表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
宇宙エレベーター見学ツアー  作者: ぜんしも
2/41

(2) はじめてのディナー

いよいよ宇宙の領域に入っていきます。まだ重力はしっかりあるので、普通にディナーを食べます。メニューはなんでしょうね。その後で、なんだか難しい話になってきました。でも大切なことなんです。


宇宙エレベーターに搭乗して、そろそろ2時間が経とうとしている。搭乗案内でも言っていたように、最初の2時間の風景はなかなかすごかった。


我々が日常的に体験している高さは、せいぜい数百メートル程度。高層ビルやタワーの展望台の高さがそれだ。もう少し高ければ山の上からの風景になるし、さらに昇れば飛行機から見る景色になる。そしてそれが我々が普段行くことのできる高さの限界だ。飛行機だと、高さにして1万メートルほど。で、宇宙エレベーターでは、出発後3分ほどでその高さにまで達してしまう。


後の時間は、まさに未知の体験だ。


それに、飛行機にしてもその高さは徐々に上がっていくものであって、数分間の間に一気に昇ることはない。もちろん角度だって緩やかだ。


宇宙エレベーターでは、それを垂直に一気に昇っていく。そんな乗り物はこれまでなかったと言っていいだろう。遊園地のアトラクションも既存のエレベーターも、スケールが違いすぎるので比較にならない。そんなわけでこの2時間の間は、スクリーンから目を離すことができなかった。これだけで、宇宙エレベーター見学ツアーに参加した甲斐が十分にあったと言っても過言ではない。


「いやいや、こんなもんでまだまだ満足していただいては困りますよ、お兄さま」


妹のパーリャがツッコミを入れてきた。


「いや、かなりいい景色だったろ?僕はこんなの初めて見たぞ」


「ま、確かに私も初めてだけどさ、でもまだ旅は始まったばかりだよ、お兄ちゃん」


まあそうだ。そういえばそろそろ次のイベントが始まるころだ。次は……


そう考えたとき、コンパートメントのドアがノックされた。


「失礼します」


「どうぞ」


そう返事をするとドアのロックがはずれ、客室乗務員が顔をのぞかせた。40歳くらいだろうか、中年の丁寧な物腰の男だが、結構ガタイがいい。なんとなく屈強な兵士のような雰囲気が感じられるような気もする。気のせいかもしれないけど。


「失礼いたします、カンパーネンさま、でよろしいでしょうか。お二人様、ご兄妹とうかがっております。」


野太い声で我々を確認してきたので、肯定の返事をする。


「はい」


パーリャも僕の後ろから顔を出した。


「申し遅れました。キャビン・クルーのセルゲイ・ミティーホフと申します。今回のご旅行ではパーサーのアリシア・ナカイと共にこのお部屋のお世話を担当させていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。なにか、ご不便なことはございませんでしたでしょうか」


「いえ、今のところは」


「ありがとうございます。なにかございましたらスクリーンのコールボタンか、または室内で『パーサー』『クルー』などと呼びかけていただきましたら、コールが届くようになっております。いつでもご遠慮なくお申し付けください。」


「あー、ありがとう。今は特にないな」


「間もなくお食事の準備が整う手はずとなっております。お食事はこちらにお持ちしましょうか。それとも食堂で召し上がられますか?」


「んー、パーリャ、どうする?」


急に話しかけられてパーリャは少し、驚いた顔で僕を見た。


「お兄ちゃんに任せるよ」


僕は少し考えて、


「じゃあ、ここに持ってきていただけますか」


「わかりました。15分ほど後でよろしいでしょうか?」


「ええ、そのころに」


「かしこまりました。15分後にお持ちいたします。その時に、今夜の就寝の際のご注意など簡単なブリーフィングがございます。スクリーンにお出ししますので、ぜひご覧ください。」


「わかりました」


「では、失礼いたします」


そういってキャビン・クルーと名乗った男は去っていった。


「なんで部屋で食べることにしたの?もう一回社長の顔も見てみたいかな、なんて思ってたんだけど」


「そうか?まあ、旅は長いんだしこれからいやでも顔を合わせるだろ。とりあえずは気楽に食べたいと思ってな」


「まあいいけど。どんな食事かな?」


「まだ重力が普通にあるから、普通の食事だろ。つっても旅客機の機内食くらいのもんじゃないの?ろくに調理できる設備もないだろう?」


「そっか、じゃああんまりごちそうは期待できないか」


「どうかな?ま、楽しみにしておこう」


食事というのは重要だ。もちろん最低限、栄養やカロリーが取れて、体調を保つことができなければならないのは当然だけれど、それ以上に旅の楽しさや充実感を支える重要なパーツだと思う。これからどんどん昇って行って無重力に近くなってくると、地表と同じような料理を楽しむことはできなくなってくるらしいけど、いまはまだそれほどではない。まあ、宇宙に向かう閉ざされた環境で、どのくらいのことができるかは何とも言えないけど。


