乱戦 06
◆ミューズ
「何でここにキングスレイがいるっすか!?」
ライトウの声を拾い映像を確認したミューズは、メカニックルームの中心で叫んだ。
総帥キングスレイ。
実質的なルード国の最高責任者であり、ルード国の象徴たる存在。
総帥の地位についてから政務的な役割をも行っていたので、戦場に出てくることはほとんどなかった人物が、アドアニアに確かに存在した。
影武者ではなさそうだ。
画面越しからも伝わってくる威圧感が、ミューズにそう確信させた。
「でも……これは悪意ある編集をしなくてもそのままで行けるっすね! 今回のルード軍介入について、いち軍人の暴走ではなくてルード国の意志ということがハッキリと分かる人物っすし、緑色のジャスティスの秘められた能力ってのも四つ足が起因していることも見えたっす。仮に負けたとしてもこの映像を流すことで相手にダメージを与られるっすよ」
そう舌なめずりをしてキーボードを叩こうとした所で――
(……あれ? 今、あたし何て言った?)
ミューズの手が止まる。
彼女は自分の言動に違和を覚えていた。
無意識に口にした言葉。
(『負けたとして』……? あたしはライトウ達が負けると思っている……?)
いやいやいや、とすぐに首を横に振る。
「……万が一、そう万が一っすよ。あくまで万に一回の話であって、信頼していない訳じゃないっすよ」
自分にしか聞こえない小さな声でぶつぶつと呟き、彼女はパソコンに向かう。
そんなことを考えていて手を止める必要はない。
「よし、行くっすよ」
短く息を吐き出して気持ちを切り替えて、彼女はキングスレイがアドアニアにいるという決定的動画を世界に配信するためにエンターキーを叩いた。
――その瞬間だった。
モニターに映っていた画面の様子が、音もなく一変した。
ウサギ。
デフォルトされた青色のウサギが舌を出している画像が、画面全てに映し出されていた。
当然、こちらで用意したものではない。
「何すかこれ!」
唐突な出来事に悲鳴を上げているオペレータ達と同じようにミューズもそう悲鳴を上げる。だがすぐに目の前のパソコンの画面に視線を移し、猛烈な勢いでキーボードを叩く。それに合わせて文字列が目まぐるしく画面内で忙しく動き回っている。
だが彼女が解析を終了させる前に――
『んふふー。あたしが外部から操作しているんだよん』
答えが、スピーカーを通してメカニックルームに響いた。
女性の声。
加工も何もされていない。
完全に馬鹿にしている――とミューズは舌打ちをしたい気分になる。
しかしそうする前に、更にこちらの感情を逆撫でするような言葉を相手は放ってくる。
『全くあたしが仕掛けた罠にこうも引っ掛かるとか気が付かないとか、悔しくて声が出ないのー? ねえねえー?』
「っ! あんたは何者っすか!?」
ミューズが思わず声を放つ。
その間も打鍵は続けたままだ。
だが、彼女は打ちながら実感していた。
実感させられていた。
(相手の乗っ取り方もどうやってアクセスしているかも全く分からない……っ!?)
画像を解除しようとしてみるが、幾重もの仕掛けがミューズの使用しているパソコンに逆に襲いかかってきている。それを防御しつつ攻撃に転じようとしているが、まるでリアルタイムで更新されているがのごとく相手も情報的攻撃も防御も変化してきており、ずっと先に進めなかった。
相手は相当高度な技術を使用している。
この短い攻防だけでも存分に分かった。
分からされた。
『そっちの動きも見えているよん。白衣の金髪幼女ちゃん』
「幼女じゃないっす!」
『あー、あたしも昔はそういう反応したわねー。今では若く見られたいからそのままにしてるけどねー』
さてさてー、と間延びした声で相手は答える。
『あたしの名前はセイレン。開発もしているルード国科学局局長なのよー』
セイレン。
彼女の名前はミューズも知っていた。
ルード国で数々の発明をしてきた天才であり、噂では総帥のキングスレイですら頭が上がらないらしい。
更に彼女は――ジャスティスの開発者でもある。
つまりジャスティスの生みの親。
ある意味、この『正義の破壊者』が最も恨むべき人物である。
そんな彼女が声だけとはいえ、直接こちらに対峙してきている。
ネット上とはいえ繋がっている。
ここで彼女を逆探知できれば――
『――さてさてー』
ミューズが打鍵速度を上げようとした同時にスピーカーから手を叩く音と一緒に、相変わらずの間延びした聞こえて来た。
しかし、そんなことに耳を傾けている暇はない。
付き合う必要はない。
今は目の前の逆探査に集中を――
『はい。もう頭のよい子は察していると思うけどー、このビル爆破するからー』
「……へ?」
唐突に告げられた彼女の言葉に、メカニックルームに人々は呆けた声を放つ。
ミューズも手を止めて思わずモニターの方に視線を寄越す。
変わらず舌を出したウサギの画像。
だがその画像が非常に小憎たらしく見えてきた。
