(12) 宇宙エレベーターの作り方
今日のアリシアさんのお話は、「宇宙エレベーターの作り方」です。でも「最初の宇宙エレベーター」の作り方はなんだか特別なようですよ。そして、いよいよ静止衛星軌道ステーションに到着します。でも、その前にギルバートさんの件も、決着です。
「で、アリシアさんとカレンさん、すーっかりなかよしになっちゃった。ま、大人の女性同士、なにやら共感できるところがいろいろとあるんだろうねー」
翌日、朝のトレッドミルの時間に、パーリャに昨日の話のあらましを聞いていた。というか、パーリャが勝手に話し出したのだ。決して僕がせがんだわけではない。
「お前は、大人の範疇には入らないんだな」
「そりゃそうだよ。まだうちの地域じゃ成人前だし、所得税だって払ってないしねー。まだまだ苦労知らずのお嬢様なんだよ、えっへん!」
「なんでいばる?」
「ま、みんながうらやむ立場だしね」
「あと1年足らずだけどな」
そういうと、これまでのテンションを急激に下げて、意気消沈したように語りだした。
「そーなんだよー。それで私のインターンシップの話になってね、急にアリシアさんがマジな顔になって、『うちに来て、どんな仕事ができますか?パーリャさんはSEMにどんな貢献がしたいですか?』って聞いてくるんだよ。しばらく答えに詰まってたらカレンさんが『まあ、まだまだそんなところまで考えられないよねー。このツアーの間にでも考えてみたら?』とかフォローしてくれて、なんとかごまかせたんだけど……。アリシアさん、マジになると結構怖そうだって、ようやく気付いたよ」
そりゃ、仮にも社長の椅子に座っているわけだし、この世界でプロフェッショナルとして活躍しているんだからな。ただにこにこ笑っているだけで務まる立場ではないはずだ。
「それで、就職活動はどうするんだ?やめとくか?」
そう言ってみると、急にパーリャは顔を上げて、挑戦の構えになった。
「いや、もちろん続けるよ!アリシアさんは私が答えられなかった後、『パーリャちゃんがうちに応募しに来てくれたら、こんな質問をたぶんしますからね。答えられるようにしておいてくださいね』って言ってくれたんだよ。やっぱりアリシアさん、優しいよね。そりゃアリシアさんや他の会社だとしても、何の役にも立たない小娘を、そう簡単に雇ってはくれないよね。私の能力を生かせる場所を見つけて、会社に貢献できる材料をちゃんと示さないとね。お兄ちゃんも協力してね。これからがんばって探していくから!」
実はパーリャの学部はデザイン学部だ。その中でも環境デザイン学という分野で勉強している。なじみのある言葉を使えば建築学だが、環境デザインの概念はもうちょっと広くて、小はインテリアデザイン、インテリアコーディネートから大は都市計画、都市設計まで、幅広い規模での人間の環境を考える分野だと聞いている。SEMでも、その能力や専門知識を生かす場面は結構ありそうだ。その中でも自分の目指す範囲を明確にして、どんな形でSEMに貢献できるかのアイディアを企画書にでもしてプレゼンすることができれば、結構アピールすることもできるんじゃないかと思う。ただ問題があるとすれば、こいつが今の時点でそれをどこまで進めていけるか、だな。ま、少しくらいは兄としてアドバイスしてやってもいいかもね。
そんなことを考えながら僕は、この学生がどこまでやれるかを見守る指導教授の気持ちになっていた。
「そういえばカレンさん、農場を経営してるって言ってたよねえ?昨日の話では、農場とはいっても種苗農場なんだって言ってた。つまり実際に作物を生産して収穫して生計を立ててるんじゃなくて、品種改良とかいろんな種類の苗を常時保管してて、もちろん種まきの季節には種や苗を売るんだけど、たとえば何か植物の病気が流行ったり、気候の変化が予測されたときなんかには、その環境に強い種苗を売ったりするし、そんな時に備えていろんな性質の品種を開発することで稼いでるんだって。」
ふうん?カレンさんって、そこの経営をしてるってこと?うーん、なんだかお見それしてましただね。いろんな人がいるもんだな。
「だから品種改良とか種苗の提供なんかで、これから行くGEO農場での生産にもご協力できるかも、って売り込みもして名刺交換もしていたよ。なんか、急に私の知らない世界に行ったみたいで、心細かったけど、私もああいうプロのビジネスパーソンになりたいって、なんかやる気になっちゃったりもしたよ。私も苦労知らずのお嬢様のレッテルを返上する時が来たんだなーって、しみじみしつつ、秘めたる力を爆発させるチャンスをうかがってるとこ」
「で、まあカレンさんがその農場の経営者になったのは、5年くらい前におじいちゃんが死んで直接の跡継ぎがいなかったんで、一番都合のよかった自分が継ぐことになったんだって言って、そしたらアリシアさんが、自分もひいおじいちゃんからこの会社を継いだんだって白状して、それで共感するようになったってわけなんだー」
