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宇宙エレベーター見学ツアー  作者: ぜんしも
18/41

(17) 無重力農園

アリシアさんとの秘密のミーティングを終えて、午後のイベントにやってきました。午後には「記念タイル」と「農園見学」を予定しています。ひょっとして予定外のイベントなどもあるのかな?

アリシアさんとのミーティングを終えて、僕たちはまた中央展望園に集まってきた。


ここで行われる午後の最初のイベントは「記念タイル」だ。これは、宇宙観光旅行ツアー第1号のメンバーとして、地上3万5800キロのこの地にまでたどり着いたことを記念して、地球側のテザー(マイナステザー)と、カウンターウェイト側テザー(プラステザー)の接合部分に張り付けるタイルに書き込みを入れるイベントだ。参加した14人全員が、10cm角ほどの正方形のタイルを渡されて、記念にサインや言葉を書き込むというわけだ。


僕は普通に日付とサインを入れておしまいにしようと思ったのだが、パーリャがそこに妙な絵を描いて落書きをしてきたので、僕もお返しに「眼鏡買え」と落書きをしてやった。何年か先にもう一度これを見ることがあったら、あるいはこの後にここを訪れる人たちがこれを見たら、どんなことを想像するのだろうか。そんな先のことは誰にもわからない。


ちなみにタイルはもう一枚作る予定だ。それはさらに6日後、カウンターウェイトに達した時、そこに残していくものだ。今から言葉を考えておいてください、と言われてはいるが、カウンターウェイトにタイルを張ったとしても、そんなところまで誰が見に来るのか、と思ったりもする。いずれにしても、とりあえず今日の行事はこなしたので、次の行先が気になってきた。


次の行先は「農園」だ。僕たちは書きあがった「記念タイル」をスタッフに渡し終えると、手を拭いてすぐに農園に向かった。パーリャは近くにいたカレンさんを誘って一緒に行くようだ。もちろんタンさんやガスパールさんもついてくる。


農園は午前中に「リバースクライマー」を行ったターミナルのすぐマイナス側にある。だから、マイナス方面の通路を少し進めば、すぐに見えてきた。だが、僕たちが想像する農園、……広々とした畑に緑の苗が広がっている……とは違うようで、ただの入り口しか見えない。これは、たぶん基本的には水耕栽培で、栄養も温度も光もきちんと制御されている「野菜工場」のこと、……と思い、室内に入ってみると、そう言うわけでもないような、妙な施設だった。


農園の担当者は、この半年ずっとここに滞在して作物の面倒を見ているらしい、30代くらいの小柄な男性だった。「農夫」というよりは「研究者」といういでたちだ。それも当然で、無重力の環境での農法として確立されたものは、まだ一つもなく、とりあえず収穫があげられるようになってきたが、まだ改良の余地がある、というものもせいぜい片手の指で数えられるほど、ということなのだ。


「なんせ、無重力農業が始まって、まだ20年しか経ってませんから、まだまだ手探りの状態です」


と、テーラーと自己紹介したその農夫だか研究者だかは言っていた。


「その、ある程度収穫ができるようになってきた作物の一つがこれです」


といって案内されたのが、多数のチューブが張られた部屋の中で、そのチューブの途中に緑色のボールがぎっしりぶら下がっているところだ。これまでに見たことのない情景なので、一瞬面食らう。部屋全体は、僕たちが滞在しているホテルの居室2つ分くらいの容積だろうか。そこに2m四方くらいのフレームが組み立てられ、そのフレームとフレームの間にチューブが通されていて、そのチューブの途中に直径20cmくらいの緑のボールが生えている、といった感じである。そんなのが数十個ずらりと並んでいて、何の植物かはよくわからないが一様に茂っている。なるほど、収穫があげられるようになったと言えば確かにそうだろう。


「これが、そのうちの一つです」


テーラーさんは、チューブに生えた緑のボールを手元に持ってきてくれた。触って見るとチューブは割と柔らかく、水か何かを通すようになっているようだ。そして件の植物は、間近で見るとすぐに分かった。


