過去 06
「アレイン! カズマ! ミューズ!」
声を掛ける。
だが誰からも返答はない。
唯一、
「あー」
と、カズマの背にいるコズエが反応しただけだ。カズマは前のめりで倒れていたのでコズエを押し潰すような真似はしていなかった。ただカズマも安らかな顔で傷一つ追っていないことから、そのような体制にいるのももしかするとこの状況を引き起こした人物の図らないなのかもしれない。
そしてライトウには、それが誰の仕業なのか、一瞬で分かった。
「――ねえ? 君はどうして眠らないの?」
感覚を共有していないはずなのに、ゾッと背筋が凍る感覚を覚えた。
それ程、その声が不気味に感じたのだ。
恐怖で身がすくんだのか、焦点が定まっていないまま真正面の視点のまま、背部に震え声を返していた。
「し、知らないぞ……お、俺は何にも……」
「知らない、か……だったら何かクロードが変なことをして、能力に対しての耐性、のが付与されたのかしらねえ? だとしたらもっと強引にしなくちゃいけないのかも…………ねえ、君はクロードに何を貰ったの?」
「っ!」
ライトウ少年は、ギュッと胸元に自分の腰に差さっていた刀を抱き寄せる。
無意識に相手に回答を提示させてしまったことになる。
「ああ、刀もあったのね……弱ったなあ……」
はあ、と大きく息を吐く音が聞こえる。それが艶めかしいようにも、恐ろしくも聞こえてしまった。きっと何の行動をしても恐怖が付いて纏うだろう。未知とは恐ろしい。
だが、幼いライトウが思っていることはただ一つだけだろう。
「……仕方ない、か」
そしてその思っていることを、意を決した様に一つ頷いた後にピンポイントで彼女は突いてきた。
「ねえ、君、その刀、こっちで預かっても――」
「――嫌だ!」
強い拒否の言葉。
今まで正直怯えていた彼が、唯一反抗心を見せたこと。
それは、刀を奪われることだった。
「この刀はクロード君から貰ったものだ。誰にも渡さない」
「いや、でもこれはきちんとした刀じゃなくて……」
「俺はこの刀を気に入ったんだ! 絶対に離さない!」
頭を振って怒声を上げながら、幼少期のライトウは勢いよく振り向いて、真正面からクロードの母親の方を向く。
完全に勢いだけだ。
だがその勢いは、表情が薄い彼女を前にしても止まらない。
「この刀を奪うのならば、俺はあんたと戦う。そしてみんなを守る」
「ちょ、ちょっと待って?」
クロードの母親は焦った様相を見せ始めた。
「何かおかしくない? 私が何か悪いことをしているように聞こえるのだけど……」
「実際そうじゃないか。俺の刀を奪おうとしている」
「奪おうとなんかなんかしていないわ。ただ預かろうと……」
「いいや、預かって返さないんでしょ? 知っているぞ!」
「むぅ……た、確かにそうなんだけど……でもそれは君の為であってね? 仕方なく、ね?」
「何が俺の為なんだ?」
「いい? 刀って普通は持たないモノよ。だからそんなモノを持っていたら目立って……しかもその刀がクロードから渡された、ってことが分かったら、君達の命も危ぶまれる恐れがあるんだよ?」
あたふたとした様子ながらも、諭す様に彼女は言う。
それに対し、幼きライトウは首を横に振る。
「……意味が判らない」
「あー、もう、だからね――」
「――だが、一つだけ言えることがある」
はっきり、くっきりと。
幼い少年は断言した。
「俺はクロード君に『剣豪』になりたいと言った。それを曲げる訳にはいかない。何よりも、その夢を叶えるきっかけになった刀を、奪われたくないんだ。これを奪われたらきっと俺は……『剣豪』になるという夢も諦めてしまうと思う」
「……」
「だからお願いだ。……いや、お願いです」
と。
そこでライトウは刀を脇に置き、膝を地面に付けると――
「この刀を奪わないでほしいです」
両手も、そしてついには額も地面に付けた。
つまりは――土下座をしたのだった。
「あ、あの、えっと、な、何をやっているのかな?」
「刀を調べたらこれも本に書いてあった……いや、ありました。相手にお願いをする時に必要なモノだ、って」
「確かに東洋では最上級の依頼方法、というか反則事項ではあるのだけど……ああ、もうっ。何よこの絵は? 完全に私が訴えられる図じゃない……」
クロードの母親はあたふたと慌てふためく。確かに今の構図はいい大人の女性が子供に土下座させているという異様としか言い得ないモノであり、傍から見れば完全にクロードの母親は悪役にしか見えなかった。
そんな様相を理解してか知らずか、ライトウ少年は再び頭を地面にこすり付ける。
「お願いです! クロード君から貰ったばっかりなのに何を言っているんだ、って思うかもしれませんが、それでも、もうこの刀を手放したくないんです! お願いします!」
「ちょ、ちょっと顔を上げてよ。ね? ね?」
「嫌です! 奪わないと言ってくれない限りやり続けます!」
「謝っているようで脅しを掛ける方法をこの年でもう身に着けているっ……? 分かった。分かったわ。刀は奪わないわ。――ほら言ったわ。だから顔を上げて」