「よく考えたら、これから21日分の食事を全部この列車に積んで昇ってるんだよねえ?水や酸素も積まなきゃならないことを考えたら、ものすごい量になるよねえ?大丈夫かなあ?」


もちろんそういう疑問や不安は必ず沸き起こるんだから、事前レクチャーでもさんざん説明されていたことだ。記憶にある限りでも、なんでも水が1日20リットル、酸素や食料、洗濯洗剤(もちろん宇宙用)や食器用洗剤などこまごましたものまで含めて、一人一日当たり60kg分の荷物を積まなきゃならないということを以前のレクチャーで聞いたはずだ。なにより、探査や建設任務のためではなく、観光旅行という娯楽目的で宇宙に行くのだから、これまで探査目的の宇宙船で準備されていたような、人間が生存するために最低限必要な物資の量の、3倍以上の物資を積んでいるということだった。観光目的での宇宙旅行なんて、ものすごい贅沢なことなんだと恐縮してしまった記憶がよみがえった。まあすぐに忘れるんだけどね。


「1日ひとり60kg、って言ってたよな。今このクライマーに乗っているのが乗客14人とスタッフは、5~6人くらいか?だとしたら合計20人で21日間だから……25トン?」


「トン!?」


パーリャはびっくりした顔でしばらく黙っていた。レクチャーでも同じことを聞いただろうに。寝てたのか?


「贅沢だよなあ」


そう言うと、パーリャは言い訳をするようにこんなことを言う。


「まあ、それくらい人類の技術が進歩した、ってことだよね。誰だか知らないけど、こんなもの作ってくれてありがたいことだね」


視線を窓の外に向けて、パーリャはしみじみとうなずいていた。僕もそう思う。人類ってのは大したもんだ。まだまだなところもあるけどね。


そんなことを会話しているうちに、コンパートメントのドアがノックされた。


「お食事をお持ちしました。失礼いたします。」


さっきの軍人上がり(勝手な想像だが)のクルーだった。確か、……セルゲイさん?


「お待たせいたしました。機内ですので、あまり贅沢はできないのですが地上スタッフ渾身のメニューでございます。ごゆっくりお楽しみください。それからこちらはチーフパーサーからの差し入れです。地元のフルーツを今朝絞った、フレッシュジュースです。お酒は召し上がらないと聞いておりましたので、こちらにさせていただきましたがよろしかったでしょうか?」


軍人さんはこう言うと、許可を得るように僕の方を見た。申し訳ないが僕もパーリャもアルコールは駄目なんだ。お酒が好きな人には、たぶんカクテルかワインでも用意されているんだろう。


「ええ、大丈夫です。ていうか、ジュースがいいです。ありがとう」


「いえ、それはよかったです。でも搾りたてのジュースは今日だけですので、ご了承ください。では、お食事をお楽しみください。お済みになりましたら、こちらのボックスにおいれくだされば、後程食器ごと回収いたします。」


軍人さんはそう言ってドアの横の小さなボックスを指す。ここに入れておくと外から回収できるようになっているようだ。洗濯物や朝食などもここからやりとりするんだと聞いている。


「お困りのことがございましたら、お気軽にお申し付けくださいませ。それでは、これから就寝時の注意点とこれからのスケジュールについてスクリーンで説明がございますので、ぜひご確認ください。」


ワゴンで持ってきた二人分の食事を室内のテーブルにセットして、軍人さんは帰っていった。うーん、やっぱりなんか迫力が隠しきれていない感じだ。無駄に眼光が鋭いというか、秘めた実力がありそうなオーラを感じてしまう。


「なんかすっごい筋肉だったね、今の人。セルゲイさん?何やってた人なんだろう。」


パーリャも同じような感想を持ったらしい。


「あの人、あんまり接客に向いてないよ。目が怖すぎて子供が泣きだしそうじゃん?」


「本人も、案外悩んでるかもしれないぞ?さ、まずは食べよう」


夜な夜な自室のベッドに座って深く思い悩んでいる軍人さんを想像しながら、シートに座ってセットされたディナーをひととおり眺めた。大きめのトレイにセットされているのはロールパンにソテーされた野菜となんだかよくわからない肉料理、カップスープ。そして小さなトレイにはサラダとムースのようなデザートがセットされている。予想どおり、機内食のグレードアップ版という感じだ。そしてテーブルの中央にはパンにつけるスプレッドがあって、グラスはフレッシュジュースと水の二つが置かれている、これらが今日のディナーのメニューだ。


