覚醒 01
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アドアニアは小国ながら、緑が豊かで食糧自給率も高く、また地下資源も豊富であるという、他国から羨ましがられるような国であるが、武力を持たず、政治的交渉によって上手く他国と付き合っていた。さらにその欠けている武力面も、二大国と呼ばれる【ウルジス】と結ばれた平和協定から他国からの侵略にはウルジスが武力介入してくることになっており、実質、アドアニアは平和の国であるという認識を人々から持たれていた。
しかし、それは七年前までのこと。
革命暦 173年。
唐突に、二大国のもう一つであるルードが、何の理由も大義名分もなく侵略行為を開始してきたのだ。
その際に、二足歩行兵器であるジャスティスが初披露された。動きが素早く、兵器を大量に積んだその機体は今までの戦闘兵器を遥かに凌ぎ、遠くからの映像だけでその圧倒的な性能差を嫌というほど知らされた。
そんな兵器を送り込まれたアドアニアは即座にウルジスに武力介入を要請した。
だが――ウルジスはジャスティスの圧倒的な力を見るなり、平和協定を破棄。
結果、アドアニアは数日で白旗を上げ、ルードの支配下に置かれた。
ここまでの話からは、ルードは悪の存在として恨まれるべきものであるという印象を受けるであろう。
しかし、アドアニア国内にルードを恨む者はそれほど多くない。
それは、ルードのその後の処理が非常に上手かったからである。
まずルードは自国の技術提供をし、瞬く間に工業的な発展を促した。それにより、国の中心部にビルが建ち並び、大型ビジョンが置かれたり電飾が多くなって夜でも明るくなったり、特に発展途上国であったアドアニアにパソコンや携帯電話などの情報インフラ関係の発展はここ数年で目覚ましく変化した。
結果、町が街となり、アドアニアは大きな利益を得ることが出来た。
次にマスコミを扇動し、侵略行為も良い方向と伝え、さらに武力介入しなかったウルジスに対する批判を大きくした。
このことにより、侵略して不満を大きくされるべきルードはクーデターを回避し、大半の国民は反ウルジスとなった。
◆
「本当に馬鹿だよな」
アドアニアの中心都市――【カーン】。
まるで選挙演説のように必死にウルジス批判を道行く人に訴えている市民団体を横目で見ながら、学生服に身を包んだ少年は肩に掛かる程度の少し長めの黒髪の先を人差し指と親指で挟みつつ、明るめな容姿とはちぐはぐしている言葉を小さくそう吐き捨てた。
「駄目だよクロード。そんなことを言っちゃ」
その横で、腰まである美しい紅髪を後ろで一つに纏めた、その髪と同様に美しい面持ちの少女、マリー・ミュートが手を当てて耳打ちをする。
「クロードが政府を恨んでいるのは知っているけどさ、でもここで言うのは流石に……」
「ということはマリーも思っているって訳だよな。ウルジスを恨むのはお門違いだって」
「だから駄目だって」
クロードの口元に掌を押し付け、方向転換をするマリー。彼女は少し離れた所までクロードを連れて行くと、全く、と呆れた様に深く息を吐く。
「クロードは何にでも喧嘩売って……」
「あっはっは。ごめん。でも絶対にマリーが止めてくれるだろ?」
「私に苦労掛けさせないでよ」
そうマリーは頬を膨らませてそっぽを向きつつ、
「……でも、クロードがルードを恨む理由は知っているからね。思わずそう言っちゃうのも判るよ。実際、私もおばさん、大好きだったからそう思っちゃうし……」
マリーの母親とクロードの母親は親友であり、故にマリーはクロードと幼い頃から親交があり、家は離れていたが長い間の付き合いとなっている。母親を失ったクロードがここまで生きてこられたのも、マリーの家族の助けがあってのことである。
「ま、政府は金だけは出してくれるからな。こんなんで打ち切られたら俺、暮らして行けないしね。ちょっとは抑えるよ」
「……うん」
曖昧な表情で小さく言葉を返すマリー。恐らくクロードの状況を考えたなら自制させるのは苦なのではないのかという葛藤があるのだろう。そう推察したクロードは感謝の意も込めて、彼女の頭を撫でた。
「な、何?」
「ありがとな」
「……うん」
今度の頷きは先程よりも小さかったが、しかし、彼女の頬には少し赤みが増していた。
