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歴史人物浅評  作者: 張任
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毒艶

傾国の美女、という言葉が存在する。

語源は古く紀元前、当時の中国王朝に仕えた音楽家が皇帝に『我が故郷には城や国ですら一目見ようと身を乗り出す美貌の持主、即ち傾城傾国の美女が居る』と自身の妹を売り込んだのが始まりとされる。

当初こそは美しさのみを表す言葉だったのだが城や国を傾ける文字は縁起が悪く、何時しか転じて災禍を招く者と意味が変容していったと云う。

こうして酷く悪い意味で呼ばれる様になってから、中国王朝には数多くの傾国の美女が現れていく。

悪逆の限りを尽くし政を荒廃させた者、宮中にて権謀術数を駆使して暗躍した者、嘘偽りを喜び国家の信頼を地に堕とした者。

今回紹介するのはそんな悪の華が一輪。


何皇后。


庶民の出で在りながら皇帝の妻となり、腐敗した政治の中で高らかに笑う悪女について記そうと想う。


 _____________


1.

何皇后、本来の名を何氏は三国時代の以前、漢と云う国が中国を支配していた頃の人物である。

当時の中国は大いに乱れていた。時の皇帝・霊帝は政に興味を示さず、自分の側近たる宦官(男性器を切除した者達)に全てを放り投げていたからだ。

国の指針となるべき王が役目を放棄し、更には他人に自身の権限を譲り渡した事で国家機能は麻痺。

宦官の操り人形と化した霊帝は彼等の利益となる命令を次々と下され始め、官職までもを金銭で売買する異常事態に陥る。

こんな状況では真っ当な政治や発言は意味を持たず、賄賂や讒言などの腐敗が横行していく。


宦官には財産を、皇帝には遊興を、臣下には苦難を、そして民には絶望を齎していた同時代に或る『志』を持った女性が現れる。それが何氏だった。


彼女の一族は代々肉屋を営んでおり、一部の人からは賤業だと忌み嫌われていた。当時では生物の命を奪う仕事は宗教的に禁忌とされていたからだ。

加えて乱れた政治によって神仏に頼る者も数多く、彼等からは蛇蝎の如くに扱われていたのだが当の本人は大して気にしておらず、寧ろ何かに縋るしか能が無い連中だと嘲笑っていたと云う。

実際彼女の居る肉屋は繁盛しており、人々が困窮していく中で景気の良い状態が続いていた。天の神より目の前の食事を優先する人々が多かったからである。

人の強欲、無恥、争乱を種に商売を成功させ、多額の金銭を得た何一族。家族がこの世の春だと浮かれている中、一人、何氏だけは別の道を見据えていた。


即ち、王宮への参入。延いては帝の皇后となり、天下をも牛耳らんとする邪悪な栄達の道を。


2.

何氏の考えた計画は本来ならば単なる夢物語、実現する筈も無い話であった。

なにせ彼女は美人と評判ではあっても所詮は庶民、何処の馬の骨とも知れぬ血を代々受け継がれてきた皇族に混ぜては正統性が薄れて内乱の火種になると、臣下から批判を受けるは必然だったからだ。

そも単なる一般人が王宮に入る事は不可能。

どう足掻いても王妃になるなぞ夢のまた夢の話。


…が、この時は事情が少々異なる。


先ず、真っ当な忠言を行う臣下が存在しない。

帝が政を放棄し、その側近が己が利益の為に好き勝手に法令を出すなぞ言語道断と、漢に仕えた者の数多くは宦官の排斥、霊帝の政治参入を再三に渡り願っていたのだが、この忠義が実る事は無かった。

