(15) リバースクライマー
宴会も終わりました。パーリャはギルバートさんと何をしていたんでしょうね。そして実家からの連絡も。マエークはこれからどんな行動を選択していくんでしょう。そして翌日はクライマーを重力の方向に合わせてさかさまにする「リバースクライマー」です。
大宴会がお開きになり、僕がホテルに戻って少し酔い覚ましをして、シャワーを浴びて一息ついたころにパーリャは戻ってきた。パーリャが開口一番言ったのはこんな言葉だった。
「お兄ちゃん、アリシアさんとずっと話してたんだって?ねえ、どんな話した?なにかいいことあった?ねえ?」
「何でお前が知ってるんだよ。……って、誰でも知ってるか。まあ、話したけど、世間話だけだよ。それよりお前こそ、ギルバートさんとどこに行ってたんだ?」
「ギルバートさんに天体望遠鏡覗かせてもらってた。もちろん144cmのやつ!他のは今マーキュリーがメンテ中だから使えなかったしね。で、昨日はあんまり時間なかったんで蓄光モード使えなかったから、たっぷり使わせてもらってもう一回バラ星雲見て、北アメリカ星雲見て、ペリカン星雲見て……って、星雲を総ナメしてきたよ。すごかったー!」
「あ、お前、何してんだ。僕も呼んでくれればよかったのに。くそー、ギルバートさん、職権乱用なんじゃないか?」
「『秘密だからな』って何度も言ってたけど、絶対ログには残るから、いずれ発見されて怒られちゃうかもね。んー、あんまり怒らないでってアリシアさんに言っとくべきかなあ。でもやぶ蛇になる気もするしなあ。どうしよう……」
「もう、アリシアさんにあんまり面倒かけるなよ。ただでさえ忙しいんだからな。明日は休みって言ってたけど」
「あ、アリシアさん明日お休みなんだ?おー、独占のチャンス?」
「だから面倒かけるなって言ってるだろうに。いいからシャワー浴びてこい!」
「あ、そうだね。明日は何しようかなー。行ってきまーす!」
そう言って、いつものようにシャワーを浴びに行った。
そうかー、144cm見てきたか―。いいなー。……って、確か明日、144cmの開放もスケジュールに入ってなかったか?そう思って、明日のスケジュールをもう一度スクリーンに映した。
スクリーンのリストには、いくつかのイベントがあるのに加え、同時にいろんな施設が開放されて自由に使えるようになると書いてある。イベントとしては「リバースクライマー」「クライマー管制室見学」「パペットショー」「記念タイル」がリストアップされている。開放される施設としては「ムービーシアター」「0Gスポーツシアター」「GEO農園」「天体観測室」「無重力実験室」ってとこか。イベントは「リバースクライマー」はぜひ押さえておきたいし、「クライマー管制室見学」も重要だ。「記念タイル」はたぶん全員参加に近いだろうし、あと「農園」は行きたいなあ。「無重力実験室」はどんなことができるんだろう?なんとなく想像できる気もするんだけどなあ。
そんなことを考えているうちに、パーリャがシャワーをすませて戻ってきた。
「パーリャ、明日どれ見に行くか決めてるか?これだけあるんだけど、どれが見たい?」
「んー、『リバースクライマー』はぜひ見に来て、ってギルバートさんが言ってたよ。ただ、準備と後始末が長いんで、見ごたえがあるのは真ん中へんの30分くらいだとも言ってたなあ。『記念タイル』はなんとなく『お約束』だよねえ。みんなでお祝いするイベントだもんね。あとは『農園』を見たいかな?私はそのくらいでいいや。お兄ちゃんはどうするつもり?」
「そうだな。じゃあ『リバースクライマー』と『記念タイル』それから『農園』は一緒に行くとして、あとはお互いに好きに過ごすってことでどうだ。もうランチもディナーもそれぞれでって感じで」
そんな提案をしてみた。特になにか思惑があるわけではないが、ずっと一緒というのも疲れるし、たまには別行動もいいだろう。そんな軽い気持ちだ。
「うん、いいんじゃない?そうしよう。まあ『リバースクライマー』は午前ほとんど使っちゃうし、ランチ食べて午後が『記念タイル』でその後が『農園』でしょ?そしたらそこまではほとんど一緒だね。そしたらそれ以降だけ自由時間ってことか。まあいいか、うん」
これくらい緩い計画で十分だろう。そんなところで打ち合わせは終わりだ。あとはもう寝るだけ。いつものようにPCをチェックして寝ることにする。今日のベッドはちょっと広くて豪華だが、無重力なのでほぼ関係ない。どこに転がっていくつもりでも、実際にはベルトでベッドの上空に固定されているだけなので、ベッドの面積と寝心地はほぼ無関係だ。だがもちろん、気分は大違いだ。いつもより優雅な気分で眠りにつく準備をしつつ、PCを確認する。すると、めずらしく親父からメッセージが入っていた。何だって?