なるほど、そんな共通点があったってわけか。どちらも若い女性が、突然社長とか経営者の立場になって、会社と社員に対する責任を負うことになったんだから、それは人知れない苦労や軋轢も経験したんだろう。同じ立場同士で、愚痴の言い合いでもしてたんだろうか。
「それがわかってから、二人とも話の端々で『わかるー』みたいな感じで顔を見合わせてたりしてたんだ。話の中のどこの部分で共感したんだか、私にはまったくわからなかったんで、ちょっと疎外感も正直感じたけど、それをうらやましがってもしょうがないよね」
「ま、大人の女性の深い世界を垣間見ただけでも、いい勉強になったろ。いい経験したってことだ。……さあ、そろそろ今日のプログラムの時間だ。用意しろ!」
「あああ、本当だ。ちょっと待って!」
そうして、僕たちは今日のプログラム「宇宙エレベーター講座」に向かうべく、コンパートメントを後にした。
* * *
「おはようございます。今日の『宇宙エレベーター講座』は第3回目。宇宙エレベーターの建設方法と付帯施設について、お話しさせていただきます。すでに説明会でもレクチャーでも申し上げておりますので、この『ターサ』が、以前は『The 1st Space Elevator』と呼ばれていたことを皆様もご存知かと思います。はい、その通り、このエレベーターが世界で最初に建設された宇宙エレベーターです」
そんな出だしで始まった今日の講座だが、今日は結構盛況だ。僕とパーリャは、もちろん一番前の席に座っているし、昨日パーリャが誘ったんで、カレンさんもパーリャの隣に座っている。そして後席にはタンさんとガスパールさんのコンビ。部屋の隅にはギルバートさんもいつもの通り見学している、という状況だ。部屋のキャパシティとしてはあと2人くらいが限界だろう。詰め込めばもっと入るかもしれないけれど、あんまり詰め込まれたくないなあ。
「今日はこの、『ターサ』の前身である『The 1st Space Elevator』の建設過程を、順にご紹介します。ただし、それが標準的な宇宙エレベーターの建設方法というわけではありません。なぜなら、現在、宇宙太陽光発電所を主に建設している4基の宇宙エレベーターたちは、『The 1st Space Elevator』とは異なる建設方法が取られているからです。そのことにつきましては、後程説明させていただきます。」
そう言って、アリシアさんはスクリーンを切り替え、「宇宙エレベーター(The 1st Space Elevator)建設の手順」と書かれた一連のプレゼンテーション資料を表示した。
それによると宇宙エレベーターの建設方法は次の通りだ。
まずあらかじめ赤道上のいずれかの地点を建設予定地と定める。現在までに実現している5基の宇宙エレベーターはすべて海上に建設されている。陸上に建設ができないわけではないが、海上に作るとまず、特定の国家の領土に依存することなく建設でき、国際政治的に都合がいい。そして海上だと人工地盤を設置して、そこにテザーの一端を半固定することになるが、場所を固定せずにある程度移動させることができるなど、さまざまな調整がしやすい。そして万が一の事故などがあった際に、周辺に都市などが存在しない方が望ましい。といった理由から総合的に判断された結果なんだそうだ。
ということで、なにか特別な事情がない限り、宇宙エレベーターは普通は海上に建設することになる。逆に言えば、今後はどこかの国が、その利用や利益を独占したいから、という理由で陸上に固定された宇宙エレベーターを作らないとも限らない。だが宇宙エレベーターほど壊しやすい施設もないので、一国のエゴを出すのには向いているとは言えなさそうだ。
あと、赤道上というのも、必ずしも絶対というわけではないらしい。特に地球では、赤道というとあまり大都市もなく、気候だって人の生活に必ずしも適しているわけではないので、さまざまな経済活動には不向きな土地柄だ。そんなところから、もう少し高緯度の地域に建設できないかという検討は、たびたび行われてきたそうだ。
結論を言えば、これも必ずしも赤道でなければならないことでもないようだ。だが赤道以外のところに作った場合、地表とテザーの角度が建設地の緯度にしたがって斜めに傾くようになったり、アースポートの支持構造が複雑になったりして、そう簡単なわけでもないという。
だから赤道以外の地域での宇宙エレベーターも、今後は計画されていくかもしれない、とアリシアさんは言っていた。でもその場合は、いろんなコストがかかるので、競争力としては必ずしも優位に立てるかどうかわからないそうだ。いろいろ難しい話があるんだね。結局、赤道上の海上に建設するのが、一番シンプルだと言うことになる。
