(16) GEOステーションの役割
パーリャちゃんにつかまってしまったアリシアさん。でも、アリシアさんも所在なかったところなので、ある意味予定ができてほっとしています。さて、どんなお話になるんでしょう。
アリシアさんに連れられて来たのは、昨日のラウンジではなく、ホテルのバーだった。もちろんまだ午前中なのでお酒のサービスはしていないが、ちょっとしたムードのいいカフェのようになっていた。しかし従業員はパペットやアシスタントだけで、人は働いていないように見える。
「はあー、こんなところがあったんですね。知らなかった」
「さすが、穴場をご存知ですね。尊敬します」
「ここは昼間は完全無人で営業していますし、おっしゃったようにあんまり存在も知られていませんから、たぶん誰にも会わずにお茶することができます。何にしますか?」
アリシアさんはそう言って、テーブルの小さなスクリーンを示した。僕はジンジャーエール、パーリャはシナモンティー、アリシアさんはグレープフルーツジュースを頼んだ。
「あんまり僕たちとばっかり話すのもよくないんじゃないですか?他のお客さんから、苦情、は来ないでしょうけど、あんまりいい目で見られないんじゃないかと、少し気になります」
「今更ですけどね。もともとお客様の数が少ないんですから、ある程度接触が片寄るのはしょうがないですよ。後で、他のお客様たちにもせいぜいコンタクトしておきます」
苦笑いでアリシアさんは言う。ほんとに大丈夫なのかなあ。しかしパーリャは、
「そうですよ。お兄ちゃんばっかりアリシアさんとお話してるんですから、私もお話ししたいです!」
「はいはい、何をお話ししましょうか。あ、飲み物が来ましたね。はい、パーリャちゃんどうぞ。マエークさんも……」
飲み物を乗せたワゴンが来たが、サービスまではしてくれないようだ。まあいいけど。代わりにアリシアさんがサービスしてくれるので、僕たちはそれぞれの飲み物を受け取った。パーリャは一口飲んで、さっそく本題に入った。
「あのね、聞きたいことがあったんです。結局、この宇宙エレベーターの役割って何だったんでしょう?」
パーリャの問いに、アリシアさんは目を見開いたが、特に答えようとはせず、目でパーリャに先を促した。
「さっきのクライマーをひっくり返すやつでも解説があったんですけど、この宇宙エレベーターは他の宇宙エレベーター建設のために作られたんですよね。それでその役目を終えたから、最近まで凍結保存されていたって聞きました。でも、アリシアさんたちはそれを修理して復活させたんですよね。これから何を運ぶつもりなのかなーって思ったんです」
パーリャのこの質問は微妙だ。昨日、僕はアリシアさんの夢を尋ねて、答えてもらえなかった。アリシアさんの中でもまだ自信がなく、うまくいくための部品をそろえ切れていないんだろう。少なくとも、こんな風に観光列車を走らせて旅行業で社員たちを最後まで養っていこうとしているわけではないようだ。
だが、経営陣か、株主か、あるいは社員たちの中には、旅行業でいいんじゃないかという意見もあるのだろう。ひょっとしたらアリシアさん自身の中にもそんな思いがあるのかもしれない。こんな風に、宇宙旅行という他にはない商品を生み出して、それを提供することでビジネスを成立させる。SEMという企業をそんな風に育てていこうという意見は、採算が取れる限りは一定の支持が集まるだろう。親父も、ひょっとしたらそういう意味でのこの企業に期待感を持っていて、僕に様子を探らせているのかもしれない。
だけど、おそらくアリシアさんはそれとは違う夢を見ている。そしてそれがかなえられるかどうかもわからない。そんな葛藤が彼女の中であるんだとしたら……。アリシアさんは落ち着いた様子で淡々と答えを紡ぎ始めた。
「こうやってパーリャさんたちを運んでいますよねえ。パーリャさんたちは人類で初めて、観光目的での宇宙旅行を体験した数少ない人たちになったんです。みんなにその魅力を発信して、もっともっとたくさんの人たちが宇宙旅行の面白さと素晴らしさを体験したら、素敵だと思いませんか?」