「ふーん、結構やるじゃん。サラダなんて今日だけしか出せないんじゃないの?」


どうなんだろう?これまでの宇宙旅行の感覚で言えば、生の食材なんて鮮度の点でも衛生の点でも宇宙船には持ち込めない食材だったはずだ。でも最近は衛星軌道のステーションでも人工農園が作られているみたいだし、やり方にもよるんだろうなあ。史上初の宇宙観光ツアーを企画するスタッフがどこまで頑張ったのか。ゆっくり確認させてもらおう……。そう考えているところに、スクリーンから音声が聞こえ始めた。


いつものアリシアさんのレクチャーが始まった。パーリャは「社長さんでたっ!」と妖怪みたいなことを言ってサラダをもぐもぐ口に運んでいる。見れば見るほどこの人、結構若いよなあ。まだ大学卒業したてくらいじゃないのか。それで社長って、よっぽどのやり手なのか、それともなんか事情でもあるんだろうか。……そんなことを思いながらも画面で続いているアリシアさんの説明に耳を傾ける。これからの説明は、実際にはすでに事前レクチャーの中で何度か聞いている話に違いない。そして初日の大きな説明事項と言えば、もうわかっている。つまりヴァンアレン帯の通過だ。


                    * * *


前提となる知識として、放射線について知っておかなければならない。一般に、空間を走る、ある程度エネルギーを持った電子や陽子のことを放射線と呼ぶわけで、そのうち銀河系の他の星々からくる放射線を銀河宇宙線、あるいは単に宇宙線と呼ぶ。そして、太陽からくるものは太陽風と呼んだりする。ただし、太陽からのものは「風」などと呼ばれるだけあって、銀河宇宙線にくらべればさほどエネルギーが高くなくそれほど危険視されているわけではない。むしろ、より危険な宇宙線を、太陽風は地球に近づけないように守ってくれている。


ヴァンアレン帯は、それらの放射線が地球の磁場によってとらえられたものだということ。太陽由来のエネルギーが低いものもあるけれど、銀河由来の高エネルギーのものも混じっている。つまりヴァンアレン帯というのは放射線がうじゃうじゃ存在している領域ということになる。そして人間がその中を通過すると、その放射線に被ばくする可能性が高いというわけだ。


宇宙エレベーターで移動する際には、特にそのヴァンアレン帯についてかなり警戒しなければならない。その理由は、ヴァンアレン帯の一番濃くて分厚いのが赤道の周りで、宇宙エレベーターはその赤道上空をまっすぐ貫いているというところにある。つまり、ヴァンアレン帯の最も濃い領域を、われわれの乗っているクライマーは長距離にわたって通過していかなければならないからなんだそうだ。


実は、これまでのロケットによる宇宙開発では、ヴァンアレン帯通過時の宇宙飛行士の被ばくについてはほとんど問題になっていなかったらしい。というのは、まずそもそもヴァンアレン帯を超える高度にまで行く宇宙飛行士がごく少なかったこと。ヴァンアレン帯の高度は2000kmから2万kmあたりまでで、一方、一般的な衛星ステーションの高度は約500km程度とそれよりはるかに低いところにある。ヴァンアレン帯の高度を超えるのは、月や地球近傍の小惑星に行く飛行士くらいだったわけで、宇宙エレベーターが建設されるまでの人類史上では、その数は50人に満たない。


しかもそれらのロケットの速度なら、たとえ高高度にまで行ったとしても、ヴァンアレン帯を通過するのにかかる時間はせいぜい15分から30分程度。宇宙船の壁や宇宙服の防護で十分な時間だったというのも有利な点だった。


そしてさらに、一般的な月行きのロケットでは、ヴァンアレン帯を避けるために極経由で月までの速度を得る軌道に乗っていたこと。極付近の上空はヴァンアレン帯が全くないか、または極端に薄い。これらの理由から、ロケットによる月旅行では、ヴァンアレン帯での被ばくはほとんど問題にされてこなかったという歴史があるのだ。


ほとんど問題にされてこなかった、ということはヴァンアレン帯を人間が長時間にわたって通過する際に、どんな影響がどの程度現れるか、などという調査や研究は必要ともされず、ほとんど行われてこなかったということでもある。


結果として21世紀の終わりごろに至るまで、実は人類はヴァンアレン帯の、特に人体への影響についてはほとんど確たる知識を持っていなかったといっても過言ではない。ロケットでの宇宙旅行に関しては、ヴァンアレン帯は避けて通るものだし、またそれが簡単にできた。対策らしい対策も、そもそも必要とされなかったのだ。


