別離 01
◆
「上手くいったようですね」
ルード軍基地、会議室。
以前と同じ場所に、ジェラスは書類から顔を上げない女性から、そう言葉を掛けられる。
陸軍元帥、アリエッタ。
彼女は淡々と言葉を続ける。
「長い間生活していたのですから、住民の方達が魔女の息子に感情移入してしまっていた可能性がありました。故に、完全とは言えない作戦でした」
ふふ、と彼女は短く微笑する。
「昨日、通っていた学校でショックのあまり早退したそうですね。上手くいって良かったですね。ジェラス大佐」
「……ええ」
「どうしました? 神妙な面持ちですが」
アリエッタは、顔を上げずにそう訊ねる。一体どうやって見ているんだと疑問に思いながらも口には出さず、ジェラスは顔を曇らせる。
「本当にあの少年は、ジャスティスを破壊したのでしょうか?」
「そんなことはもう関係ありません」
ピシャリと彼女は言い放つ。
「ジャスティスは彼の家で破壊されていたそうじゃないですか。つまりは、魔女の息子としての力が発現したということです」
「……そんな非現実的なこと有り得ますか?」
「勿論、私も本気で魔法やら超能力やらを信じている訳ではありませんよ。恐らく、彼は対抗兵器を所持していたのでしょう。ウルジス辺りからですかね。そうなると、外交的な問題が発生しますね」
ようやく書類から眼を離して、彼女は言う。
「それはともかくとして、彼がジャスティスの攻撃を受けなかったのは事実です。人々の恐怖心を煽り立てる存在となっているのは変わりないでしょう。今回、重要なのはそこなのです」
「ですが、アリエッタ様……」
ジェラスはおずおずと切り出す。
「一般人……魔女の息子であるだけで軍事的には一般人の彼が、何処の国も実行できていない、ジャスティスに対抗するための兵器を所持しているとは思いませんが……」
「やはり、そう思いますよね」
あらかじめそう聞かれるのが判っていたかのように、アリエッタは返す。
「そこが一番の問題なのですよ。しかし、魔女の息子がジャスティスを破壊した方法は、他に考えられないのです。あなたはどう思いますか?」
「私は……」
返せず、ジェラスはそこで口を閉じる。そんな彼に、アリエッタは微笑を向ける。
「ああ、気にしないで下さい。答えなど誰にも判らないのですから、あなたの答え如何で私の評価がどうなるとかはありません」
「……正直に言いますと、私は彼がジャスティスを破壊できたのは、その……」
言い辛そうにジェラスは言う。
「【魔法】によるものだと思っています」
「まあ」
少し意外そうに眉を動かすアリエッタ。
「最も想定していなかった答えですね。一体、どうしてそう思ったのですか?」
「魔女の息子、だからです」
自信無さそうに、ジェラスは言葉を紡ぐ。
「その……私はアドアニア侵攻の直後に異動してきたため、恥ずかしながら詳しいことは知らないのですが……どうしてその人物は、魔女と呼ばれていたのですか?」
「アドアニア侵攻の際は、私はまだ学生ですよ」
アリエッタは苦笑いを浮かべる。
「ですが、その理由は知っています。いや、知ったつもりになっています。こちらに来る前に、文献で色々と調べましたので」
「……申し訳ありません」
「いえいえ。ジェラス大佐はお忙しい身ですから、そのようなお伽噺に近いようなことを調べる暇などないでしょう。実際、お伽噺みたいな話で、俄かには信じられないですけれどね」
そのジェラスよりも遥かに忙しいであろうアリエッタが眼にしているため、彼は思いきり後悔の念に駆られた。優先順位が低かったとはいえ、魔女が何であるかくらいは調べておけば良かった、と。
そんなジェラスの様子には構わず、アリエッタは魔女についての説明をし始めた。
「魔女『ユーナ・アルベロア』……ああ、それは旧姓でしたね。正しくは『ユーナ・ディエル』ですね。彼女は奇跡を起こせたそうですよ」
「奇跡、ですか?」
「病人を治したり、壊れたものを修繕したりなど、人々に貢献していたそうです」
「でしたら、それは魔女ではなく――」
神だ。
無神論者のジェラスではあったが、思わずそう口走りそうになった。
「ですが」
アリエッタが手で制す。
「自分に害がなく、むしろ利しかないとしても、行き過ぎた『奇跡』は、やがて疑念を生み、その人を気味悪がるようになるものです。愚かなことに」
助けてくれ。
