決戦 07
◆
カズマに後ろを任せ、ひたすらに突っ走っていた。
例え背部で爆発音がしたとしても。
前を向いて。
後ろを一瞥もせずに。
「……心配か?」
刀を振るいながら、ライトウは背中にいる彼女――ミューズに問う。
「な、何を言っているっすか? 信じているっすよ、大丈夫って。だから大丈夫っす。何でそんなことを聞くんすか?」
「しがみつく背中の握力が強くなったから」
「……」
「だがすまんな。それでも戻ることは出来ない。このまま先に進ませてもらうぞ」
「……分かっているっすよ」
辛そうに絞り出すような声のミューズ。ぎゅっ、とライトウの服を握りしめる力がさらに強くなる。
「分かっているっすが……あとカズマには奥の手があるっすから、大丈夫なはず、っすが……」
「それでも心配か。まあ仕方ないことではあるが……集中は出来るか? 出来ないのならば――」
戻るか? ――とライトウが問おうとした瞬間、ミューズが足をライトウの胴体に巻き付けるように力強く組みつき、そして、パン、と一瞬だけ話した両手で自分の頬を叩いた。
「お、おい!」
「大丈夫っす! カズマは絶対勝ってくるっす! あたしはそれを信じるっす! だからあたしは今はあたしのことだけを考えるっす!」
ミューズは自分に言い聞かせるようにそう叫ぶ。彼女自身だって、本当は誰かを心配している余裕などないはずなのだ。なのに他の人――カズマのことばっかり考えている。
それでは失敗する。
ミューズも自分ではそのことは分かっているだろう。だけど彼女の悪い癖であり、また良い所でもあるのだが、彼女は無意識に色々な所に目を配ってしまう。
良く言えば視野が広い。
悪く言えば集中力が無い。
しかしながら今回予想されているミューズの戦いは――集中力が必要で視野を広く持たなくてはいけない。
良い所を残して悪い所を直さなくてはいけない。
かなり難しいことを要求されている。
――だけど。
今のミューズならば成し遂げてくれる。
そうライトウは信じていた。
信じてはいたが――心配もしていた。
ライトウにとってミューズは妹のように、カズマは弟のように思っていた。勿論、アレインとコズエも含め、孤児院の人達は本当の家族のように本心からそう思っていた。
自分が守らなくてはいけない。
しかしながら大多数の家族の命を失い、残るはカズマとミューズのみ。
だから絶対に守りたい――そう思っていた。
だけど、ライトウが想像する以上に二人は成長していた。
二人だけで、歩けるようになっていた。
そこに寂しさを感じなかったといえば嘘ではない。
自分だけが疎外されていたような感覚を覚えたのは間違いない。
でも――それ以上に嬉しかったことも事実だ。
二人は幸せになれる。
二人さえいれば、少なくとも。
ライトウには本心からの幸せはもう無理だ。
決して取り戻せない幸せがある。
決して取り戻せない――人がいる。
ライトウには、もう将来はない。
これだけ名が売れているのだ。普通の生活などもう不可能である。
クロードと同じ覚悟を背負わなくてはいけない。
「……重いな」
「ああ!? いきなりなんすか!? ケンカ売っているっすか!?」
「いや、すまん。だけど……重いな、本当に」
この背中にあるのは未来なのだ。
自分が決して手に入れることが出来ない未来。
そのことに気が付くと、途端にずっしりと精神的に重さがのしかかってくる。
今までより、より一層守らなくてはいけない――
「……心配しなくていいっすよ」
と。
そんなライトウの心中を察したのか、ミューズが柔らかな声音でそう言ってきた。
「あたし達はみんな一緒っす。ライトウだけ置いていくような真似はしないっすよ。だから気負わなくていいっす。少なくとも――あたし達の分までは」
「……っ」
その言葉で気が付いた。
自分だって他人のことを気遣っている余裕はなかったのだ。ミューズに対して偉そうなことを考えているのはお門違いだ。
「……そうだな。もうお前はカズマのものだからな」
「なななな何で良いことを言ったら嫌味を返されるんすか!? 心外っすよ!」
「ははは。すまんすまん」
冗談に怒ってくれるミューズに安心した。
いつも通りの彼女で安心した。
――笑うことが出来る自分に安心した。
「よし、これからはお前のことを考えずに自分のことだけ考えて行動しよう」
「この部分だけ切り取ると最低の男っすね……まあ、あたしもそうするっすよ。自分のことしか考えないっす!」
「その意気だ」
「そうっすね! ……とはいっても」
「ん? どうした?」
