい。


「一度持ち帰って、セルゲイさんたちにご相談されてはどうですか。ここで勝手に決めるのもよくないでしょう?パーリャは、ファルシャ先生が同席してもいいよな?」


突然指名されるとは思っていなかったのか、パーリャはあわてて僕を見たが、ちゃんと自分で考えて答えを出した。


「はい、むしろ可能でしたら同席していただきたいです。私にとっては援護してくださる味方だと思っていますから」


その答えを聞いたアリシアさんも、ようやく落ち着いて自分なりの答えを出したようだ。


「わかりました。持ち帰って役員たちと相談いたしますが、先生からのご提案もあるということですから、おそらくご希望通りにできるのではないかと思います。正式にはまた明日にでも、ご報告しますね。パーリャさんたちにも」


そんなアリシアさんの言葉で、有意義だったひと時はお開きとなった。


解散してコンパートメントに戻った僕たちは、シャワーも済ませてようやく一息つける状態になった。今日はなんだかいろんなことがありすぎて、すっかり疲れてしまった。早く休みたい。そう思いながらシートを倒してベッドに組み替えた。二人してしばらくは声も出さず、ただベッドの上に漂っていた。長い時間が経過して、パーリャがようやく口を開く。


「お兄ちゃん。結局アリシアさんのひいおじいちゃんの、なんだっけナカイさん?あの人は未来にこんなことが起こるってことをずっと見通してたってことなのかな?なんだかその中にいるのかと思うと、空恐ろしい気もしてくるよ」


パーリャは文字通り、今回の流れの中心にいる。もちろんアリシアさんもだ。ゼニス・ナカイ氏が仕掛けたからくりの中で、翻弄されていると言っていいだろう。もちろん進んでその渦に巻き込まれていっているのではあるが。


「うん、さっきファルシャ先生も、そんなことを言ってた。ゼニス・ナカイ氏って、どこまで考えて見通していたんだろうなあ。すごい人だなあ」


アリシアさんの願いを聞いて、パーリャがターサを盛り立てようとして、僕が昔の文献を調べて、二人でああでもないこうでもないってアイディアをひねり出して、そこに親父からのチャチャがきて、ガスパールさんたちにも意見を聞いて、それでファルシャ先生を紹介されて、その流れでようやくゼニス氏の考えに思い至ることができた。すべて成り行きで進んでいっただけなんだろうけれど、まるで予定調和であったかのようにここまで至ることができた。何度考えても納得がいかない。


「すごい人ってのは、どれだけ時間がかかっても、ちゃんと人を動かすことができるんだなあ。人の力ってのは、そんなすごいこともできるんだなあ」


「パパがこの話を聞いたら、なんて言い出すんだろうね。だんだん楽しみになってきたよ」


一瞬、当てが外れた親父の顔を想像したが、親父は親父でそう簡単にがっかりするようなタマでもないことを思い出した。


「そうだな、パパの反応が楽しみだ。……『照明オフ』」


そのままの姿勢で、僕たちは快い疲れを連れて夢の世界に旅立った。


14日目が終わる。現在地点:高度7万3800キロ 重力は0.04G 微重力状態

ここに至って、ようやくゼニス・ナカイ氏の見ていた未来を、マエーク君もパーリャちゃんも共有することができました。3日後にはファルシャ先生も一緒になって、アリシアさんたちにその未来を吹き込むことになります。そしていずれはマエーク君たちのお父さんにも。


みんな、どんな反応をするのでしょうか。マエーク君たちはちょっと楽しみになってきました。


次回は、ようやくプレゼン資料を完成させたパーリャちゃんがGEOステーションに戻ってきます。うまくプレゼンできるのでしょうか。

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