「ブロッコリーですね?普通に育ってますね」


僕がそう言うと、テーラーさんは「はい」と大きくうなづいた。


なるほど、土の上で育てると畑の面積が実る植物の数を左右するが、チューブの上で発芽させれば立体的に育てられるので、空間密度が最大にできるわけだ。2mくらいのワイヤーに、30cmくらいの大きなブロッコリーが互い違いに10個程度はぶら下がっているだろう。


テーラーさんの説明によると、多くの植物は重力に何らかの影響を受けていて、中には重力がない環境ではほとんど発芽しないようなものもあるらしい。しかし、大多数の種子は、適切な湿度と温度を準備してやれば普通に発芽し、葉や茎をのばし、やがて花を咲かせ実を実らせるのだという。したがって、ただ育てて実や葉などを収穫するのは、それほど難しいことではないようだ。


「ただし、それは植物を育てるということに関してであって、『作物』を収穫するということとは根本的に違います」


テーラーさんはそう断じた。


「作物を収穫するというのは経済活動です。できるだけ手間や時間をかけず丈夫に育って、おいしく栄養ゆたかな可食部ができるだけ大量に収穫できなければなりません。最低限、地表からここまで運んだ一般の作物と勝負して勝てるようなものを生産できなければ、ここで農園を運営していく意味がありません。最終的にはここで生産された作物が輸出されて、現地の作物と市場で競争して勝てるようになることが目標です」


確かにそうだ。しかしその目標は、あまりにも遠い目標なのではないだろうか。ここから地表まで運び、さらに船などで他国に輸出した場合、その輸送コストは膨大なものになる。そんなハンディを背負ったうえで勝てる作物なんて存在するのだろうか。


「ま、それはあくまで理想なんですが、現在は他国から野菜を輸入して下の工場で加工調理してからクライマーでここまで持ち上げて、私たちは食してます。だから私たちの1食は、地上に比べると結構な値段になっているんです。せめて、その輸入品と勝負をして勝てるくらいになるのが、私たちの最初の目標です。他国から輸入しなくても、ターサの内部はターサの作物だけで十分やっていけるぞ、となるのがまずは先決です。で、このブロッコリーは、このThe 1st STAR内なら、コストの面で輸入品と肩を並べられるくらいにはなってきています、下まで降ろすと輸送費が原価に加わりますので、もう勝負できなくなってしまうんですけどね」


テーラーさんは残念そうに言った。でも、そこまで来たらもう一息だ。作り方が確立できているのなら、量産効果でコストは下げられるだろうが、……そうか、ターサ内部だけでは需要がそれほどないか。ブロッコリーばかり作りすぎても、需要を満たしてしまえばそれ以上は売れなくなる。……むずかしいところだ。



「現状、ここで立派に収穫できるのは、このブロッコリーがようやくリストに入ったばかりですが、以前から収穫に成功していたのが、レタス、キャベツ、ほうれん草……あたりですね。共通点にお気づきになりましたか?」


ん……?ああ、そういえば……。思いあたって発言しようとしたとき、タンさんがすかさず答えた。


「葉っぱを食べるものばかりですね?葉物野菜ですか?」


テーラーさんはほほ笑んでタンさんの答えを受けた。


「まあ、だいたいそんなもんです。葉っぱを食べるというよりは、全体に対して可食部の割合が多い、というのが本当の正解です。なるべく無駄なく食べられる野菜ですね。これら以外に、たとえばルバーブなんかも育てていますが、これらの野菜に比べれは可食部の割合は少ない方ですしね。とにかくそういう野菜を優先して作っています。食べられない部分は発酵処理して酸素プラントの栄養分などにするんですが、量が多いと処理する費用も消費する酸素もばかになりませんからね」


「もともとはスプラウト系かアスパラガスのような、育ち切る前に収穫して食用にする野菜ばかり作っていました。育った部分をほとんど食べることができますからね。」


なるほど、土に植えて育てているわけではないので、食用にならない部分は別の処理をしなければならないわけだ。ちなみにテーラーさんによると、ルバーブは茎が可食部になるのだが、葉っぱは品種によっては毒を含んでいるものもあるようだ。ここでは毒のない品種を育てているらしいのだが、いずれにしても食用に適さない部分は有機ゴミとなって処理の対象になってしまう。その体積はあまり増やしたくないという事情があるのだそうだ。