アリシアさんは「パーリャさん」と呼んだ。そしてアリシアさんのこの答えは、パーリャの意見を見透かしている。パーリャはアリシアさんに文字通りの疑問をぶつけたわけではなかった。
「それもいいんですけど、……なんというか、フツーですね」
パーリャはあっさりそんな「フツー」の夢を切って捨てた。僕は心の中で拍手した。いや、心の中じゃなくて……
「フツーですね。そんなビジネスプランでは、せいぜい4基のリニアモータークライマーが太陽光発電所で目いっぱい働いている間しかこの会社は持ちませんよ。そもそもこの宇宙エレベーターの隣に、すでにもう一つの新しい宇宙エレベーター建造計画が動き始めているんですよね。それが完成するまで、おそらく10年はかかりません。それまでの命、でいいんですか?」
もっと激しくばっさりと切ってしまった。アリシアさんは一瞬驚いて、さらにひどく叱られたような顔をして、僕を見た。パーリャも自分で言ったことを忘れてか、僕を非難するような目で見ている。ちょっと後悔した。だが、言ってよかったとも思う。親父たちのような、古い世代の思惑に乗る必要はない。
これは僕自身の感想だが、確かにクライマーによる宇宙体験は素晴らしかった。まだまだこの上にもさらなる魅力があるのかもしれない。多くの顧客を引き付けるいい商品と言えるだろう。
だが、その寿命はそう長くない。今言ったように、ライバルは他にもいる。他の4基の宇宙エレベーターと、隣にできるもう1基、合わせて5基のライバルは、この「ターサ」に比べて圧倒的な武器を持っている。積載量の多さと、速度の速さだ。
地上の、たとえば大陸横断の旅なら、速さはさほど気にしなくていいだろう。走る場所によって景色はどんどん変わっていくし、地方ごとに名物や特産品があって、文化も多様だ。それらをゆっくり見て回るのはまさに旅の醍醐味と言えるだろう。
しかし宇宙エレベーターの旅はむしろ、短いに越したことはない、というより、はっきり言えば短い方が優れている。最初の2時間こそ素晴らしい景色が展開するけれど、その後は退屈だ。地球も重力もすこしずつ小さくなってはいくけれど、それが楽しいのもほんの一時だ。今回の旅も、だからこそ毎日数多くのオプショナルプログラムを提供して、お客様を飽きさせないように、退屈させないようにと苦心している。だけど、それらの中で、このターサでしか味わえないものがどれだけあるだろうか。他のライバルと差別化できるだけの資源がどれだけあるか。そう考えると、速度で劣るこの宇宙エレベーターが、同じ土俵でライバルたちに勝てる気はしない。
そして何より、クライマーの中だけで21日間も過ごすのは、退屈なだけでなく危険でもある。例の、宇宙線の被ばくがあるからだ。クライマーの中は、地上の航空機並みにまで線量が抑えられているという。そう聞けば安全で安心というイメージにもなるが、しかし以前から航空機の乗員における宇宙線被ばくは、少なくとも航空機業界では問題視されていた。僕の読んだ文献によると、航空機の乗員の宇宙線による被ばく量は、少なくとも地表で普通に暮らしている人々の100倍程度はあるようなのだ。もちろんそんな被ばくを受けるのもたった21日間、という考え方もあるわけで、それ自体を評価するまでには、学術的データが不足していることもあって至ってはいない。だがいずれにしても、航空機と同程度と言われても、それが体にいいわけもないのだ。
そしてしかも、それは空間線量が標準的な時のことだ。黒点活動が収まって、宇宙線が多量に入り込んできたり、逆に太陽表面のバーストが起こって、太陽風が極大になったりすれば、その前提はいつ覆されるかわからない。宇宙での滞在は短い方がいいに決まっている。だから、もしライバル会社が同様の企画を立てて競合になったとしたら、そのことを宣伝文句にする会社も出るだろう。速度の遅いクライマーを運行するターサは、圧倒的に不利であると言えるに違いない。
