復讐 03
◆
翌日。
式典当日。
クロードが予告した日。
あの後、結局クロードの姿は発見できなかった。また、どのようにして放送をジャックしたのかも掴めなかった。このことによりテレビ局の報道はさらに過熱し、特別報道番組も組まれた。
そして、アドアニア基地の面々は、そこからが大変だった。
式典など行わないと思い込んでいたため、一から作業を行わなくてはいけなかった。コースの選定や許可などは事前に行っていたから良かったが、時間の通達や交通整理の班区分けに警備重点区間、狙撃可能な場所の洗い出しなど、一日では到底できない作業が山積みであった。だが、アリエッタはそれを、会見に出ずにジェラスに押し付けた者――つまりは、ジェラスより上の者全員に行うよう通達し、さらに無能だと判断した場合は懲戒解雇すると明言し、必死に行わせるように仕向けた。そんなことをしたら、下の者が大変になるであろうとジェラスは心配したが、アリエッタはそんなジェラスの表情を読み取って「大丈夫ですよ。『部下任せなのは部下が優秀ということです。本人が無能であることをわざわざ露呈する愚かなことは、まさかしませんよね?』と釘を刺しておきましたから」とジェラスの肩を叩いた。全く抜け目のない人だ、と相変わらずの畏怖と尊敬を込めて、ジェラスは頭を下げた。
結局、何とか式典の開催までこじつけられた。だが、それは上の者が頑張ったからではない。あらかじめ、アリエッタがある程度まで手配していたからだった。彼女はその場限りで発言する人ではないということが判っていたためジェラスは別に驚きはしなかったし、それ故に、部下に押し付けるという行為が無駄になってしまうからこそ、先程の心配をしていたのだった。しかし、彼女の本質を理解していなかった者はそれを当然の如く察することができず、また、部下からの信用がない者はその無駄さを指摘されることもなかった。緘口令が敷かれていたとはいえ上司を失脚させたくない者がいたら、こっそりでも教えるだろう。
その結果、ジェラスより上の者はほとんどいなくなった。信じられないかもしれないが、アドアニア支部長さえも解任されたのだ。まるで、最初から全員解雇したかったかのような所業であったが、この緊急事態に無能を排除するという意図は確実にあったらしい。
しかし、その中でたった一人だけ、鬼のようなリストラに残った者がいた。
その者は若いながらも戦場で武勲を上げ、弱冠一八ながら中将まで上り詰めた、エリート中のエリートだった。アリエッタとは違い、身分も何もなく実力だけで押し昇った人物である。しかし、いくら実力があろうとも低年齢でそこまでの地位に辿り着けたのはおかしいと周囲に不審がられたが、アリエッタという前例がいるために、誰も口にはしなかった。もっとも、その者が男で美系であるから、アリエッタに気に入られたという説はまことしやかに囁かれているのだが。
そんな彼が、今回の大リストラを回避した方法は、ただ一つ。
何もしなかった。
既に準備は終わっているということを把握し、自分の仕事に専念していた。それが有能の証であり、アリエッタが求めていた正解であった。
そういう訳で、非常に難関であるその答えを導き出した彼は、結果としてアドアニア支部長となった。
そんな新しく支部長になった彼と、ジェラスは式典当日の朝に会う機会があった。
というよりも、偶然、廊下ではち会わせた。
「あ、どうも。ジェラス大佐」
ゆったりとした声で、彼はにこやかに声を掛けて来る。鮮やかな金髪は思わず眼を引かれ、碧眼は吸い込まれそうになる。眼、鼻立ちもくっきりしており、一部の女兵からは『王子様』と呼ばれているらしいが、正にその通りであると思う。
そんな彼とジェラスは旧知の仲であり、出会う度によく親しげに話し掛けて来る。ジェラスはそんな彼を、本当の孫のように可愛く思っていた。
「おめでとう。一気に支部長だってね」
「……なんでこうなっちゃったんですかね」
彼は首を捻る。
「ん? どうした? 嬉しいことじゃないか」
「いや、なんかフィクションものみたいな感じじゃないですか。こんな若僧が支部長になるなんて、普通じゃありえないでしょう。中将だって有り得ない話でしたのに」
「確かにそうかもしれないけど……君は本当に優秀だし、運も良かった」
「運ならいいんですけどね。どうも黒幕の意図っていうのが感じ取れまして」
人差し指をこめかみに当てて、おどけた様に言う。ジェラスは笑い飛ばす。
「ならば私より上の者が君以外にいなくなったのも、黒幕の意図かもしれないね。ということは、その黒幕は私ってことになるね」
「じゃあ媚び売っておきましょうかね」
