苦心 05
◆
クロードの部屋に残されたのは二人。
カズマ。
ミューズ。
これだけ悪い雰囲気の中、残されてしまった二人。
数秒の静寂が駆け巡る。
やがて、
「……ねえカズマ」
ちらと扉の方に視線を向けてから、ミューズが頬杖を付いて問い掛ける。
その表情は、少し苦笑気味であった。
「あんた、実はもう正気になっているっすよね?」
「……言い方がひどいね、ミューズは」
はあ、と大きく息を吐くカズマ。
彼も困ったように眉を下げた。
「人の振り見て我が振り直せ――どこの国の言葉か知らないけど、正にその通りだねって思ったよ」
「やっぱり、今回のライトウのを見て、自分の現状を嫌でも認識した――ってところっすね」
「ああ。自分で自分を客観的に見られないよね」
大きく息を吐いて、カズマは椅子に寄り掛かる。
「最初は本当に狂っていたよ。もうコズエがいないこの世の中なんてどうでもいい、ってね。だから非情にもなったし、判断に人情も無くした。まあ、でも変わっていないけれどね、根本的には」
「そんなことないっすよ。前の時と違ったっすよ。あたしには分かるっすよ」
にひひ、とミューズは歯を見せる。
「さっきのライトウの対応だってそうじゃないっすか」
ライトウへの対応。
冷たく突き放したかのように見えた。
「どうでもよかったら適当な人に任せて一緒にいる必要なんかないじゃないっすか。でも一緒にいたってことは心配だったんすよね、ライトウのこと?」
「……僕と同じだったからね、このままじゃ。だからこそ自分で気が付けたんだけどね」
カズマは天井に視線を移す。
「ライトウの心は、今、アレインのことでいっぱいだ。コズエでいっぱいだった僕と同じで、その内自暴自棄になって一人でルード国に殴り込みに行くかもしれない。僕は力が無かったから行かなかったけれど、ライトウにはその力がある」
「確かにそうっすね……ライトウは危険っすね」
「それに僕の時は密かに止めてくれていた人がいたからね」
カズマは天井からミューズへと視線を移す。
「何だかんだいって僕のジャスティスのメンテナンス時間を多めに設定していたんだよね、誰かさんの目が届く間には」
「……何のことっすかね?」
「ありがとう」
カズマが柔らかく微笑む。
するとミューズの頬に赤みが増す。
「だ、だから何のことっすか!? あたしは何も知らないっすよ!?」
「うん。気のせいならいいんだ」
「そう、気のせいっすよ! 勘違いっすよ!」
ミューズは唇を尖らせながら、自ら付けているウサギの髪飾りをしきりに触る。
カズマの言う通り、ミューズはことあるごとにジャスティスのメンテナンスや構造解析と称して自由に動かせないようにしていたのだ。
全ては彼が勝手に乗って行って暴走しないように。
カズマの為だった。
「……」
再び静寂が場に戻ってくる。
相も変わらず気まずい沈黙だが、今度の沈黙は先程のモノとは全然違った。
だからだろう。
雰囲気が許してしまった。
ずっと聞きたかったことを、思わずミューズは聞いてしまった。
「……カズマ。ひどいこと聞いてもいいっすか?」
「ああ、いいよ」
「コズエの遺体って、結局どうしたっすか?」
コズエ。
カズマのたった一人の妹。
ルードに殺害された妹。
――結果的にカズマが殺してしまった妹。
そのことをフラッシュバックさせたくない。
そう思ってミューズはずっと頑なに訊ねることをしなかったのだ。
しかし、ここで訊くべきではなかっただろう。
すぐに後悔した。
ひどいことと前置きをしたとしても、このタイミングで言うべき内容ではない。
だが、彼はミューズを責めることも回答を躊躇することもせず――意外な答えを口にした。
「分からない」
「分からない? どういうことっすか?」
「あの後、コズエの遺体をこれ以上見ていたくなかったから、適当な所属員の人に埋葬を依頼したんだ。顔も覚えていないよ。だからジャアハン国に埋められているんじゃないのかな?」