「そういうわけで、葉物中心にまずは生産しているんですが、我々になじみ深い他の野菜は、実であったり根菜であったりと、可食部があまり多くないものが中心ですので、まだまだ手付かずです。最終的にはそんなものにも挑戦していきたいと思っているんですが、現在は少量育てて、できるだけ都合のいい育て方や品種を検討している段階です。まだまだ始めたばかりの研究ですよ。」


「そんな目標でほかの野菜も生産システムの確立を急いでいます。それに、実はここで生産しているのは野菜だけではないんですよ」


テーラーさんはそう言って、次の部屋に僕たちを導いた。


その部屋は、緑だらけだった。


透明な、アクリルか何かのパイプが部屋中に張り巡らされ、LEDの照明が当てられている。そしてパイプには、たぶん藻類かなにかなのだろう。ごく小さい植物性のプランクトンで緑色に色づけられた水が流れていて、ぷくぷく泡を発生させている。これはたぶん、酸素を作っているのだろう。そうか、宇宙では酸素も立派な農作物になるわけだ。


「見て、お分かりかと思います。このパイプに流れている水には植物プランクトンが含まれていて、水の中に溶け込んだ二酸化炭素とLEDからの光によって光合成をしてもらい、GEOステーション内に酸素を供給してもらっているんです。みなさんが今呼吸している酸素も、ここで生産され、逆に皆さんに出していただいた二酸化炭素をここで糖に変えているんです」


テーラーさんの姿勢が少ししゃんとした。たぶん、試行錯誤の途中である野菜の生産はあまり胸を張れるほどの成果は出していなかったが、こっちの方はすでにこの酸素プラントがGEOステーションには絶対欠かすことのできないものとして確立されているようだ。


「ご覧の施設は表面だけのもので、実はこの天井部分にはこの数倍の広さのプラントがあって、日々私たちの出す二酸化炭素を酸素に変えていってくれています。ステーションに滞在する人数が現在の5倍以上になっても、しっかり酸素の供給を果たすことができる設計になっています。今はまだ性能が過剰な状態ですね。もっとたくさん人が訪れるようになってほしいです」


テーラーさんは、そう言ってここのシステムを誇った。


「もちろん、水の再生もこの後ろでやっていますが、まあそちらの方は特にお見せするほどのものでもありませんし……」


テーラーさんはそう言って、水の再生システムについては言葉をにごした。


どこの施設も重要と言えば重要なのだが、特にこの二つ、酸素の供給と水の再生は、衛星ステーションにとっては生命線ともなる重要な施設だ。だからこれらのプラントは、周囲に他の施設を作って、直接デブリや隕石がぶつからないように保護されているらしい。そういう意味では、自分は一番安全なところで仕事をさせてもらっているので、いろんな仕事に手を抜きたくないとテーラーさんは強調した。それぞれの仕事に誇りを持っているのは、クライマーのスタッフもここの人たちも変わらない。そう感じることができた。


パーリャもこの人たちの仲間になるんだな。そう考えて、ちょっとうらやましくなってきた。


「最後にご紹介したいのは、こちらです。どうぞみなさん……」


そう言って僕らを、なにかひみつの場所ででもあるかのように、すこし緊張しながら案内してくれた。


その部屋は、アクリルの窓で完全に仕切られていて、直接入ることはできないようだが、中の様子を見ることはできる。何台かのパペットが作業をしているその大きな容器は、よく知っている。ワインの樽だ。樽と言っても熟成させたり、製品を出荷するためのものではなく、醸造するための樽だ。つまりここは……


「ご覧いただければ想像できるかと思います。ここでは先ほどのプランクトンが合成した糖を抽出してお酒を醸造する施設です。ちなみに中の樽は、実は飾りです。本当はあちらの容器が醸造樽の本物です。さすがに無重力環境であの樽は使えませんので」


タンさんとガスパールさんが、急に興味を持ちだした。僕たちは「ふうん?」以上の興味はなかったのだが。


「無重力でも発酵は可能なんですね」


カレンさんが聞いてきた。テーラーさんはすぐに答えてくれた。


「はい、酵母菌自体は無重力下でもほぼ通常のように活動してくれて、発酵の効率や生成物は重力下の時とほとんど変わりません。ただ、重力がないことによって、たとえば気体が発生しても上に上がってきたりしないので、そのまま周囲に微細な泡として含まれてしまって、発酵が進まなくなることがあります。そのため、地上で作るときより頻繁にかき回して泡を集め、発酵を促してやる必要があります。同じ理由で、澱と言われる不純物の集まりを取り除く過程があるんですが、それも重力下では勝手に底に沈んでくれたものが、沈まずに他の物質と混ざった形で存在していますので、ここでは活性炭を使って除去したりしています。結構いろいろ苦労してここまで来ているんですよ」