「あはは。じゃあ今日が終わったら飲みに行こうか。奢ってやる。明日の朝まで飲ませてやろう」
「僕は未成年ですって。全く……」
嘆息した後、一転して彼は不安顔になる。
「しかし、明日、ですか……」
「ん? 明日に何かあるのか?」
「……ジェラス大佐、あなたは魔王を見たんですよね?」
「見た」
しかも、見ただけではない。
「加えて説明するなら、彼が魔王に変貌するきっかけを作ってしまったのは、恐らく私なのだろう。そういえば、彼の知り合いのご婦人に言われたな。目覚めさせてはいけないものを目覚めさせた、って。あれがこの騒動の始まりの気がするよ」
「ジェラス大佐が、彼を魔王に変貌させた? どういうことですか?」
「ああ、実はな……」
ジェラスは彼にここまでのことを語った。
全てを聞き終えると、彼はこう言った。
「それはアリエッタが悪いですね」
このように彼はアリエッタのことをいつも呼び捨てにする。流石に公の場では様を付けるが、基本は呼び捨てだ。彼には何か矜持があるらしく、そこは何度注意しても直さない。
「ジェラス大佐の所為じゃないですよ。聞く限り」
「それなら私の話が駄目だったんだな。どうしても自分が悪くないように話してしまうからな」
「いいえ。どうしても語る上でアリエッタに責任があるように話をしてしまう。それは普通の人、というよりも責任感がない人の語りです。気が付いていなかったようですが、ジェラス大佐は語る上でアリエッタを庇っていましたよ。むしろ、自分に責任があるかのような話し方でした。まあ、そのほとんどが、自分が止めることができなかった、賛同した、そう言うように誘導した、などでしたが、敢えて自分が罪を被ることで自分が悪くない、相手が悪いっていうようなものだとも感じませんでしたよ。だから僕は、あなたは本気で凄いと思い、尊敬しているのですよ」
「大袈裟すぎるよ。実は私だって自分が悪くないのではと思いながら言っていたんだから」
「嘘はつかないで下さいよ。まあ、どちらにしろ本当にジェラス大佐は悪くないですから、気に病む必要はないですよ。……おっと」
彼は時計を見る。
「こんなに時間が経っていましたか。やはり気軽に話せる人といると時間が経過するのが早いですね。こんな廊下で長い時間、引き止めて申し訳ありませんでした」
「いやいや。こっちも久々に気が休めたよ。ありがとう」
「これから、ジェラス大佐はどちらへ?」
「アリエッタ様の所だよ。一応、昨日のテレビに映っちゃったからね。代表者として彼女の横で式典に参加する予定だよ」
「ああ、すみません。私は拒否したのですよ。この式典への参加をね。昨日の会見だって、ジェラス大佐が出ると聞いていたら、私は出ていましたよ。てっきり支部長が出ると思っていましたから。あなたに負担を掛けさせて申し訳ありません」
「いやいや、気にしなくていいんだよ。これからルード本国へ緊急の重要案件による出張だっけ? 新支部長としての最初の仕事だし、頑張れよ」
「緊急案件なんて、そんなものありませんよ。急いで行かなくていけないのは、全くの嘘です」
彼はあっさりとそう答える。
「そもそも、本来だったら元帥様の式典に出席する方が何より緊急で、重要でしょう」
「……ああ、それもそうだな」
「ですから、拒否したのです。嘘の仕事を無理矢理作って、新支部長としてではなく、以前の役職での最後のやるべき仕事であると嘘をついて。今回は不参加を認められましたが、もし支部長を解任すると言われても、僕は無理矢理にでも式典には参加しませんでしたよ」
ですから、と彼は端正な眉を歪める。
「お願いです。どうかこの式典、出ないで下さい」
「そういう訳に行かないだろう。一体、どうしたんだい?」
「ジェラス大佐。僕は負ける戦はしたくないのですよ」
「つまりは……君は、魔王が勝つ、と言っているのかい?」
「はい」
はっきりと彼は言う。
「いくらジャスティスを用意しても、彼には勝てませんよ。そんな負け戦に行って、命を散らすわけにいかないです。僕には――まだやるべきことがあります」
「……そうだったな」
彼には大きな目的がある。その目的を聞いた際にはジェラスはひどく驚いたが、しかし彼の真摯な態度や理由に感銘を受け、密かに応援していた。
だからこそ、負け戦には自分が出て行くべきだと思った。
「おし。こっちは任せろ。今日、終わったら上手い酒飲ませてやる」
「だから未成年ですって。それに僕は出張ですから、今日はこちらに戻れませんよ」
「あっはっは。そうだったな。じゃあ、また今度ってことで」
微笑を浮かべる彼の肩を叩くと、ジェラスは一転、真剣な声になって、