『GEOステーションの詳細が知りたい。従業員数、農園の規模と作っている作物、付帯施設の詳細、最大収容人数、特にその人数が実際に滞在可能か。レストランのキャパシティや処理能力などから判断できる合理的な収容可能人数を知りたい。それから、GEOより上に行くときの制限やクライマーに積載できる最大重量などもわかる範囲でデータを集めてほしい。報告は帰宅後でいい。よろしく』
「何だこりゃ?」
思わず声を上げてしまったので、パーリャがこっちを振り向いた。
「どしたの?誰かにハッキングでもされた?」
「いや、そうじゃなくて、パパが……。んー、別にいいか。んー、なんでもない」
「パパ、また無理難題言ってきた?適当にあしらっときなよ。ま、事実上の上司だからそうもいかないか。いつものことだから、がんばってお仕事してね。こっちには、またビデオメール送れって言ってきた。はいはい、またそっち行くね」
そういって、僕のベッドまで泳いでくるなり、セルフィ(自撮り)でビデオメールを撮り始めた。
「パパ、ママ、こんばんはー。今日は赤道3万5800キロ上空の静止衛星軌道ステーションからお送りしています。今日は宴会があってね、無重力宴会、楽しかったよ。ま、無重力はほとんど関係なくて普通の宴会だったけどね。あと、星雲見たよ、望遠鏡でね。地上じゃないからすごいんだ、星雲が。バラでしょー、カリフォルニアでしょー、ペリカンでしょー。北アメリカでしょー……。とにかくすごいの一言だね。お爺ちゃんにも見せてやりたかったよ。それに、ああー、私が小さいころこんな望遠鏡があったら、間違いなく天文学を専攻してたね。それくらい、衝撃的だった」
パーリャは、一気にまくし立てて自分の感動を精いっぱい伝えていた。言葉はよどみないが、たぶん自分の感動の1割も伝えられていないだろう。だがそれも問題ではない。パーリャが感動したという事実が重要なのだ。両親にとっても、パーリャ自身にとっても。
「でねー、聞いて聞いて。私がそんな風に感動の時を過ごしている間、お兄ちゃんったらアリシアさんとデートしてるんだよ!何話してたかは聞いてないけどね。私が聞いたら『大したことは話してない』としか言わないんだもん。帰ったら、みんなで追求しようねー」
「お前は、何言ってるんだ。お前こそ、ギルバートさんとどんな話してたんだか、白状してもらうからな。僕はパパに言われたことをいろいろ調べてただけなんだ!全く何を言い出すんだか!」
パーリャは、少しふくれっ面になったが、すぐに機嫌を直してカメラに向かって話をまとめた。
「ま、そんなわけだから、あなた方の息子と娘はそれぞれ元気に旅を楽しんでますよー。ここのお土産屋さんにいろいろお土産もあるみたいだから、買って帰るねー。じゃね!おやすみー……」
そう言ってセルフィを止めてPCを片付けるなり、僕に食いかかってきた。
「なによ、パパに言われたことって、なにかアリシアさんのこと調べてたりするわけ?」
パーリャはアリシアさんのこととなると自分を見失っている。僕はそんなににらまれるようなことはやってない。
「別にアリシアさんのことを調べてるわけじゃないし、そんなつもりでアリシアさんと話したわけでもない。お前が心配するようなことじゃないよ」
「じゃあ、なに調べてるのよ。パパから何言われたの?」
「パパからは、SEMの会社についてと、このホテルのキャパシティについて聞かれただけだ。昨日アリシアさんと話したのは、アリシアさんの夢の話だ。結局話してはもらえなかったけどね」
「なんでパパがそんなこと聞くのよ。そんなのちょっとネットで調べたらわかることなのに。で、アリシアさんの夢ってなんだって?昨夜見た夢とかじゃなくて将来のー、って夢だよね?」
「だから、教えてもらえなかったって言ったろ。僕が、今の仕事をがんばってますね、って言ったら、まだまだやりたいことがある、ってアリシアさんが言うんで、その流れで聞いたんだけどね」
「ふーん、お兄ちゃんでもまだそこまでは踏み込ませてもらえなかったのかー。私も知りたいところだけどなあ、アリシアさんの夢」
そうか、こいつはこいつで就職試験がかかってるんだ。アリシアさんの夢を助けてあげることができれば、採用の目も広がるよなあ。だけど、それよりも……