「今のは本心ではないです! 本心からではないから信じられません!」
「表面上の誤魔化しも通用しないっ? ……って流石にそれは私が悪い、か」
すーっ、はーっ、と大きく深呼吸する音。
それが数刻続いた後に、
「――顔を上げて」
優しい声。
先程までの焦っていた声とは一風変わった穏やかな声音に導かれるように、ライトウ少年の視線が上がる。
すると目の前の女性は、こちらと同じ高さになるように屈み込んで視線を合わせてきた。
吸いこまれそうな瞳。何より物凄い美人なのだ。幼心ながらも胸の鼓動が高鳴ってしまっているのは、感覚を共有していなくても分かる。
だがそれでも、彼は絶対に刀を離さないように胸に抱えていた。
例え彼女が無理矢理命令を聞かせようとしても、絶対に離さなかったであろう程に、強く。
そんなライトウ少年に、彼女は穏やかな声のまま問い掛ける。
「刀は武器よ。人を傷つける道具であるのは間違いないわ。君はこの刀を手放さないということは、この刀で人を傷つけるということ?」
「そんなことはしない……とは言えないです」
「傷つけるの?」
「……場合によっては」
正直にライトウ少年は答える。
対して彼女も真剣に対峙する。
「じゃあ、その刀はいつ使うの? 他の人に見せつけて脅す時?」
「違います!」
ぶんぶんと首を横に振る。
「この刀はむやみやたらと見せません! 脅しません!」
「だったら何のために必要なの?」
「何のため……」
(……大人の説得、だな)
一つ一つ紐解いて、自分で理解させるようにしている。
最初から「刀を持つ必要はない」という結論を述べれば、感情的に違う、というだけだ。
先程のように。
だから、何故必要ないのかを論理立てて誘導している。
だけど。
ライトウ少年はそんな誘導には結果的に乗らずに自分の答えを導き出した。
いや、始めからあったのだろう。
彼は迷いのない声で、こう答えた。
「仲間を――家族を守るためです」
「……家族を守るため?」
目の間の女性は目を丸くしてオウム返しをする。きっと彼女にも予想外の返答だったのであろう。もしくは幼い少年から出てくる言葉とは思えなかった、という驚きなのだろうか。
そんな彼女を前に、ライトウ少年は言葉を紡ぐ。
「俺が『剣豪』になりたいのは、強くなりたい、って思ったからなんです。それはここにいるみんなを守るためです」
守る。
かっこいいというきっかけはあったかもしれないが、根本的にはそれが理由だ。
「ここにいるみんなは俺以外親がいないんです。だから……俺はみんなよりも強くならなくちゃだめなんだ! その為には力が必要で……だから……っ!」
いつの間にか敬語も忘れ、感情だけで口に出している。相手を説得する為に考えられた言葉ではない。
「だから……その……みんなを守るために場合によってはこの刀で……人を……」
どんどんと声が消え入りそうになっていく。自分で言っている内容は相手が首を縦に振る要素がないことを理解しつつあるのだろう。
だが。
「それは、お友達同士での争いでも使うの?」
彼女は表情を変えずに、真っ直ぐな目で訊ねてきた。
その言葉には、決して頭から否定しているようなものは含まれていなかった。
「違う! ……いや。違います。もっと大きな――みんなの命が危ない時とか、どうしても戦わないといけない時だけです」
「……うん。みんなの命が危ない時、ね」
彼女は顎に手を当てて、数秒、また考え込む仕草を見せた後、
「ねえ、刀は、みんなの命が危ない時以外は人を傷つけることに使わないって約束できる?」
「はい!」
「でも見せびらかしたら、斬ってみろ、って言われるかもしれないよ?」
「だったら……見せびらかしません!」
「人に見せない? 本当?」
「本当……です。はい」
ここはやはり見せびらかしたい欲求があったのだろう。少し返答に間があった。
それを悟ったのだろう、クロードの母親は少し短く息を吐いて、
「でも、それを言い触らしたりする人じゃなかったら、見せたいよね?」
「っ、はい! あ……」
「うんうん。素直でよろしい」
彼女はその黒髪を耳に掛けながらウインクをする。
「もしここにいる子達だけ、っていうのならば、その刀をいつも持っていても違和感無いように――君が刀を持っていることを知っている人以外には見えない様にしてあげるけど、どうする?」
「ここにいる子……」
アレイン。
ミューズ。
カズマ。
コズエ。
恐らくクロードは入っていないだろう。
「あともう一つだけ」
彼女は人差し指を立てる。
「この子達も同じようにクロードから与えられたことを見せびらかさない。それが条件よ。君が代表して誓ってもらうのと同時に、みんなに守ってもらわなくちゃいけない。君に出来る?」
「出来ます! ……いや、やってみせます!」
ライトウ少年は即答した。
何も考えていない――というわけではない。
推定でしかないが、きっと彼はこの言葉に反応したのだろう。
守る。
約束も守るのも出来ない様で、外敵から守ることなんか出来るはずがない。
そう思ったのだろう。