「きちんと埋葬したいと思わなかったんすか?」
「思わなかったよ。当時は、もう既に死んでいるコズエの扱いをどうしようが結局死んだ事実には変わらない、って思ってね」
「それは……」
「うん、分かっている。それは正しいし、そして間違っているってことも。コズエの遺体をきちんと埋葬するのが兄としての役目だとも思うし、一方でそんなことをすれば、さっきクロードが言った通りに人が死ぬ度に同じことを繰り返さなくちゃいけない――そんなの、出来る訳がないじゃないか」
カズマは首を横に振る。
「僕達は『正義の破壊者』の幹部なんだ。年齢が若いだろうがなんだろうが関係ない。上の人がそんな特別対応を取ったらどう思う? ただでさえこのコテージの暮らしでさえよく思われていないと思うよ。でも、こっちはある意味上昇志向に繋がるための餌としての側面もあるから許容されているんだと思う。だけど――幹部になったら知り合いが死んだら弔ってあげる、なんて特典になびく人間なんか皆無だ」
「だから弔わない、っすね」
「弔えない、が正しいかな」
だからこそ、とカズマは続ける。
「アレインの時も回収に向かえなかった。一般所属員が同じ目に遭っても助けに行くような義理人情深い人間だったら別に良かったけど、僕もライトウも、実際、ヨモツ戦時に人が亡くなっていたのに気にしなかったからね。ライトウは僕がそう仕向けたんだけど」
「それは……」
仕方ない、とミューズは言えなかった。
確かに大切な人ではないので思い入れは少ないが、それでも人だ。生きている人間だ。
道具としてなんか扱えない。
「ミューズは優しいね」
回答に困窮していると、カズマはそう言った。
「ミューズはそれでいいんだ。人を犠牲にする作戦なんて立てられないし、そんな判断も下さなくていい。そういうのは僕やクロードさんの仕事だ」
「カズマ……」
「ミューズ、僕はね――」
カズマは笑顔で言い放つ。
「周囲の人間さえ幸せならばどうでもいいんだ。自分達がハッピーエンドになる為ならば、他の人間のバッドエンドでも構わないんだよ」
「……それがカズマの本心っすか?」
「そうだよ。だから――僕は君を全力で守るよ、ミューズ」
「なっ!」
ミューズの心臓が高鳴る。
カズマは真っ直ぐにこちらを見て先のセリフを言った。
先程の言葉は本気だ。
「あ、あの……えっと……」
「勿論、ライトウもクロードさんもね。あ、クロードさんは必要ないか」
「……そうっすよね」
「うんうん。僕ごときがおこがましいよね、クロードさんの心配なんて……って、あれ? どうしたのミューズ?」
「別に何でもないっすよー……ふふふ」
「何笑っているのさ?」
「別に何でもないっすよー」
カズマはいつもそうだ。
そこが変わっていない。
戻った。
それだけでミューズは嬉しかった。
それでも、変わらなくてはいけなかった部分はある。
自分達は既に自分だけのことを考えていいわけではない。
自分達は組織の長に近しい存在なのだ。
振る舞いは考えなくてはいけない。
「あ、あはは……」
そう思考した時、ミューズは自分の中でチクリとした痛みを感じた。
「ん? どうした?」
「いや、ちょっと思い出したことがあって……ああ、恥ずかしくなってきたっす……」
「何を?」
「普通に聞くんすね……まあいいっすけど」
ミューズは、ふっ、と小さく笑って続ける。
「アレインの時、あたし、クロードにやらかしたっす」
「クロードさんにやらかした? 何を?」
カズマのその問いに、椅子に大きく背を預けながらミューズは額を抑える。
「アレインが殺されたって聞かされた時、あたしは大いに取り乱しちゃったっす。で、その矛先が近くにいたクロードに向かったっす」
「殺されたのはクロードさんのせい、とか言ったの?」