「もう、飲めるお酒はできているんですか?」


タンさんが直球で聞いてくる。テーラーさんは苦笑いしながら答えた。


「とりあえず、安全性試験を済ませて試飲用にろ過したものがありますが……」


そういってテーラーさんは小さな吸い口びんに入れたそのお酒をトレーに載せて出してくれた。ちゃんと人数分ある。だが、パーリャは「私はまだ未成年ですので……」といって遠慮した。僕たちは、テーラーさんの微妙な表情が気になりながらも、びんを手に取った。


さっそく口をつけたタンさんが、正直な感想を漏らす。


「んー、とりあえずお酒です、というような感じだね」


ガスパールさんも同意する。


「これしかなければ、飲むかもしれませんが、人にはあんまり薦められませんね」


僕もそう思った。たしかにアルコールは入っているし、嫌なにおいや味がするわけでもない。だが、同時にうまいと言えるような何かがあるわけでもない。なんの特徴もない、アルコールの水割りだった。


「そんなわけで、まだまだお酒と呼べる域には達していません。もともとうまみ成分が非常に少ないようで、酵母菌をいろいろ変えてみたいとも思っているんですが、そのあたりのノウハウが私にはなくて、ちょっと苦戦しているところです。お酒以外に、糖蜜を作ってみたり、粉末にして食品に加工してみたりもしているんですが、どうもこれというものにならなくて、こちらもあまり進んでいません。まあ、まだ趣味の段階から出ていないってところです」


「でも、自分で酒造りの所からデザインしていけるってのは、ある意味典雅な趣味だねえ」


タンさんは心底うらやましそうだ。


「うん、いずれリタイアしてヒマができたら、こういう仕事をしてもいいなあ」


ガスパールさんも賛同している。いや、それは現役でこの仕事をしているテーラーさんにあまりにも失礼では?


「何言ってんのよ。今すぐ仕事を辞めてテーラーさんに弟子入りしなさい!失礼なこと言って!」


カレンさんが二人をたしなめた。カレンさん、二人に対していつの間にかこういうポジションになっていたんだ。そう思っていると、パーリャが口をはさんできた。


「テーラーさん、この件、糖を発酵させてお酒を造っているって件はアリシアさんはご存知なんですか?」


テーラーさんは意外な顔をした。


「アリシアさん、ナカイ社長ですね。設備を整えたのは予算も請求していますからご存知のはずです。ただ、酸素や水質、作物に関する報告はしていますが、特産品の創出に関しては、ここ半年は報告していませんね。報告は年に1回でいいことになっていますので、社長はここまで詳しくはご存じないと思います。お酒の醸造に取り組んでから社長がいらしたのは今回が初めてですから、試飲もしていただいていません。」


パーリャはなにかアイディアがあるようだ。


「アリシアさん、大学では発酵工学を専攻していたらしいですよ。私もちょっと聞いただけですけど、本人から聞きましたから、たぶん間違いないと思います。だから、お酒の作り方とか酵母菌についても詳しいんじゃないかな。少なくとも情報源くらいは持ってらっしゃるんじゃないかと、ふと思ったんですけど」


テーラーさんは驚いたようだ。


「へえ、そうなんですか?それは知りませんでした。社長にも何度もここのことについては報告していますし、相談もしているんですが、……そういえば、酒造りのことは予算だけ認可してもらって、特に報告したことはありませんでした。そうですね、ちょっと聞いてみます。いいヒントをありがとうございました」


「これがお役に立てるといいんですけど」


パーリャはちょっとほほ笑んだ。


カリンさんはその後、タンさんガスパールさんを引き連れてテーラーさんとなにやら話し込んでいたようだ。そういえばカリンさんは種苗農家だから、いろんな経済作物の品種については明るいだろうし、タンさんたちは薬品の専門家だから、なにかヒントになる情報を提供できるかもしれない。よく考えれば、けっこう的確なメンバーがそろっていると言えるだろう。なにか新しい進展があるといいな。素直にそう思いながら、僕たちはお先に失礼した。