「なんか、アリシアさんって、結構無理してるよなあ。お前は前からわかってたんだろ?……」
パーリャは、少しためらいながら答えた。
「んー、なんかそんな気がした、ってくらいだけどね。でも、ギルバートさんも、ネイネイさんも、みんなアリシアさんを助けたいって同じように言うんだよ。あの人には、そんな頼れる味方が多いんだよ。すごいよね、みんな」
そうして、パーリャは僕にとっても救いになるようなことを言ってのけた。
「私も、そんな彼女の助けになれればいいなって思うようになった。この人たちの仲間になりたいって思った。だから全力で就職活動してみるよ。お兄ちゃん、ちょっとでいいから助けてね」
それは、大そうさわやかな宣言だったし、僕にとっても願ってもない提案だった。僕は、勢いよく毛布をかぶって寝る体制になった。
「おう、任せとけ!……さ、明日も明後日もイベント目白押しだぞ、しっかり休んでこのツアーを目いっぱい楽しもう!『照明オフ!』」
* * *
一夜明けて、今日はツアー6日目。今日のメインは「リバースクライマー」。地表から昇ってきたクライマー「ターサ1号」を、GEOよりさらに上に昇らせるため、上下(前後?)をひっくり返す作業だ。それをイベントとして見せちゃおうというのがこのイベントだ。なんでひっくり返さなきゃならないかというと……。
「GEOから上に昇ると、今度は地球の自転による遠心力が引力より勝ってきますんで、上向きに引っ張られるようになるんです。ところがクライマーは地球方向が下向きになるように作られてますよね。それでひっくり返してやらなきゃならないんですよ。ま、上方向に引っ張られるって言っても、せいぜい0.05Gくらいの微重力なんですけどね」
解説してくれたのは、……セルゲイさんだ。僕とパーリャがイベント見学のため、ここに到着した時のターミナルにきたら、いつの間にか近くに来て、解説してくれていたのだ。別に頼んだわけじゃないんだけど。セルゲイさんも、このイベントの間は特に仕事はないらしい。見物客が変なところに迷い込んだりしないように見ておくくらいの役目なんだそうだ。それってちゃと仕事があるってことだよなあ。ここで解説なんかしていていいんだろうか。
「それだけでしたら、別にひっくり返すほどでもないですし、さほど不便になるわけでもないですが、やっぱり気分の問題ですし、いずれにしても上に昇るためには一旦テザーから取り外さなければなりませんのでね」
「そうなんですか?」
「実はこの『ターサ』に限ってのことなんですが、GEOから下のテザーと上のテザーは別のテザーでして、直接つながってはいないんですよ」
そういえば、聞いたことがある。確か「宇宙エレベーター講座」の3回目だったか、宇宙エレベーターの建設方法を聞いた時のことだ。テザーは2本用意されそれぞれ化学燃料ロケットに載せられて、静止衛星軌道上で接続されたってことだった。接続はしても、クライマーが直接乗り入れできるようにはなっていない、ってことだろうか。
「もともと、GEOを挟んで地球側のテザーとカウンターウェイト側のテザーが接続されて、現在の形になっているんで、どちらのテザーもこのGEOステーションのフレームに接続されていて、直接クライマーは乗り移れない状態なんですね。ほら、ここからも見えますよ。あそこです。わかりますか?」
ターミナルのところどころには、外が直接見える窓がいくつか作られている。直径50cm程度の小さな丸い窓で、鉛ガラスがはめ込まれているのだそうで、ある程度外の宇宙線も防げるようだ。ただし外の線量が多いときはシャッターで封鎖されるらしい。今はイベントもあり、外の線量も基準値以下なので開放しているようだ。
そこの窓から見えるテザーには僕たちが乗ってきたクライマー「ターサ1号」が懸架されているが、そこからさらにカウンターウェイト側を見渡していくと、テザーの端が太い鉄骨のようなところにボルト止めされているのが見える。あそこが地球とつながっているテザーのGEO側の終端であり、さらにその先にはカウンターウェイトにつながっているテザーが接続されているようだ。そして太い鉄骨が、このGEOステーションの基部であり、テザーとステーションをつなげているまさに要の部分ということか。