お願いだ。
……助けてくれるのか。
ありがとう。
助けてくれてありがとう。
彼女の奇跡のおかげで助かった。
彼女は神様だ。
――でも。
どうやっているのだろう。
何故、行ってくれるのだろう。
何をたくらんでいるのだろう。
気味が悪い。
得体が知れない。
もう関わりたくない。
あの――魔女には。
「……勝手な話ですね」
「そうですね。そしその話が大きくなって、あのアドアニア侵攻へと繋がったのですよ」
さらりと、アリエッタは衝撃的な事実を告げた。あまりにも自然すぎて、ジェラスは咄嗟に驚きの声さえ発せられなかった。
「ど、どういうことですか?」
「そのままの意味です。ルードがアドアニアに侵攻した理由は魔女がそこにいたからです」
「いや……でも、私が聞いたアドアニア侵攻の目的は、ウルジスによって閉鎖的になって技術が進歩しなかったため、介入して世界経済を活発にさせるためで……」
「それは表向きの理由ですね」
「……実際は、地下資源が豊富であったため、それを保有しようとしたからで……」
「それは裏向きの理由ですね」
「う、裏向きですか……では、魔女は……」
「真の目的です」
表向き。
裏向き。
真。
アドアニア侵攻には、これほどの目的が内在していた。
「――というのが、私のいち考えです」
「え……?」
「裏の目的はともかく、真の目的が彼女だというのは、文献から読み取った、ただの推測の妄想に過ぎません。虚言、戯言だと思っていただいて結構です」
「文献から、ですか?」
「かなりの数が結構ありましたよ。その中には興味深い記述もありました。例えばですが、魔女は元々、ルードにいたらしいですよ。知っていました?」
「我が国にですか?」
「ええ。アドアニアに行ったのは、十数年前だそうです」
「……成程。だから我が国は、アドアニアに最近になって侵攻したのですね」
ジェラスは納得したように頷く。
「恐らくですが、我が国から何らかの理由で逃亡した魔女が、アドアニアにいるということが分かったために、ということだったのですね」
「成程――と、あなたは納得できるのですか?」
すかさずアリエッタが冷たい言葉を放つ。
「おかしいとは思わなかったのですか? それならば何故、魔女は殺されたのか、というように」
「あ……そ、そうですね」
言われてみれば、確かにそうであった。
魔女を見つけたから、アドアニアを侵攻した。
それならば目的は分かり易い。
魔女を捕まえること。
ルード国から逃亡した彼女を戻すため。
しかし、ルードは――彼女を殺した。
アドアニア侵攻の際に、殺した。
彼女が目的なのに、殺した。
「しかし、それでは真の目的にはならないじゃないですか。彼女が魔女だから本当に魔女かどうかを確かめるために魔女狩りを行って、魔女かどうかを確認しようとしたら死んでしまったとしか……」
「同じ言葉を何度か繰り返していますよ。ですが、正解ですね」
微笑みながら、彼女はそう言う。
「正解、ですか」
「ルード側は彼女に魔女狩りを仕掛けて、そして殺してしまった、ということです」
自信満々ではないが、はっきりと告げるアリエッタ。
「ですが……それは推測、なんですよね?」
「ええ。推測です。ですが私は、その当時の元帥……かどうかは分かりませんが、ルード側が魔女に対し、そのような仕打ちを行ったのもある意味得心がいきます」
「何故ですか? ここまでの話を聞くと、そうは思えないのですが……」
「――ああ、ちょうどありましたね。これを」
そう言って彼女は何処から取り出したのか、妙に古びた一冊の本をジェラスに差し出す。
「これは歴史書、ですか?」
「五十二ページを頭から読んでください」
まるで教師から放たれたかのような指示に、従うジェラス。
「えー……夏の終わりに近づきし頃、我が領土に、一人の女性が来訪したる。彼女の名はユーナ・アルベロア。大層美しい女性で、村の若衆は皆、心を奪われた……ひどく字が読みにくいですね。これが先程言っていた、お伽噺のような文献、ですか?」
「その通りです」
「確かに、美しいからといって文献に残すのはやり過ぎですね。神話でもあるまいし……」
「神話ですが。鋭いですね」
「はい?」
「では、今度はその本の一番後ろにある、発行年月日を見て下さい」
「はい。えっと……え?」
ジェラスは絶句した。
「これって……」