つまり、旅行業をするとしてこのターサでビジネスをするとすれば、それは「先行逃げ切り」ビジネスしかない。他の宇宙エレベーターは、まだ旅行業の準備すら整っていない。だから当分の間は、このビジネスはターサの独占状態だ。しかし、他の宇宙エレベーターが同じように旅行業に乗り出してきたら、それ以降は撤退するしかない。その時間は、10年あるだろうか。そこからさらにビジネスを有利に進めるためには、なにか画期的なアイディアが必要になるだろう。それをアリシアさんは10年の間に用意できるのだろうか。
しばらく沈黙が続いたが、アリシアさんは表情を普通の状態に戻し、さらに少しほほ笑んだ。たぶんそんなことは言われる前からわかっていたのだ。もしかすると、自分の中で何度も何度もシミュレーションした後なのかもしれない。そんな過去をかみしめ、そして新しい自分の答えを導くためのステージに昇る決意をした。少なくとも僕にはそう見えた。
「一般的に宇宙エレベーターに求められている機能は、こんなことでしょう。まずは、今4基の宇宙エレベーターがやっているように、そしてこのターサも『最初の宇宙エレベーター』と呼ばれた頃にはやっていた、『貨物を地表から衛星軌道に持ち上げる』という役割です。もちろん、その『貨物』の中には『人員』や『他の惑星や月に向かうロケット』も含みます。今私たちがこうして旅をしているのも、その機能の一部と考えられます」
「それ以外に宇宙エレベーターの用途があるんですか?」
パーリャ、お前の目は節穴か!と言ってやりたかったが、アリシアさんの発言を優先すべきだろう。
「簡単なのはもうひとつ考えられますよ。今言った機能の逆です。『宇宙から貨物を地表に降ろす』機能です。それはそうだ、と思われるかもしれませんが、これは実はすごく重要な機能なんです。だって、宇宙エレベーターが作られて初めて実現できた機能、と言ってもいいですから」
「…………?」
パーリャにはよく飲み込めないらしい。すでに宇宙飛行士たちは何度も地表と宇宙を往復しているはずだ。……ということは何度も帰ってきているということである。人間だけでなくさまざまなサンプル……研究資料も持ち帰られているはずだ。宇宙エレベーターなしでも、すでに貨物は何度も地表に降ろされている。アリシアさんはそんな疑問を払いのける。
「実はロケットには、衛星軌道より遠いところから、重量物を地表に安全に降ろした経験はほとんどありません。ほとんどのサンプルリターンでは、地表には引力の力だけで降りてきますし、宇宙飛行士だって地上に降りるか海上に降りるかの別はあっても、基本的には引力に引かれパラシュートで減速して地表に激突して帰ってくる、……つまり例外ではありません。ロケットは宇宙から貨物を地表に降ろすためには、全くと言っていいほど役には立たないんです。どうしてだかわかりますか?」
「……わかりません」
パーリャはそう答えたが、僕は思い当たることがあった。
「宇宙に行って、そこで貨物を受け取って、地表にロケットを使って降りるためには、それらの過程で使うロケットエンジンと酸化剤、推進剤をすべて持ったうえで、それらすべてを地表から打ち上げなくてはならない、からですか?」
「そのとおりです」
アリシアさんは講師の顔をしてそう言った。
「ロケットが衛星軌道から重量物を持って地表に降りてくるためには、まず衛星軌道でその荷物を受け取るためにロケットが待機しておかなくてはなりませんよね。ですから地表からそのロケットをあらかじめ打ち上げることになるわけですが、その時のそのロケットの構成は次の通りになります。まず打ち上げるためのエンジンと打ち上げ時に使用する燃料。それから帰ってくるときに地表との激突を避けるために噴射するエンジンと燃料。それら両方をかかえて打ち上げられなければなりませんから、その全体の重量は相当なものになります。でも……」
