故郷 05
◆
町から離れた山の中。
整備されていない山道を登り詰めた所に開けた土地がある。
その周辺は何かに蹂躙されたかのように木々が乱雑に倒れており、一目見ても踏み荒らされているという様子が目に見えた。
その開けた土地から少しだけ離れた場所。
そこにあったのは古びた一脚の木製の椅子だった。
過去、気分を落ち着かせるために使用したモノ。
眠ると母の夢を見ることが出来たモノ。
その椅子の背を撫でながら、黒衣のマントを羽織った懐かしさを含んだ声を落とす。
「……まだあったのか。流石に雨風に晒されてボロボロだな」
クロードだった。
彼は単身、自分の生家の跡地へと密かに足を運んでいた。
思い出深い場所だ。
クロード・ディエルはここで生まれ、母と暮らした。
楽しかった思い出もあった。
辛かった思い出もあった。
色んな意味が詰まった家があった。
だがクロードが燃やした。
何もかも無くした。
他の人に蹂躙されたくなかったから。
「そういや、こいつだけ忘れていたな。まあ、俺が作ったから別、ということに妥協するか」
クロードはそう口にしながら、内心で苦虫を噛み潰した様に胃が締め付けられる感覚を覚える。
――妥協。
母親を殺されてから、クロードが暮らしていくにはルードの息の掛かった政府からの援助が必要だった。
屈辱だった。
でも受け入れなかったら生きていけなかった。
そしていつの間にか母親を殺された恨みも薄れていった。
マリーの横で笑っていた自分がいた。
それらは全て、妥協の結果だ。
力が無かった結果だ。
だが、今は力がある。
異様とも言える力がある。
【五メートル以内のモノを変化させる】。
しかも自分の一部が少しでもあれば、その距離は無限大に伸びる。
自分の一部が、例え髪の毛や細胞単位であっても。
無敵とも言える力。
これがあれば母を殺したジャスティスを全滅することが出来る。
――そう思った。
だから実行に移した。
途中で同じ志を持つ同志に出会った。
ライトウ。
アレイン。
カズマ。
ミューズ。
コズエ。
最初は五人だった。
でもいつしか増えて、今では何人いるか分からない。
だから組織立てた。
犯罪を起こさないように『赤い液体』を用いて支配した。
――でも。
「それは俺がやりたかったことなのか……?」
クロードは呟く。
ただの個人的な復讐だったのに。
二大国の一つ、ウルジス国を下に付けたりもした。
どんどん規模が大きくなってきている。
自分じゃ制御できない程に。
ジャスティスを破壊する。
その目的故に自分に付き従っている人間は、どれくらいいるのだろうか。
そして、その人間以外は、何を思って自分を――自分が立てた組織『正義の破壊者』に所属しているのだろう。
そう考えると恐ろしくなる。
「俺は……何をしなくてはいけないんだ……?」
人々の期待は更に広がっている。
ただ単にジャスティスを破壊したい――という子供らしい我儘な感情は少なくなってきているように感じていた。
それは復讐心が薄れたわけではない。
他のことまで思考をしなくてはいけなくなっただけだ。
そのきっかけは一人の犠牲者。
アレイン。
自分に付き従い、戦いで命を落とした少女。
彼女が命を落としたのは、ジャスティスによってではない。
人間の手によって命を落とした。
――それでも。
クロードは同じように復讐心を抱いた。
コズエ。
アレイン。
仲間となった少女二人。
この少女達も含め、仲間にした五人は利用しようとしていた。
ただの道具にするために仲間にした。
便利だから利用した。
更に早くジャスティスを破壊できるから、って仕方なく仲間にした。
――そう『魔王らしく』思い込もうとしていた。
しかし駄目だった。
どんなに思おうが、知り合ってしまったら道具として見えなかった。
利用しようと思っても、非情になれなかった。
彼女達の死に――悲しんでしまった。
必死に隠そうと心掛けたから表には出ていない。
でも心の中では二人の死を悼んでいた。
悲しんでいた。
殺した相手を恨んでいた。
――そう思ってしまう自分に驚いた。
自分はジャスティスを破壊したかっただけだ。
それ以上の目的はない。
それ以上の望みはない。
――そうだったはずなのに。
「俺に……何が出来るんだろうか……?」
改めて思った。
自分の目的はただの我儘だ。
目先しか考えていない。
ジャスティスが無くなればどうなるかなんて、考えていなかった。
考えもしなかった。
ここで誓ったこと。
魔王になった時に決めた誓い。
だからこそ、今一度ここで思考してしまうのだ。
長い間、思考をしてしまうのだ。
ここでジャスティスに殺されていたら、こんなことも考えていなかった。
しかし殺されず、ここにいる。
生きている。
でも。
生きるにしても――他の人を巻き込み過ぎた。
自分の思考は、自分一人のものではない。
自分の言葉は、自分一人のものではない。
自分の判断は、自分一人のものではない。
自分の命は――自分一人のものではない。
「だったら俺は――これだけでいいのか?」
そう口にしながら、クロードは目の前の椅子に座った。
――全くの無自覚だった。
今にも壊れそうでボロボロの椅子。
思考が他に飛んでいたからこそ、座ってしまった。
しかしその椅子は――《《クロードの体重を支え切った》》。
魔王となったクロードの重みを支え切った。
「……ああ、そうか」
その時、クロードの脳内に電流が走った。
何気ないこの事象。
それが思わぬ形で彼に答えを示した。