こちらを嘲笑っているかのように見えたからだ。
『はいはーい。今から一五分後にこのビル爆破しまーす。ついでにこっちの映像と音声も取って行くからねー。それが終わったらあたしゃアクセス消しちゃうからねー。そん時はあんた達の画像も含めてこっちのもんだからねー。夜道に気を付けなよー』
なーんてね、と彼女はひどくふざけた様子を声に乗せてくる。
『あーあー、忘れてたねー。っていうか爆破したらそのまんま命もおじゃんかー。情報はのこせるかもだけどねー、あははははー。――さあて、後は自動で進めるからー。一応フェアにそっちのネットワーク上で両方とも防げるようにはしてあるからー。そうじゃなくちゃ面白くないからねー、んじゃ、あたしゃせんべいでも食べて過ごすからねー。はいスタートー』
緩い言葉。
もはやカウントが始まったことに気が付かないくらいだった。
スピーカーからはガサゴソという音の後、ボリボリとした、正にせんべいを食べていると思われる音が響いてくる。
「は、ははは……」
と、そこでメカニックルームにいた内の一人が渇いた笑いを見せる。心配そうに傍にいた者が声を掛ける。
「お、おい、どうしたよ?」
「いや、相手も馬鹿だなあ、って思って」
手を広げ、だってさ、と紡ぐ。
「私達にはミューズさんがいるのですよ。だったら爆弾の解除とか相手のハッキングとかすぐに対応しますよ」
「おお、そうだったな。ミューズさんの力なめているよな」
横の人も同意し、メカニックルーム内に安堵の空気が流れ始めた時だった。
「――悪いっすけど、かなり難しいっす」
厳しく強張った声が響く。
ミューズは額に脂汗を掻きながら皆に伝えるように少々大きめの声を放つ。
「はっきりと言うと、片方だけでも一五分で出来るかどうか不明っす」
「え……?」
研究員たちは絶句する。
更に手を動かしながらも、ミューズは絶望的な状況を付け足す。
「さっき軽くサーチしたけど、データ偽装があったっす。この偽装された内容は恐らく相手が言うように爆弾っす。ただ――あまりにも数が多いっす」
「数が多い、ですか……?」
「反応見るに――軽く千か所は超えているっす」
「せ、せんっ!?」
「勿論、中にはダミーもあるはずっす。だけど今それを特定して行くにも一つ一つ見ていくわけにもいかないっす。だから――」
ミューズは歯を鳴らしながら告げる。
残酷な真実を。
「あたしが爆弾を解除する自信なんか、これっぽっちもないっす」
ミューズ。
彼女が情報分野に長けていることは誰でも――むしろここにいるメカニックメンバーは誰一人例外はことなく、彼女の情報処理能力の凄さを認めている。
そんな彼女が実質ギブアップ宣言をしたようなものだ。
つまり――このビルは倒壊する。
「うわああああああああああああああああ!!!」
誰が最初にそうしたのだろう。
今は分からない。
だがメカニックルームにいた者は一斉に扉を目指して走り出し、そのまま外へと駆けて行った。
逃げたのだ。
結局。
数秒後に既にその場にいたのはミューズだけだった。
軽く首を振ってそのことを確認すると、
(……これでいい)
彼女はニッと口元を歪めた。
確かに爆弾を解除する手段なんか思いついていないし、このビルにある真偽織り交ざった千の爆弾の中から本物の情報がどれかを精査する方法も、直接確認する方法も取れない。それは他のオペレータがいた所で同じことだ。
ならば他のみんなを逃げさせるのは至極当然だ。
(あたしだって『正義の破壊者』の幹部なんすから)
責任は取る。
しかし自分には他の人の命を背負えるほどの器量はない。
だから逃がした。
『ほっほう。一人で残って偉いねー。ちっちゃいのに偉いねー』
「これからぐんぐん伸びるっす! 胸もバインバインになるっす!」
『望み薄だと思うけどねー』
相手の軽口をある意味必死に返しながらも、指と目はビルの倒壊と相手のハッキングを解除する為に動きを続けており、それでいながら別のことも思考していた。
先の言葉。
ただ単なる軽口かと思われるが、彼女が一人でいるということを口にしたことから、確実にこちらの様子は見られている。
加えてこのハッキングと爆弾の量。
一五分でハッキングか爆弾か片方と言ったが、全くその通りである。
まるでミューズの技能を知っているがの如くの量とタイムリミット。
偶然なのか、それとも――
「いずれにしろやるしかないっすね……っ!」
ミューズは短く息を吐き、全力で目の前のハッキングと爆弾解除に取り掛かる。
両方合わせて一五分。
正直、爆弾解除を先にしてハッキング対応は後回しにすべきであると考えるのが通常である。
しかし、それこそが相手の目的とも言えるだろう。
誰だって選択することに罠を張ってあるのは明白だろう。
(だったらあたしは――両方ともやってやるっす!)
爆弾を解除しつつ相手のハッキングを妨害する。
ミューズは自分の限界を超えるべく、思考と手の動きを更に加速させた。