ところが宇宙エレベーターでは、事情が全く異なってしまう。まず宇宙エレベーターは地球の自転軸周りの回転運動を利用して建設され運用されるものなので、基本的に赤道上にしか作れない。したがってヴァンアレン帯を避けることが物理的に不可能だ。


挿絵(By みてみん)


さらに赤道の上空を車輪駆動によって昇っていくので、その速度はロケットに比べて極端に遅い。たとえば今搭乗しているクライマーは地球の引力に逆らって垂直に昇っており、せいぜい時速250kmしか出していない。ロケットは普通地球の脱出速度である秒速11km、つまり時速3万9600kmに近い速度を出しているのだから、速度の点では比較にならない。ロケットでは15分程度のヴァンアレン帯通過でも、クライマーだと3日ほども掛かってしまうことになる。放射線被ばくの量は時間に比例するのだから、これについて考えないわけにはいかないというわけだ。


そこで宇宙エレベーターでは、放射線を防御する壁を分厚くすることによって対策するしかないという結論に達することになる、のだが、この結論もあまりうれしくはない。宇宙エレベーターはテザーと呼ばれる丈夫なケーブルを伝って上空にまで昇っているのだが、このテザーの強度も、そう余裕があるわけではないらしい。重いものをぶら下げるのは極力避けたいというのが、宇宙エレベーター側の事情なのである。


ところが放射線防御壁の性能は、ほとんどその壁の厚さと重さで決まるらしい。壁が厚ければ厚いほど、重ければ重いほど、通過する放射線の量を減らせるということになる。このような相矛盾する要求によって、宇宙エレベーターでのヴァンアレン帯通過というのは至難の業、というのが常識なんだそうだ。それを、この「ターサ1号」は、どう解決するつもりなのだろう?アリシアさんの発言に注目する。


「まず、私たちが現在搭乗しているクライマー『ターサ1号』ですが、この機体はすでに厳重な放射線対策が取られています。現状の設備で、一般的な衛星軌道ステーションの数倍の放射線遮断能力を持っており、たとえば宇宙に行ったとき特有の現象としてよく話題になる、目をつぶると視神経を宇宙線が刺激した時の光が見える、といった現象も実はこの車内ではめったに起こりません、……残念ながら。」


アリシアさんはいたずらっぽく笑って、ひと呼吸間を置く。


「そのように厳重な本機の放射線防御ですが、しかし今後の進路は地球大気の保護膜からも外れ、ヴァンアレン帯の内部に突入し、しかもそれを抜けても今度は、ヴァンアレン帯自身が遮断している銀河宇宙線と呼ばれる最も危険な粒子線にもさらされます。もちろん太陽の活動状況次第では太陽風がそれを防いでくれるのですが、逆に言えば、太陽のご機嫌次第では濃厚な銀河宇宙線の嵐が吹き荒れる海に漕ぎ出すことにもなりかねません。」


「そこで、私たちのこの『ターサ1号』では、現状の放射線遮断能力にさらなる補強を施すため、分厚い防御壁を備えた増設クライマーとドッキングする方式を採用いたしました。」


アリシアさんがそういうと、画面は説明用のムービーに切り替わった。3DCGで作られたクライマーを覆うカバーの映像が映されている。


「宇宙エレベーターを昇るクライマーには本来あまり重い荷物を積むことはできません。特に地球の引力が強い地表付近では、クライマーはできるだけ軽量であることが望まれます。しかし一方放射線の防御は重い元素ほど強力です。つまり、重い元素を使って分厚く壁を作らなくては、放射線は十分に遮ることはできません。この矛盾を実現可能な形で整合させるために、放射線防御ユニットを経路の途中でドッキングさせることにしました。まず、地表付近は引力が最も強い場所ですので、テザーへの負担を減らすためにクライマーはできるだけ軽い状態にしておく必要があります。しかし同時に、地表付近は最も放射線の濃度が少ない場所でもありますので、地表からある程度上昇するまでは防御壁を持たない形でも問題ありません。」


「一方、ヴァンアレン帯が始まる高度2000km以降は放射線の影響が強まり始める領域です。しかし同時にそこは地球からある程度離れ、引力が弱まり始める場所でもあります。そこで、地上から2000km、ヴァンアレン帯が始まるあたりの高度に、あらかじめ放射線防御壁を持った別のクライマーを待機させておき、地表から昇ってきたクライマーとドッキングさせます。高度2000kmでの重力は約0.65Gと、地表付近に比べれば3分の2程度に弱くなっていますので、防御壁の重量がかかってもテザーへの負担はさほど増やさずに済ませることが可能です。そのような厚い壁を持った防御壁クライマーは、乗客を乗せたクライマーを防御壁の中に包み込む形でドッキングし、厳重に保護します。そしてそのまま2機のモーターを使って高速にヴァンアレン帯を駆け抜けるというしくみです。」