「建設予定地は、先ほども申しましたように基本的には赤道直下の公海上になりますので、人工地盤はどこかの港で建設されて、輸送船に曳航されて予定地に配置されることになります。そうして複数のアンカーで半固定されれば、テザー受け入れの準備が整ったということになります」
アリシアさんは、そこで一息入れて、全体を見まわす。まだまだ宇宙エレベーター建設は序盤だ。そのまま続けていく。
次に、今度はテザーの準備である。テザーも、どこかの製造設備を使って製造することになるが、最初に用意するテザーは、「The 1st Space Elevator」の場合は2本だった。1本はGEOから下、つまり地球方面にあたる長さ約3万6000km分、テザーを巻き付けたリール込みで重さ25tになる。そして2本目はGEOの上からカウンターウェイトに至るまでの約6万5000km分、リール込みで重さ35tに達する。これらを別々のロケットに載せ、ほぼ同時に静止衛星軌道まで打ち上げる。静止軌道に上がるまでは化学燃料ロケットを使用しているが、この重さは地表から静止衛星軌道まで打ち上げる化学燃料ロケットのペイロード(貨物)としては、近年では類を見ない重さであったらしい。
さらに、ほぼ同時にもう一台のロケットも打ち上げられている。これは後々のGEOステーションの基本部分となるユニットで、特に大面積の太陽光発電パネルを備えており、さらにその出力をマイクロ波ビームとして発射する装置を備えている。このビームによって、後に出てくるプラズマ推進ロケットにエネルギーを供給するのだ。これも化学燃料ロケットで打ち上げられて、静止衛星軌道で待機している。
静止衛星軌道上で3機の準備が整ったら、組み立てが始まる。まず、テザーを積んだロケット2機は、静止軌道上でランデブーし、2本のテザーをつなぐ作業をする。もちろんこれは遠隔操作されるロボットの仕事だ。これらのロボットは、GEOステーションユニットの付属品として同時に運ばれたものだ。そして、テザーを地表に接続する作業以外は、直接人間が作業をする場面はない。
テザーが接続されて1本になると、その接続部分には3機目のロケットが持ち上げた、GEOステーションが接合されることになる。その接続部分には、2つのリールがそれぞれ反対側につながっていることになる。
「さて、長い方のテザーが巻きつけられているリールには、プラズマエンジンユニットというものが備えられています。このプラズマエンジンですけれど、正式にはMagnet Plasma Dynamic Engine(MPD)といいまして、推進剤を電力によってプラズマ化して放出し推進力とする、というしくみのエンジンなんだそうです。」
アリシアさんはそう言って、MPDエンジンの写真をスクリーンに投影する。
「このエンジンは、電力が豊富に使える状況ですと、パワーも速度もかなりたくさん出せるそうです。で、静止衛星軌道まで昇って重いテザーを運んできた化学燃料ロケットには、もう推進剤も酸化剤もほとんど残っていない状態で、これ以降は、エネルギーをその場で供給できるエンジンに頼らざるを得ないということになってしまいます。そこで静止衛星軌道上のGEOステーションに太陽電池パネルを先に設置しておいて、ここからの電力供給でさらに上の軌道にまで、飛んで行ってもらおうということになったわけです。」
そうは言っても、静止衛星軌道より上に行けば、今度は地球の引力より遠心力の方が強く働くようになるので、そう推力が必要というわけでもないらしい。ということで長い方のリールはMPDを使って、静止軌道からさらに上昇するコースに飛び立つ。こちらはライザーユニット(RU)と呼ばれることになる。
「実は、ここにMPDを採用したもう一つの理由は、このエンジンにはもう一つ、重たい荷物を持って行ってもらわなければならないからです。それは二つのリールとGEOステーションを構成する部品、それら以外のものすべて、なんです。」
アリシアさんが、ちょっとアクションを加えて強調する。
「ライザーユニットは、最終的にはカウンターウェイトになります。カウンターウェイトとは、GEOから下の部分が地球の引力で引かれる力を、遠心力によって相殺するための重りです。この重りが宇宙エレベーターを遠心力によって引っ張り上げているので、宇宙エレベーターが落下もせず、倒れたりもしないでずっと立っていられるわけです。したがって、その力を確保するために、十分な質量を持っている必要があるんです」
しかし、その質量は、衛星軌道のようなところでは、そう簡単には手に入らない。手に入れようと思えば、地球から持ち上げてくるしかないわけで、単なる重りでしかない質量を、ロケットの燃料を使って運ばなければならないのだ。それではちょっとロケットの燃料がもったいない。
