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世界に愛された人間あるいはこの世界の王





 歌が無いと知ると、僕は俄然ハザキレイナに興味が湧いた。なぜ、ハザキレイナは歌を知っているのか?そういうことがまるで重要なモチーフだったように。放課後になると僕は千紗にさっさと先に帰らせると、教室に残ってハザキレイナと同じようにグラウンドを見下ろしてみた。野球部が練習している。そして僕もなにか歌ってみようと思った。

『眼の前が真っ白に光ってあなたが 線だけになってしまう夢見て泣いたの

 流れる恋と涙 溢れる愛と涙 何もないあなたを ぎゅっと抱きしめて

 そう

 なななななにもないあなたと なななななにもないわたし

 ななななな何もない世界で ななななな長い口づけを』

「ふう」

 歌い終えて一息つく。後ろでパチパチと拍手がして、振り向くと笑顔のハザキレイナが立っていた。おでこが見えるように髪をわけてメガネの下からでも大きな目がわかった。

「それってNAIですよね。あたしもその歌が大好きですよ。それにしても友さん上手いじゃないですか」

「NAI…」

 僕はハザキレイナがいった言葉を繰り返した。聞き覚えがあるようで、一体どこで聴いたのかまったく思い出せなかった。どうして、僕はこんな風に歌のことを知っているんだ。

「なに不思議そうな顔しているんですか?」

 ハザキレイナは僕の顔をしたから覗き込んだ。その表情に僕はドキッとした。ハザキレイナ…

「ちょっとメガネはずしてくれない?」

「?どうしてですか」

 いいながらもハザキレイナはメガネを外した。それは予想通りだった。ハザキレイナは千紗と同じ顔だった。

「千紗に似てる」

「それは初めてあったときに聞きましたよ。あたしを千紗ちゃんと勘違いしていきなり説教くれたじゃないですか?それとも友さんはそんなこと忘れちゃったですか。」

 僕は記憶の中をたぐったけれども、そんな記憶はない。

「覚えてないな」

「ふぅっ、しょうがないですね。このメガネだってダテなんですよ。友さんが千紗とキャラかぶるっていつもグチグチ文句いうもんだからこうやってメガネをかけて区別つけやすくしてるんですから。そういう風に言っておいて忘れるということは一つの罪に認定されますよ?」

 だけど、本当に忘れているのだ。

「それより、なんでさっき僕が歌っていた歌のことを・・・」

 僕自身ですらタイトルも思い出せないのに。

「NAIですか。有名ですよ」

 ころころとハザキレイナは笑った。

「違う。もっと本当に知りたいのはそれじゃなくて。どうして他の人間は歌を知らないんだろう?それは僕も同じで歌という概念は知っていてもじゃあどこで聴いた、どこで覚えた、そうなるとまったく思い出せない」

「それは、だってここは壁に囲まれているじゃないですか?」

 いってハザキレイナはグラウンドから外を見渡した。壁は確かにそこに存在している。

「まるで村上春樹の小説のようだと思いません?友さんはけっこう村上春樹の小説好きだったですよね?」

 ハザキレイナはこっちを見て笑った。

 確かに僕は村上春樹の小説は好きだった。ノルウェイの森、風の歌を聴け、羊をめぐる冒険、そういう小説は大好きだった。

「まるで、世界の終わりみたいだと思いませんか?壁に囲まれた土地。どこにも行き着けず、外からの進入もない。そして人々は老いず、永遠に続く日常。そんなところで希望の歌は必要なわけがないし、余計なお世話に過ぎないんですよね。だって世界の終わりはそれ自体で完成しているんですから、成長や前進を促そうとされてもどこにも行けないですよ。」

「ここは…世界の終わり?」

 僕は村上春樹の世界の終わりとハードボイルドワンダーランドという小説の内容を必死で思い出そうとした。だけど表紙のデザインまで思い出せてもそこから先には進めなかった。世界の終わりになにがあるか。僕は知らない。

「そうかも知れないって話をしているだけですよ。ただ外側の世界にはこういう風に歌が転がっているかも知れませんけどね」

 そういってハザキレイナは歌い出した。朝とは違う歌だった。


「いい歌だね」

 僕もハザキレイナの隣に立ってグラウンドを見下ろした。

「そういってくれるのは友さんだけです。今日の千紗ちゃん見ました?ああいう風に歌を歌うだけでここではヘンタイ扱いなんですよ。」

「そういうのは納得できないよ」

「だけど、歌が無い方がここは自然なんです。それは友さんの方が良く知ってます」

 そうだった。僕は歌をいいと感じながらもどこかで無力と脱力感を味わっていた。どれだけ正しい言葉をメロディーにのせてもいずれは消えて無くなってしまう。そう思うのだ。

「だけど、友さんがもう一度しっかりと歌と自分を掴み直すことができたらなにかが変わるかも知れません。」

「どうして?」

 僕は思わず聞き返した。

「だって歌を知る者同士、知り合えるなんて偶然だと思いません?」

「この町に学校はここしかないんだからある意味必然だよ」

「でもお互いに歌を知ってると知ることができました。そういうのを奇跡と呼ばなかったらあたしはなにが奇跡なのかきちんと教えて貰いたいです」

「ふぅ」

 僕はため息をつきながら笑った。

「あ、そうだ、もっと歌のこと知りたかったらわたしの家来てください。いろいろありますから」

「だったら今度の休みにでもいくよ」

「本当ですか?ずっと待ってますから。」

 そこで僕とハザキレイナは別れた。窓の外から見た景色の中に、壁がある。それはやっぱり不自然なことなのだ。口にはしなかったがハザキレイナはそのことを知っている。

 今日は少し遅くなったけれども自転車をこいでいつものように美術館に行った。美術館らしくないこの建物。僕はもう他の階に目もくれず、あの絵を見に行った。四階まであがってリノリウムの床を歩いて四百三号室。

