故郷 03
◆
アドアニア。
小国ながら、緑が豊かで食糧自給率も高く、また地下資源も豊富であるという、他国から羨ましがられるような国であるが、武力を持たず、政治的交渉によって上手く他国と付き合っていた。さらにその欠けている武力面も、二大国の一つであるウルジスと結ばれた平和協定から他国からの侵略にはウルジスが武力介入してくることになっており、実質、アドアニアは平和の国であるという認識を人々から持たれていた。
だがある時、ルード国のジャスティスによって蹂躙され、平和の国は戦場と化した。
ウルジスはその際に平和協定を破棄。
あっさりと降伏し、以降はルード国の支配下に置かれていた。
――つい近年までは。
魔王 クロード。
アドアニアは彼が生まれた国であった。
クロードとしても――魔王としても。
魔王と化したクロードによって、アドアニアにはジャスティスが存在していなかった。全て破壊されたからだ。
その恐怖の地となった国にルード国民は恐怖し、軍人ですら赴任したくないと拒否する土地となった。
その為、公表はしていないがルード国はアドアニアの占有を止めていた。
残されたアドアニアという国は、宣言はしていないものの、誰の支配も受けていない状態である――実質的な中立国となっていた。
ではそこにウルジスが入り込めばよかったのだが、ウルジスは過去に平和協定を破棄したという負の歴史がある。故に中立国とはいえウルジスが手を出せなかった国であったのだ。ルードもその背景がある故に放置していたのだろう。
しかし、戦局が進み、残り一国となった今では、どちらも無視できないはずだ。
加えて、クロードの出身国。
何も起こらないはずがない。
どの国も注視している中、ウルジスは動きを見せた。
先の平和協定の破棄を謝罪し、再び協定を結ぶための交渉の場を取り付けたのだ。
未発表にも関わらず、この話は世界中の耳に入っていた。
勿論、ルード国の耳にも。
◆
「罠があると考えた方がいい」
いつものようにクロードの部屋に集まった面々に対し、クロードはそう告げた。
「ウルジス王も気が付いていたが、アドアニアの選択はおかしい」
「ちょちょちょ、ちょっと待ってっす!?」
ミューズが狼狽えた様子で手を上げる。
「それはあたしの交渉なんかに乗るはずがないってことっすか!?」
「いや、そうじゃない。それはよくやってくれた」
「じゃあ何が問題なんすか?」
「会談が開かれる場所だ」
「場所っすか?」
「確かにそうですよね」
カズマが首肯する。
「ねえミューズ、現地で会談するっていうのは誰が提案したの?」
「ん? アドアニア側っすよ。この質問、クロードにも受けたっすよ?」
「流石クロードさんですね」
「……」
カズマのクロードに対する尊敬の意が最近とみに強くなってきていたことを、クロードは感じていた。自分の行動が全て正しいと思い込まれているというプレッシャーに否定を返したくなるが、そのことによって彼の心のバランスが保てなくなる可能性があると思うと無下にすることも出来ず、密かに頭を悩ませていた。
(……俺はそんなに賢くない。考えて、やりたいことをやっているだけなのに……)
最近は『理想のクロードが導き出すであろう結論』を先に口にだし、クロードが同意するという場面も増えていた。そんな風に、ある意味、クロードに思考が似通って来ていることに、クロードは嘆息していた。
(いつか俺に成り代わるかもしれないな……なんて)
心の中でも笑うことが出来ない彼は小さく首だけを振って、真顔のまま先を促す。
「カズマ、続けろ」
「はい。――で、ミューズ。ウルジスがアドアニアと会談する際に、僕達も同行するでしょ?」
「まあ、そりゃそうっすよ。最後の中立国だし、失敗できないから。だからわざわざクロードも行くじゃないっすか」
「そう。最後の中立国であって、ウルジスも切れるカードは出来るだけ持っていきたいからクロードさんも同行する。――そんな会談、平和的に終わると思う?」
「何言っているっすか。思わないからこそ、あたしらは念のための戦闘準備をしているじゃないっすか。クロード、ライトウ、カズマ――その他の勢力も含めた武力をアドアニアに集めているじゃないっすか」
「そう、その通り。だけどそれって、他の国も絶対そう考えていると思わない?」
「そりゃまあ、思うっすよ」
「だったら疑問が湧くよね?」
カズマは人差し指を立てる。
「何でアドアニアは――わざわざ自国を戦場と化そうとしているのか、って」
「あっ……」
ミューズがハッと目を開く。
「そういえばそうっすね。てっきりウルジスに謝罪に来させるため、って思っていたっす」
「まあ、交渉していた立場からはそう考えるだろうね」
「……となると、どういうことになるんだ?」
ライトウが問う。
彼はすっかりと元通りになっていた。
――表面上は。
しかし一度戦闘が発生すると、まるで鬼神の如くジャスティスを容赦なく切り捨てて行った。その行動から彼は他の所属員からクロードと同じような畏怖の対象となっていた。またライトウ側も話し掛けるのもためらってしまう程のオーラをどことなく放っていた。
だが、そんなことはお構いなしといった様子で、
「二つのことが言えます」
平然とした顔で、カズマは右手の人差し指と中指を立てる。