そこで、静止軌道にまで達したもののうち、静止軌道に置いていかなくてはならないもの以外、そこらにある質量はすべて活用することにする。地表に向かうリールやGEOステーション自身はカウンターウェイトとして持っていくわけにはいかないが、それらを静止衛星軌道にまで運んできて、すでにお払い箱になった化学燃料ロケットやその筐体、燃料タンク、余った燃料などは、すべてカウンターウェイトを構成する質量として使うことにするのだ。燃料は、あとで別の質量で補填した後、回収するんだけどね。
それらすべてを連れて、MPDを装備したライザーユニットは、カウンターウェイトの高度、地表約10万キロにまで向かうのだ。だからそれなりの出力が必要となるわけである。その代わり、余計な質量を運ぶ必要はなくなる。いや、むしろ、ロケットの効率の悪さが、ここで役に立つという皮肉な考え方もあるだろう。いずれにしてもなるほど、うまくできている。
そんなライザーユニットに対して、もうひとつの短い方のテザーのリールは、それ自身がある程度の推進力を持った小型の化学燃料ロケットになっていて、こちらは地球側へと降りていくコースに乗ることになる。こいつは地球の引力に常に引かれているわけだから、リールからのテザーの繰り出しを制御していれば、ゆっくりと降りていくことができる。ロケットは、降下中の位置と姿勢を制御する用途で使われることになる。こちらの方はディセンダーユニット(DU)と呼ばれる。
「ディセンダーユニットの方も、これから大気圏を降りていくことになり、大気の影響やコリオリ力を受けて流されやすい状況になりますので、推力が必要となります。ここは大気圏内でも有効に働く、化学燃料ロケットに頑張ってもらいましょう!なお、コリオリ力とは、地球の自転の影響によって生じる余分な力のことですが、ここでは説明は省きますね」
GEOステーションは地表のアースポートと連絡を取りつつ、自身の位置、ライザーユニット、ディセンダーユニットの位置関係とテザーの張力、状況を把握しながら、それぞれのユニットの速度、位置をコントロールし、全体の重心が静止衛星軌道から離れないようにバランスをとりながら、建設予定地の上空に居続けられるよう、制御を行う。
あとは、ディセンダーユニットが地表に達し海上で待機しているドローンにキャッチされて、アースポートの位置まで誘導されアースポートに接続されるまでこの作業を続ける。作業開始、すなわちライザーユニットとディセンダーユニットが上昇と下降を始めてから、4回ほどの中断はあったものの、140時間ほどでこれらの作業は無事に終了したらしい。
「これで、最低限の宇宙エレベーターの部品はそろった、ということになります」
アリシアさんは、今まさにその工程が行われたかのように、安心してほっと息を抜いた表情をした。しかし、すぐにきりっとした顔を取り戻して、さらに話を続ける。
「ただし、まだこれで完成というわけではもちろんありません。これからさらに数年かけて、テザーを補強していき、またアースポートだけでなく、クライマーやGEOステーション、そしてカウンターウェイトも、いろいろと整備をしてやらなければなりません」
アリシアさんは、ぐっとこぶしを握った。でもすぐにへにゃ、と表情をくずして……
「でも、まあ一段落ついたので、ちょっと一休みしましょう」
そう言うと、心底疲れたように、はあ……とため息をついて、教卓のボトルに用意された水を少し口に含んだ。
「私も、いろんな記録を見たり、本を読んだだけなんですけれど、その地表に降りてくるディセンダーユニットがドローンのカメラでとらえられてから、アースポートにまで誘導されて、アースポートに着陸した瞬間は、ものすごい歓声が世界中の宇宙センターからあふれたらしいです。一般向けにもライブ配信はされていたらしいんですが、そっちは意外と静観されてたそうなんです。でも、やっぱり専門家の人たちは、それはもう大騒ぎだったようですよ。私も気持ちわかります」
アリシアさんはそんなこと言った。まあ確かに、宇宙エレベーターに期待していた人たちにとっては、夢がかなう瞬間だったのだろう。「でも」……そんな言葉をアリシアさんは続けた。
「私だって、この仕事に関わっていないころだったら、『へえすごいねー』くらいで、特に感激なんかしなかったんでしょうね。だから、今はこの仕事に関わっているだけで、感謝でいっぱいです」
「その気持ちをみなさんにもわかっていただきたいので、話、続けますね」
そう言って、アリシアさんは本題に戻っていった。
「ここで地表からカウンターウェイトまで張ったテザーは、実はまだ仮のものなんです。と言いますのは、例えばいま私たちが乗っている『ターサ1号』のようなクライマーを走らせようと思うと、かなり丈夫なテザーを張らないといけません。それだけでなく、分割してメンテナンスできるようなセパレーターを付けなければならなかったり、テザーの位置やねじれをモニターするためのセンサーの取り付けだったり、テザーには実際に使用を始める前に、いろんな加工を施す必要があるんです。」
「でも、実際に使っているテザーになると、その重量はもっともっと重くなってしまうんです」