僕たちは、ほうと感心しながら作業を見守っていた。しかしなかなか動きらしい動きはない。
会場、というかターミナルの周辺ではスピーカーからオペレーションの声がさっきから響き渡っている。やっぱりギルバートさんと、他数名の声だ。だがギルバートさんはこの作業では補助の役割のようで、メインのオペレーターは別人らしい。たぶんこのGEOステーションでの主任とかそういう役柄の人がいるのだろう。そんな推測をセルゲイさんに話してみると、セルゲイさんは明かしてくれた。
「あの声は、ここの、GEOステーションの路線運行管理主査のマズバールの声です。鉄道で言うところの運行管理者みたいなものですね。ま、彼の場合はこのGEOステーションのコントロールも兼ねています。運行自体が、まだ不定期にしか行われていませんからね。」
「そうか、僕たちのツアー以外にもクライマーって運行されてるんですもんね。どれくらいの頻度で運行しているんですか?」
「まだ不定期で、必要があるときに運行計画を立てて運行しています。例えば今回のツアーの運行は今年になって4回目の運行で、その前3回はこのツアーのためのリハーサルと、ホテルの整備のための資材運びが主でしたから、まだ用事があるときにしか運航しない、という程度です。マズバールも、ずっと退屈していましたから、今日は張り切って仕事してますよ」
なんだかセルゲイさんは、そのマズバールさんとは親しい関係のようだ。そんなことを思いながらセルゲイさんの顔を見ていると、
「マズバールは、私の昔の同僚でしてね。私が彼をここに誘ったんですが、面白そうだって言って二つ返事でここに来てくれました。優秀で頼りになる男です」
そんな風に、セルゲイさんは誇らしげに言った。セルゲイさんの昔の仕事って何だったんだろうな。と僕が思っているとパーリャは、またしても直球で聞いた。
「セルゲイさんって、昔は何やってらしたんですか?悪の秘密結社?」
「ばっ、なっ、何言ってんだ?」
と僕がフォローもできないうちに、当のセルゲイさんは高笑いを始めた。
「あっはっははは!確かに、まあ似たようなもんですな。パーリャさんは面白い人ですねえ。いや、実はマズバールともども東インド洋の宇宙エレベーターの建設工事員をやってました。まあ食い詰めた連中が最後にたどり着いた掃きだめでしたから、悪の秘密結社とそう変わらんでしょう。はははは……」
パーリャも調子に乗って一緒に笑う。
「あははは、……やっぱりそんなとこじゃないかと思ってました。セルゲイさん、妙に眼力が鋭いんですもん。今の仕事、ぜんぜん似合ってませんよねえ」
そう言ったとたん、セルゲイさんは笑いを止めた。
「似合って……ませんか?……そうですよねえ。いや、わかっているんですがね……」
だめだ!セルゲイさんがパーリャの一言で、もともと大きな体躯がみるみる萎縮していく。
「そうですよね。よく顔が怖いと言われるんですよ。……社長はここを、いずれ子供たちが毎年修学旅行に訪れるような施設にしたいって張り切ってらっしゃるのに、私がガイドなんかしていたら、子供たちに逃げられちゃいますよねえ。そうなんです。わかっているんです……」
ああ、このままだと撃沈してしまう。何とかしないと……。パーリャもすぐに気づいたようで、焦っていまさらなフォローを始めた。
「あ、あ、いや、似合ってないって、それはその、意外だってことで、……そう!セルゲイさんってなんか無骨な感じでサムライとか兵士を思わせるような体格なのに、神経が細やかで、すっごく仕事のできる人だって、感心しているんですよ。ね、ねえ、お兄ちゃん?」
こっちに振るな!と言いたいが、今はそれどころじゃない。
「そうですよ!セルゲイさん。僕らセルゲイさんを頼りにしているんですから。僕らわからないことだらけで、セルゲイさんのおかげでこんなに旅を楽しめてるんですよ。ああ、ほら!そろそろ何か動きがあるみたいですよ、あれは何をしてるんですか?セルゲイさん?」