アリシアさんはいったん言葉を切った。
「そんなことをしなくても、引力を使ってパラシュートで減速してただ落ちてくるだけ、というのが一番簡単で効率的じゃないですか?だから、これまで人類は、地球では衛星軌道からロケットを使って地表に降りてきたことは一度もありません。月や火星のような引力が少なく大気が薄い天体ではロケットを使わざるを得ませんが、地球ではせいぜい大気圏の中で上がって降りる程度のことしか、ロケットは経験していないんです」
「結果としていまだにロケットには、大きな重量物を地球上に降ろすという技術も経験も不足した状態なのです。数キログラムから数トン程度のものであれば、パラシュートを使って降りるとしても、まだ何とかなるでしょう。けれど、数十トンを超えるような貨物は、この方法ではとても降ろすことはできません。たとえ降ろしても、何回かに一回は、多大な犠牲が生じるかもしれません。貨物か、地上に」
パーリャは認識を改めたようだ。
「だから、宇宙エレベーターができた時に初めて開けたのは、『重量物を効率的に持ち上げる』という道だけではなく、『重量物を安全に地表に降ろす』という道でもあったわけです」
パーリャはだからといって納得したわけではない。「降ろす」ことをアリシアさんが目指しているとはなおさら思えないからだ。しかしパーリャのその疑問を知ってか知らずか、アリシアさんはさらに別のことを話し続ける。
「実は、宇宙エレベーターにできることはまだあるんですよ。『持ち上げる』『降ろす』だけじゃなくて、『ほおり投げる』ことも宇宙エレベーターの得意技なんです」
アリシアさんは面白げに笑った。そしてパーリャには心当たりがあったようだ。
「あっ、わかります!例の『脱出速度』ですよね。テザーの上の方に昇っていくと、地球の脱出速度を超えた速度を出すことができて、地球以外の惑星にまで物をほおり投げることができるんですよね。前の講義で習いました」
「そのとおりです。この先、高度4万7000キロのあたりが『脱出臨界高度』と呼ばれる高度で、そこより上はクライマーの地球周回速度が地球の脱出速度を超えている高さです。だからそこから、うまくタイミングを計って物を投げると、それは地球の引力を振り切ることができて、太陽をまわる人工惑星になったり、全くエネルギーを使わないで火星や小惑星帯までも達することができたりするんです。全部、地球の自転のエネルギーを借りているんですけどね。ですから、その高度を利用すれば最小限のエネルギーで火星や木星、その先にまでも、ロケットや探査機を送り込むことが可能になります」
だけど、それもアリシアさんが目指していることではない。パーリャにも、そして僕にもそれはなぜだか自然に理解できた。アリシアさんは、そしておそらくゼニス・ナカイ氏は、そんな矮小なことを考えたわけではきっとないのだ。僕たちはごくあたりまえに、それを悟っていた。パーリャも、僕も、アリシアさんの次の言葉を待つ。
「だから、4基の宇宙エレベーターも今の太陽発電所のお仕事が一段落ついたら、そしてお隣に作られる新しい宇宙エレベーターも、そんな仕事が次々と送られてきて、それを日々こなしていくことになるんだと思います。宇宙に基地を作るために、宇宙から資源を持ち帰るために、そしてもっと遠い宇宙へ旅するために」
「それからもうひとつ……」
アリシアさんはさらに続ける。
「これは、宇宙エレベーターの仕事というよりは、ここGEOステーションの仕事、に分類されるべきかもしれません。それは、『宇宙の駐車場』『宇宙のもの置き場』という仕事です」
「駐車場」とか「もの置き場」という、なんだかこの未来的な流れにふさわしくない言葉の登場に、僕たちは少し戸惑った。だがわからないこともない。パーリャが気づいたことをさっそく発言する。
「あ、あれですね。このGEOステーションの周りにはいろんなものが置いておける……って、聞いた……気が……」
なぜか言葉が細くなっていく。どうした?