アリシアさんはそう言って、スクリーン上の図をまた別のものに変えた。そこには実際に使われているテザーにどんな特徴があるか、どんな付属品がついているかが図で示されている。
「この図のように、テザーは、ただ丈夫ならいいというだけのものではなくて、耐摩耗性だとか、放射線耐性だとかを補強するさまざまな処理が施されていないといけませんし、また先ほども申しましたように、位置決めのセンサーだとか、レーザー走査を可能にするための反射材だとか、セパレーターだとか、いろんな加工を施したものを実際の使用では必要とします。しかし、これだけの長いテザーをこれらの加工済みの重いものにすることはできません。とにかく最初だけはロケットで持ち上げなければなりませんので、それでは十分な長さのエレベーターが作れないか、またはロケットを何十台も打ち上げなければならなくなってしまいます」
「そこで、とりあえず最初は長さだけは十分で、さほど丈夫ではなくても、多少の重量なら持ち上げることができるという程度の宇宙エレベーターをまず作り、その後でテザーを加工して実用に耐えられるよう補強する、という方法をとったわけです」
最初にロケットで持ち上げたテザーは、厚さ0.05mm、幅4cm程度の細いテザーでしかない。したがってこのテザーが持ち上げられる重量も、せいぜい0.8t程度でしかない。これをこれから、もっと大重量の貨物を持ち上げられるように補強していかなければならないのだ。
その補強には、先ほどまでMPDを動かすために使ったマイクロ波ビームで稼働するクライマーを使う。ただし、0.8tの重量制限がある中で補強のテザーを抱えてGEOにまで持って上がれる小型のクライマーである。
このクライマーに補強のテザーのリール(これはエンジンなどのついていない、ごく軽いリールだ)を積んで、地表からのマイクロ波ビームをエネルギーとして、最初のテザーを補強しながら昇らせる。最初のテザーをGEOまで補強し終えたら、クライマー自身は今度はGEOからのマイクロ波ビームをエネルギーとして、そのままさらに昇り続けて最終的にはカウンターウェイトに自身の質量を加え、カウンターウェイトの一部分となる。
補強の済んだテザーは、もう少し重い重量に耐えられるので、今度はGEOから先の上半分を補強するクライマーを昇らせる。以降、補強されたテザーの耐重量に応じてテザーをどんどん補強していき、やがては先ほどから挙げられていたさまざまな加工をテザーに施して、最終的に60t程度の貨物を積載可能な、クライマーが昇っていける宇宙エレベーターになる、というわけだ。1回の補強が終われば、少し重たいものが運べるようになり、より大幅に補強ができるようになる。大幅に補強ができれば、さらに大幅な補強ができるようになる、という繰り返しで必要な強度と設備を加えていくということだ。
もちろんそれらの過程を経ていく中で、テザー自身も補強されて重くなっていくし、それらを加工したクライマーの質量もどんどんカウンターウェイトに加わっていく。したがって引力と遠心力の全体でのバランスは、常に監視していなければならない。
カウンターウェイトが増えすぎて遠心力が強くなりすぎると、テザーの張力が増えて、テザーが耐えられなくなってしまう。逆にカウンターウェイトが不足していると、宇宙エレベーター全体が地球に向かって落下してしまう。すべて慎重に作業していかなければならないのだ。
「実際には、8年間かけて230回の補強を施して、ついに最初の宇宙エレベーターのテザー部分が完成しました。それ以外にも、もちろんGEOステーションの整備機材も運ばれましたし、カウンターウェイトの重量バランスをとるための駆動機構なども運ばれて、最終的に『The 1st Space Elevator』が完成して稼働するまでに、全部で11年の歳月を必要としました。具体的には2081年から建造し始めて、最終的に完成に至ったのは2092年のことだったそうです」
アリシアさんは、心底ほっとした表情で、そう話し終えた。その時、パーリャが感想を漏らした。
「じゃあ、今私たちが乗ってるこの宇宙エレベーターは、作られてからもう36年も経ってるんですね。すごい!」
この宇宙エレベーターが作られてから、36年後に、初めて人を乗せて宇宙を観光するクライマーが、今こうして旅を続けているってことだ。ある種の感慨が持ち上がってきた。
「このような巧妙な宇宙エレベーターの建造方法を考案したのは、20世紀の終わり、当時のアメリカ航空宇宙局の依頼で、宇宙エレベーターの実現可能性を調査して報告したブラッドリー・エドワーズ博士でした。この講座第1回の『宇宙エレベーターとはなにか』でも申しましたように、……あ、第1回は……やってませんでしたね。……す、すいません」
