覚醒 03
◆
午前〇時頃。
日が移り変わるか否かのその時刻。晴れ渡っていた空は黒へと模様替えし、眩しい日差しを提供していた太陽は風情を感じさせる淡い月へと変化し、深い闇に包まれた森の中のクロードの家を照らしていた。
「月見日和だな」
そんな夜中にも関わらず、クロードは家から少し離れた場所に自分で作成した木製の椅子に、パジャマ姿で腰掛けていた。
何故そんな所にいるのかというのは、月が綺麗だから、などというような美しい理由ではなく、無性に胸が騒いで眠れなかったため、少しリラックスしようと思ったからである。今までも何度も眠れない時があったが、大抵はここに一時間程度座っていると眠気がやってきたので、クロードはこの場所がえらく気に入っていた。たまにその場で寝入ってしまうほどである。
その度に、彼はある夢を見る。
それは、自分の母とのこと。
夢の中の母は、クロードの記憶にある母と同じように優しかった。いや、クロードの夢は彼の記憶にある母を再生していた、と言う方が正しい。
ある夢では、クロードは母の胸で子守唄を聞いていた。母の声色は優しく、彼は自然と瞼が閉じて行く感覚を夢でも感じた。
ある夢では、母は困惑した顔をしていた。会話から、クロードがお使いで間違えたらしい。しかし母はクロードが間違えた食材を魔法のように上手く使って料理し、二人は笑顔で食卓を囲った。
夢にも関わらず、クロードはここまで覚えていた。夢だからこその自分の中での無意識な捏造も考えたが、結局は判断が付かないものであるし、良いイメージの母親が出てくる分には構わなかったので、そのことについて考えることはやめた。
そういう理由も含めて、クロードはこの場所で寝ることが好きであった。だが、流石に目覚まし時計も何もなく、明日に学校がある状態ではそこで寝る訳にもいかない。基本的に不覚を取って眠ってしまったという以外には、翌日が休日である時にしかこの場所では眠らないように心掛けていた。
「……今日は眠れないな」
クロードが椅子に座って、既に二時間が経過していた。ここまで長い間眠気が来ないことは初めてであったので、少し戸惑いを感じていた。
「流石にもう寝ないと、明日が辛いな」
無理矢理欠伸を行おうと口を開いたが、出たのは「ふわあ」という間抜けな作り声だけ。それでも眠気を誘うために何度か繰り返し行ったが、一行に自然な欠伸は出て来ない。
「とりあえず、家に戻るか……」
そう腰を上げた時だった。
「……何だ?」
唐突に、強烈な違和感を覚え、クロードは耳を澄ます。
すると、遠くで木々がなぎ倒されるような音が聞こえた。
加えて、鉄が擦れるような音。
クロードは咄嗟に近くにある木の後ろに隠れる。
音はこちらに向かってくる。
やがて彼の眼に、その音源が映し出される。
それを認知した時、彼は眼を疑った。
漆黒のボディ。
全長二〇メートルはあろうかの巨躯。
二足歩行。
それが動いているのにも関わらず、エンジン音などの轟音が少ない。
そのようなモノは、この世で一種類しかない。
「ジャスティス、だと……?」
思わず疑問形で呟いてしまったが、無理もない。戦場では無敵を誇り、戦場以外では映像や軍事演習などでしか目に掛からないモノが、まさか郊外にあるクロードの家の近くの森にいるとは思わないだろう。
そんな、限定された場でしか存在しないジャスティスが、どうしてここに存在しているのか。
その疑問を持った時には、クロードは答えを導き出していた。
(俺を始末しに来たのか?)
ルードはクロードの家を所望し、提供を促していた。だが、クロードはそれを拒否していた。故に、家族や親戚のいない彼を処理すれば、あの家の所有者はいなくなり、手に入れることは今より容易となる。
(命より家が大事かよ、クソ野郎!)
奥歯を噛み締めながら、クロードは引き続き隠れる。
ジャスティスはクロードの家に向かって進軍を続ける。しかし家は壊すわけにいかないからそろそろ止まり、パイロットが降りてきて玄関のドアを開けるであろう。
――そう思っていたのだが。
(止まらない!?)