「え、あ、ああ。あれはやっと前準備が終わったんで、これからいよいよ分離のシークエンスが始まりますよ。これからが見所ですよ。ここからよりも、スクリーンの方が細かいところまでよく見えるはずです。ほら、こちらに来ていただいて、……ああ、タッシリさんがあんなところに、あそこよりもっとこっちの方が見やすいのに。ちょっと失礼します。タッシリさんをよく見えるところにご案内しますので……」
そう言って、セルゲイさんは自分の義務を果たしに行った。そうだ、セルゲイさんは義務をおろそかにしない、優秀な人なのだ。もっと自信を持ってもらわなければ……。
思わぬセルゲイさんの打たれ弱さを目の当たりにした僕らは、ホッと一息つく間もなく、クライマーの分離シークエンスに見入っていった。
スクリーンに動きが入ると同時に、音声による解説が開始された。これはギルバートさんの声だ。いろいろと前準備があったようだけれど、それが終わって実際の作業だけになったのだろう。
「これから始まりますのが、クライマーの分割と方向の逆転です。これらの作業はすべてプログラムされた作業ロボットによって行われていきます。ただいまからそのシークエンスを開始いたします」
ギルバートさんがそう言うと別の声が「リバースシークエンス、スタート」と告げる。マズバールさんかな?それを合図にスクリーン内のクレーンやマニピュレーターが動き始めた。同じ動きはさっきテザーの接続場所を見た窓からも部分的には見えているが、スクリーンで見る方が鮮明で角度も的確だ。
「おお、動き出したな」
「うん、ワクワクするね」
「やっと始まりましたね」
これはタンさんの声だ。いつの間にかそばに来ていたらしい。ガスパールさんもカリンさんもいた。僕は手っ取り早くあいさつした。
「みなさんお揃いでいらしたんですね。おはようございます」
いつの間にこの人たちは3人で行動するようになったんだ。そんなことを思いながら、だが視線はスクリーンに向かったままだ。続けてギルバートさんの解説が入る。
「まずは、『ターサ1号』の4両あるクライマーの各車両を2つの部分に分割します。すでにそれぞれの間の空調や電気系統のラインとオートステップは切り離されています。現在は最後のジョイント部分の連結器同士の接続を解除しているところです」
クライマーの各車両は、それぞれクレーンに固定された状態のようだ。画面奥の方のレールからクライマーを固定するクレーンのような機械がせり出してきていて、それが高さ20メートルくらいはあるだろうクライマーの1両をつかんだようになっている。スクリーンではそのうちの一番カメラに近い、1号車を中心に映しているが、僕たちのいる場所の窓からは、2号車の方が近くに見える。
「ジョイントを開放する。『ジョイント・オープン』」
その瞬間、クライマーの各車両は、それぞれごとに、車体に入る縦のラインから分割され始めた。なにか楽器のケースのふたを開けるようなアクションで、左右に開いていき、中央にある台車の外形が見えてきた。テザーを挟んで手前が開き、ジョイントは奥側にあるようだ。少し開くと、機械の中身があらわに見えているが、内部もちゃんと塗装されていて、クライマーの基本色である白と群青のラインが描かれている。
そのような作業は各車両ごとに同時進行で行われていて、すべてのクライマーが分割され、クレーンがそれをテザーから奥の方に引き離していく。スクリーンでは1号車の様子の奥の方に2号車以下の車両の様子も見えていて、すべての作業が同時に進んでいるのがよくわかるようになっていた。
「スクリーンだけ見てると、どんな大きさなのかがよくわからないけど、ここの窓から見えている分も頭の中で合成すると、すごいスケールの作業だってことがわかるな」
ガスパールさんが、ため息交じりでそんな感想を漏らした。そして解説の声が鳴り響く、
「これで、各車両の分割とテザーからの分離が終わりました。次の合図で各車両が上下を入れ替えます。ご覧ください」
その声の後「リバース」という声がかかる。すると各車両をつかんだクレーンのマニピュレーターはその場で回転を始めた。各車両が同時に、その場でゆっくりと回転していくのがわかった。観客からは「おおっ」という声が漏れた。誰しも同じことしか言えなかった。回転の作業は2~3分で終わった。