いや、すいませんとか言わずにそのまま流してくれればいいのに……。僕はいたたまれず、ちょっと目を伏せた。第1回は僕が無重力酔いで、台無しにしてしまったのだった。アリシアさんは、なんとか気を取り直し、続けた。
「その、最初に宇宙エレベーターを考案したアルツターノフのアイディアが、本当に原理的に可能なのか、可能だとすればどんな方法で、どんな条件が整えば可能になるのか、をエドワーズ博士は2000年に報告しています。そのエドワーズ博士の構想が、様々な微修正は含まれていますが、90年余りかけて『The 1st Space Elevator』で実現したというわけです。それで、このタイプの宇宙エレベーターと建設方法は『エドワーズ方式』と呼ばれているんです。だからこの『ターサ』は世界で唯一の『エドワーズ型宇宙エレベーター』ということになりますね」
アリシアさんは、誇らしげにそう言った。
「もちろん現在稼働しているこの『ターサ』は、当時のそのままの形で使われているわけではありません。『The 1st Space Elevator』は完成後、他の宇宙エレベーターを建造するために、8年間さまざまな貨物を静止衛星軌道に運び続けました。そして2100年、4基の宇宙エレベーターの完成とともにその仕事を終えて引退。その後1年ほどかけて現在の位置にまで移動され、博物館の展示物として動態保存されてきたんです。それを補修する許可が出たのはそれから20年以上後のことでした」
「まずテザーは、『The 1st Space Elevator』の補修が決まった直後、2125年に部分的には張り替えて、それ以外のところは補強を施しています。結果として建設当時より60%以上も耐荷重性能が増え、100%耐候性能がアップしています。アースポートの地盤と建物は当時のままですが、内部や施設は改装され、みなさまにもご覧いただきました博物館の展示室と宿泊施設などとして活用されています。GEOステーションも同様です。本日の午後には到着いたしますので、またご案内いたしますね」
アリシアさんは、現在の「ターサ」へとつながる部分を一気に駆け抜けて説明した。だが、僕はその前にも、そしておそらく後にも、さまざまな事情や事件があるのだろうことを思い起こしていた。だがアリシアさんはそんなことは微塵も感じさせない様子で、今度こそほっと安心するような息をついて、最後にもう一つの説明を加えた。
「現在稼働しております4基の宇宙エレベーターも、そして現在南米沖、『ターサ』のとなりに計画中のものも、そして今後建設される宇宙エレベーターでも、この『The 1st Space Elevator』が経験したような面倒な大事業は必要ありません。その理由は、すでに稼働している宇宙エレベーターがあるからです。」
すでに稼働している宇宙エレベーターがあるなら、ロケットでバラバラに運び、何回もクライマーを昇らせて少しずつ補強していくというような煩わしい手順を取らず、静止衛星軌道上で稼働するCCNT製造プラントを運び込み、材料も持ち込んで、テザーの製造自体を静止衛星軌道上で行えばいい。それなら、細いテザーを徐々に補強していくような手間は全く不要で、最初からすべての機能を持った、太くて丈夫なテザーを上下に伸ばしていけばいいのだ。カウンターウェイトの設定も自由にできる。がんばって重量物を持ち上げてもいいし、テザーを長く伸ばして軽めに抑えるのもいい。いずれにしても、すでに宇宙エレベーターが稼働していて、ロケットの約100分の1のコストで重量物が静止衛星軌道にまで持ち上げられるのだから。
「先ほども申しましたように、『ターサ』の前身である『The 1st Space Elevator』は、もともとは現在太陽光発電所を建設している4基の宇宙エレベーターを作る、それのみを目的として建設されたものなんです。ですから、その目的を果たした時点でその役割は終えていました。でも、せっかくテザーを張ったんですし、補修を加えればまだまだ立派に働けるんですよね。そういうわけで、私たちは『The 1st Space Elevator』を修理修復して、世界初の旅客目的に運用される宇宙エレベーター『ターサ』を作ったということなんです。みなさまはその『ターサ』の初めてのお客様ということになりますので、『ターサ』もたぶん喜んでいると思います。」
アリシアさんは、心底うれしそうな笑顔で、そう締めくくった。僕たちはそんなアリシアさんの笑顔を見て、誰からともなく拍手をしたのだった。アリシアさんは嬉しそうに、「ありがとうございます」ということばを何度も繰り返して、第3回の講座は終わったのだった。
* * *
お昼になったので、僕たちはまた第1食堂に出かけた。普通の時間だったけど今日の食堂はそれほど混んでいるわけでもなく、ボックス席が一つ埋まっているだけだった。……と、そこに座っていたのはタンさん、ガスパールさんのコンビと、カレンさんだった。あれ、この人たち知り合いだったのか?