 あいかわらず誰もいない。この部屋のベッドはやはり乱れていない。カーテンが風にゆらゆら揺れている。

 そこに飾られた唯一の違う絵。青い天国からの脱出。あのとき歌に感じたような不自然さはこの絵の中にもしっかりと刻まれていた。絵本の一部としてこの絵は存在していたはずだ。僕は説明のプレートもないのにそういうことを確信していた。だとしたらこの絵のメッセージは一体なんなんだ。タイトル通りだと何かから逃げる為の絵のはずだ。なにしろ脱出とまで書いてある。だけどこの絵を見る限り青空は優しく、地上は腐っているように見える。普通に考えれば地上から青空へ、なのにこの絵は違った。青い天国からの脱出。つまり空から地上へ、だ。だけどそこにはそうしてしまいたくなる理由を僕は見つけられなかった。どう考えても地上に喜びと希望はない。だけど理由があるのだ。僕はそれを知らないといけない気がした。このままではダメだ。

 そうだ、今度千紗も連れてきよう。絵を描かなくなったといっても絵を見るのはまだ好きなはずだから。僕はそこまで考えると今日は美術館をあとにした。

 壁と世界の終わり。

 ハザキレイナはそういった。この町は世界の終わりだと。壁に囲まれたさまは村上春樹の小説そっくりだと。

 生まれたときにはすぐそこにあった壁。いつもいつでも壁は街を囲んでいる。

 だけどわかったのだ。それは異常だ。誰もが疑わず当たり前のことに受け入れていたが、それは違うのだ。

 だから、僕は自転車を町の端に走らせた。その異常な壁の正体を見極めたいと思うのだ。小さな町のはずが思いのほか壁は遠い。狭い道路を自転車を走らせる。誰も通らないような山奥に続く道を走る。どんどん家が少なくなりかわりに緑が増えていく。気が付けばまわりには民家もなにもなく草っぱらだけが広がっている。壁が目の前にあった。

 異様な圧力に僕は圧倒された。とてつもなく高く先は夕焼けに隠れてどこにあるか確認できなかった。壁に手を触れてみる。サラサラとした感触で出来がいいコンクリートでできていた。それにしても一体誰がこんなモノを立てたのだ?お金だってばかにならないだろうに。近くにあった石で軽く叩いてみる。音はまったく響かなかった。よっぽどの厚さなのだろう。

「そういうことはまったく無意味だからやめた方がいいよ。佐藤友彦君」

 突然自分の名前を呼ばれてその方向を見ると男が立っていた。真っ黒な髪に真っ黒なシャツに真っ黒なズボン。真っ黒な目をした男。細くても引き締まっていて、まるでモデルを思わせた。

「なにを驚いた顔してるんだい?初めて会ったわけでもあるまいし。なに?感激の抱擁でもしたいのかい?」

 男は笑った。口の端を歪に吊り上げるイヤな笑い方だった。

「お前は…誰だ」

 男は空を仰いだあともう一度僕を、僕の目を見た。

「なんだ…。忘れてしまったのか。つまりそういうことなんだな」

 男はうんうんと一人で勝手に肯いた。

「だれなんだ…?」

 僕はもう一度呟いた。

「ああ、そしたら初めましてということにしておこうか。僕はマスレ。この町の門番さ。頼まれてやってるだけだけどね」

 真っ黒い服の男はマスレ、そう名乗った。それは確か、ハザキレイナと…

「少しは思い出せそうかい?」

 その瞬間頭にあったぼんやりとした固まりは散った。やはり誰なのか思い出せない。

「門番…確かそういったよな」

 僕は確認した。マスレは肯く。

「そう、この町の門番だ」

 僕はずっと疑問だったことの答えをこいつなら知っている気がした。気がしたじゃない。それは確信だ。

「なら、壁がある意味を知っているのか?」

「ふふっ…はははっ!」

 男は、マスレはなにが面白いのか額に手をあてて大げさに笑った。

「なにが面白いんだよ」

 僕は得体の知れなさを感じて恐ろしくなった。だがマスレはなおも笑い続けてそれが治まったところで言った。

「なにって…アレは君が望んだモノだよ。佐藤君。」

 何をいっている?僕はそんなモノを望んだ記憶はない。それにそんな権力もない。なにしろ物心着いた頃からアレは存在していたのだ。

「君はそれでも不思議に思うだろうね。だけど事実その通りなんだ。なぜなら佐藤友彦、君はこの世界に一番愛されている人間だから。言い方を変えればこの世界の王は君なんだよ」

「僕が世界の王…?どういう意味だよ」

「言葉通りだよ。それとあの壁はなんとかできるとか思わない方がいい。この町からあの壁を突破できる方法はないよ。この町のどの建物よりあの壁は高いし、どんなことをしてもこの壁にはキズ一つ付きはしない。結局そういうことなのさ。ハザキレイナからもこの町のことを聞いたのだろう?ここは世界の終わり。永遠に繰り返される日常、年をとらない人間たち。そういう世界なのさ」

 そこまで聞いて周りの景色がマスレを中心にぐるりと歪んだ。木々も壁もまるでマスレに吸い込まれていくように渦を描いて歪んでいく。地面から空に落ちていくような恐怖が僕を襲う。そこで気を失った。



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