暗虞
中国史には度々、政治的・人間的に問題を起こす暗君と呼ばれる者達が登場する。そも中国は領地が馬鹿広い点から、通信技術も発達していない時期に於いては政治の監視が行き届かない事が多い。
故に汚職が蔓延る下地が他国と比べても段違いに出来上がり易く、瞬く間に国家の腐敗が始まり、結果として暗君が幾度も出来上がってしまうのだろう。
破滅は突然では無く、歴史が産み出す必然との訳だ。
それを鑑みれば酷評を受ける人物の見る目も変わり、一人の為政者として冷静に判断する事も可能だ。
が、しかし。そんな観点から見ても擁護しようが無い、負の存在も時折存在するから困った物である。
翊鈞。またの名を万暦帝。
文字通り自分の名を歴史に刻んだ___但し悪名としてだが___或る種、偉大な皇帝について記そうと想う。
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1.
翊鈞(以下、万暦帝と呼称)は16世紀の中国、当時は明と呼ばれた国で皇帝を務めた人物である。
就任当時は10歳と幼く国の大事を担わせる事は出来なかった為、代わりに宰相が政治の指揮を執り明を治めていた。最高権力を他者に委ねる事は往々にして悪徳を呼ぶ物だが、この時の宰相は己よりも公を重んじる立派な人物だった様で腐敗には至っていない。
寧ろ無駄な事業を削減、新たな経済政策の導入、構造一新による汚職役人の排除など有益な政策を行い、国内を大いに成長させた。それだけでは無い、外交面でも成果を挙げて長年の宿敵との関係を改善。
赤字財政は劇的に改善、物資も十分に備蓄。
外敵の脅威も薄れ、明は隆盛の時を迎えるだろう。
…そう思われた。この時だけは。
しかし万暦帝が20歳の頃、問題が発生してしまう。
国家の舵取りを担っていた宰相が病死したのだ。
それでも国民は大して危機感を持っていなかった。
皇帝が幼い頃ならばともかく、今は立派な大人。
宰相から長年教育を施され、子供の時から利発な言動をしていた彼ならば安泰だろうと思われたのだ。
しかし、現実は全くの逆。
これ以降、明は崩壊へと向けて直走る事となる。
自らが信じた希望、万暦帝その人の手によって。
2.
宰相が突然の死を迎えてすぐに問題は起きた。
彼が生前弾劾した既得権益を貪ってきた者、並びに汚職をしたとして罷免された役人が挙って息を吹き返し、利権を取り戻そうと活動し始めたのである。
無益な事業や有害な役人の排除は確かに行っていたものの、未だ道半ばの状態。その時期に指揮を執っていた人物が居なくなれば活気付くのは自然の道理。
彼等がここぞと暴れ回るのも当然の話だ。
しかし当然といっても悪徳を為しているのは間違いない訳で、見ようによってはここで根を絶てば完全に改革が出来る好機ともいえる。さて、この事態に対して万暦帝は如何な方策を講じたか。
何もしていない。
彼は宮中内で風雲急を告げる異変が起きていたにも関わらず、政治に関わるのは御免だとばかりに無視を決め込み、自身の居宅で自堕落に暮らすのみ。
宰相の改革は全て崩壊し、以前の状態に逆戻り。
そればかりか敵対者の怨みを買い、一族並びに協力した役人は追放、族滅にまで至る者も現れる始末。
この報復以外の何物でも無い人事にも万暦帝はさして興味を持たず、ひたすらに享楽に耽っていた。
本来ならば国を、配下を、領民を守るべき皇帝が斯様な有様では政治が上手く行く筈も無い。
権力が政治に興味を持たない事は人心の喪失を招く。
万暦帝は何もしない事で瞬く間に信頼を失い、万民から敬意を消し去った。それだけならば良かった。
しかし彼はそれだけでは飽き足らず、政治・経済・後継の全て、凡ゆる面で厄災を振り撒いていく。
役人への給金を惜しんで人材の補充を怠り、負担を猛烈に増加させ疲弊させた。大事を担う大臣は当初数名程居たが病気や政争で人数が次第に減っていき、最終的に一人で全ての作業をする事態に陥っている。
物事を精査し最終決定を下す責任者自体が少な過ぎるので司法に外交、農業や商業などは滞る一方。
当然ながら国力は見る見る内に衰退していった。
これだけでも相当な失敗なのだが、問題はまだ続く。
万暦帝は自分は政治に関わらないが己の財産には人一倍執着していた。蓄財を好んだが国庫の不足には興味を持たず、その癖、自分が贅沢出来なくなると徴税の仕組みを新たに設けて搾取し始める。
国家が機能していないのに税金だ義務だは押し付けてくるのだから、国民としては堪った物では無い。
大勢の人々が飢餓と労苦で痩せ細る中、皇帝だけは悠々自適に過ごす姿は威厳の喪失どころか、無尽蔵の憎悪すらも呼び寄せてしまう。
中興の始まりと喜ばれた時は当に過ぎ去り、世には陰鬱な…反乱すらも辞さない空気が漂い始めていた。
そして、その空気は万暦帝の更なる問題行動で確たる亀裂となり、明の中枢に腐れた楔を叩き込んだ。
即ち後継者問題、権力の果てしない迷走を以て。
3.