帝は忠言を煩わしいと感じて意にも介さず、時には遠方に飛ばして物理的に声を封じてしまい。

宦官も宦官とて自分達の立場を脅かす連中を野放しにする訳も無く、策謀を用いて排除していったからだ。

また官職を金銭で売買した事が何氏にとって追い風にもなっていた。これはつまり金さえ払えば道理を払い除け、結果だけを手にする事が出来たからである。

何氏は自らの家族を言葉巧みに『説得』し、多額の賄賂を以て宦官に接近。

庶民の出自にも関わらず側室として召し抱えられ、遂に王宮へと足を踏み入れる事となる。


身分が明らかで無い者を懐に入れるは暗殺の恐れや情報漏洩の危険から絶対にすべきでは無い事。

しかし皇帝はその危険性を理解せず、臣下たる宦官は気にも留めていなかった。

ここに漢の腐敗は極まり、この後は衰退するのみとなる。他でも無い、何氏を招き入れたが故に。


王宮に入り込んだ何氏は手始めに宦官勢力、特に最も権限を持つ十常侍と呼ばれる者達と結託し、内外から皇帝の意識を誘導して国庫を私物化するを画策。

その為に邪魔となる存在…彼女以外の側室を排除すべく双方共に暗躍する。根も葉も無い讒言を用い、時には暴力と云う血生臭い方法を以て。

この謀略は何氏が皇帝の子供を身籠った際に過激化し、当時の皇后をも引き摺り下ろしたばかりか同じく帝の子を得た側室を危険視、毒殺してしまう。

これは後に政争が起きると予見した何氏が機先を制すべく起こしたのだが、自身の寵愛した妃が殺害されたとあっては流石の無気力皇帝とて激怒。

あわや王宮から排斥される寸前まで行くものの、側仕えである宦官の取りなしによって事なきを得る。


彼等との関係が切っても切れない程に成長を遂げていた何氏に敵はもはや存在しなかった。

敵対者を悉く排し、次代の権力基盤たる皇帝の子を掌中に収め、実質的支配者たる宦官と強固な関係を結んだ彼女は、遂に皇后の座を獲得。

庶民の出で在りながら国家を支配する存在へと成り上がったのである。


3.