街の真ん中で、少年が少女の頭を撫でているその図は非常に目立ち、
「お、クロードとマリーじゃねえか」
「相変わらずお熱いね」
「早く付き合っちゃえよ」
「つーかあれで付き合ってないとかありえなくね?」
たまたま通り掛かったクロードの悪友達が囃し立てる。クロードは慌ててマリーの頭から手を放し、顔を赤くして彼らに言葉を乱暴に投げる。
「うるさいなあ。つーかお前ら、揃って何してんだよ?」
「今からカラオケ」
「そうだ、クロードも行く?」
「バッカ。クロードが行く訳ねえだろ」
「少しは空気読めよ」
「そうだそうだ。空気読めよ」
「お前が言うかクロード」
「いやいや、正しいだろ」
どっ、と大笑いをする悪友達とクロード、そしてマリー。
「いいよクロード。私のことは気にしないで行ってきなよ」
「うーん……でもいいや」
クロードは手を合わせて、
「ごめんな。今日は行かねえや。また今度誘ってくれ」
「おお。ついにクロードが彼女を選んだぞ」
「いいぜいいぜ。今まで来た方がおかしかったんだしな」
「また来週もやるつもりだから、そんときゃ来いよ」
「おうよ。すまんな。またな」
手を振って、一同を見送るクロード。その横で、マリーが憂いた顔で訊ねる。
「良かったの? 行かなくて」
「今日は乗り気じゃなかったしな」
クロードは肩を竦める。
「それに、あいつらとカラオケなんていつでも行けるけど、一緒に帰るなんて、お前に彼氏ができたらできないだろ?」
「できるよ」
マリーは即答する。それに仰天したクロードは、溜息と共に言葉を吐く。
「お前な、それは彼氏に失礼だろ」
「失礼じゃないよ」
「いやいや、彼女が他の男と帰っていたら誰だって嫌だろ。そこはできないと答えておけ」
「だって本当だもの」
何故か上機嫌の様子で、マリーは足早に先へと進んでいく。クロードは首を捻りながらも、ゆっくりとその後ろを付いて行く。
そこでふと、彼は視線を上に向ける。
今日の空は済んだ蒼で包まれ、いつもとほとんど変わらなかった。
(いつもの空、か……)
クロードは嘆息する。
(結局、こんなだらだらとした生活を続けて、しかもそれに心地良さを感じているんて、少し悔しいな。……でも)
彼はマリーの背中を見ながら、小さく言葉を落とす。
「……こんな生活が続くなら、変わらなくてもいいか」
その時の彼の頬は、自然と緩んでいた。
◆
マリーを家まで送り、その母親から煮物を渡されたクロードは、晩御飯のメニューについて考えながら、虫の囁きを耳にしつつ舗装されていない道を上り、街からかなり外れた山の中にある木造の一軒家まで辿り着く。あまりにも人里から離れており、誰も住んでいないだろうと思われがちなその家では、他に兄弟がいないクロードが一人で居住していた。
にも関わらず――家の前に、幾人かの姿が見えた。
具体的な数字で言えば、五人。
(ルードの軍服……またか)
クロードはやれやれと首を振って、深い溜め息を吐く。こういうことは一桁では数え切れないほど経験があり、その全てが同じ理由であった。
「ここは魔女の家なんかじゃありませんよ」
クロードはそう言って、軍服の男達に近づく。彼らは一斉に振り返り、そして瞬時に一歩後ずさりする。それを見て、クロードはもう一度溜め息をこれ見よがしに吐く。
「ったく、俺の母さんが魔女とか、そっちが勝手に捏造したことじゃないか。それで俺は魔女の息子だから危険とか、何の論証も論拠もないことで毎回毎回来られると迷惑なのですよ」
少し怒りを含めた声でクロードが言うと、軍服の男達の中で恐らくは一番上の立場であろう、帽子から白髪がはみ出している老兵が「失礼いたします」と頭を下げる。
「この度は勝手ながらお訪ねさせていただいて、申し訳ありません。私、ルード軍大佐のジェラスと申します。本日はあなたに用が――」
「ついに大佐クラスまで来たか……でも、どうせいつものあのことでしょう?」
話を遮り、クロードはうんざりとした表情で五人を見る。
「お断りしますと言っているのですから、いい加減、どんな方が来ても応じる気がないということを悟ってください」
「ですが、話も聞かずに――」
「聞かないでも判るでしょう?」
苛立ちをあからさまに態度に現して、クロードは言葉を吐き棄てる。
「誰が自分の家を資料として寄贈しろなんて話に同意するんですか」