「これで、各車両の床と天井が入れ替わり、今後GEOより先に進むにあたって、進行方向が重力の下向きに変わっていくのに対応したことになります。明日の朝、GEOステーションを出発して6日後の8月26日まで最先端のカウンターウェイトまで昇り続けることになりますが、その時の上向きの重力は約0.05Gで微重力ではありますが、今回の作業によって視覚的上下感覚と一致することになりますので、さほど混乱はないと思われます」
逆に言えば、この作業を行わないままカウンターウェイトまで昇った際には、視覚的な床の方向と、微重力とはいえ感覚的に感じられる下の方向が異なってしまうことにより、宇宙酔いの症状が顕著に出てしまう可能性があるということらしい。それがこの作業を行う唯一で最大の理由だ。観光旅行だからこそ、行われるようになった作業なのだろう。
「続いて、クライマーをプラス階層のプラットフォームに移動します。この作業に15分ほど要します」
ギルバートさんのこの言葉と同時に、今度はクライマーをつかんでいるクレーン自体がプラスの方向に移動を始めた。よく見ると、クレーンが取り付けられていたレール自体がスライドしてプラスの方に移動しているのだ。しかしスクリーンではクライマーと同期してカメラが動いているらしく、プラットホームを含めたGEOステーション全体と、テザー上に取り残された台車が画面奥の方に送り出されているように見える。
「おおー、面白いねえ。昔のアニメにこんなシーンがあったよねえ」
タンさんは、しきりに感心しているが、だれも相槌は打たない。そのうちタンさんも黙ってしまった。
僕たちの間は沈黙が続いていたが、ギルバートさんの解説は続いていた。
「この『ターサ』の前身である『最初の宇宙エレベーター』は、他の宇宙エレベーターの建設目的で建造されたものでした。そのため最低限の機能である『貨物を静止衛星軌道まで持ち上げる』ことだけのために設計されて、作られています。その結果、GEOステーションを中心に、地球側のテザーとカウンターウェイト側のテザーは独立しており、厳密に接続されてはおりません。したがって、地球側からカウンターウェイト側まで直接クライマーを昇らせることはできず、このような作業を必要としているわけです」
これもいつだったか、どこかで聞いたことだ。どこでだったか。考えている間にもクライマーは上昇していくし、ギルバートさんの解説は続いた。
「建造当初、カウンターウェイト側のテザーは、クライマーを昇らせることを想定しておりませんでした。したがってその時にここに接続されていたテザーは、耐摩耗の性能も劣り、クライマーを走らせるためのマーカーの設置やコーティングもなされていない、ただカウンターウェイトを支えるためだけの性能を持ったテザーでした。そこで私たちは今から2年前、カウンターウェイト側のテザーを、クライマーを走らせるための最新のテザーに入れ替えました。それが、現在スクリーンでご覧いただいています、カウンターウェイトに昇るためのテザーです」
そのテザーには、すでにプラス側に昇っていくための別の台車がセットされていた。台車は移動させずに、プラス側とマイナス側で別に用意して、交互に使っているようだ。そこにまた解説が入る。
「カウンターウェイト側には、すでにもう一つの台車が準備されて待機しています。これからこの台車に、上下を入れ替えた『ターサ1号』を取り付けていきます。」
ギルバートさんの解説に合わせるように、クライマーの上昇は止まった。画面ではGEOステーションの移動が止まったように見えたのだが。ともかく、そうして画面は次のシークエンスに移っていく。
「クライマー、アッセンブリー」
マズバールさんの指示で、さっきとは逆に、テザー上の台車にクライマーの各車両が近づき、そして楽器ケースのふたを閉めるように、クライマーが台車を包み込んでいった。
「これでだいたいの作業は終了です。あとは、各車両と台車、車両間の空調や配電のラインを接続し、オートステップを接続して稼働状態になります。その後さらに接続と気密状態のチェックを行い、簡単な動作テストを行って、スタンバイ状態となります。明日の朝には出発できる状態にまで仕上げます」