ジャスティスは歩行速度を緩めず、真っ直ぐと進んでいく。
まるで、目的はクロードではなく、彼の家を破壊するかのように――
「ちょっと待て!」
思わず木陰から飛び出し、大声を張り上げる。
そこでようやく、ジャスティスは停止する。
「俺はここにいるぞ! お前の目的は何だ!」
クロードはジャスティスの頭部に指を向け叫ぶ。
「俺の家を潰したら本末転倒じゃないか! お前の目的はあの家だろ!」
『――そう。目的はあの家だ』
真上から声が降って来る。
機械を通したような声は、ジャスティスから発せられたものだった。
さらにクロードは、その声をつい最近耳にしていた。
「お前、まさかこの前、俺の家に来た軍人の……」
『そうだ。よくもあの時は恥をかかせてくれたな』
恨めしそうなその声は、クロードに向かって口を慎めと怒鳴った、あの若い軍人のものであった。
「恥をかかせたって……あんたが俺に暴言を吐いたんじゃないか」
『うるさい! その所為で私は部署を異動させられて……』
「その程度で移動させられるなんて、軍も厳しいというか、馬鹿だね」
『貴様! またも侮辱するか!』
「だから言っただろう」
クロードはジャスティスの顔の部分に向かって睨み付ける。
「そういう言い方は人の神経を逆撫でして、話の収拾がつかないって」
『……ふん。収拾など付けなくて良いのだ』
若い軍人は鼻を鳴らす。
『もう貴様に媚び諂う必要などないのだ』
「最初から諂ってなんかいないくせに……あ、そういえばいいのか?」
『何がだ?』
クロードは人差し指を下に向ける。
「ここ、街外れとはいえ一応は街の一部。外れとは言っても、当然含まれるのだから。そこのところ判っている?」
『馬鹿にしすぎだ!』
「ならばどうして、こんな所までジャスティスなんかで来ているんだ? 明らかな軍令違反だろう」
『軍令違反か……はっはっは』
何故か大笑いをする若い軍人。
『馬鹿め。これは軍令違反どころか軍令だ!』
「……へえ、そうなんだ」
『信じていないな貴様。だが考えてみろ。私一人だけでジャスティスを持ち出せると思うか?』
「ああ、確かにそうだな」
口ではそう言いながら、クロードは全て判っていた。
故に、探っていた。
その命令は、一体誰から発せられたのか。
どういう理由で、穏便な手段ではなく、急に自分を殺すようになったのか。
もっとも、前者は若い軍人自身も恐らくは口にしないだろうと当たりをつけ、後者のみを聞き出そうとしていた。
と。
そこまでは雄弁な兵士の語りを聞いていたクロードだったが、
『アリエッタ様直々の命令だからこそ、私はここにジャスティスを持ってこられたのだ』
「……は?」
そこで初めて、彼は本心からの疑問の声を上げた。前者の方を答えてもらったことに対してということもだが、それよりも――
「ちょっと待て。アリエッタって……あの『魔女』のことだよな?」
『貴様! また!』
「あいつって、確か陸軍の最高責任者だよな。何でそいつが……」
相手の激怒を遮ってクロードがそう唸ると、軍人は、ふ、という息を漏らして得意げに答える。
『アリエッタ様は来週に式典をなされる。そのため既に極秘にアドアニアに来られているのだ』
「おいおいおい。極秘に来ているってことを、俺なんかの一般人に漏らしていいのかよ」
阿呆にも程がある。それとも企業倫理がしっかりとしていないのかな。まあどちらにしろ、ルード政府側もこの行為については許さないだろう、などと嘲笑を向けると、
『構わない』
「へえ。軍の機密も随分と軽くなったねえ。」
『軽口を叩くがいい。何故なら貴様は』
そこでジャスティスの眼が、不気味に赤く光る。
『ここで死ぬのだからな!』
――死ぬ。
それは別に今日で天寿を全うするなどと占術を口にしている訳がない。
要するに、殺す、という死の宣告。
「……それが魔女の命令か」
『魔女ではない! だが、アリエッタ様の命令だ』
(……そういうことか。だから急に俺を殺そうとしているのか)
心の中で頷くクロード。
しかし、彼の頭の中に新たな疑問が浮かんでくる。
それを解消するために、彼は違う方向から質問を行う。
「なあ、どうして魔女は俺の家なんか欲しがっているんだ? 資料にするって前々から迫られていたけど、他人にとってそこまで価値があるとは俺は思わない」
『欲しがる? 逆だ』
「え……?」
『貴様と、その家を潰す。それが、私がアリエッタ様から受けた命令だ。魔女の家やその息子など、庶民にとって不安要素でしかないからな。ああ、アリエッタ様は民衆のことを考えていられる、優しいお方だ……』
うっとりとした声を放っている軍人。それを気持ち悪いと思いながらも、思い返して納得するように小さくああという言葉を放つ。