「近いっす。『何でアレインをこっちの――ウルジス国への交渉の方にしなかったんすか!』って責めたっす」
「あー……」
「そんなの結果論だって分かっているっすけどね。でも、ヨモツ戦相手にアレインは何の役にも立っていなかった」
「それは違う。ライトウと地上で相手攻撃を攪乱させていたよ。だから何の役にも立っていないっていうのは間違いだ」
「でも、それが戦局を左右したっすか?」
「それは……」
言葉に詰まるカズマ。
その様子を見て、ミューズは苦笑する。
「……同じような責め方でクロードを困らせたっす」
「それで? クロードさんはどうしたの?」
「全部受けてくれたっすよ、あたしの言葉を。ずーっと、長時間に渡って。……そしてあたしが出し尽くした後、一言、呟くようにこう言ったっす」
大きく息を吸い、
「――『考えが甘い』、って」
ミューズは目を伏せる。
まるで恥じ入る様に。
「それであたしは気が付いたっす。自分の考え方の甘さが。過去の反省をせずに責めることだけをしていたことに。あの一言は的確な言葉だったっす」
「流石クロードさんだね……僕だったらきっと黙ったままか、自分の所為だと受け流すか、どちらかの対応をしていたよ」
「実際にライトウにはその対応をしていたんすよね?」
「そうだよ。あーあ、やっぱり僕はまだまだだな」
カズマは心底悔しそうにそう呟く。
その様子にミューズは眉を潜める。
「カズマ、あんたまさかクロードを出し抜こうとしているっすか?」
「そうじゃないよ。ただ、同い年くらいなのにあれだけ深く考えられればな、とは思っているよ。追いつきたいなあ、って」
「頭がいいっすよね……本当。魔王になる前は普通の高校生だったなんて嘘っすよね」
「でもそんな片鱗は見えていなかったんでしょ?」
「あたしの情報網では、っすね。あーあ、アドアニアに行った時にこっそりでも調べるっすか」
「行った時に、ね。……さて」
カズマはそこで腰を上げる。
「ん? どうしたっすか?」
「ああ。クロードさんの所に報告をね。流石にライトウの報告だと、何で僕があのような行動をしなくちゃいけなかったか分からないと思ってね」
「クロードなら分かるんじゃないすか?」
「まさか。そんな万能ではないと思うよ。情報が足りない所は素直に足りない所を補足しないと。変な勘違いをされてしまうのも嫌ですしね」
「いいんじゃないっすか。まだクロードはカズマが狂化していると思っているっすよね?」
「狂化って……でも、多分クロードさんも気が付いていると思うよ」
「えっ?」
「ミューズが気が付いているんだからクロードさんは勿論気付いていると思うよ」
「……むー、その理由はちょっと癪っすね」
「何で?」
「別にー」
「……? あともう一つ、ライトウへ掛けた言葉からも、クロードさんが僕が正気に戻っていることが分かっていると思うよ」
「あれっすか? 『――よくその言葉をカズマの前で口に出来たな』ってやつっすか?」
「そう。僕が狂化していたら、そんなもの気にしないって分かるじゃない。むしろ復讐心を駆り立てるためにどんどん言え、って言うと思うよ」
「そこまで鬼畜だとは……いや、有り得るかもしれないっすね……」
顎に手を当ててミューズが唸る。
魔王としてのクロードはそれ程に非情だ。
使えるモノは使う。
「……ある意味」
ふ、と少し寂しそうな表情でカズマは呟く。
「クロードさんが望んでいたのはこんな僕だったのかもね。復讐心のみで動く駒として」
「そうかもっすね。でも……」
にっこり、と。
満面の笑みでミューズは告げる。
「あたしは今のカズマの方が断然、好きっすよ」
「……そっか」
口の端を上げて、カズマは扉に手を掛ける。
そして。
「……ありがとう」
優しい声でそう呟いて、退室して行った。
部屋に残ったただ一人の少女は。
「……こっち見て言ってくれっすよ、バカ」
顔を真っ赤にして椅子の上で膝を抱えていた。