(――俺なら必ずそう思うはずだ)
「……そう。分かったわ」
ライトウ少年の返答に対し、彼女は一つ頷き、目線を合わせるために下げていた腰を上げ、大きく息を吸い、そして――
「――ふははははは! この魔女のおばさんが貴様達に呪われし能力を与えた! だから隠して健康でつつましく生きるがいいさ!」
そう大声を張り上げているその顔は、内容とは裏腹に相も変わらず薄い表情。
先から困惑などに歪んではいたが、ある特定の表情を浮かべるべきであろう場面では、ずっと同じような表情だった。
だけど、この時だけは。
その顔は何故か――笑っているように見えた。
先に放たれた、クロードの母親の芝居掛かった言葉。
それは一瞬の静寂を生み出し。
そして、表情の機微など気が付いていないであろうライトウ少年のツッコミをも生み出していた。
「……今のって何?」
「うっ……」
クロードの母親は頬を赤く染める。
「えっと……能力とか刀とか隠す気になった?」
「あ、えっと……はい。さっきも言いましたけど、はい」
「……やっぱり駄目か、私じゃ……」
はあ、と短く息を吐くと彼女はその場を離れ、倒れている他の人達の元へ早歩きで近寄り、そしてアレイン、ミューズ、カズマと次々とその頭に触れていく。
何をしている――と激高することはしなかった。
何故ならば、彼はもう知っていたからだ。
クロードの母親。
彼女はいい人だということを。
「こっちは、これでいいはず」
彼女はそう言うと気を失っているクロードをその背に負うと、ライトウの元まで戻ってきて、その頭に左手を置く。
ライトウは身じろぎひとつせず、その行為を受け入れた。
「……君にはきちんと話しておいた方がいいわね」
彼女は真っ直ぐにライトウの目を見つめる。
「これから私は君の、私達と関わった記憶を無くすわ。それは、私が……というよりも、クロードなのだけどね、君達に何かを与えた、ということを他の人に悟られないようにする為よ。もし分かってしまえば――それこそ、君達の命を脅かすようなことになるかもしれないわ」
「命を……」
「そう。その理由は私が狙われているから。そして……あの話からすると、クロードも、ね」
彼女の眉間に皺が寄る。
「だからごめんね。クロードをここに預ける訳にはいかなくなったの。でも、残念ながら私の力では君達をきちんと元に戻すことは出来ないわ」
「……?」
幼いライトウ少年の視線が若干傾くが、きっとそれは彼女の言っている意味が判らずに首を傾げたからだろう。確かに、そのままの言葉では意味は分からないだろう。
しかし、今ならば分かる。
身体的な変更をしておきながら、きちんと成長に影響しない範囲で元に戻せる保証がないということだろう。更には能力の単純消去も出来ないのであろう。
「今はその意味は理解しなくていいの。でも……謝らせて。ごめんね。無責任な話だけど、君達が黙っていてもらうということでしか、君達のことは守れないの。だから――頼りにしているわ。約束、守ってね」
「……はい!」
頭に手を置かれたままの頷く彼の目の前に、彼女の右手の小指が差し出される。
「おばさんと約束、出来る?」
「出来ます! お姉さんと約束、守ります!」
「お姉さんって年じゃ……まあ、本当はおばさんでも間違っている年なんだけどね……」
ふ、と小さく息を漏らし、彼女はライトウ少年が差し出した小指を絡める。
「じゃあ、頼むわね――ライトウ君」
――ライトウ君。
名乗っていないのに自分の名前を呼ばれた所で、急に視界が歪んできた。
きっと彼女がライトウを眠らせ、その記憶を消去している所なのだろう。
これできっと過去回想も終わりなのだろう――とライトウ自身もそれを自覚して瞼が落ちてくるのが分かっている中、今のライトウの考えていることは一つだった。
これで過去の記憶は終わるのだろう。
だが、そこまで言って、敢えて彼女は触れていないことがある。
先程、クロードの能力で変えてしまったモノは元に戻せないと言っていた。
しかし、本当は消せるものが一つあった。
刀。
ライトウの持つ刀だけは、本当は消すことが出来た。
だけど彼女はそうしなかった。
それはライトウの意志を尊重してくれたからだ。
その後のことは記憶を消されていない範囲なので単純に覚えていないだけなのだが、きっと彼女はこれら全て含めて、責任を取ったのだろう。
ライトウの両親にも、きっと自責にして話してくれたのだろう。
ライトウの記憶の中で、刀について言及されたことは一度もない。
自分が言っていなかったのもあるので、先に彼女が言っていた、持っていても違和が無くなるということをされていたのかもしれない。
だが、今更人を恨んでも仕様がない。
結果として、ライトウの腰にはクロードが生成した刀がある。
事実はそれだけでいい。
それだけで、もし彼女に――クロードの母親に伝えることがあるとしたら、ただ一つだけだ。
現状のライトウの気持ち。
――そして。
偶然にも瞼が閉じる直前にライトウ少年が告げた言葉は、同じ言葉だった。
「――ありがとう」