今日の農園見学の中で、最後にテーラーさんが言った一言が僕には印象的だった。


「宇宙に来れば、『質量』そのものが貴重な資源なんです。その中身が何であろうとも、ね」


確かにその通りだ。僕たちが呼吸した空気も、いろんな形で資源化されて酸素になったり、お酒になったりしている。もちろん僕らが使った水だって、不純物を取り除かれて再生されるとともに、その不純物すらいろんな形で利用されているのだろう。詳しくは聞けなかったけれど。そして、仮に何にも役に立てられなかった物質があったとしても、それもカウンターウェイトとしての役には立つはず。カウンターウェイトの質量だって、ここでは貴重な資源なのだ。宇宙は、地球の上以上に資源について考え、理解させられる場所ということだ。


そんな感じで、農園の見学もなかなか面白かった。成果はまだまだこれからと言ったところだけど、とりあえず材料だけは集めているってところだろう。テーラーさんも農夫というよりは研究者の側面が大きいようだ。まだいろんな方面で手探り状態なんだろうな。将来が楽しみな施設だった。


                * * *


「さて、とりあえずこれからはどうする?考えていた予定は終わったけど」


「うん、私はいろいろ覗いてみるよ。今日はディナーも一緒にしなくてもいいんだよね?」


「なんだ、僕と一緒にしたくないのか?」


「そうじゃないけどさ、たまには別もいいじゃない。それに、そろそろジャンクフードなんか食べたくもなったりするし」


そういえばお土産屋に、なにかそういうたぐいの食料も売ってたな。ふむ、そういう選択もありか。などと考えているうちに、パーリャはすぐ、行動に移った。


「というわけで、ここからは自由行動だね。寝る前には戻るから、心配しないでね。あ、お兄ちゃんが戻ってるとは限らないか。ま、ほどほどにね!じゃ!」


なにがほどほどだ。言い返す前にパーリャは広場の方に向かって、文字通り飛んで行った。


さあ、どうしようかな。まだ僕の中ではノープランだ。そういえば少し考えたかったことがある。


アリシアさんの夢と、パーリャのプレゼンの件だ。いずれパーリャからも相談してくるだろうし、僕の考えも少しは進めておくべきだろう。さて、どうするか。そんなことを考えながら展望園のモニュメントを横切ろうとすると、横のラウンジから声をかけられた。


「おお、カンパーネン君じゃないか」


ボシュマールさんだった。ご夫婦でお茶をしているところのようだ。


「あ、こんにちは」


「さっき、パーリャちゃんを見かけたのよ。でも、声をかける前に向こうへ飛んでいっちゃった。はぐれでもしたの?」


ボシュマール夫人が手振りを交えながらパーリャの行先を説明してくれる。


「いえ、今日は別行動なんですよ」


「どうしたんだい?喧嘩でもしたかい?」


「いえ、特に理由はないんですが、いつも一緒ってのも退屈なんで、別行動することにしたんです。今日は夜まで一人です」


「ふうん?ま、そういうこともあるわよね」


ボシュマール夫人は、ボシュマールさんを眺めながらそんなことを言った。


「じゃあ、ちょっと一緒にお茶でもどうだい?僕らはずっと一緒なんで、たまには新しい刺激が欲しいんだ」


「そうよね。私もたまには若い人とお話ししたいわ。でもなにか予定があったのかしら?」


「いえ、まだ何をするか決めてないんですよ。ご一緒していいですか?」


もちろん二人はこころよく招き入れてくれた。僕は、キャラメル・ラテを頼んで二人の話に加わった。


「たまには別行動をとりたいって、あななたちみたいに仲のいいご兄妹でもそんなこともあるのねえ」


「僕たちはもう連れ添って25年だが、ちっともそんな気にならないねえ」


しれっと言ったボシュマールさんを、夫人はじとっとした目でながめている。僕は普通に持ち上げてみる。


「25年なんて僕には想像もつきませんよ。それだけおふたりで共有してきたものが多いんでしょうねえ」


そういうとボシュマールさんたちは思い出モードに入ったようだった。


「そうだなあ、客観的に見れば25年というのは結構な年月だよなあ。これと出会ったのは大学を卒業してすぐに勤めた設計事務所でだったが、結構有名な設計事務所でね、そうそう、ここの下のアースポートの建物の一部も請け負ってたんだよ」