「んー?どこから聞いたんですか?うちのスタッフかな?」
「あ、いや、えーと、どこからだったかなあー?」
パーリャはごまかす気満々だったので、アリシアさんは、ニコッと笑ってさっさと流してくれた。さすが大人の対応。
「ま、そういうことですね。GEOステーションは地球を回る衛星軌道に乗っていて、しかも地表に対して静止しているという、非常に稀有な場所です。その空間の持っている貴重な性質は、『質量を、そのまま放置して置いておくことができる』ということです。地上ならいざ知らず、宇宙空間にそんなところはめったにありません。ほおっておけば、近傍の天体に落っこちてしまうか、逆に重力カタパルトに載ってしまってどこかに飛ばされて行ってしまうかのどちらかです。たとえ地球の衛星軌道に乗っていたとしても、秒速何kmものスピードですから、そう簡単に捕まえることもできません」
「でも、このGEO周辺の空間だけは別です。ずっと安定してここに居続けてくれます。もちろん実際には地球の周りを秒速3kmほどで周回し続けています。でも、それはこのステーションと同期した速度ですから、結局は地上に置いてあるのと同じように止まっていてくれるんです。だから、この空間はそれこそいろんなことに使うことができるんです。」
「駐車場って言いましたけれど、もちろんロケットの駐車場です。でも駐車場だけではなくて、組み立て工場にも、修理工場にもできます。実際、クライマーにとっては、ここは整備工場でもあり、駐車場でもあるわけですし、最終的にはここがロケットの発着の起点になる、ターミナルとしての役割が一番大きな役割になるでしょう」
「そもそも、宇宙エレベーターは、それに乗れば宇宙のどこにでも行けるような乗り物ではありません。それどころか、赤道上とその上空10万キロの一直線上しか移動できない、1次元の乗り物でしかありません。宇宙エレベーターから降りて、その先に行くためにはどうしてもロケットが必要です。GEOステーションでロケットに乗り換えて、それからが本当の旅なのかもしれませんね。その乗り換えを行うのに、静止衛星軌道上の施設というのは本当に重宝するんです」
「もちろん、ただ単に物を置いておくだけの、倉庫として使うこともできますし、あるいは倉庫のものを加工して製品にする、工場にしてしまうことも可能です。この空間にはいろんな使い道があるんですよ。で、しかも広い!かつ無重力である!ということで、この空間だけでも、いろんなビジネスが展開できそうですね」
アリシアさんは、本当に嬉しそうに説明をする。ひょっとしたらこの人は、そんな宇宙エレベーターがただ大好きなだけなのかもと、錯覚してしまいそうだ。だが、僕たちが求める答えはそれでもない。僕は、そこにもう一押しの言葉を続けた。
「でも、アリシアさんのやりたいことは、それでもないんですよね?そしてアリシアさんのひいおじい様の目指したことも……」
アリシアさんのうれしそうな表情が一瞬で消えてしまい、そして目を見開いた。さらにはすこし警戒する目になった。だが、僕はアリシアさんに警戒させるためにそんなことを言い出したわけではなく、むしろ安心させたいと思っている。僕はさらに付け足した。
「僕も、パーリャも、他のスタッフと同じように、そんなアリシアさんの夢と願いをサポートしていきたいと思うようになりました。もちろん、僕たちがその夢に対して、どんなことができるのか、どこまで協力できるのか、ということはまだわかりません。でも少なくともパーリャは、もうあなたの夢についていくことを決めているようですよ」
「……え?……え。そうなの?」
パーリャ本人が、むしろあわてて僕に視線を合わせる。
「お前、わかってなかったのか?何考えて就職活動してたんだ?アリシアさんの夢を応援したかったんじゃないのか?」
「え?いや、そうだよ!私っ、アリシアさんを支えてあげたいって、思ってます!それが具体的に何かは、まだわからなくて、……私のできることがなにかもまだ、よくわからなくて……。でも、この旅行中にそれを確かめて、ちゃんとプレゼンして、アピールしようって、思ってました。……うん、アリシアさんと、それからスタッフの皆さんと、おんなじ夢が見たくなったんです。だからっ……、このターサをどんなことに使いたいのかなあって、つい、聞いちゃったんです。私にできることが、あるのかなあって、……思って……」
