後悔 02
◆
「……そういうことだったのか」
クロードが苦悩で悶えている、その隣の部屋。
その部屋で、ライトウはゆっくりと目を開いた。
先までの過去回想の際には不思議と開ける気がしなかったのだが、記憶の中の幼い自分の意識が薄くなってきた――後からよく考えてみると不思議な感覚ではあったが――ところで、自然と目が開いていた。感覚的には夢を見ていたかのようでもあり、それよりも明晰であることからタイムスリップして過去を見て来たかのようだった。
とにかく、不思議な体験ではあったが、不思議とそれが偽りであるとは思えなかった。
自分の手元に、どうして刀があるのか?
その刀を、どうしてずっと所持することが出来たのか?
更には、アレインや自分がその特異な能力を、何故あまり公にしなかったのか?
特にアレインは走力なのだから学校の科目として体育がある以上、絶対に本気を出せば目立つはずなのに。
(……そういえば、俺がアレインに言いつけたんだっけ)
連鎖して行くようにどんどん記憶が引き出される。――いや、ここまで記憶がよみがえってくるってことは、関係したことは曖昧にさせられていた、と考えた方が正しいと思う。刀を握った理由まで忘れていたのだ。
どういう理屈かは分からないが、こうして思い出せているのは、あの時にクロードに貰った『努力すればするほど刀に見合う男になる』ということが適用されて、頭脳面でも努力することで成長し、クロードの母親がいじった記憶を取り戻している、ということであればしっくりきている。あの時は『見合う身体』と言ったが、実際に脳も身体の一部であることはあるのだろうか、このように適用されたのだろう。あれ程にも曖昧な依頼なのだから、これだけぶれることは仕方がない。というよりも、きちんと努力して刀に見合うようになっていること自体が物凄いことであると今では思う。
(……幼い自分、何ていうことをしたんだ)
ライトウの口元は緩んでいた。それは自嘲気味な笑みであり、呆れを多分に含んでいた。
笑い飛ばし、思考を戻す。
アレインに能力を見せびらかさないようにする。
それはクロードの母親との約束であり、そのこと自体を忘れてはいたが心に刻まれていたようできちんとライトウは守っていた。
完全に無意識ではあったのだが。
「段々と思い出してきたぞ。確か……」
アレインに対して見せびらかさないように言いつけた、とまでは先刻の時点で分かっていた。
だがその内容までハッキリと思い出していた。
ライトウが目を瞑ると、再び過去のライトウが、これまた幼いアレインに対してこのように言っている様子が浮かんできていた。
『アレイン、君のその能力を見せつければきっと世界中で注目されるだろう。だけどそうなるとここからきっと離れて行ってしまう。それは嫌だ。アレイン、だからその能力を隠してもらえないか? 俺は――君とずっと一緒に居たいんだ』
「……幼い自分、何ていうことをしたんだ」
ライトウは額を抑え、う、とうめき声を上げる。
恥ずかしさが尋常ではなかった。
ある意味プロポーズみたいなものじゃないか。だがそれを口にした時のライトウはまだアレインに対して恋心を自覚していなかったのは確かだ。それはアレインも変に捉えていないはずで『あ、そうだね。私も一緒にいたいからここだけの秘密にしておくね』とあっけらかんと返していたモノだ。当時は分からなったが、自分達のすぐ近くでカズマが頭を抱えていた意味がようやく分かった。
と、そんな鮮明な記憶まで思い出した所で、
「――マジッすか!?」
廊下の方から聞き覚えのある大声が響いてきた。
何事か――と立ち上がり、扉を開ける。
「あ、ライトウ、そこにいたんすね」
途端に声を掛けてきたのはミューズだった。その隣にはカズマと、白衣を着こんだ女医もいた。
その三人の表情が複雑なのを見て、嫌な予感がしつつも訊ねる。
「どうした? 何があった?」
「えっと、それがっすね……」
「魔王が目覚めたのよ」
と、そこで口を挟んできたのは、女医だった。
ポケットに手を突っ込んだまま淡々と事実を述べている様子に、何の感情も浮かんでいなかった。クロードが目覚めたことに対して不満を感じているのか、と一瞬思ったのだが、ここで治療を任せられるにあたって彼女はきちんと赤い液体を飲んだ『正義の破壊者』の一員となっている為、そのようなクロードに対しての悪感情を見せる訳がない、と思い至る。
となると、どうしてそんな態度なのかが分からない。
――だが、そんなことはどうでもいい。
「良かった……クロードもきちんと生きていて……」
ライトウは心底ほっとした。
とりあえず、ずっと意識を失っていた彼が目を覚ましたのだ。ずっと目覚めないことから、意識が戻らないまま命を落としてしまう覚悟さえしていた。それ程までに彼の容体はボロボロであったと聞いていた。
しかし。
「……あれが『きちんと生きている』と言えるのかしらね」
「……どういうことだ?」