クロードを殺すだけであれば、幾ら未知の力があるのだと思い込んで恐怖を感じていたとしても、わざわざ色々とリスクの高いジャスティスを持ち出す必要性はなく、夜中にこっそりと銃で殺害する方法を取るはずである。だから銃では破壊出来ないような大きなもの――例えば家であるとか、そういうものも中の人物もろとも破壊するために、ジャスティスが持ち出されたのだと考えるべきであった。
(……っていうか、考えられないだろう)
急に家を所望していた人物よりも上の人物がこの家の消去を命じたから、襲撃をした。さらに、その家主ごと消し去る命令を出した。
魔女の息子だから。
それが今更クロードを殺そうとしている理由と、今まで執心だった家まで狙われている理由。
まったくもって、勝手な話。
勝手な話だが、それ故にクロードは命の危機に晒されることとなった。
しかし、クロードはそれほど焦ってはいなかった。
「優しいかな、それって」
『……何だと?』
クロードは口元に笑みを浮かべる。
「だってさ、そんなことしたらルード国が批判されることは間違いないでしょう? 仮にも一般人を、しかも自国の兵器であるジャスティスなんて使って過剰に殺害したら、民衆からの批判は絶対じゃないか」
『確かにそうだな』
「そうなれば……」
そこでクロードはハッとして言葉を区切る。
「お前まさか……判っているのに……?」
『そうさ。私はこの後に、責任を取らされて処分されるだろう』
「そこまで判っていて何故……?」
『……アリエッタ様が私の名を呼んでくださった……』
「……は?」
『私の名を呼び、命令を下さった。ならばその命には従うしかないだろう。例え、この命が尽き果てようとも』
若い軍人のその声は、あらゆる意味で気持ち悪かった。
クロードは苦虫を潰したような顔でその感情を露わにする。
「この狂信者が……」
『うるさい! 黙れ!』
その怒鳴り声と共に、ジャスティスの拳がクロードに向かって放たれる。
(――速い)
突然のことだったので思考だけで反応ができず、その場で立ち惚けとなってしまう。
ドン。
轟音が響く。
足元が揺れる。
真横から烈風。
『くそ。やっぱり難しいな』
その嘆きの声を聞いて、ようやくクロードはハッとする。
真横に視線を向けると、ジャスティスの拳が地面にめり込んでおり、直径一メートルはあろう大穴が生成されていた。喰らっては一溜まりもない。
(まずい……逃げなくては……)
今度は思考と同時に身体が動き、ジャスティスに背を向けてクロードは駈け出す。
待て、という声が聞こえたが、当然止まるはずもなく走る。
(どうしたらいい……っ!)
逃げつつ、後ろを振り向くクロード。
あのジャスティスの目的は、クロードとその家。
自分の命は当然として、クロードは家も失いたくなかった。
ジャスティスは、クロードの姿を見失えば、すぐさま家を破壊する方向に行くだろう。また、今は頭に血が上っているから追い掛けて来るのであって、冷静になれば姿を見せていても家の方に向かうであろう。故に、相手の頭を冷やさないようにしつつ、この状況から逃れる術を早めに思いつかなくてはならない。
(……一応方法としてはあるのだが……)
『くそっ! 何で当たらないんだ!』
若い軍人の怒鳴り声が辺りに響く。クロードは思考を止めないまま、ジャスティスの拳や蹴りをかわしていた。当然クロードの足よりもジャスティスの方が早いのだが、相手が操作に慣れていないことに加え、頭に血が上っていることから、推測をつけて左へ右へと方向転換しながら避けていた。
(だけど……そろそろ限界か)
肩で息をしながら、クロードは木陰に隠れる。ジャスティスは彼が隠れた所をちょうど見逃したようで、咆哮しながら木々をなぎ倒していく。
『何処だ! 出てこい! 魔女の息子!』
「誰が出てくるか……」
息を荒げながら、クロードは小声でそう返す。
(いいぞ……そのまま暴れろ……)
破壊音を背に受けながら、クロードは口の端を歪める。
勝機が、そこに転がっている。
それを離さない。
確率は五分五分。
死ぬのが先か。
それとも――『判る』のが先か。
その分の悪い賭けに命をベットして、ちらと視線を向ける。
――だが。
(えっ……?)
クロードは思わず言葉が出てきそうになるのを寸止めする。
木陰から視線を向けると、ジャスティスは切り開かれた森の中央で動きを止めており、先程のような咆哮も上げず、小さく、しかしはっきりとこう聞こえた。
『……そういうことか』
(しまった! 『判る』ってのはお前じゃないのに!)
クロードは焦りを顔に表す。
『あの小僧が……私を謀ったな』
怒りに戦慄く声。
だがゆっくりと、ジャスティスは動き出す。
クロードの――家の方へと。