パーリャは赤面してうつむいてしまった。アリシアさんは、おどろいたような、でもうれしそうな表情でパーリャを見ている。そして顔をあげた。
「採用っ!」
「!?」
ピッと指でパーリャをさし示して、アリシアさんは宣言した。パーリャは飲みかけていたシナモンティを思わず吸い口にふき出した。周囲にふき出したんでなくてよかった。
「わかりました。パーリャさん!あなたの今準備しているプレゼンをこの旅行の最終日までに私に見せてください。で、その提出をもって、わが社の社員として採用しましょう。もちろん、つまらないプレゼンだったりしたら採用は取り消しますからね。いいですか?」
「は、はいっ!……え、さ・最終日って、いつ?」
「9月4日」
僕はフォローした。これは僕にとっても、締め切りだ。
「ああー、はい。わかりました。んー、いいのか、こんなんで……」
「でも」
アリシアさんはさらに付け加えた。
「マエークさんは採用しませんよ。すでにバリアント社で働いていらっしゃいますからね」
「当然です。でも僕も協力は惜しみませんよ。ていうか、何をしたいかを教えていただかないと、どんな協力ができるのかもよくわかりません。必要なら、僕は僕の知識や立場を総動員してお役に立ちたいと思っています。僕を信用して、教えていただけますか?」
うん、ごく自然にさらりと言えた。僕は自分で自分をほめた。アリシアさんからも、さっきまでの警戒の様子はすっかりなくなった。
「そうですね、わかりました。私もこれから、手持ちの資料だけでですけれど、少しだけプレゼンしますね。パーリャさんは、それを参考にして自分のプランを組み立ててください。もちろん私の考えるとおりにしなくてもかまいません。修正のプランがあるならそれも歓迎ですし、私のプランを完全に置き換えるようなものでも構いません。採用するかしないかは見てから決めますからね」
「えー、プランを出したら採用してくれるんじゃないんですかー?」
「もちろん、見てからです。それはそうでしょう?」
「さっき、『採用!』って言ったくせに……」
「ああ、あれは、人事案件としてパーリャさんを社員として採用するってことです。プランの採用は見てからですよ」
「あー、そゆことですね。……んー、やっぱり夢じゃなかったんだ。私、就職できるんですね!?SEMに就職内定ってことでいいんですよね?」
パーリャは念を押した。
「はい……、私確かにそう言っちゃいましたもんね。またみんなに怒られそうですけど、……言っちゃったからにはしょうがありません。もちろん私が責任を持ってパーリャさんを採用します!普通は最終面接で確認する『人柄』と『熱意』はこれまでのお付き合いで確認済みですし、『コミュニケーション能力』『論理的思考力』も、まあ新卒の学生だと思えば問題なさそうですし、それらに加えて『学力』その他の能力も、これからプレゼンで見ることができますからね。内定証明書、必要ですか?」
「はい、大学の就職課に提出しますから。これで担当教授にも顔が立ちますし。遊びに行ってたんじゃないんだぞーって」
「わかりました。後でメールで送りますね。それと私のプレゼンですけど……、その前に……」
あれよあれよといろいろ動いていくので、僕は少しあっけにとられていた。が、アリシアさんがいい提案をしてくれた。
「その前に、もうお昼ですから食事にしましょう。ここでもいくつか食べるものが出せますから」
そう言って、ランチの時間に突入した。
ランチはサンドイッチだった。無人だからというわけではなく、あまり凝った料理で時間をつぶすのももったいない気がしたので、僕たちはサンドイッチを選んだのだ。そしてランチは手早く済ませ、アリシアさんは手持ちの資料を使って自分のやりたいことを手早くプレゼンしてくれたのだった。
実はその前に、さすがに僕も少し心配になってアリシアさんにはこう進言したのだ。
「アリシアさん、僕を信用してくださるのは、少し、というかその、ものすごくうれしいんですが、僕はバリアントの社員です。あなたのアイディアを勝手に利用したり、僕の親父に報告したりして困ったことになるという可能性もあると思いますよ。そこは警戒はしないんですか?」
アリシアさんは迷いなく答えてくれた。