まあ、せまい車内だからいつ知り合いになっていてもおかしくない。挨拶しようとしたら、なにやら議論を戦わせているようだ。
「お米はですね、なかなか優秀な穀物なのですよ。ご飯をうまく炊き上げるのはそれはなかなか技術が必要なんですが、でもそれも専用の調理器具があれば、プロが炊くようにおいしく炊けると言われています。お米のすごいのはそこからでして、炊きあがりのほかほかのうちでももちろんおいしいんですけれど、冷めてもそれはそれでおいしいですし、また冷めてから調理する調理法もものすごく豊富にあるんです。さらに、冷めた後で乾燥させて食べる方法もありますし、乾燥したものを焼いて食べることもできます。揚げてもオーケーですし、炒めても、蒸しても、アイスクリームにだってなるんです。メニューの豊富さは、小麦にも負けない、すばらしい穀物なんですよ」
それだけのことを一気にしゃべって、カレンさんはそこでようやく僕たちに気が付いたようだ。
「あら、お恥ずかしい。つい熱が入ってしまいました。こんにちは。あなた方もお食事?」
「こんにちは、カレンさん、タンさん、ガスパールさん。ええ、だけど2人分の席は空いてないですね。隣の席に行きます。パーリャはここに座らせてもらうかい?」
「ううん。お邪魔したら悪いから。すみません、失礼しますね」
そう言って、パーリャも一緒について、隣の席に座った。その時ちょうどギルバートさんが、タンさんたちの料理を持ってきたところだった。今日のランチは、ああ、おかゆだ。それでお米の話をしてたんだな。今もカレンさんが、さらにお米の優れた点について熱弁をふるっている。カレンさんってああいう人だったんだ。でもタンさんもガスパールさんもちっとも迷惑がるわけでもなく神妙に聞いていて、ときどき意見を言ったりしている。きっと話が合うんだろうな。僕とパーリャはほほえましく、そんな三人をながめていた。
「お待たせしました」
ギルバートさんはそう言って、三人分のトレーをセットすると
「ごゆっくりお召し上がりください。いらっしゃいませ、カンパーネン様、パーリャ様。お飲み物はいかがなさいますか?今日のランチは、和がゆですので、グリーンティーをお召し上がりになりますか?」
「こんにちは、ギルバートさん。ええ、ぜひそうしてください。パーリャもそうするか?」
「ええ、お願いします」
「かしこまりました。しばらくお待ちください」
ギルバートさんはそう言って、帰っていった。
それを見送るパーリャは、大変なことを思い出したかのように、目を見開いている。
「どうした、パーリャ。なにか見分けるポイント見つけたのか?」
そういえば、ギルバートさんとフェルデンさんの特徴を探ることなんか、すっかり忘れていた。パーリャがなにか決定的なことを見つけたんだろうか?
「見つけた」
言葉少なに、パーリャが言う。僕はもう一度、声を潜めて問い返した。
「何を見つけたんだ?二人の違いが分かったか?」
「わかった。絶対見分けられる。誰にだって見分けられる」
「どこだ?どこが違う?」
パーリャはなぜか言いたくなさげだ。どこだ?言いにくいところなのか?
「名札……」
「え?」
「今の人、『フェルデン・ヨハンソン』って名札付けてた」
「名札……?」
愕然とした。もしかしてずっと名札に本当の名前が書いてあったのか?その時、ギルバートさんがトレイを持ってきてくれた。名札には……「フェルデン・ヨハンソン」と書いてある。
「お待たせしました。……どうかされましたか?」
ギル……いや、フェルデンさんは、もしかしてずっとこの名札を付けていた?それなのに、僕たちは勝手に勘違いして、隠しているものだと思ってた?