高速、といってもすでに実用化されているリニアモーターを使ったクライマーではなく、相変わらず車輪駆動での移動になる。結果としてモーターを追加して増速したとしても、出せる速度は昇りだとせいぜい時速400km程度らしい。この速度でヴァンアレン帯を抜けるのに約2日間かかるということで、時間的にはなんとか3分の2くらいには短縮できることになる。


要約すると、防御壁を追加することで放射線自体をかなりの割合でカットでき、しかも通過時間も短縮する、そんなブースターを開発し実装した、というのが観光目的での宇宙エレベーター利用が公的認可を受けられた理由ということらしい。認可の経緯で、当然放射線量の計測なども行われているのだろう。なるほど、と思う一方、他にやり方はなかったのだろうかという疑問も浮かばないわけではない。まあ、ここで説明されていないような制約もいろいろとあるんだろうけど。


「私どもの提携する宇宙環境監視機構Regional Warning Centerからの情報によりますと、本日現在、太陽の活動は活発ですがイレギュラーな表面爆発は観測されておらず、黒点の推移も比較的穏やかということです。これはヴァンアレン帯における放射線源の濃度は平均的な値に落ち着いており、かつ数日間にわたって状況の急変は予想されていないという状況です。そして太陽風による銀河宇宙線の排除も、平均的な量が期待できるようです。そこで予定通り本日22時ごろ、本機はいったんモーターを止め高度約2000kmにて停止いたします。そして待機している放射線防御壁を兼ねた増速ドライブユニット『マーキュリー』にドッキングいたします。」


「この『マーキュリー』は、ヴァンアレン帯からの放射線や銀河宇宙線を、飛行中の航空機並みの線量、毎時約7.5マイクロシーベルト以下にまでカットし、できる限りの安全性を確保いたします。さらにこのユニットの増設モーターによって、250km/hから400km/hにまで増速してヴァンアレン帯を通過します。増速してからのヴァンアレン帯通過にかかる時間はおよそ48時間、明後日の22時ごろにはヴァンアレン帯を抜けることができる見込みです。その後はそのままの速度でGEOステーション『The 1st STAR』までひた走ります。」


実のところ、この説明は事前のレクチャーだけでなく、説明会でもさんざん説明されたし、カタログにだってしっかり書いてある。さらに旅行の抽選に参加するためには宇宙放射線による被ばくについて、旅行企画会社には責任を追及しない旨の承諾書の提出が必要だったのだ。


そもそも競争率が高いという噂だったし、さほど重要視もしていなかった情報なので、今更ではあるのだが、この説明を改めて聞いていると逆に少し心配になってくる。防御壁があるとはいえ、ヴァンアレン帯の中を2日間もかけて通過するのだから、飛行機に乗っているときと同程度と言われても、素直には納得できそうにない。だがまあ信じるしかないのだろう。そう思っていると画面の中のアリシアさんが、ニッコリ笑ってこう言った。


「私自身も他のスタッフも、すでにこのフライトを数回経験して、毎回身体検査を受けています。その結果、年間の被ばく線量がWHOの推奨値よりはるかに低い水準でとどめられているのは、このマーキュリーのおかげだと思っています。私たちの技術をどうぞご信頼ください。」


うーん、美人にそう言われると、まあいいか、と思ってしまうのは男の性か、などと考えているとパーリャは軽くつぶやいた。


「うん。信頼してるからね、社長!」


そうか、女も信じたか。こういうカリスマってのもあるんだなあ。この社長といい、軍人さん(もう名前が思い出せない)といい、なんか妙な連中が集まった会社だなあ、というのが出発時の風景に続く、ツアー初日でのもう一つの忘れがたい印象となった。


ツアー初日の夜 現在地点:赤道上空高度651km すでに衛星ステーションの高度を超え、地球の丸みがわかるようになってきた。 重力は0.81G

初日の終わりに、いきなり大きなイベントがあるようです。ヴァンアレン帯、って存在するのは知っていましたけど、宇宙開発の話なんかをしても、ほとんど話題にものぼりませんでしたよねえ。それには上記のような理由もあったんです。ということで、次回はいよいよヴァンアレン帯に突入していきます。別に事故なんて起こりませんけどね。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