「……いや、こんな会話をしていてなんすが、ライトウ、よく敵ジャスティスとか兵器とか回避しながら破壊出来るっすよね……」
ミューズの言う通り、先の会話、ならびに思考は刀を振るいながら行われていた。完全に意識の外で行っていたが、しかしながらライトウはいとも簡単に撃破していった。
「ん、まあ出来るんだから出来ているんだよな。どうでもいいだろ、出来ているんだし」
「……」
もはや完全に怪物の域である。――そのことは彼自身は理解していなかったが。
「そんなことより、もう着くぞ」
「あっ……いつの間にそんなに近づいていたんすね……」
彼達の前方には既に目的地――ルード軍本部の入り口が目に見える所まで来ていた。検問所のような形で見た目でも分かる堅牢な金属の門が立ち塞がっている。
それにつれて攻撃は更に激しさを増す。
だがライトウは全て刀ではじき返し、攻撃対象を遠方からの振りだけで撃破していく。唯一ジャスティスだけは近接して直接斬ってはいたが。
そしてついには敵の攻撃を掻い潜り――薙ぎ倒し――入口まであと十数メートルの距離まで近づく。
その時、その門を守るかのごとく、門の前に一般兵が並び立ち、銃口をこちらへと向けてきた。
だがライトウは怯むことなく、そこで大きく息を吸い込み、
「死にたくない奴はどけっ! 俺は俺の邪魔する奴のみを斬るっ!」
そう大声を出し、前方に刀を振るう。
すると――
――ズズン。
「え……?」
門の前にいた一般兵から呆気に取られた声が聞こえた。
彼らが立ち塞がっていた金属の門。
その大層厚みのある門が、彼らの上部――三メートルくらいの高さで、真横に切断されて向こう側へと倒れ落ちた。
何のマジックでもない。
ただ単純な話。
ライトウが離れた場所から刀で切断したのだ。
そのことを理解した瞬間、彼らにはきっともう一つ判っただろう。
斬られた地点は彼らの上部三メートル。
しかし、それがもし二メートル程度下であったならば――
「う、わあああああああああああああああああああああああああ!」
彼らは狂乱した。
銃を放り出して逃げ出す者。
あまりの恐怖に立ち尽くす者。
怯えによって引き金を絞ってしまい、弾丸をあらぬ方向に発車してしまう者。
皆が知ったのだ。
ライトウはこの距離からでも――全員を切断することが出来る。
死への恐怖。
彼らを突き動かし、怯え、狂わせたのはただそれだけであった。
しかしながら。
彼らは幸運であった。
あれだけ心を乱し行動を乱し、あまつさえ銃弾を放った者がいたにも関わらず。
ライトウに攻撃を向けた者がいなかったのだ。
だからこそライトウは誰も追撃せず、そのまま真っ直ぐとルード軍本部へと侵入を果たした。
――しかし。
「……おかしいな」
派手にルード軍内部へと侵入したライトウは妙な違和を覚えていた。
ルード軍本部を守るように配置されていた各種兵器や一般兵。
それが建物内に全くその存在が見当たらなかったのだ。
「軍内部に侵入される前に全てを終わらせる為にリソースを全て外に配置した、ということなんじゃないっすか? あ、そこ右っす」
右手でルートを誘導しながらミューズがそう言う。
「そういう可能性もあるか。後は全員逃げた、か……いずれにしろ潜伏している可能性もあるから十分に気を付けるし、ミューズも気を付けろよ」
「了解っす。あ、そこ左っす」
「……なあ、どうして目的地へのルートが分かるんだ?」
先程から彼女は迷わずにライトウに対して進む方向を指示している。勿論、軍の内部の地図なんて入手出来るどころか、セキュリティ的にも厳しいはずなので探りようがないはずである。
「ああ、あたしだから分かるっすよ」
「……どういうことだ?」
「あたしの目指しているのが、この国の情報インフラを管理している根幹コンピュータにアクセスできる場所ってのは知っているっすよね?」
「ああ」
ミューズの今回の戦いでの役割。
それはルード国の情報通信網をジャックし、指示系統などを乱すこと。
その他、セキュリティで守られている物理的な場所、ならびに情報のアクセス先や文書などを破ること。
それらの情報を元に『正義の破壊者』に有利な情報を皆に展開すること。
「軍が力を持っているこの国の現状として軍本部にそのアクセスポイントがあることはほぼ間違いないっす。で、軍で情報系でトップに立っている人間は――セイレン・ウィズ。あたしの母親っす」
「……」
ライトウの顔が曇る。
ミューズの母親がセイレンであることは、彼女の口から教えてもらっていた。
だけど、それを伝える彼女はとても辛そうであった。