ボシュマールさんの話によると、「ターサ」の前身である「The 1st Space Elevator」を建設するとき、海上都市部分にあたるアースポート、当時は「105°アースポート」と呼ばれていたようだが、それの設計を請け負う業者選定のための設計コンペがあったそうだ。ちなみに105°というのは、当時のアースポートの設置場所の西経の数字だ。現在は、そこからさらに6°西に移動している。


当時、ボシュマールさんはまだ小学生だったから、これはボシュマールさんが設計事務所に入った後に、先輩の思い出話として聞いたことらしい。


思い出話を話してくれた先輩は、当時は設計事務所に入って2年目のまだ駆け出しで、だからもちろん設計企画案作りには直接かかわることはできなかったらしい。それでもまれに見る大事業として事務所一丸となって企画案を練り上げていたことをよく憶えているという。


「おかげで、通常業務の設計案件がほとんど彼ら若造という立場だった人たちに振られていって、コンペに出す企画案を練っていた一線級の人たちとは別件で、彼らも忙しい日々を送っていたんだそうだ。まあそれで鍛え上げられて駆け出しだった先輩も、一人前に育っていったというのがあるんだろうけどね。」


そんな感じで事務所一丸となってコンペに参加して、最終選考の5案にまでは残ったのだが、結局採用されたのは他事務所の作品だったらしい。現在のアースポートの基幹部分は、その採用された他事務所の最終案に基づいた設計だということだった。


「ま、それでうちの事務所はメインの建物じゃなくて付属施設の水上列車のターミナル部分の設計を請け負うことになったんだが、君もそこを使ってきただろう?あの駅舎は僕たちのいた設計事務所の設計で作られてるんだ。もちろん僕はなんにも関わっていないけどね」


ちなみに現在は、ボシュマールさんは当時の設計事務所からは独立して自分の事務所を持っていて、そこで夫人ともども働いているらしい。だから結局ボシュマールさん自身は、ここの設計とはまったく関わっていないことになる。


「だから、この宇宙エレベーターには、建築家としてはまったく何の思い入れもないんだが、昔先輩たちから思い出話として聞いた、コンペ落選後の反省会で、どうしてうちの事務所から出した企画案が通らなかったのかを分析した結果ってやつを、ここにきてまざまざと思いだしたんだ。だって、ここのアースポートのエントランスって変だっただろ?」


そう言われて僕は思い当たるところがあった。僕たちはターサ島の沖にある空港から海上交通システムに乗って、このアースポートのエントランスに到着した。ところがそのエントランスは直接ターサ、つまり宇宙エレベーターのターミナルに続いていて、ホテルや博物館はその脇の通路からさらに先の方にあって、直接見えなかったのだ。だから実は、博物館が隣接していることも到着後しばらくは忘れていたぐらいだった。その時は、まあ一番目立つ施設を前面に押し出しているのかと、納得していたのだが、そう言われればホテルや博物館へのアクセスが二の次にされ過ぎていて、不便この上なかった。


「そういえば、海上交通システムから降りて、どこに行けばいいのか迷いました。目的地にしていたホテルの気配が全くなかったもんですから」


「そうだろう。こんな設計になっているのも、当時のクライアントが僕がいた事務所の設計をボツにしたからだよ」


そう言って、ボシュマールさんは当時の話を始めた。夫人はやれやれまた始まった、というあきらめ顔になって、僕に目で「ごめんなさいね、しばらく付き合ってやって」と謝ってくれた。


ボシュマールさんの話では、当時の先輩たちが事後の反省会でひねり出していた落選の理由は、「クライアントの要望をそのままストレートに企画に出しすぎた」、というものだったという。


「建築の設計だけでもないだろう、お客様の要望に応えなければならない時というのは、ビジネスではあらゆる場面で当たり前のように出てくるんだが、いつも『お客様の要望通り』に応えるのがいいとは限らない。お客様自身が、常にその時に必要なものをちゃんと理解したうえで要求してくるとは限らないんだよ」