「その点では、マエークさんだけでなくお父様の方も含めて、信用しているつもりです。というか、これからお話しする考えは、たぶんビジネスにはならない話です。なんとか赤字を出さないようにすることは可能かもしれませんが、それも怪しくて、だから私も自信を持てないでいる話なんです。むしろ、逆にこれをビジネスにして収益が出せるくらいにしてくださるのは願ってもないことです。それが可能なんでしたら、別に誰が主体になってもらってもかまわないんです。私にとっては実現させることが重要で、私がそれをやること自体は、実はどうでもいいことなんです。よろしかったら、ぜひバリアントで主導してやってくださると私も助かります」
そう言って、アリシアさんはほほ笑んだ。こういう時は、誰もアリシアさんに勝てない気がしてくる。
「その時には、バリアントが私たちを従業員として養ってくださいね」
と、付け加えることも忘れなかった。僕は納得したが、一言、
「僕にはそんな権限ありませんよ。でも可能な限りは上と交渉してみることを約束します」
そう付け加えて、アリシアさんのプレゼンを拝聴することにした。
そして、そのプレゼン自体は、10分程度で簡単に終わった。いくつかの質問もしたが、明確に答えてくれた質問もあれば、アリシアさんにははっきりとは答えられない質問もあった。でも、とりあえずアリシアさんの考えは、3人で共有するものとなった。僕もパーリャもその内容にはすこし唖然としたが、でもその夢はあまりにもアリシアさんらしくて、うれしくなってしまった。
「楽しそうですね。いい夢だと思います。ますます応援したくなっちゃいました」
「ありがとうございます。あー、恥ずかしかった!自分の夢を語るって、恥ずかしいんですよ!もー、こんなことやるとは思ってなかったですもん。はあーっ……。」
そんな風に、少し赤面していたアリシアさんだったが、最後はこう締めた。
「ぜひこの夢にパーリャさんができることで力を貸してください」
「はい、がんばって、後押しできるようプランを考えてみますねっ!」
パーリャもニコニコしている。こいつはアリシアさんにここまでさせたんだから、それ以上にこれから苦労する事になったってことを、まだ実感できてないようだな。そんなパーリャと、そして僕に向かってアリシアさんは付け加えた。
「……あの、念のために言っておきますけど、スタッフのみんなにも、こんなにはっきりとは説明していませんからね。いまのところはまだ内緒にしといてくださいね。絶対ですよ!」
アリシアさんは、少し恥ずかしそうに言った。僕は笑顔でうなづいた。
聞いてみれば、僕もアリシアさんらしいいい夢だと思う。いい夢なんだけど、……少し疑問に思ったのは、ゼニス・ナカイ氏の考えだ。これからもう少し調べてみたいと思うのは、ゼニス氏が本当はどこまで考えていたのか、という部分だ。もし、アリシアさんのこの考えが、ゼニス氏の影響下で生まれたものなのだとしたら、ゼニス氏の考えたことにはまだまだ奥があるようにしか思えない。そしてゼニス氏に関しては、アリシアさんたち家族しか知りえていない情報も、きっとあるだろう。
僕は、自分の中にゼニス・ナカイ氏の人物像をイメージできるだけの情報を手に入れたいと思うようになった。彼がなぜ、自分の会社と自分自身をいうなれば犠牲にしてまで、宇宙エレベーター建設を推進したのか。自分自身で作った宇宙エレベーターを他の踏み台にしてまで、宇宙エレベーターが宇宙の物流を支える時代を開きたかったのか。彼が考えた、今の時代のその先にあるものはなんだったのか。彼の考えを、僕自身が納得して受け入れられるようなイメージが欲しかった。
ひょっとすると、アリシアさんや僕達の手に余るようなことをゼニス氏は考えていたのではないか、そんな気もしてくるのだ、もちろん根拠はないんだけれど。……ま、その時は親父を巻き込むことにしようか、などと不埒なことまで考えて僕たちは昼間のカフェを後にした。
ツアー6日目のお昼 現在地点:高度3万5800kmのGEO(静止衛星軌道)ステーション滞在二日目 重力は0G 無重力状態
なんだか壮大な話になってきている気もします。そんな中で、パーリャちゃんはあっさり採用されてしまいました。パーリャちゃんは、しかし苦労の始まりになるこの採用の罠に、まだ気づいていません。マエーク君は、アリシアさんの言動が危なっかしくて構わずにはいられません。他のスタッフもそうなんでしょうね。で、それらの一番底の方では、ゼニス・ナカイ氏の遺志が広く大きく横たわっているようです。アリシアさんもマエーク君も、まだその断片しか知りません。
次回は、GEOステーションを離れてさらに昇ります。でもずんずんスピードアップしていきますよ。クライマーも、このお話もね。