「一つは『自国が戦場にならないことを知っているから』。もう一つが――『自国が戦場になってもいいから』ですね」
「……前者が分からない」
「前者は単純ですよ。ルード国が何も仕掛けないことを知っている、ってことです」
「何も仕掛けない?」
「つまりはこういうことです。――既に裏でルード国と手を組んでいるので、ウルジス国とは手を組まない――っていうことです」
「ルードと既に手を組んでいる?」
「ええ。じゃあこの勢いのまま言いますか」
カズマは目を見開くライトウに続けて説明する。
「後者の『自国が戦場になってもいいから』っていう場合で考えられるのは、最初のクロードさんが語った通り、アドアニアがこちらを罠に掛けることですね。つまり――アドアニアを放棄したという未だにルードの支配下にあるということです」
「ルードの……?」
「ちょっと待ってくれっす!」
ミューズがハッとした様子で声を張り上げる。
「それって……どっちにしろアドアニアは既にルードと手を組んでいる、ってことっすか!?」
「その通りです」
カズマが首を縦に動かし「ですよね?」とクロードに問うてくる。
クロードも首肯する。
「ああ。ほぼ間違いないだろう。このことはウルジス王も分かっている」
「あっ! そういうことっすか!」
唐突にミューズが自分の手を打つ。
「あの時ウルジス王が『覚悟を決める』とか『先代の失態だから仕方ない』とか言っていたのは……」
「そうだ」
クロードが口では肯定しながら、首を横に振る。
「この会談は――最初から失敗する道しかない」
最初から失敗する会談。
理由はルードがいるから、敵対するウルジス――『正義の破壊者』とは組む選択肢など存在していない。
「じゃあやる意味ないじゃないっすか! その会談なんか!」
ミューズが激高する。
無理もない。
彼女はこの会談を設定するにあたって相当な苦労をしてきたのだ。
その結果が無駄と言われてしまえば怒りを覚えても仕様がないだろう。
怒りで頭の回転が鈍っているからこそ、普段は言わないような先のような言葉が出てくるのだ。
クロードは極めて冷静に回答する。
「会談に意味がないのは確かだ。だが、ウルジス側からはその会談の事前中止が出来ないんだよ」
「何故っすか!? あっちが罠を仕掛けている気がまんまんならばこっちから拒否すればいいじゃないっすか!」
「――ウルジスがアドアニアに対して過去に平和協定を破棄したことがあるからだ」
そう。
唯一の負い目にして最大の弱点。
ウルジスは一度アドアニアを見捨てているのだ。
「ウルジスの事前の交渉中止はそうでなくても破棄と捉えられ、国際的な信用を無くす。だからこの会談を受けざるを得ない」
「罠だと分かっていてもっすか?」
「罠だと分かっていたも、だ」
クロードの言葉に明らかに落胆した様子を見せるミューズ。
会談をセットしたことが、結果的に窮地に追いやられてしまったという事実があるのだが。
「……だが」
と、そこでクロードが続ける。
「当然、このままで終わるはずがないと思っているよな?」
「え……っ?」
「会談はやるが、相手の思うままにさせない。これが俺達が出来る最善策だ。既に手は打ってある。――と、そろそろだな」
クロードは時計にちらと目を見やると、
「ミューズ。インターネットでウルジスに関してのニュースを調べてくれ」
「ウルジスのニュース? 分かったっすけど……」
彼の言葉に眉を潜めつつ、いつの間にか手元に用意したノートパソコンにて言われたように調査する。
すると――
「あっ!」
「どうしたんだ?」
「ライトウもこれを見てくれっす!」
彼女はノートパソコンの画面をライトウに見せる。
そこに映し出されていたのは、とあるニュース。
『ウルジス国王 アドアニアとの同盟交渉を行うことを発表』
「やはりそうしますか」
カズマが顎に手を当てながらそう唸った。
その反応にミューズが「どういうことっすか!?」と問うと、彼は一つ首を縦に振って答える。
「この会談を正式に公にすることで、新しく二つの利点が生じます。一つは相手が会談に臨む前に破談にすることが出来なくなった、ということです」
「それはつまり、ルードが表立った事前介入が出来なくなったってことっすか?」
「その通り。そして二つ目は――仮に交渉が色んな意味で破棄された時に効果を奏する、ということです」
「交渉が破棄された時……」
ミューズは数秒ほど眉間に皺を寄せると「……あ、そういうことっすか!」と少々嬉しさを含んだ声で手を合わせる。
「宣言したことであちらも受けたことを世間に公表されたことで、破棄なんて行為が出来辛くなったっすね。その上で破棄をすることを選択すれば、上手くやらない限り批判の対象はアドアニアに向くことが見えているからっす。一方で何らかの方法で交渉出来ないようにするという選択をした場合も批判はアドアニアにいくっすね」
「そう。交渉が破棄されてもただでは転ばないのが、先の策です」
「――加えて」
クロードが腕を組みながら言葉を挟む。
「先の二つに関わるが、もう一つだけメリットがある」
「もう一つ、ですか……」
何だろう、と思案顔になるカズマにクロードは答えを続ける。
「そうだ。この時期に公表したが故に――ウルジスと繋がっている俺達も、堂々とアドアニアに入国することが出来るようになった」