具体的には、当時の「105°アースポート」のクライアントは、以前のここの運営主体である「1st Space Elevator Co.Ltd」で、これは現在のSEMの前身にあたる企業なのだが、そこが作成した運用計画書、要求仕様書に基づいて設計企画案が募集されたわけだ。その運用計画書にはすでに「The 1st Space Elevator」が役目を終えた後は移動して、博物館の動態展示として保存される云々といったところまでが、既定の計画となっていたらしい。


そこでボシュマールさんの先輩たちは、そのことを含めて設計企画案に盛り込んだ。最初の数年間は貨物を受け入れるためにターミナルを使うが、引退後は博物館となるので、ターミナルは顧客の受け入れが主になる。そこで、貨物の輸送経路は博物館のバックヤードに接続するように配置したり、逆に人の流れを中心にして、博物館のエントランスとなる部分を中央に持って行った。貨物輸送に10年間ほど使った後は、博物館として数十年以上利用していく予定なのだから、博物館としての機能が当然主となる、という解釈だった。


「ところがそれは結果的には、運用計画書の読み間違い、だったんだな」


ボシュマールさんは、あっさりとした口調でそう断じた。


実際に採用された設計企画案は、全く逆の発想で設計されていた。貨物の輸送を最優先にし、使用後の博物館への改修はどちらかと言えば二の次。貨物輸送の能力を最大限に生かせるような設計を行ったものだったという。


「その時、彼らは運用計画書を正直にとらえすぎた。いや、計画書の裏の思いを読み取りすぎた、というべきか。……クライアントが作りたかったのは博物館だった。それは間違いではなかったが、同時にクライアントが作らなければならなかったのは資材輸送システムだったんだ。だから最終的に企画案の採用基準が、10年後の転換の容易さではなく、建設直後の輸送効率になったんだ、という結論に先輩たちは達したんだ」


「クライアントの『欲しいもの』を用意するのではなく『必要なもの』を用意しなければならなかった、ということですか。難しいですね」


僕が神妙にボシュマールさんの言葉を聞いていると、夫人がさらりと流してこう言った。


「この人、こんなこと言ってますけど、全部当時の事務所の先輩の受け売りですからね」


「だから、先輩たちが出した結論だって、そう言ってるだろ。なにも僕が発見した、なんて言ってないよ。ただ、まあ多くの場合、クライアントは『欲しいもの』を選択するだろうから、なおさら難しいんだけどね」


この話はその後の先輩たちとそしてボシュマールさん自身にとっての大きな教訓となったらしい。ただ顧客の求めるものを提供するのではなく、顧客の状況をよく把握して、最も顧客にとって必要な解を提供するような設計を心がけるようになったという。それで現在の評価も得られたんだと思う、というようなことを僕に話してくれた。これは僕の今後にとっても、重要な示唆に富んだ話だろう。やっぱり経験値の高い人の話は、いろんな場面で役に立ちそうだな。この出会いに感謝しなくては。


そんな話を聞き終えた頃にはもう夕食時になっていた。僕はそのままボシュマールさんたちとディナーを取ることにした。結局、パーリャとは全く出会わなかった。あいつはどこに行って何をしているんだろう?



ツアー6日目も終わる 現在地点:高度3万5800kmのGEO(静止衛星軌道)ステーション滞在二日目 重力は0G 無重力状態


テーラーさんは、農園の水再生システムについては見学者には見せずにスルーしました。理由は、絵面があんまりよくない施設だってことなんですよね。高度な処理をしているとはいえ、下水処理施設ですので。ちなみに、実はこの処理過程で、結構な量の酸素を消費します。だからなおさら処理しなければならない有機物はなるべく少なくしておきたいんです。でも、もう少しがんばれば、ここから水素を生産するプラントも作れるはずなんです。そうすれば、ロケット燃料の生産なんかも農園でできるようになるかもしれませんね。いずれにしても、将来が楽しみな施設です。


次回は、パーリャちゃんがどこで何をしていたのかを教えてくれます。いや、そんな大したことではないですけどね。


追記:最初に書いた話がこのお話の時代設定に矛盾していましたので、修正しました(20190602)。


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