そんな形で、今回のイベントは終了した。作業自体はギルバートさんも言っていたように、この後も続けられるのだが、見た目にはもうなにも変わらないので、イベントとしてはすべて終わったということだ。
「セルゲイさん、結局戻ってこなかったね。もう元気になったかなあ?次に顔を合わせるのが何だか怖いよ」
パーリャは不吉なことを言っているが、僕はあのセルゲイさんの屈強さが、見た目だけのものではないと信じている。いや、まあ、信じたい。信じたいんだがなあ。
「僕らはこの後急いで無重力実験室に行くんだが、君らはどうする?」
タンさんがそんなことを言った。「僕ら」ということは、ガスパールさんとカリンさんも一緒なんだろう。僕らは……
「私たちは、ちょっと予定がありますんで、すいません。皆さんで楽しんでください」
僕が答える前にパーリャが勝手にそう言った。しかし、特に反対する理由もないので否定はしなかった。
「そうかい、じゃあまたね。行こうか」
そう言って、3人は仲睦まじく目的地に向かっていった。僕はパーリャに真意を尋ねる。
「どうしたんだ?何か予定ってあったっけ?まだお昼には早いけど?」
パーリャは指さして言った。
「ほら、あれ」
その先には、アリシアさんが近くのスクリーンで調べ物をしている姿があった。ん?こんなところで、何を調べてるんだ?と、思う間も無くパーリャが飛んでいって声をかけた。
「アリシアさーん、何してるんですか?」
「え、ああー?パーリャちゃん!?……あー、びっくりした。マエークさんも!あ、いえ、カンパーネンさん。こ、こんにちは」
パーリャは機先を制することに成功したようだ。アリシアさんはすっかり委縮してしまっている。
「あれえ、とうとうファーストネームを呼び合う仲ですかあ?お兄ちゃん、お見それしてました!」
「馬鹿なこと言ってんじゃないよ。お前、今の一言で採用はなくなったな。次の応募先探しとけ」
「ええ~!なし!なし!今のなしです!ちょっとふざけただけですってば!アリシアさん!?」
アリシアさんはようやく余裕を取り戻して、パーリャを慰めた。
「採用も不採用も、なにも言ってないじゃないですか。ほんとに一喜一憂する人ですね。落ち着いてください」
「はい……、すいません。悪ふざけも度が過ぎました。私の悪い癖なんです。許してください」
しゅんとしょげたパーリャを、これ以上叱れる人はいない。アリシアさんもすっかり笑顔になった。
「もういいですから。なにか私に用事、ってわけじゃないですよね。別になにもしてませんよ。次のプログラムはどこでなにがあったか、確認してただけですから」
そういえば、今画面に開いている書類は、今日のイベントリストだ。アリシアさんは今日はお休みだって言ってたから、午後の記念タイルまでは、予定がないんだろう。
「アリシアさん、なにか見に行くんですか?」
「いえ、どうしようか迷ってたんですよ。お客様の様子も見たいんですけど、何かのイベントに行くと、スタッフから必ず『うろちょろしてないでしっかり休んどけ』って言われるんですよ。だからどこにも行けなくって」
「じゃあ、アリシアさんは、この二人のお客様の接待のお仕事です!私たちとお茶しましょ!?」
「お前はまたアリシアさんに迷惑をかけて、……それにパーリャはそれでいいのか?何か見に行くんじゃないのか?」
「アリシアさん見物以上におもしろいイベントはないってば。お兄ちゃんもいこ!ね、アリシアさん!」
「あ、あ、わかりましたよ。パーリャさん、そんなに引っ張らなくても、行きますよ。別に迷惑じゃないですから、マエークさん……でいいですよね。『ファーストネームで呼び合う仲』ですから!」
「はい、オッケーです!アリシアさん」
そんなわけで、僕たちは昨日に引き続いてアリシアさんと過ごすことになった。いいのか?
ツアー6日目午前 現在地点:高度3万5800kmのGEO(静止衛星軌道)ステーション二日目 重力は0G 無重力状態
クライマーをひっくり返すのも、いろいろと理由があるようです。セルゲイさんは意外(?)と繊細だったようですが、実は立ち直りも早いんです。そしてまたまた、アリシアさんと密談。何を話すんでしょう。パーリャちゃんにも、マエーク君にもそれぞれ思惑があります。
次回は、GEOステーションの役割についてです。