「負けても生き残ってやるから、戻ってきたら連絡しろよ」
「努力します。……あ、そうだ」
彼は自分のポケットから、小さなコインを取り出す。
「大佐、このコインを持っていてください」
「これは……?」
「お守り、というか、まああれです。次に会う時にこのお金を返してください。必ず返しに来てくださいね、っていう証ですよ」
「あっはっは。おまじないみたいなものか」
「そんなものです。少額だからと言って返さないなんて駄目ですよ。必ずずっと、身につけておいてくださいね?」
「分かった分かった。きちんと返すよ」
ジェラスは笑顔のままコインを受け取り、自分の軍服のポケットに入れる。
相手の気遣いの証だ。それが嬉しいのだ。だからこそ拒否などしない。
と、同時に涙が出そうになってきたので、ジェラスは彼に背を向けて腕時計を見る。
「……お、そろそろ時間だから行ってくるよ」
「ええ。お気をつけてください」
「ん、じゃあな」
ジェラスは振り向かずに片手を上げて、その場から立ち去った。
(――そういえば、雰囲気とか容姿とか全く似てはいないが……)
歩きながら、ジェラスはふと呟く。
「彼は、何となく似ているんだよな……魔王に」
何処が似ているのかは、本当に分からない。だが、クロードの姿を眼にしてから、ずっとジェラスはその思いを胸に抱えていた。
そのもやもやを解決できないまま、目的地であるいつもの会議室へと辿り着いたジェラスは、ノックをして入室する。
「失礼します。……え? アリエッタ様?」
入室した途端に、ジェラスは驚きの声を上げる。そこにはいつものようにアリエッタがいたのだが、彼が驚きの声を上げたのは彼女の恰好を見たからである。
これから式典に参加する彼女は、軍服を着ていた。
「あの……式典用の服など着ないのですか?」
「本来なら着るべきでしょうね。ですが、今回だけは話が違います。命を狙われているのに、ひらひらとした服を着る意味が判りません」
「成程」
彼女も、本気だということだ。本気で、魔王に立ち向かおうとしている。
「あの……アリエッタ様は逃げないのですか?」
「新しいアドアニア支部長のようにですか?」
アリエッタはさらりとそう口にする。
「……やはり判っていて、あなたは彼に許可を出したのですか」
「まあ、私自身も、彼の判断は正しいと思っていますからね」
「え……?」
「相手は魔王と呼ばざるを得ない者ですよ。ジャスティスを破壊した方法も判らず、銃弾も効かず、更には空に浮いているのです。相手の情報が圧倒的に少ない中で、立ち向かわなくてはいけないのです。傍から見れば、このアドアニアから撤退するのが、極めて正しいやり方だと思います」
「でしたら、何故……?」
「私は陸軍元帥ですよ。曲がりなりにも、陸軍のトップです。そんな私が逃げる、という選択肢を取ったら、それは陸軍の総意と見做されます。だから、逃げたくても逃げられないのです」
それに、と彼女は瞳を伏せる。
「私も、責任は感じているのですよ。私の不用意な一言で、彼が、魔王として目覚めてしまったのですから。国民の不安を取り除こうとして、逆に増大させてしまったのです」
「……」
否定できなかった。否定すれば、彼女はさらにみじめな気持になるであろう。だからジェラスは黙るしかできなかった。
アリエッタは、首を一度短く振る。
「泣き事を言って申し訳ありません。聞いて下さってありがとうございます」
「いえ、私は……」
「では、お礼と言っては何ですが、これからの祭典、出席しなくて結構ですよ」
「え……?」
「逃げださないのか、と聞いて来たのならば、あなた自身もそう考えているということです。ならば私が許可致します。逃げてもいいですよ」
「……」
願ってもない話だった。ジェラスだって本当は逃げたかった。ただ部下を持つ人間として、その部下が起こしたこと、その部下に起こさせたことに責任を感じ、逃げられなかったのだ。
――だが。
「……お供致しますよ」
ジェラスは、ふ、と息を漏らす。
「私だって責任を感じているのです。それに魔王……いえ、クロード君には、一度向き合っておきたかったのですから、ここで逃げる訳がありません」
「そうですか。ならば良いのです」
「え?」
えらくあっさりと彼女は言う。ジェラスは、もう少し感動してもらってもいいのに、などと戯言を思い浮かべる。
「では、そろそろ向かいましょうか」
彼女は真剣な表情になり、席を立つ。
これから、二人は式典という名の戦場に向かう。
果たして、何処でクロードと対峙するのか。
そんな不安を抱えつつも、いよいよ式典開始となる――正午を迎えた。