敵国の主幹人物が自分の母親。
複雑な気持ちがあるだろう。
「なに、もう吹っ切れたっすから大丈夫っすよ」
ミューズの声には元気があった。驚いて首だけで振り向くと、彼女は白い歯を見せて笑った。
「今のあたしは『ミューズ・ウィズ』じゃないっすよ。――《《ミューズ》》っす」
ミューズ。
ただのミューズ。
きっと想像以上にそう告げることには覚悟をしたことであろう。
悩んだのだろう。
だけど。
間違いなく今の彼女にはその迷いが無かった。
言葉だけではなく、吹っ切れていた。
「前見て前見て」
ミューズに前に向けられる。
それは物理的にも。
そして――精神的にも。
「んじゃ、話を続けるっすよ。……というかさっきああ言ってなんなんすが、あたしがあの人の娘であるってことは間違いがないんすよ」
だから――と彼女はきっと不敵な笑みを浮かべているであろうことが想像できる声で告げる。
「あの人だったらどこに配置するだろうかっていうのを、娘のあたしがどこに配置するかっていうのと合わせて考えているっす」
「それは凄……いや、待て」
一瞬、有り得ないことをしているミューズに驚きの声を上げようとしたライトウであったが、すぐにあることに気が付いた。
「結局は、勘、ってことではないか」
「そうっすよ。なんだかんだ理屈を付けても結局言っていることはそこになるっす。だけど――」
ミューズはライトウの背を叩く。きっとそれは、その場で止まって降ろせ、という合図だと理解して背から降ろすと、彼女は近くにあった扉に手を掛け――
「ほら、女の勘って凄いんすよ」
開いた扉の先には壁にモニターがずらりと並んでコンピュータも数多くある――正に目的地としていた、情報インフラを管理している根幹コンピュータにアクセスできる場所であった。ライトウも中に入って周囲を確認するが、それ以外に人が隠れるようなスペースもなく、正にその為だけの部屋といった感じだった。コンピュータの熱を冷ましたり排気したりする通気口のみで窓も何もないためライトウは息苦しさを感じるスペースであったが、きっと集中できる人には良いスペースなのかもしれない。
やはり息苦しさには耐えられなかったので部屋の外に出て、逆に部屋に入って行ったミューズに対して感嘆の息を吐く。
「……流石に感嘆せざるを得ないな」
「でしょ? ふっふーん」
胸を張るミューズ。部屋の中身を指し示すモノは何もなかったのに見事当てたのは感服せざるを得ない。
「でも勘なんだろう?」
「勘っすよ。ついでにバラすとまさかこんなにメカニカルなルームに当たるなんて思いもしていなかったすよ。パソコンの一台でもある事務室でも良かったんすから」
「予想外だったのか」
「当たり前っす。こんないかにも、っていう部屋の中に人の気配がないこと自体が罠な気がするっすよ」
「確かにその通りだな。というかここに限らず、この建物の中で人の気配が全くしないのは不気味でならないな」
更に不気味なのは、敵は隠れていて奇襲を仕掛けてくる、と思って身構えている部分もあったのにずっと肩透かしを食らっている点である。先程も潜伏しているのではないか、何か仕掛けているんじゃないのかと部屋の中をざっと見回したのだが、先に述べた通りに隠れるスペースなど何もなく爆発物なども無い様に見えたので、扉を閉めたらミューズの作業を物理的に阻害する要素は何もない、と安心したことはしたのだが。
「ま、そこはいいんじゃないっすか。みんな逃げた、ってことで。考えているとハゲるっすよ」
「そうだな。悩んでも仕方ないし、時間もそんなにあるわけじゃないしな。――とりあえずその部屋は安全だと思う。流石に他の部屋の爆弾とかが設置されていたらその安全は保障できないけれど、でも爆弾ならどちらにしろこの建物自体が崩壊するわけだし、その時は仕方ないと諦めてくれ」
「いやいや諦めるわけないじゃないっすか。……というか、そう言うということは、その可能性は限りなく低い、って思っているっすね?」
「ああ、その通りだ」
ライトウは深く頷く。
「今回は俺達が攻め込んだのはあまりにも急だったからな。そんなモノを準備している時間はないと思われる。だからこそ人が潜伏している可能性を真っ先に疑ったんだけどな」
「銃を持って隠れていればいいだけっすからね。それに自国で爆発物を所持していること自体もほとんど有り得ないっすからね」
「軍とはいえそこはな。それに仮に持っていたとしてもこの軍本部を破壊するような真似はしないと思う」
「何故っすか? ……って聞いておきながら分かったっす」
