過去 03
クロード。
後の魔王と呼ばれる少年。
だが目の前にいるのはライトウがよく知っている彼の姿よりかなり幼い容姿だ。当然だが、彼にも幼い頃はあったんだな、と今更ながらに思った。
(しかし……それでも、大分印象が違うな……)
ライトウの知っているクロードは厳格で落ち着いており、ましてや人に笑顔を見せることなど一切ない、正に魔王という言葉が似合う少年であった。
なのに記憶の中にいる彼の様相は、
「ねえねえ、君の名前はなあに?」
無邪気にこちらに微笑みかけてきている。
こんな姿のクロードを見たことは無いし、想像もしたこともない。
そもそも、ライトウの記憶の中に、クロードと出会っていた記憶などなかった。
様々な動揺が走っていることを当然昔のライトウは知る由もなく、少年に話し掛ける。
「俺か? 俺はライトウだ」
「ライトウ! よろしくね!」
「ああ。で、こっちは……」
と、カズマを紹介しようとしたのだろう、視線をクロードからカズマの方へと移動させて、その時だった。
「……何だあれは?」
遠方から物凄い勢いで駆けて行く何者かの姿を捕えていた。
人間離れした速度で、こちらに向かって来ていた。
その正体が分かったのは、数秒後、
「やー、速い速い。気持ちいいわ―」
目の前で急ブレーキを掛けて止まった、肩口で揃えたショートカットの活発な少女はそう言う。
その少女の姿に、ライトウの意識は大きく揺さぶられた。
(……昔から変わらず元気だったな……)
元気だった。
過去形になってしまった少女。
彼女の名を、当時のライトウは呼ぶ。
「どうしたんだ? ――アレイン」
アレイン。
目の前でコンテニューに殺害された少女。
ライトウの大切だった人。
しかしこの時の彼は子供だったが故に、彼女への特別な気持ちなど自覚していなかっただろう。
今の気持ちを当時の彼が抱いていたら、きっとドギマギしてしまったであろう真っ直ぐな笑顔を向けながら、彼女は得意げそうに言う。
「ん? どうしたのって、ただ気持ち良かっただけよ!」
「物凄く誤解が生じる言い方だが……何が気持ち良かったんだ?」
「あのね! 凄い速く走れるようになったの! 見てて!」
「いや待て。ちょっとだけ待て」
「うん? どうしたの?」
首を傾げる少女の背部を指差す。
「見せたいのならば見せてもいいが、その前に降ろしてやれ」
「あ、忘れていたわ」
ドサッ、とアレインは背負っていた少女を少々雑に地面に落とす。
アレインの背部にいたのは、ダボダボの白衣を着た金髪の少女――ミューズだった。
彼女は「きゅうう……」と悲痛な声を漏らしながら目を廻していた。
「どうしてミューズがそんな状態になっている?」
「いやー、ちょっとミューズがいたから、せっかくだから背負って走ってみた」
「全く説明になっていないんだが……」
そう言いつつ視線を地面に横たわっているミューズに向けると「誰も頼んでいないっすよ……」と目を回し白衣と共に顔も土気色になっていた。
ミューズとアレインは共にかなり幼い頃に親に捨てられて孤児院に来ており、まるで姉妹の如く仲が良かった。といっても傍から見るとアレインが一方的にミューズを振り回している様にしか見えなかったが。今回も例に漏れずそのパターンだったのだろう。
「話は戻すが、どうして急にミューズを乗せて走りたくなったんだ?」
「そうそう。すっごく足が速くなったんだ。だからよ」
自慢げに胸を張るアレイン。彼女は昔から少し言葉足らずであることが多かったが、今回もそのパターンであった。話が唐突過ぎて理解出来ない。
だが今回は補足説明が、思わぬ所からされた。
「ああ、俺が『足が物凄く速くなる』ようにしたんですよ」
「……え?」
ライトウの口から疑問の言葉が放たれる。
その矛先は先程の少年――クロードに向けてだった。
彼はキョトンとした顔で言葉を紡ぐ。
「ここの孤児院に来ることになって、その……『おちかづきのしるし』? ってやつをあげようと思って、そこの女の子――」
「アレインだよっ! そう呼んでね」
「――アレインさんに何がいいのかを聞いたら」
「『私は足が速くなりたい! あ、でも女の子だから足は太くしないでね』って言ったわ」
「だからそうしたんだよっ」
ねー、とアレインとクロードは顔を見合わせて笑い合う。
――何を言っているのか分からない。
成長したライトウならばもう一度、そのようなことを返していただろう。実際に意識だけのライトウはそう思っていた。
足が速くなりたい。
だから速くした。
クロードがそうさせた。
そう言っても信用できない。
クロードが何らかの能力を所持していると知っている今でも信じられない。
だが幼い頃の自分達は。
一つの事象であっさりと信じ込んだ。
「行くよ。見ててね。――よーい、ドン!」
その声と同時。
一瞬でアレインの姿がかなり遠くまで移動した。
人間の出せるスピードではない。
まるでテレポーテーションをしたかのような錯覚さえあった。
だが、遠い地点から再びこちらへと走り出して到着した彼女の姿を視認した時点で、そのような認識は無くなった。
「すごいな!」
「どうなっているんです……?」
「ふふん。これでも本気じゃないのよ!」
賞賛の声を浴びているアレインは、上の方を向くまで得意げに胸を反らす。
しかし、真に賞賛を浴びるべくは彼女ではない。
「――なので」
彼の方なのだ。
その黒髪の少年は両手を広げながら、柔らかな笑みを見せた。
「みんなにも『おちかづきのしるし』をあげるよ。何がいいのか教えて?」