ライトウが低い声で女医に問うと「……そこの金髪のお嬢ちゃんにも同じことを言ったし、同じことを聞かれたわね」と女医は苦笑いをする。
「とりあえず、身体は問題ないのは確認しているわ。だから存分に話してもらっても構わないわ。私が許可する」
女医は、ふう、と短く息を吐いて、顎先で部屋への扉を示す。
「自分の目で確かめなさいな。魔王の今の姿を、ね」
彼らは女医に促された通りに三人で部屋に入る。そこはまだクロードが寝ている部屋そのものではなくただの待合室みたいな場所であり、更にもう一つ扉を開けた所が該当の場所になる。そのような複雑な構造だったが故に、ライトウは自分が瞑想していた場所がクロードと壁を挟んだ部屋になっていることに気が付かなかったのだ。
「クロード、入るぞ」
代表としてライトウがひと声かけ、扉に手を掛ける。
中から返答は聞こえない。
「……」
三人は一瞬だけ目を合わせると、うんと頷く。
「……失礼する」
扉が開かれる。
直後、その先にいたクロードの様相を見て、三人は少なからず動揺を覚えた。
クロードはベッドに座り込んでいた。
肩は下がっており、中途半端に開いた足の間に手をぶらぶらとさせていた。
具合は悪そうではない。
だが顔色はひどく悪そうに見えた。
そのこともであったが、何より彼らが動揺を覚えたのは他のことであった。
彼らが扉を開け、姿を視認した――クロードと眼が合ったのと同時。
クロードは三人から――目線を逸らした。
明らかに下に視線を向け、ライトウ達に目を背けていた。
今まで堂々たる様で『正義の破壊者』を率いていた彼の姿からは想像も出来ない、憔悴しきった表情であった。
故に、ライトウ達も固まってしまったのだ。
戸惑ってしまったのだ。
意識が回復したことへの喜びはあったのだが、それよりも目の前の彼の様子にそれを表に出すことが出来ていなかった。
「……」
沈黙が生まれる。
ほんの数秒だったのであろう。
それでも辛かった。
胃が締め付けられる思いであった。
(……そうだよな)
その数刻で、ライトウは気が付いた。
クロード。
魔王と呼ばれた少年。
今まで、ずっと勝ち街道を突っ走ってきた。そこに敗北などは一切なかった。
しかし、今回は完全なる敗北だ。
勝てるはずだった。
負けるわけがない。
それはクロードだけではなく、他の『正義の破壊者』に所属する面々も同じであろう。
その根拠のない自信が崩れた。
崩壊した。
この敗北。
多くの人が動揺した。
大人だってそうなのだ。
その中心人物で――責任を感じる立場で――何より、まだ二〇年も生きていない少年が、どうして動揺していないと言えるのだろうか。
そんな当たり前のことを、自分達は気が付いていなかった。
だから今更ながらではあるのだが、フォローしようとライトウが口を開いた――その瞬間だった。
「――ごめん」
その言葉が出てきたのは、クロードの口からであった。
謝罪の言葉。
同時に、彼の頭頂部がこちらに向く。
つまり――頭も下げていた。
「えっ……」
横にいるカズマとミューズが声を上げる。きっとミューズはクロードが頭を下げたという行為に事態に驚いた声で、カズマはそれ以上に、その事実に対してショックを受けたが故の声なのだろう。カズマはクロードを崇拝している節があったから、そんな彼から頭を下げられたことは衝撃的に感じたのだろう。
だが、ライトウはそうは思わなかった。
(――いや、きっとクロードの辛さにさっき気が付かなかったら、二人と同じ反応をしていただろうな)
クロードは責任を感じている。一週間の間意識が無かったのだから、彼にとっては今は敗戦直後ということになる。
一番上に立っている者として、また前線に立っていた者として責任を感じるのは至極当たり前である。むしろ自分達が責任を感じていなさすぎる、とも思えてきた。
そんな後ろめたさもあり、ライトウは首を横に振って、頭を下げている彼に言葉を掛ける。
「いや、こちらこそすまない、クロード。不甲斐無い結果になってしまった」
「……不甲斐無い結果?」
「えっ……」
今度はライトウだけが思わず声を上げてしまった。
顔を上げたクロードが不思議そうな――「こいつは何を言っているんだ?」と訴えかけてくる表情だったからだ。
「いや、アドアニア国での戦いの敗退のことを謝ったんじゃないか? それ以外に君が謝ることなんて何もないはずだ」
「……確かに、アドアニアのこともそうだな。俺がいながら敗退させてしまったことには責任を感じる……べき、なんだろうな。すまないがそちらに対しては謝罪するほどの思考はまだ行っていない」
「だったら何が――」
「……あるんだ。君達だけに謝らなくてはいけないことが」
絞り出すような辛そうな声。
彼は眉間に皺を寄せながら、それでもまだ視線は少し下に向けられている。
「ライトウ、ミューズ、カズマ――それにアレイン、コズエ」
彼は告げる。
幹部の名を。
幹部だった者の名を。
――あの孤児院にいた、全員の名を。
「みんなの家族を奪ったのは――俺のせいなんだ」