ミューズが適当な方向に人差し指を向ける。
「軍本部のすぐ近くにある中央会議所の存在故にっすね」
「先刻にコンテニューも言っていただろう。中央会議所を守れ、と。しかも政治的な意味だ、と。だからそこにお偉いさんがいるから第一優先で守れ、ってことは間違いないと思う」
陸軍元帥コンテニュー。
本当は頭に血が上っても仕方ない相手であった。
何故ならば、彼はライトウの想い人――アレインを殺害した張本人なのだ。
姿を見せた時に何も反応しなかった、というのはうそになる。
だけど、ライトウは冷静に言葉を聞いて噛み砕き、理解しようと努めた。
感情で飛び出さないようにした。
――出来た。
理由は二つある。
一つは、クロードが相手するということで控えたこと。
もう一つは――ライトウ自身が今回の戦いに臨むにあたって、とある思考に至ったからだ。
それらのおかげで、ライトウは勝手な行動をせずに、怒りに感情を抑え込んで作戦を遂行できているのだ。
しかしながら、まだ心のどこかでしこりはある。
それを完全に取り除くために、彼は一度大きく息を吐いて告げる。
「お偉いさんが集まっている建物の横で爆発なんかさせないだろう。だから建物ごと、というのはないと考えている」
「かといってこの今いる場所も、相手によって導かれた場所ではないから大丈夫、ってことっすね」
「そっちは疑問符が付くけれどな。まあでもそれは考えても仕方ないことだな。あまりに考えすぎるとハゲるぞ」
「あーっ! 女の子にハゲるって言っちゃいけないっすよーっ!」
「男の子にも言っちゃ駄目だと思うぞ」
「……そうっすね。そこは反省っす。ごめんなさいっす」
ぺこりと可愛らしく頭を下げるミューズ。
と同時に、彼女は胸元からするりとノートパソコンを取り出し「ま、色々考えていても仕方ないっすね。やるだけやるっす」と言いながらテーブルに着き、ケーブルやらをガチャガチャと接続を始める。
「んじゃ、早速始めるんで少し休んでていいっすよ」
「了解した」
そう言ってライトウは扉を閉め、そこに寄り掛かるように腕を組んで身体を預ける。一緒に中に入っていないのは、外からの伏兵を警戒してのものだ。ライトウの今回の役割は彼女を守りながら目的の場所まで連れて行くことであった。連れて行くことではあるので一応は役割は果たしてはおり、戦況によっては戻ってカズマのサポートをしに行くことも考えていたのだが、現状情報を司っているミューズの元に窮地に陥っている連絡が来ていないことからも急ぐ必要はないと判断し、それよりも不気味な雰囲気を漂わせているこの基地内での様子見に時間を割こうと判断した。また言われた通りに疲労も多少なり溜まっていたのも事実であったので、警戒は怠らずとも少しだけ身体を休める。
周囲に敵影も気配もないので心も休め――
――ぞわり。
「……っ!」
唐突に背筋に寒いものが走った。
相も変わらず敵影はない。
気配もない。
だけど――重圧だけが出現した。
異様な重圧。
種類もそうだが、圧自体も物凄く重い。
この重圧を、ライトウはかつて受けたことがあった。
だから知っていた。
その正体も。
「……全く、休む暇もないな!」
少々イラついたように見せかけて大声を放つ。その際に刀の柄を扉に一度強く当てる。いずれも中にいるミューズに外の異常をこっそりと伝えるためだ。
――絶対に外に出るな。
そのことさえ伝わればいい。きっとミューズは賢いから大丈夫であろう。
「……あとは任せた」
小声でそう呟くと、ライトウはそっと扉から離れ、前傾姿勢を取る。
この時点では気配も感じ取れた。
だから次の瞬間――
ガキィン!
金属がぶつかる音が廊下に響く。
ライトウも先程までの位置には既におらず、分かれ道になっている所まで瞬時に移動していた。
そしてそこにはもう一つの影があった。
一瞬で移動するほどの勢いを持ったライトウの刀を、いとも簡単に受け止めた存在。
そのような存在は、たった一人しかこの世に存在しないだろう。
「――ふむ。このくらいの剣気に当てられる程ではないか」
どこか感慨深そうにも思えるその言葉は、口元に深い皺を刻む笑みと共に放たれた。
見るからに老体なのにも関わらず、ライトウの刀を両腕で掴んだ剣でしっかりと受け止める所か押し返そうとしてくるのは、どこにそのような力があるのかと不思議に思う。
だけど、彼に対してはこの一言で説明が付く。
剣豪だから。
「あれから成長したか?」
ルード軍最高責任者。
総帥 キングスレイ・ロード。
彼は再び、ライトウの前に立ち塞がった。