過去 02
懐かしむ様にライトウは呟こうとする。
だが実際に声には出せない。その理由は、先の視線移動と同じようにこの状況が過去を回顧しているだけだからだろう。そんなに矛盾は感じなかった。
(……コズエ)
少ししんみりとした気持ちがライトウの中で湧き上がる。
この頃はまだ歩けもせず、文字通りカズマにべったりだった彼女。
ここからあそこまで成長するのは感慨深い。
だが、彼女のこれからの成長はもう見れない。
彼女は死んでしまったのだから。
(……)
ライトウは落ち込む気分を振り払うべく、思考を他に向ける。
カズマ。
現在の彼のライトウへの呼称は呼び捨てである。
そんなカズマがライトウのことをよそよそしく呼んでいたのは、彼らが孤児院に来た最初の数か月だけである。
「うん。どうしたの?」
幼きライトウが口を開く。声高いな、などと多少気恥ずかしい思いを抱きながらも、それよりも幼いカズマの言葉に耳を傾ける。
「あの……今、誰か来ているでしょう? それって……」
カズマは不安そうに眉を歪める。
カズマとコズエの両親は不幸な事故により命を落としており、残された二人は親戚をたらいまわしにされた挙句に孤児院に連れて来られた、という経緯があった。その時にカズマは大人の醜い部分をしかと見たらしく、妹を守らなくては、と誰にも彼女に触れさせることなくずっと面倒を見てきた。だから先の言葉を訂正するのであれば、カズマがコズエにべったりだった、という方が事実であった。
だからこそ、彼は恐れている。
――また大人の都合に振り回されてしまうのではないか、と。
「大丈夫。カズマ君を連れ戻しに来た人と違うよ」
ライトウの口から出た言葉に、カズマは見るからにホッとした表情だった。
と、同時に現在のライトウは思考する。
(……カズマに君付けする、ってことは本当に出会ってすぐの時か……しかし何でそんな時の記憶のことを……? この時に何があるんだ……?)
ライトウの疑問。
その答えの一つは、奇しくも幼き自分の言葉から導き出された。
「今日からまた新しい子が来るみたいなんだ。だから受け入れてあげてくれ」
「新しい子?」
「うん。さっき若い女の人と一緒に小さな男の子がいたよ。黒い髪の男の子。きっとあの子がここに来るってことなんじゃないかな、って思うよ」
(……黒い髪の男の子?)
少し違和を覚える。
あの孤児院には多種多様な人種がいるのだが、カズマ以降で黒髪の男の子が入院してきた記憶が無い。
ということはその子は、この後に入ってこなかったのか、それとも――
「ちょっとこっそり見に行こうぜ」
「あ、ちょっと……」
「よし、出発だ!」
思考している間もないまま、過去のライトウはカズマの手を取って駆け出す。今、この時はカズマと思考がリンクしているのではないか、という訳のわからない状態になる。
そして低い目線でちょこちょこと小距離を移動して辿り着いたのは、施設のとある一室の窓のすぐ傍であった。
二人――いや、三人は身を隠す様に壁に張り付き、小声での会話をする。
「……ライトウさん。どうしてここに?」
「お客さん、この部屋にいるんだよ。実際見てみれば違うって分かるよね?」
「そ、そうですけど……でも、なんか覗き見みたいであまりよろしくないのでは……」
「……」
ぺしぺし、と。
カズマの頭を小さな手が叩く。
コズエだった。
声は出さずに叩く様子は、まるで「覗きはよくない」と兄に注意しているかのようで微笑ましかった。
「……コズエちゃん。しー」
「……」
ライトウが口元に手を当ててそう言うが、一向にぺしぺしというコズエの手は止まらない。
「いいです。このままでいきましょう、ライトウさん」
「おう。男の秘密だな」
「……一応確認しますが、えっちなことではないですよね?」
「違う違う。普通に会話している所を見聞きするだけだ。ほら、ちょくちょく聞こえてきているだろ?」
「まあそのようですが……ということで、えっちな目的じゃないのだから叩くのは止めてくれないかい、コズエ?」
「……」
叩き続ける彼女。
だけどもうそれを微笑ましく思い小さく笑いを零した後、カズマとライトウは、そーっと部屋の中を覗き込む。
「――ということですか」
(……母さん)
穏やかな声で相対する母親の姿と声は、今のライトウには心に響くものがあった。
ヨモツの襲撃前なのだから健在なのは確かなのだが、しかし記憶の中でもこれだけ鮮明に――まるで目の前にいるかのような――思い出し方では、想いも異なってくる。
だが今はそんなことに一喜一憂している場合ではないし、出来るものではない。
ライトウ意志とは関係なしに、視線はもう一人――来客に向けられる。
途端に目を奪われた。
「……綺麗……」
長い艶やかな黒髪に、くっきりとした目鼻立ちの、見た目は二〇代前半かと思われる。
その女性は先に口にした『綺麗』という言葉が、あまりにもよく似合っていた。
はあ、と溜め息が幼きライトウの口から出ていた。
これは何か落胆したために出たモノではなく、あまりにも感嘆したからによるものであった。
成長した今でも同じ反応をしてしまうだろう――とライトウは素直な感想を持って、ライトウの母親と対峙している女性をじっと見つめている自分の視線の分析した。
やがて、ずっと見ていることに気恥ずかしさを感じたのであろう、視線が逸れてカズマの方に向く。すると彼も見惚れている様子で口をぽかんと開けていることに気が付き、その背中にいるコズエすら当てられたかのように大人しく中を見つめていた。
と、そこでこちらの視線に気が付いたようでピクリと肩を跳ね上がらせると、カズマはバツが悪そうにライトウに問うてきた。
「……そういえばライトウさんは知っていたはずでは?」
「いや、顔は見たのは初めてだ。最初に見た時はフードを深く被っていたから……」
「だったら僕を連れ戻してきた大人とかどうか分からなかったじゃないですか」
「あー、うん。そういえばそうだね。すまない」
「別にいいですけど……それよりあの人ですが」
カズマは先のような見惚れた様子はすっかりと抜け、薄い表情のまま目線だけで中の女性を示す。
「何かおかしなところはないですか?」
「おかしなところ……? うーん……」
子供の頃のライトウは腕を組んで唸る。
しかし現代のライトウは、そのカズマの声で気が付いていた。
思わず見惚れてしまうほどの美貌を持っていた彼女。
しかしそんな魅力的な素材が揃っている中で、どこか彼女の表情には違和を感じた。
(表情が……固い……?)
先程から母親と会話しており、時折笑い声も交じっている。
楽しげな声は母親以外にも発せられている。
それなのに。
彼女は、一度も笑顔を見せてはいない。
(何か笑えない事情が……もしかして彼と同じで――)
「――何しているのー?」
唐突だった。
突如、後ろから能天気な声が聞こえて来た。
聞き覚えのない声だった。
幼きライトウの視線が再び動く。
(……っ!?)
ライトウの心の声も絶句していた。
目の前にいたのは、当時のライトウとより少し低いくらい――四、五歳くらいの、くりっとした眼が特徴の黒髪の少年だった。
「誰だ?」
当時のライトウは見覚えのない少年だったのであろう、警戒も少々含んだ声音でそう問い掛ける。
だが――今のライトウには見覚えがあった。
だから、彼の名を知っている。
よく知っている。
そして、その少年は今の彼からは想像のできない、にこやかな笑顔を見せつけてきた。
「俺の名前は――クロード・ディエル。よろしくね」