「……そうだよな。俺が考えていることは昔から変わらない」
自分で忘れ去っていたと思っても――
忘れ去ることが出来たと思っても――
考えていないと思っても――
それでも、隅っこで確かに残っているものがある。
「俺は――」
ジャスティスを破壊した先。
その目的は復讐だ。
だが何故復讐に走ったのか。
日常を壊されたから。
過去に母親を殺されたから。
それらは全て――一つの答えに辿り着いた。
「俺は――平和が好きだったんだ」
平和が好きだった。
今まで平和を捨て去ってジャスティスを破壊し尽すべく行動していたクロードが何を言っているんだ――とは自分自身でも思っていた。
だが彼の根幹は――復讐の根幹は――平和を破壊されたことだ。
自分自身が何もしなければもっと破壊される。
ただ、唐突に力を持ったから、それを破壊されることを防いだ。
その最も近い矛先が『ジャスティス』だった。
だからジャスティスを破壊することを決めた。
それがクロードの正義だった。
「単純だよな、俺……」
クロードは自虐的に笑おうとする。
でも笑えない。
それは否定の意を、無意識に身体が行っているだけなのかもしれない。
だが、ここで気が付いたことは無駄ではない。
今、座っている椅子のように――支えているものがあった。
間違っていたことは間違っていたと認めよう。
いっそ今ここで――
ここで生まれた正義は破壊しよう。
目先の正義は破壊しよう。
ジャスティスを破壊するだけではない。
クロードは決意した。
色々な言い訳をして、考えようとしなかったことを。
――実は頭の片隅で思っていたことを。
そんな新たな自分の『正義』を実行することを。
そして――
と、その時だった。
「……音?」
静かなこの場所に向かって、何やら鉄が擦れるような音が聞こえてくる。
聞き覚えのある音だった。
トラウマにもなりかねない音。
ただあの時とは違うことが幾つかある。
木々を薙ぎ倒す音が無いということ。
クロードが自分に異能の力があることを知っているということ。
加えて――
『ここにいたのですか、クロードさん』
現れた黒色のボディの二足歩行型ロボット。
正義の名を冠するロボット――ジャスティス。
それに搭乗しているパイロットが自分の味方であった、ということだ。
「カズマか。よくここが分かったな」
『色々探しましたよ、結構苦労しました』
ジャスティスから音声が流れるのと同時に、クロードも椅子から立ちあがって開けた土地にいる黒色のボディに近づいていく。
カズマのジャスティスは、背部に可翔翼ユニットを装着した状態であった。これはヨモツとの戦闘の際に手に入れたモノであり、また燃料が特殊ではなくガソリンだということも分かったのだが、どうしても燃費が悪いのが難点であった。故にカズマも空を飛ばずに陸路でここに来たのであろう。
わざわざ訊ねることではないだろう、と思っていると、カズマの方から話を投げてきた。
『ここってクロードさんの家があった場所ですよね』
「ああ。魔女の家、って呼ばれていたな」
『……ひどいですね。こんなに離れた場所に住まされていたなんて』
「いや、ここは俺が生まれた時からこの場所だ。まだ迫害されていない時からな。だから母親がゆったり暮らしたかったんだと思うぞ。それに、優しくしてくれた人もいたからな。あまりひどいとは感じていなかったな」
マリーだったり、その母親であったり。
クロードの母にも、クロードにも気を配ってくれる人がいた。
その為にクロード達は精神的に大丈夫だったのだろう。
――今になってそう思う。
だが、今では合わせる顔もない。
そして顔を合わせては絶対にいけない。
マリーが今どうなっているか。
まだ病院に入院しているのか。
それとも退院して元気に暮らしているのか。
はたまた別の国へと移って行ったのか。
行きたい気持ちがないわけではない。
調べたい気持ちが無いわけではない。
彼女に特化して調べれば、必ず彼女に狙いが行ってしまうだろう。
――ウルジス国の赤髪の使者の時のように。
だからここでは敢えて無視しなくてはいけないのだ。
思考が彼女の方に向きそうになったので、頭を切り替えるべくカズマに話を振る。
「それよりどうした? こんなとこまで来たってことは俺に用事があったのだろう?」
『あ、はい。街中への軍備や準備が終わりました、ということをお伝えしたくて』
「そうか。明後日の会談なのに準備が早いな」
『はい。ありがとうございます』
「だが――それだけではないだろう?」
『……っ!?』
カズマが息を呑む声が聞こえた。
そんな報告をするだけではここには来ないだろう。
「言ってくれ。わだかまりがあればそれだけで戦闘に影響が出るからな。何でも話してくれ」
『……何でも、ですか?』
「ああ。正直に言ってくれれば怒らないぞ」
『クロードさんが怒ったことは無いじゃないですか。……分かりました』
カズマが深呼吸する音が聞こえる。
数秒後、
『実はクロードさんが故郷を懐かしむためにここに来た、と思っていました』
「ああ、その通りだ。正確に言えば、懐かしむ、というのとは少し違うが、ここに来たのは、ちょっと気持ちの整理がしたくて来た所はあるな」
『そうなんですね。……あの、後ですね、ちょっとせっかくだから聞いていいですか?』
「何でもいいと言っただろう? 何だ?」
『その、ですね……』
カズマは奥歯に物が挟まったような言い方ではあったが、やがて意を決したかのようにこう言った。
『……死んだ人を蘇らせようと思ったりしなかったんですか?』