万暦帝は貯蓄を好み、誰かの為に財産を費やす事は無かった。しかし何事にも例外は有る物で、自身の息子にだけは散財を厭わなかった。
決して褒められる行為ではないが、今までと比べると幾分マシに思える。長子以外を優遇しなければ。
万暦帝は三男を溺愛しており、事あるごとに贅沢をさせた。結婚する時などは国家予算の十分の一を費やす、絢爛豪華な式を挙げさせたという。
挙句の果ては三男を後継に据えようとまでした。
権力の行末を定めずにいると基本碌な事にならない。
後継の有力候補同士が反目し合い、これに地位向上を目論む家臣が加わって争いが激化するからだ。
しかも結局は椅子取り合戦に過ぎないので、国家にとって何の益も無い。人材や時間を浪費し、将来に向けて禍根を遺すので害とすら言えよう。
万暦帝の場合、三男の母親で最も寵愛された后妃が自身の息子を皇帝にしようと画策していた節も有り、宮中は混沌の淵へ叩き落され、更なる混乱に陥る。
内側では権力を求めて醜い争いが続き、外側では圧政により民衆は干上がり度々反乱が起きた。
こんな悲惨な状況を知れば、諸外国が此処ぞとばかりに侵攻してくるのは当然の事。
度重なる戦争によって軍事費は嵩み、それを取り戻そうとして徴税は激しくなる一方。にも関わらず皇帝の一族は贅沢を辞めず、遊興に耽り続けている。
これで人心が国に付いてくる訳が無い。
1620年4月。万暦帝は病に倒れ、そのまま死去。
56歳にて生涯を終えた彼の遺言はどの口が言うのか『職務に励め』の一言だったという。
超長期に渡り皇帝の座に居ながら政治、経済、外交全てに於いて何もせず、問題だけを膨れ上がらせた所業は明を徹底的に蝕み、再起の芽をも潰す。
後年、心有る者等が改革を試みるも財政は再建不可能な程に破壊し尽くされ、宮中では権力闘争のみに長けた悪臣が蔓延り、各地から軍勢が押し寄せる現況は如何ともし難い物だった。
遠からずして明は滅び、万暦帝の一族は悉く処刑。
特に皇帝から最も愛された三男は苛烈な責めを受け、拷問を受け殺された後も怒りは冷めず、文字通り贅肉だらけの巨体を切り刻まれ、獣の餌とされた。
親の因果が子に報うとは正にこの事を言うのだろう。
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万暦帝を一言で表すのならば『無能』しか有るまい。
以前紹介した北畠具房も似た様な人物だったが、この皇帝は桁が違う。巨大な、しかも復興し躍進する準備が整っていた国家を一代にして破壊したのだから。
しかも具房は本当に何もしないだけだったが彼の場合は搾取に勤しみ国内を荒廃させ、贅沢だけを好んで民の怒りを誘う。国を憂う家臣の言葉に決して耳を貸さず、問題だけは一人前に幾度も引き起こしている。
はっきり言って弁解の余地が無い。本当に無い。
辛うじて擁護出来る点を挙げるのならば、当時の明は皇帝の権力が過剰なまで高められていた事くらいか。
明では家臣の勢力が肥大し、皇帝が蔑ろにされた過去が有る。自分の領地や利益のみを気に掛け、国を顧みない彼等に危惧を抱いた皇帝は改革を強行。
多数の粛清者を出しつつ、強引ながらも中央集権を成功させた。しかし、これはあくまでも非常時の策。
意思統一が不可能かつ逼迫した状況故に仕方無く行っただけで、綿密に計画し段階を踏んだ訳では無い。
その為に問題が山積みのまま万暦帝の代に至り、遂に爆発が起こった面も確かに有る。
が。それで帳消になるかといえば、そんな訳も無く。
そも皆を勝手に動かさない為に中央集権が為されたのに、その権力を放棄されたら配下は何も出来ない。
なにせ全ての決定権は皇帝に有るのだから。
勝手に仕事すれば反逆罪、牢獄送りになるのは確実。
となれば最早口を噤むのみだが、そうなると万暦帝は仕事する気が皆無なので情勢はどんどん悪くなる。
何も知らないのならいざ知らず、幼い頃から宰相に教育を施されているのにだ。自分の行動がどんな結果を齎すのか分からない筈が無いのに。
彼は面倒を嫌ったが為、全てを崩壊させたのだ。
国も、家族も、権威も、過去も未来も何もかも。
万暦帝の治世は長く続いた割に、名臣の類が全く出て来ないとも語られる。が、それは正確では無い。
度重なる徴税を弾劾する気骨の者も居たし、政務に励むよう多数の家臣が一同に会して懇願をした、が。
逸材が居たとしても皇帝は話を聞かないし、面倒事を持ち込む輩と嫌って遠ざけるべく左遷してしまう。
そうなると聴き心地の良い言葉を並べる連中ばかりが残り、自身の責任すらも忘れて遊び呆けても誰も諫言しない。寧ろ悪徳の為に益々愚鈍にさせていく。
万暦帝の最たる欠点は責任感の欠如では無く、他者を扱うに足る器を持っていない事が一番の問題だろう。