王宮を完全に制圧し、皇帝の座を掠め取った何皇后と宦官達。

しかし彼等は油断をしない。何故ならば敵対者が未だ居たからだ。

漢に仕えた官吏や将軍…彼等は帝を操り、政を蔑ろにする十常侍や何皇后を敵視していた。

如何に命令を出す頭を抑えても、実際に動くのは手足たる者。

歴史と云う権威によって今は従ってはいるが、何時不満が爆発して反逆されてもおかしくは無い。

宦官が武力行使に戦々恐々している最中、この不安に対して何皇后は一計を案ず。


即ち軍事権の掌握。国軍の最高位に自分の一族を据え、王宮のみならず国家の命令系統自体を支配しようと企てたのだ。


これは国の簒奪行為に他ならない。平時であれば計画が一部でも露見した時点で、一族郎党処刑されても不思議では無い重罪である。

しかし当時の漢は腐敗の真っ只中。利権を貪ろうと擦り寄る者、報復を恐れ口を噤む者以外の真っ当な人材は既に中央に居らず、この蛮行は実行に移された。

皇帝を抑えて宮中を牛耳り、軍隊とて一族の者に任せたとなっては何皇后に仇なす者など存在しない___


かに思われた。しかし敵は意外な所から現れる。

身内。軍権を与えた自身の兄が叛旗を翻したのだ。


何皇后の兄・何進は官職に就いた当初は喜んでいたものの、自分達の要求だけして己の意のままにさせない宦官達の言動を次第に煩わしく感じていた。

種無しの尻拭いを何故自分がしなければならないのか、それよりも権勢を確固たる物とすべく地盤を固めた方が良いのでは…そう彼は考える様になる。

軈て何進は自身の部下、つまりは宦官に不満を抱く者達と積極的に連携し、宦官と反目し始めていく。

結果、王宮内での勢力を維持したい王宮側と自身の一族を繁栄させたい何進側とで対立が激化。


何皇后は自身の権力の後ろ盾であり協力者でもある宦官、一族繁栄と今後の国家制圧に必要な将軍の兄、両者の争いを食い止めようとするものの実らず。


結局は暗殺未遂事件まで起きる程に関係が悪化し、計画は徐々に破綻。行く末に暗雲が立ち込め始める。

もはやどちらか一方を切り捨てるしか生き残る術は無い…混迷を極める宮中にて己に迫る危機を察知した何皇后は、自らの兄を生贄に捧げる事を決意。

長年に渡り王宮の闇に巣食ってきた宦官の力は得難く、更には兄・何進が死んでも一族に代わりは居ると考えての冷徹な判断だったが、全ては遅過ぎた。

何進が権力闘争の末に誅殺された際、彼の配下であった将軍の幾つかが機と見て王宮を襲撃。

仇討の名目で怨敵たる宦官を悉く殺害していった。


何皇后はこの時点で権力の基盤はほぼ瓦解した。

内側で猛威を奮った宦官、外側に命令を下す親族。

そのどちらもを、しかも内紛で失ったのだから。


それでもまだ彼女には切り札が有った。皇帝の実子、次代の権力者たる息子の存在である。

子供が居る限りは終わりでは無く、幾らでも挽回できる___しかし、その計算は脆くも崩れ去った。

189年。都の動乱に乗じ、北にて異民族討伐を行なっていた筈の将軍・董卓が突如として来襲。

予想もしない方向から現れた第三勢力に対して何ら対抗策を持ち合わせていなかった何皇后は、息子共々彼等に捕らえられてしまう。

董卓は自らの統治に彼女と息子が不必要だと早々に断ずると、部下によって親子は毒殺された。

歴史の聖域に巣食った毒蛇は、その毒をも喰らう無法な獣によって生涯を終えたのである。


________________


何氏はその美貌と策謀によって皇后の座を勝ち取り、数ヶ月程度とは云えど国を実質的に支配した。

惜しくも権勢は長く続かず内紛によって力を削がれ、結果として美味しい所を掻っ攫われた形になったが、王宮内での数々の陰謀や宦官と協力関係を結んだ手際を鑑みれば、彼女の能力を疑う余地は有るまい。

その狡猾かつ見事な策略により時代の覇者となったは良いが、考えた以上に国の腐敗が進んでいたのが何氏には運の尽きだったか。

よもや皇族をいとも容易く殺害する者、培われた歴史に唾を吐く輩が現れようとは想像だにしなかった事だろう。

しかし、そんな時代でなければ彼女がここまで躍進する事は無かっただろうから、この顛末は或る意味順当な結果とも言える。弱肉強食故に武器を失った者は忽ち喰い散らかされるのが乱世の常なのだから。


一つ彼女に対して思う所が有るとすれば、何皇后は少なくとも『傾国の美女』では無かったと云う点か。


敵対者を悉く叩き潰し、王宮内での政戦にて無類の強さを発揮した何皇后は奸雄、梟雄の類には入るものの、国を滅ぼす災禍とは言い難い気がする。

何故ならば彼女が属した漢は既に腐敗の真っ只中、遅かれ早かれ滅亡していたであろうからだ。

宦官の台頭による政治の歪みに始まり、人材の放出・処断による著しい不足、官職を金銭で売買する事によって賄賂が全国に蔓延した事を考えると、何皇后は滅亡までの時計の針を幾分か進めたに過ぎない。

彼女が来たから国が傾いたのでは無く、それ以前から国が既に終わっていたと言うのが正しいだろう。


そして、それは他の傾国の美女にも言える。


彼女達が登場する時点で傾国は成っているのだ。

権力者を諌める正論が力を持たず、未来を想う国士は死に絶え、ただ欲望のみを貪り尽くす者が跋扈する様になれば、遠からず国は亡ぶ。

傾国の美女とは一目で分かる象徴に過ぎない。

美しくも悍しい華を咲かすには醜悪な根こそが必要となる、その事をゆめゆめ忘れてはならない。

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