クロードの家は魔女の家として、ルード側から度々、資料として買い取らせるように交渉に来ていた。それに対し、自分の生家なのでいくら積んでも心は動かない、と彼は断っている。だが、相手は一向に止める気配がないようで。
「それでも、もう一度お願い致します。今回は少し事情があって……」
「事情?」
「はい。実は来週、アリエッタ元帥がアドアニアに来られるのです」
老兵が口にしたアリエッタという人物は、ルード国大統領の長女でありながら、権力に頼らず自らの腕で陸軍のトップまで上り詰めた実力者である。しかし、彼女は二〇代前半、かつ美人であるため、人々からは密かに呼ばれている別名がある。
その名称は――
「アリエッタって……『《《魔女》》』のことか?」
「貴様! 魔女の息子が口を慎め!」
軍服の中でも若い男が怒声を張り上げる。
「……ああ、そうですか」
クロードはこめかみを少し動かし、声を発した人物を睨み付けた後、
「では話は終わりです。さようなら」
耳を塞いで男達の真ん中を通り過ぎ、家の扉に鍵を差し込む。
「ま、待って下さい」
老兵が慌てて声を掛けるが、クロードは取り合わない。
「待たないですよ。俺は口を慎めと言われましたから、話すことなんかないですよ。人の親は魔女だと平気で言って、自国の偉い方が同じように言われると憤慨するような、そんな相手の気を逆撫でするような人に対しては」
「それについては謝罪を――」
「すぐするべきでしたね。あと、もう一つ」
家の中に入って扉を閉めながら、クロードは言い放つ。
「交渉は一人で来るべきでしたね。多人数で圧力を与えるなんて俺には意味無いし、こんな部下もいましたし、逆効果でしかなかったですね」
「待っ――」
「さようなら」
クロードは扉を閉め、軍服姿の男達の姿を視界から消した。
扉を閉めた直後、彼はすぐに鍵を閉めると台所に向かい、蛇口を捻ってコップに水を入れる。
(……ああは言ったけれど、多分、俺の家にあれだけ来たのは、世間体で武力行使を用いられないから、精神的に追い詰めるしかなかったんだよな)
武力行使が用いられない理由は二つある。
一つは、クロードが魔女の息子、つまりは魔王であると思い込んでいるから。
ルード国の者は何故かクロードの母親が魔女であると強く認識しており、今まで彼の家に来た軍人は皆怯えた様子で、彼どころか家に触ることすらしなかった。先程クロードに対して怒鳴った者も、彼が睨み付けると厳格だったその表情を歪め、あっという間に青ざめて涙すら浮かべていた。勿論クロード自身に魔法のような荒唐無稽な力はなく、実際に見たこともないのに馬鹿だなと、ほとほと呆れているだけだった。
二つ目はそんな彼の事情もあって、良い意味でも悪い意味でも彼の家は注目されているということである。
近所の人々はクロードのことを村八分にしているとかそういう訳ではなく、むしろ好印象を残していたクロードの母を魔女だと呼んでいることに苦笑いするくらいであり、残された彼に対しても気を使ってくれていた。度重なる軍人の来訪に文句を言ってくれる人もいたが、迷惑を掛けるまいとクロードは大丈夫と笑ってそのような支援を断っていた。唯一、最後まで折れなかったマリーの家族だけにはお世話になっているが、それ以外にも直接的な世話はないのだが、気にかけてくれている人は何人かいる。そんな中で暴力的な手段を取れば、その人達の反感を生み、一気にルード国の評判を下げるだろう。因みに、その知り合いの中にはある程度の知名度を持った作家もいることが、彼の強みとなっている。
そういう事情もあって、軍人はクロードに手を出せないのである。
「……結局俺を守っているのは、母さんが魔女であるという戯言なんだよな」
喉を鳴らして水を飲みほし、音を鳴らしてコップを強目に置く。
「だからこそ、俺は母さんが魔女だということを認める訳にはいかない。認める訳がない」
力強くそう言い放ち、クロードは窓の外を見る。軍人達の姿はすでになく、少し耳を澄ませてみても音はない。どうやら本当に撤退したようである。
それを確認すると、クロードはカーテンを閉め「さて」と顎に手を当て悩む。
「晩御飯はどうしようか?」
先の出来事はいつものことなので大して動揺もせず、頭をすぐにどうでもいいことへと切り替えて台所へと向かった。