「……いや、なんでもない。ああ、おいしそうだな。こってりした食事もいいけれど、たまにはあっさりしたものも食べたかったんだ。ありがとう、いただきます」
「どうぞ、ごゆっくり……」
ギル……フェルデンさんはそう言って去っていった。僕たちは食事に向かった。おかゆのようなとろみのあるものは、無重力でも食べやすい。ただ、熱による対流が起こらないので、通常より冷めにくいらしい。暖かいものを食べるには都合がいいような気もするけど、思ったより熱くてびっくりすることもある。
「ふうん、いろんなトッピングが楽しめるんだね。梅干しは知ってるけど、この紫のピクルスは何だろう?うん、おいしい。でも僕はこっちの白いラディッシュの方が好きかな。それと……」
「お兄ちゃん?」
「この茶色い野菜は、なんだか甘いな。こういうのも悪くないな、そっちの赤いピクルスは……」
「お兄ちゃん、現実逃避してる?」
「……せろよ」
「……え?」
「現実逃避くらいさせろ、って言ったんだ」
ギルバートさんが、不愛想になったり陽気で饒舌になったり、二重人格の疑いを持ち始めて、ガスパールさんがフェルデンって名乗ってたって情報をくれて、双子なんじゃないかって目星をつけて、その事実を隠してるみたいだから、尻尾をつかもうって話になって、確実に見分けるための特徴探しをしていたのに、なかなかみつからなくて、ようやく見つけたと思ったら、名札をつけてた?つまり、本人には隠すつもりはなくて、むしろ早く発見してくれないかと、ずっとヒントをぶら下げてくれてた、ってこと?
「独り相撲っていうことだよな」
なんだか、自分の愚かさ加減が許せなくなる。
「ま、お兄ちゃんはがんばった。がんばったよ。たまたまピント外れだっただけで。気にしない気にしない」
「何でお前はもう立ち直ってるんだ?」
「いやー、お兄ちゃんがその気になってるから付き合ってみただけで、別に尻尾をつかみたいとか思ってなかったしね」
そのとき、ギル……フェルデンさんが声をかけてくれた。
「グリーンティーのお代わりはいかがですか?デザートのクッキーは「落雁」と言いまして、上品ですがちょっと甘いので、濃く入れたグリーンティーがよく合いますよ」
フェルデンさんは、気が利いてやさしいなあ。
「ああ、ぜひお願いします、フェルデンさん」
そういうと、フェルデンさんは少し目を大きく開いて、笑みを深めた。
「……やっと見分けてくださいましたね。申し訳ありませんでした。隠すつもりはなかったんですが、指摘するのも、お気分を悪くするのではと思いまして」
「いや、そんなことないです。何度も間違えてしまってすみませんでした」
「とんでもないです。名前なんてなんでもいいんですよ。必要としてくださるだけで、僕はうれしいです。ギルバートも同じだと思いますよ。あいつも、人に頼られるのは大好きですから。顔や態度は取り繕えていないですが」
そう言って、お茶のカップを新しいものと入れ替える。
「ごゆっくりお召し上がりください」
フェルデンさんは、慣れた動きで無重力の床の上をさっそうと帰っていった。ワゴンも音もなくフェルデンさんについていった。
「『らくがん』って言ったっけ?……甘いな」
「うん、甘くておいしいね」
パーリャは幸せそうにカリッとかんで、落雁の甘さを味わっていた。僕はフェルデンさんが濃く入れてくれたグリーンティを、ゆっくり味わった。苦くて、ほんのり甘かった。
スクリーンの上の方に、GEOステーション「The 1st STAR」が見え始めたのは、コンパートメントに戻ってすぐのことだった。
ツアー5日目 現在地点:高度3万5800kmのGEO(静止衛星軌道)ステーションに達した 重力は0G 無重力状態
「甘さ」と「苦さ」が一緒にやってくるのが、いつの時代になっても人生の醍醐味なんですね。みんな少しずつ、成長しています。パーリャちゃんも、マエーク君も。
ちなみにギルバート・フェルデン兄弟は、21歳です。彼らもまだまだ成長途中です。もちろんアリシアさんもね。
いよいよGEOステーション「The 1st STAR」が見えてきました。次回はクライマーとはしばし別れて、ここに乗り込みます。さあ、どんなところなんでしょう?