「そうです。お伽噺、という例えは、そのままの意味です」
お伽話。
本当にあったかどうかすら分からない、昔話。
昔。
「書かれていることをそのまま信じるのであれば、これ、……五〇〇年前の書物じゃないですか」
「だから彼女は魔女と呼ばれていたのですよ」
アリエッタは小さく息を吐く。
「見ての通り、これはルード国の歴史書――正確には革命歴以前の『ルード』という国名になる前の時代からですが、その書物がジェラス大佐、あなたが持っている文献です。そしてこの他にも、三六四年前、二三一年前、一六九年前、一五八年前……と、多くの書物で同じように彼女の名前が語られています」
そんなにも……と絶句するジェラスに、彼女は追い打ちを掛ける。
「つまり彼女は――不老不死、ということになりますね」
「不老不死……」
「故に彼女は魔女である、というように結論づけられる訳ですね」
パン、と話が終わりと言うように、彼女は一つ手を叩く。しかし、その言葉にジェラスは引っ掛かりを感じた。
「あの……アリエッタ様はそう仰いますけれど……」
「どうか致しましたか?」
「アリエッタ様はそこまで魔女について知っておられるのに……どうして、私が、魔女の息子が魔法を使った、ということに関して、最も想定していなかった答えだったのですか?」
「よく覚えていましたね。ジェラス大佐」
彼女は微笑む。
「その答えは簡単です。私はこの文献、及び非科学的なことは何一つ信じていないのです」
「え? でも、この文献は……」
「こんなもの信用できるはずもないでしょう。先程までのは、そう仮定した場合での話であって、適当な言い分を見繕っただけですよ。だから、大半が本当に戯言です」
肩を竦めるアリエッタ。
「そもそも、文献に記されている『ユーナ・アルベロア』が、この国にいた『ユーナ・アルベロア』と同じとは限らないじゃないですか。たまたま同じ姓名、もしくは、彼女の一族は代々、長女にユーナと名付けるしきたりになっていた、などと考える方が、まだ不老不死よりは有り得るでしょう。まあ、文献ではない方の彼女の性が変わっている、などの矛盾ははらんでいますが、まだ現実的です。大体、魔女が地下資源よりも重要だなんて、馬鹿げた話でしょう」
「そ、それはそうですが……」
煮え切らない態度のジェラス。
「まだ引っ掛かる所がありますか?」
「いえ……理屈では納得しておりますが……何と言いますか……勘と言いますか……」
「勘、ですか……」
顎に手を当て、唸るアリエッタ。すると彼女は一つ頷いて、
「……そうですね。では、確かめに行きましょう」
「はい? 魔女が文献の通りの人物であるかをですか? それはどうやって……」
「いいえ。魔女かどうかを確かめるのではありません」
そもそも、と彼女は人差し指を立てる。
「どうしてこの議論に発展したのでしょうか?」
「それは……魔女の息子が魔法を使ったのではないか、と私が言ったからです」
「ジェラス大佐は、どうしてそう言ったのですか?」
「ジャスティスが破壊された理由が判らなかったからです」
「そう、そこです」
彼女は人差し指を額に当てる。
「ジャスティスの破壊手段が判明すれば、このような不毛な議論はせずに済むでしょう。実際に聞けばいいのです。あちらも、私が来ることを待っているはずです」
「危険です。私が行きます」
「いいえ。敢えて行きましょう」
「いいえ、いけません」
乗り気満々のアリエッタに、ジェラスは釘を刺す。
「自らの立場をお忘れではありませんか?」
「立場? 元帥が行ってはいけないのですか?」
「いいえ。あなたはこの国に本来は『来週』に来る予定だったのですよ」
「ああ、そういえばそうでしたね」
「ですから、アリエッタ様の姿を見られて驚く方も必ずやいるのです」
「まあ、そうかもしれませんね」
眼を閉じて頷くアリエッタに、ジェラスはほっと胸を撫で下ろす。
「ですから、ここは私にお任せを」
「では顔を隠せば良いのですね。分かりました」
「……」
「では早速用意をいたします。準備ができ次第、連絡を差し上げます。申し訳ありませんが、数分待っていてください。では」
ジェラスが絶句している間に、アリエッタは拙速に立ち上がって退室して行った。
残されたジェラスは、何処で訊かれているか分からないために文句も呟けず、ただ、溜息をつくばかりだった。




